脱線するのが楽しい女子トーク
この場所を訪れる度に、カトラの足はどうしても竦んでしまう。
(この先に足を踏み入れたくない気持ちと戦うのは何度目かしらね……)
王都にある高級住宅街には、それはそれは富貴を見せびらかしている屋敷が建ち並んでいるわけだが、その中に異彩を放っている屋敷が存在している。豪華といえば豪華なのだが、正直に言うと成金の悪趣味の髄を極めた屋敷こそ、カトラの実母の実家――スタール家の屋敷である。鉱山開発と鉄鋼業で成り上がった祖父が建てたという屋敷だが、これでも以前よりはマシになってきているのだと言ったのは、彼女の伯父のエルディだ。祖父と反りが合わなかったエルディは祖父が亡くなると直ぐに屋敷を改装し始めたものの、無駄に敷地が広く、無駄に建物も多い屋敷である。改装が全て終わるのが先か、はたまた全財産を使い果たすのが先か、どうなるのか分からないとエルディが嘆いていたことを思い出して、カトラも嘆息して、覚悟を決めて門扉の向こうへと足を進めた。
「ようこそお越しくださいました、ケティルビョルグ様。旦那様とヒャルムディース様から伺っております、どうぞ、此方へ」
くるんとした口髭がお茶目な老執事に伴われてやって来たのは、祖父を美化して作られた銅像と噴水がある庭の東屋。其処にいる人々はカトラに気がつくと、にこやかに手を振ってくれた。彼女も同じように、手を振る。
「久しぶりね、カトラ!会いたかったわ……っ!」
「私も同じ思いよ、ディーサ。元気そうで安心したわ。久しぶりね、アルディース」
赤ん坊を抱いたまま立ち上がろうとするディーサを制して、カトラは彼女の隣に座っている幼女――ディーサの娘のアルディースに目線を合わせて、にこにこと笑いかける。アルディースははにかむと母親に腕にしがみついて、顔を隠してしまった。暫く合わないうちに顔を忘れられてしまったのか、と、カトラががっくりすると、ディーサがけらけらと声を上げた。
「カトラに会えて嬉しいけど、恥ずかしくなっちゃったのよね?」
母親の言葉に頷いて、アルディースがちらりとカトラを見る。目が合うと、再び顔を隠してしまった。
(ああ、なんて愛らしいの……っ!)
何とも言い難いトキメキがカトラの胸を襲った。
「私たち家族の生活が落ち着いたら、顔を見せに来ると言っていたのに……貴女ったら、手紙で知らせても、ちっとも現れないんだもの。夫に頼んで約束を取りつけてもらって本当に良かったわ!」
ディーサ・カトラ菓子店の共同経営者であるディーサは二人目の子供を出産してから、産後の体を休める為に実家に身を寄せている。三日ほど前にディーサの夫が店を訪れて「ディーサがね、カトラちゃんが顔を見せてくれないって拗ねててさ……」と悲哀に満ちた顔で告げた時、子供が生まれてから四か月は経過していることに気づいたカトラは顔面蒼白になったものだ。
「御免なさいね。近頃、色々なことがあって、心も体も落ち着かなかったものだから……」
そんな状態でディーサに会うのを躊躇ったと正直に言えば、彼女はやれやれとばかりに息を吐く。殊勝な態度のカトラに文句を言う気が無くなったらしい。唇を尖らせて「会いに来てくれたから、許してあげる」とディーサが呟くと、どちらからともなく噴き出した。そんな大人たちを、アルディースが不思議そうに眺めていた。
「色々なことがあったと言っていたけれど、どんなことがあったの?悲しいこと?それとも、嬉しいこと?」
老執事が用意してくれたお茶とお菓子を楽しみつつ、カトラが近況報告をする。どんな話が聞けるのかしらとワクワクしていたディーサだが、話を聞いていくうちに徐々に表情が無くなり、目から光が失われ、口元が引き攣り、わなわなと震え出す。
「ダメ。怒り爆発しそう。今」
