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右手に箒、左手に塵取り、心に勇気  作者: かなえ ひでお


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3/3

光り輝く貴公子様は

 短く切り揃えられた、灰褐色の髪。琥珀にも似た目を縁取る睫毛は長く、眉は綺麗な弧を描く。鼻梁はすうっと伸びていて、血色の良い唇は薄すぎず厚すぎずで丁度良い。良質の部品を収める額のような顔は長すぎず丸すぎずで四角くもない。意外に節くれだっている指は長くて、足も当然のように長く、筋骨隆々でもない程好く鍛えられた体躯。羨ましいを超えて恨めしいことこの上ない長身の美丈夫の名は、ヘルギ・クヴェルドゥールヴ。光り輝く貴公子と渾名されるに相応しい人物が、カトラの目の前に佇んでいる。


『じっくりとお話をしたいのですが、御都合は宜しいですか?』

『宜しくはないですが、此方へどうぞ!ギョエェェ……ッ!』


 狼の群れに追い詰められたウサギの気持ちを味わっているカトラの喉から自然と奇声が漏れ出る。美丈夫ヘルギが愉しそうに目を細めているのが見えたが、それどころではない。周囲からビシビシと伝わってくる好機、羨望、猛烈な嫉妬の視線から逃れるべく、カトラはヘルギを菓子店に招き入れることを決断した。物凄く、嫌だったが。


「菓子店の中に小さな本屋が併設されているとは……珍しいですね」


 昼休憩中の札を臨時休業の札に掛け替えてヘルギを中へ通すと、彼は物珍しそうに店内を見回した。


「ソウデスカ?メズラシイデスカ?ソレハヨウゴザイマシタ、ハイ」


 甘くて美味しそうな香りがほんのりと漂う店内に、この世のものとは思えないほどの美丈夫がいる。どうにも違和感があるカトラは何故か片言になった。

 ――私は一体、何をどうしたら良いというの?

 極度の緊張で働きの悪くなっている頭で考える。そうだ、先ずはヘルギから距離をとろう。眩しすぎる存在の近くにいると目がやられてしまうから、うん、そうしよう。

 ヘルギに気取られないようにカトラは静かに蟹歩きをするが、直ぐに気づかれた。それでも、カトラは蟹になることを止めなかった。ヘルギは何を言うでもなく彼女を眺めるだけで、その場から動かない。そうして、カトラは勘定台の奥に逃げ込んだ。壁ではないが、台がある。これで必然とヘルギと距離をとれるので、カトラは安堵した。


「エ~トデスネ、アナタハ、ドウシテ、コチラヘ?」


 あのとんでもない話がヘルギに伝わっているというのであれば、彼の隣には、したり顔の男爵がいるはずだが、姿がない。問いを投げられたヘルギが爽やかな笑みを浮かべる。美丈夫の笑みを直視すると心臓に悪いのだと、カトラは学んだ。


「アスクロー男爵から素敵なお話を伺ったのだと、私の父が申しておりました。ケティルビョルグ嬢は宣言されたそうですね、ヘルギ・クヴェルドゥールヴと結婚できないと死を選んでやる、と。ですから、私は此方へ参りました」

「ハァ、ソウデ……は?貴方と結婚できないと死を選ぶ?え?どういうことですか?」


 身に覚えがないと首を傾げるカトラに、ヘルギが片眉を上げる。


「改めて伺いますが、貴女はアスクロー男爵の御息女のケティルビョルグ嬢ですよね?」

「はい、そうです」

「ヘルギ・クヴェルドゥールヴと結婚できないなら死を選んでやると、男爵を脅迫していらっしゃるのでは?」

「……え?いいえ、私はそのようなことを申してはおりません!男爵を脅迫……はしましたけれど、内容が違います!」


 男の好みを言ってみろ、連れてきてやるから――なんて、カトラを小馬鹿にした男爵に彼女は言ってやった。連れて来られるというなら、光り輝く貴公子ヘルギを連れてみてみるがいい、と。それは覚えがあると、カトラは正直に答えた。


「……父上から伺った情報と異なる部分があるな」


 眉を顰め、頤に手を当てて考える姿が絵になるヘルギにカトラは再び問うた。


「宜しければ、貴方が伺った情報を教えて頂けませんか?」


 ヘルギの目がすうっと動いて、カトラを捉える。

 ――私、今から殺されるのかしら?

 彼はただ彼女を見ただけなのだが、カトラの体が勝手に震えだした。


「先日のことでした。父が私に尋ねてきたのです。正体不明の女性と結婚する勇気はあるか、と」


 派手な色と柄をしたキノコでも拾い食いしたのかと息子が問えば、「父の頭は正常だ。拾い食いをするなと妻に躾けられているのでな」と返ってきた。


「父に事情を詳しく伺ってみますと、全く面識の無いアスクロー男爵が突然現れて、父に縋りついてきたのだそうです」


 男爵の一人娘が作家になるのだと豪語して家出をしたのだが、あっけなく夢破れ、困窮した生活を送っていると泣きついてきた。娘を哀れんだ男爵が救いの手を差し伸べてやると娘の態度が急変し、「ヘルギ・クヴェルドゥールヴと結婚できなければ死んでやる!」と脅迫してくるではないか。我が儘放題のロクデナシとはいえ、娘は娘。娘に死なれたくない男爵は恥を忍んで、ヘルギの父親に懇願しにやってきたのだという。


「……ほほぅ」


 カトラを悪者に仕立てた、雑な設定の作り話に頭痛がしてきた。然し、あの男爵が行動を起こしたとなると、男爵家の懐事情はかなり逼迫しているのかもしれない。


(だからといって、娘を利用して現状をどうにかしようとするなんて……昔からそうだったわ、そういえば)


 この場に父親がいたなら、箒が壊れるほどタコ殴りにしてやりたいところだが、彼女の前にいるのは美丈夫だけだ。


「伴侶を選ぶ権利は息子にあると父は断りましたが、娘の命がかかっているので見捨てないでほしいとしつこくせがまれて、困った父が訊くだけ訊いてみるが期待はしないでくれと言って、漸く解放されたそうです」


 まあ、なんて恥ずかしい人間なのでしょう。あれが実父である事実が辛くて、勘定台の上に手を突いたカトラががっくりと項垂れて、深々と溜息を吐いた。


「ろくでもないお話をお父様から伺って……どうして私を訪ねていらっしゃったのですか?それよりも、私の居場所がよくわかりましたね……?」

「職業柄、人狩り――失礼、人探しは得意なのです」


 件の男爵令嬢の名前は把握しているが、顔は知らないヘルギがテュースルンド地区を歩いていると、衆人環視の中で大騒ぎをしている男女がいた。状況を把握しようと近くにいた老齢の男性に話を伺っていると、ふくよかな女性に箒でタコ殴りされている薄毛の男が叫んだ――カトラ、と。

 ああ、探していた獲物がこんなにも簡単に見つかるなんて思いもしなかった。ヘルギはワクワクしながら、二人の間に割って入ることにしたのだ。


「私が貴女と結婚しないと言ったら、貴女は本当に死んでしまうのだろうか……それを確かめたくて、此方へやって来たと言う訳です」


 若しかしたら運命の導きでカトラとヘルギは出会ったのではないか――なんて、少しでも胸をときめかせた自分を呪い殺してやりたい。カトラの目から、生気が失われた。


「然し貴女が箒で男を叩きのめしている姿を見ていたら、私と結婚できないくらいで死んだりはしなさそうだと……寧ろ、断りを入れたら私の息の根を止めにやってきそうだな、と。ふふ……ふっ、ふはっっ」


 そんなことを想像するだけでおしかくてたまらない。口元を手で覆い隠して笑いこけるヘルギに、カトラの怒りの導火線に火が点きそうになる。お伽噺に登場する美しい人たちは心までも美しいというけれど、現実に、目の前にいる極上の美丈夫はそうでもないようだ。他人を外見で判断するな。偶に例外もあるが、基本的にはそれが正しい。カトラは一つ、賢くなった。


「……はいっ!反論をしても宜しいでしょうかっ!?」

「……どうぞっ、ぶふふっ」


 血走った目で挙手をして発言の許可をとるカトラがおかしくて、ヘルギは腹がよじれてしまいそうだ。美丈夫の笑いのツボなど、知らぬ。言いたいことは言って、すっきりしてやろう。カトラは、ふんっ!と力強く鼻息を噴射した。


「私が夢を追って男爵家を飛び出したのは、事実です。ですが、生活に困窮はしておりません!母方の伯父に借金をしておりますが、毎月少しずつ返済しており、滞納は致しておりませんので!」


 世間知らずのカトラを心配して、働ける環境をと菓子店を営む為に出資してくれた伯父のエルディ、そして、うじうじとしてしまうカトラを叱咤激励し、共同経営者になってくれた従姉のディーサには感謝してもしきれない。

 実の父親はというと、リング銅貨一枚恵んでくれたことはなく、助けを求める娘に手を差し伸べたことすらない。カトラは男爵の雑な悪巧みを暴露し、いつのまにやら平静を取り戻していたヘルギは静かに耳を傾けてくれている。


「贅沢な生活を捨てられず、生活を維持するために娘を結婚させてやるという体で身売りをさせようとしてきた男爵に腹が立って、仕返しをしてやりたくなりました。頭に血が上っていた私は、男爵には絶対に連れて来られないだろう人物として、貴方の御名前を出してしまいました。全く面識の無い貴方にも、貴方のお父様にも御迷惑をおかけしました。大変申し訳なく思っております。御免なさい」

「面識がないにもかかわらず、何故、私の名前を出されたのですか?」

「王宮に行儀見習いに出されていた時分に、一度だけ、貴方をお見かけしたことがあります。もう何年も前のことです。その時に貴方の御名前を知って、それからは時折貴方のお噂を耳にすることがありまして……貴方のような有名人なら、ろくでもない人間を上手くあしらってくれるのではないかと、勝手に期待したのです。浅慮でした、反省しております」