父方の従兄が現れてカトラを罵倒していったこと。金の為にカトラに嫁に行けと言ってきた実父に啖呵を切って追い返してやったら、光り輝く貴公子が現れてしまったこと。それらを訊き終えたディーサの声が一オクターヴくらい低くなったので、彼女は相当怒っているのだと分かる。
カトラの膝の上で大人しくお菓子を食べていたアルディースがびくりと身を強張らせたのが伝わり、カトラは「大丈夫よ~すぐに元のお母さんに戻るわよ~」と声掛けをして、アルディースを落ち着かせた。
「産後の体でなければネリズに金槌を借りてぇ、男爵家に乗り込んでぇ、あんの二人、いいえ、三人の頭をかち割ってやれるのにぃ……っ!」
ネリズは腕の良い鍛冶職人である。仕事で鍛え上げた極太の腕で、暴走する妻を羽交い絞めにして、優しく優しく宥める姿がカトラの脳裏に浮かんだ。
「気持ちだけ頂くわ、ディーサ。だってね、言いたいことは言って、箒が壊れるまでローイと男爵を叩きまくって差し上げましたの、既に」
「逞しくなったのね、カトラ……!素敵よ……!」
「有難う。ああ、それとね……できれば、エルディ伯父様には今回の出来事は内緒にしてほしいのだけれど……」
「あら、どうして?」
「このことを知ったら、激怒した伯父様が数百人の鉱員と鍛冶職人を引き連れて男爵家を壊滅させる未来しか見えないのよ」
「そうね、やるわね、お父様なら」
ベッギ叔母様のことがあるから、お父様は男爵家の方々もスタールのお祖父様も毛嫌いしているのよね。ディーサが嘆息して、カトラの表情が僅かに曇る。
「分かったわ。今回のことは貴女の奮闘に免じて、お父様には内緒にします。でもね、少しでも身の危険を感じたり、心が辛くなったりした時は、遠慮なんてものは蹴っ飛ばして、私やお父様に頼るのよ?それは必ず覚えていてね?」
「……ええ、必ず。有難う、ディーサ。大好きよ」
「私も大好きよ、カトラ」
カトラとディーサは従姉妹だが、三年前にカトラが男爵家を飛び出して、伯父のエルディに助けを求めるまでは関係が希薄だった。男爵が、妻と娘をスタール家の人々に接触させまいと外出を制限していたことが原因だ。伯父からそう聞かされた時、カトラは怒りで目の前が真っ赤になったことを覚えている。故に、カトラとディーサが交流を深めるようになってから未だ年月は浅いけれど、二人の相性が良かったのだろう。今ではすっかり昔馴染みのようで、誰かを頼ることが苦手なカトラでも彼女にだけは素直に甘えられるようになったのだ。
「――ところで、話題は変わるけれど。貴女って今回の事件が起こる前から、光り輝く貴公子のヘルギ・クヴェルドゥールヴと面識があったの?」
「随分と前に一度だけ、遠くから顔を見たことがあるくらいで、それ以降は噂話をいくらか耳にしたことがあるくらいの赤の他人ですの」
「……そんな人の名前を出して、面倒に巻き込んでしまうなんて……どうかしてるわよ?」
「……反省しております、心から」
あれは未だカトラが少女だった頃のこと。娘に箔をつけんとして王宮に行儀見習いに出す親が多い中、給金を目当てに放り込まれたカトラは運が良いことに第二王女付きの侍女に選ばれた。王宮の作法を学びつつ、雑務をこなす日々は忙しかったと懐かしさを覚えると同時に、給金を搾取した実父たちへの憎しみも蘇る。
「お勉強が退屈になってしまわれた王女様が気分転換を望まれて、散歩をしていたのよね。そうしたら、王侯貴族の子弟が剣術の稽古をしているところに遭遇して、そのまま見学をすることになったのよね」
黄色い声を上げている観客の一人に尋ねてみると、稽古をしている集団の中に噂の美少年ヘルギがいるのだという。興味津々の王女はその場から動かなくなってしまった。