 実際に男爵はカトラの前にヘルギを連れて来られなかった。だが面白がったヘルギが彼女の前に現れてしまって、カトラは物凄く焦ってしまったし、怖くなった。


「成程。では……私と結婚してみますか?」


 私の話を聞いていなかったのかしら、この性格が悪い美貌の人は。

 全力で苛立ちを抑えて、カトラは貴婦人の微笑みを咲かせる。彼女はきっと明朝にも顔面の筋肉痛で悶絶することだろう。


「勿論、丁重にお断り申し上げます。世の女性を敵に回す度胸を持ち合わせておりませんの、わたくし」


 どうぞ、ご覧になってくださいな。窓の外から睨みつけてくる無数の目を。ヘルギが振り向くと、無数の人影が蜘蛛の仔を散らすように逃げ去っていった。


「私が結婚を断っても、貴女が自害されないと分かりましたので安心しました」

「ソウデスカァー、ソレハヨロシュウゴザイマシタァー」

「思いがけず出会った素敵な女性に振られてしまいましたので……そうですね、妹に土産を買って帰ることにします」


 大して残念がっていないヘルギが足を向けたのは、本棚だった。


「其方にあるのは幼児から基礎学校に通う子供向けの本ですけれど……」

「妹とは十歳以上年齢が離れていますし、あれは精神年齢が五歳くらいですので対象となりますよ」

「そ、そうですか……あの、妹さんはどのような物語を好まれているのですか?」


 話題が本に及ぶと、ヘルギへの苦手意識は何処へやら。勘定台という砦から出てきたカトラは彼の隣に立つ。意識が本に向いているので、不意にヘルギが顔を近づけてきても気にならないらしく、一所懸命に土産の本の選定を手伝う。


「おや?此方の本には貴女の名前が書かれていますね」

「そ、それはですね、私が初めて作り上げた本で……出来立てほやほやの自信作ではあるのですが!まだまだ拙いところもありますので、他の本を……っ!」


 自分の本の初めての購入者になってもらえる絶好の機会だが、カトラは羞恥心と不安に負けて、二の足を踏む。本を取り戻そうと手を伸ばせば、ヘルギが本を遠ざける。腕の長さの違いが憎い。取り戻し損ねたカトラは体勢を崩し、ヘルギの胸に飛び込んでしまった。体幹が強かったのだろう、ヘルギは難無く彼女を受け止めた。

 自分とは違う匂いと体温だけれど違和感がない。不思議に思って顔を上げれば、どうにも美しい顔がカトラを心配そうに覗き込んでいる。カトラは素早く飛び退き、「すいませんでしたぁ!!!」と絶叫気味にお詫びした。


「……此方の本を頂きましょう。おいくらですか?」

「えっ!?えぇ~~~……?」

「自信作なのでしょう?ならば、堂々と売りなさい。恥ずかしがっていては、折角の作品に失礼ですよ」


 不敵でも、意地悪でもない柔らかい笑み。思わずヘルギに見惚れて、直ぐに我に返って俯いて、胸の前で拳を握って勇気を出して、カトラは面を上げた。


「お代は頂きません。その本は差し上げます。私の不用意な発言で貴方にご迷惑をおかけしましたから、お詫びです」

「それではケティルビョルグ嬢のお言葉に甘えましょう。妹がこの本を気に入りましたら、今度は本を買いに参ります」


 できれば、もう来ないで欲しいのですけれど。喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込んで、カトラは少し咽た。


「げっほぉ、けほっ!……私は男爵家を出た身ですから、令嬢とは言えません。カトラ、と呼んでください、ヘルギさん」

「ヘルギで構いません。敬称はつけないで」

「ひえっ!あ、いえ、畏まりました。え……と、ヘルギ……?」

「どうぞ宜しく、カトラ」


 ゆっくりと差し出された、大きな手。カトラが恐る恐る握ると、ヘルギは優しく握り返してくれた。彼の掌の感触は僅かに硬くて、カトラは何故か手の甲当たりを指の腹でむにむに触られた。不思議なことに嫌悪感は湧かなかった。これが美丈夫のなせる業か――カトラは意味も無く感心した。


「それでは失礼致します」

「どうぞ、お帰りはお気をつけて」


 にこやかに手を振って、ヘルギは退店していった。すると、何処からともなく女性の群れが出現して、背筋を伸ばしてきびきびと歩いていくヘルギの後についていくのが見えた。


「……なんとか、乗り切った……のかしら?」


 急に腰が抜けて、カトラはへなへなと座り込んでしまった。


「意地悪なんだか、そうでもないのか……よく分からない人だったわね、光り輝く貴公子様は」


 カトラの夢の結晶はヘルギの手から彼の妹へと渡されるのだろう。名前も顔も知らない少女があの本の世界を楽しんでくれるなら、カトラは幸せだ。


「ヘルギの妹さんが気に入ってくれますように」


 然し、だ。そうなると、ヘルギが再びカトラの前に現れてしまう。この店の場所を兄から聞いた少女が訪れてくれますようにと、カトラは祈る。

 どうしてだろう。一瞬、背筋が寒くなったのは。きっと気のせいだろうと、カトラは思うことにした。

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