「遠くから見ても輝いていたのよね……これが美少年という生き物なのねと驚愕したのを鮮明に覚えているわ……」
「美少年という生き物……」
数多の女性からは羨望と欲望の、数多の男性からは嫉妬の視線を浴びせられていたのは、十代半ばくらいのヘルギだった。男性でもなく、女性でもない、中性的な美貌は眩しく、周囲にいる容色の整った青年、少年たちを圧倒していた。
「その時、彼は背の高い女の子と試合をしていて……最後は負けてしまったの。勝者の女の子は周囲の女性陣に理不尽に責められていたけれど、それでも凛と前を向いていて……格好良かったわぁ~」
カトラが見惚れていたのは美少年ヘルギではなかった。甘酸っぱい青春の思い出話を聞けるかと密かに期待していたディーサはがっかりした。
(いえね、格好良い女の子に見惚れていても問題はないのよ、ええ。なのだけれど、う、うぅ~ん……)
大人たちの会話に興味がないアルディースは、うとうとしている。自分を抱っこしてくれているカトラの体温が心地良くて、お腹も膨れているから眠気がやってきたのだろう。
「結った鳶色の髪が馬の尻尾のように揺れていて、男装姿が凛々しくて、眼差しが涼やかで、対戦相手の男の子たちを容易く負かしてしまうくらい剣術が強くて……素敵だったわぁ~」
彼女のように勇ましく、堂々としていられたらと、カトラは憧れを抱いたことがあったと思い出し、彼方の世界へと旅立ってしまう。こうなるとカトラはなかなか帰ってこない。ディーサは彼女を現実へと引きずり戻すことにした。
「またまた話は変わるけれど。貴女、呼んでいないのに来てくださった光り輝く貴公子と結婚するの?」
「おほほほ。私と結婚しないと死んでやると宣言した女性に、結婚する気は御座いませんと言ったらどうなるのか。それを確かめにやって来た御方と結婚する気なんて起きませんことよ?おほほほほ……」
美しい思い出の世界から引きずり戻されたカトラの目から輝きが失われた。
事の経緯を正直に話して謝罪したカトラ。ヘルギは納得してくれた上で結婚を申し込んでくれたが、カトラは丁重にお断りしたのだ。
「夢物語のような展開を期待しなかったと言えば噓になるわ。でもね、王都中の……いいえ、王国中の女性を敵に回す勇気なんて持ち合わせておりませんの、わたくし」
窓から覗き込んでくる、無数の血走った目は本当に怖かったのだ、と、カトラが深刻な表情で告げれば、その状況を想像したディーサは戦慄した。
「……軽い気持ちで結婚をしないの?と言ってしまったことをお詫びするわ、カトラ。この三年間で貴女は本当に明るくなって、物事が良い方向に進んでいくようになって……貴女が新しい可能性を掴むきっかけになるのではないかと想像して、貴女の気持ちを考えないで口に出してしまったことが恥ずかしいわ。御免なさい」
悪気はなかった。貴女の為を思って言ってやったのに。そんな言葉を吐く人々にカトラが苦しめられてきたのだと知っていたのに、軽蔑していた人々と同じ行為をしてしまったとディーサが自分を恥じる。
「そうねぇ……次回作の挿絵も貴女が描いてくれると約束してくれたら……今の言葉を綺麗サッパリ忘れてしまうくらい、私は幸せな気持ちになれるわね?」
「勿論、やるに決まっているじゃない」
――ああ、ベッギ叔母様によく似ている。悪戯をしたディーサを叱った後に、泣きべそをかいている彼女を安心させる笑顔を浮かべる叔母とカトラの笑顔が重なって、ディーサが胸が締めつけられた。
「……カトラちゃん、おかーさんとおとーさんになるの?」
どうやら大人たちの会話の一部分だけを耳にしていたらしいアルディースが、眠たい目を擦りながら、ぽつりと呟く。
――カトラもアルディースの母親と父親のように、誰かと夫婦になるのか?
幼子の呟きをそう解釈したカトラは、眠気で体温が上がっている小さな体をそっと抱きしめる。
「アルディースのお母さんとお父さんのようになれたら、素敵ね」
授かった命を大切に育んでいるディーサとネリズに、カトラは憧れと尊敬を抱いている。けれど、カトラは二人と同じ道を選ぼうとは思わない。
カトラの両親は上流階級ではさして珍しくもない政略結婚をした。二人の間には愛情は生まれず、お互いへの敬意もあったのかどうか分からない。母親のインギビョルグ――ベッギは娘のカトラに目一杯の愛情をかけてくれていて、カトラも母親に愛情を持って接していた。一方、父親の男爵は違った。彼が愛情を向けているのは男爵家の人々だけで、妻と娘は除外されていたから、カトラには父親への愛情はこれっぽっちも生まれなかった。
歪な家庭で育ってしまったカトラは両親と同じ道を歩んでしまうことを、心から恐れている。だから温かな家庭に憧れはしても、手に入れようとは思わない。
「……貴女がそう言ってくれると心強くて……誇らしいわ」
「心からそう思っているもの」
カトラは誰かを羨んでも、恨んだりはしない。誰かの幸せを目にしたら、彼女も幸せそうに微笑んで、ほんの少しだけ寂しそうにするのをディーサは知っているから、娘のアルディースをいとおしそうに抱きしめるカトラを見ると、切なくなるけれど――口には出さない。いや、出せないのか。
「いけない、うっかり忘れるところだったわ!」
急にカトラが声を張り上げるのでディーサが吃驚すると、彼女の腕の中の赤ん坊が泣き出してしまった。一番近くで声を聞いたはずのアルディースはすやすや眠っている。この子は大物かもしれない。おろおろするカトラに「ちょっと吃驚しただけよ」と言って、ディーサが慣れた手つきで赤ん坊をあやすこと数分。落ち着きを取り戻した赤ん坊は再び夢の中へ。
「さて、もう大丈夫ね。ねえ、カトラ?何をうっかり忘れてしまったの?」
「あのね、ディーサ、私たちの本が売れた訳ではないのだけれど、一冊、人手に渡ったのっ」
どういうことなのかと首を傾げるディーサに、カトラが興奮気味に説明をする。
「なるほどね。迷惑をかけたお詫びに、妹さんにどうぞと言って貴公子に本を渡した、と。で、妹さんが気に入ったら、貴公子がまた来店するかもしれない……と」
「感想は欲しいの、どんなものであっても。辛辣なものであっても、受け止めるわ……落ち込むけれどね?でもね、ヘルギにまた会いたいとは思わないのよね……できれば妹さんに来店して欲しいのだけれど……」
「あら、どうして貴公子に会いたくないの?まあね、あんなことをやらかしてしまったから、気まずいかもしれないけれど……」
若しかしたら良いお客さんになってくれるかもしれないと言うディーサに、カトラは渋い顔をする。
「あの美しすぎる容姿を眺めているのは正直に言って楽しいのだけれど……したり顔と何かが腹立つのよね……そう、何かが……」
並大抵のことでは腹を立てないカトラの物言いに、ディーサがきょとんとする。そして暫くすると――小さく噴き出して、込み上げる笑いを堪えるようとして、空を仰いだ。
「……私ったら、そんなに面白いことでも言ってしまったのかしら?」
「い、いいえ……っ!う、ふふ、う、ん……っ、こほんっ。そうねえ、光り輝く貴公子様はまた来店するのではないかしら?そんな気がしてきたわ」
どうして、そのように思うのか。納得がいかない様子のカトラが問えば、ディーサはにっこりとして答えた――根拠の無い人妻の勘よ、と。
その言葉の意味がどうにも理解できないカトラは意味も無く空を仰いだり、腕の中で寝息を立てているアルディースを眺めたりしてみたが、答えなど見つかるはずはなかった。




