男爵令嬢は私の小説のアイデアを盗んだうえ、婚約者まで奪った
「い、1冊ください!」
「はい、500サクルになります」
「あ、じゃあこれ!」
若い女性のお客さんから差し出された1000サクル紙幣を受け取り、お釣りの500サクル硬貨と共に、新刊の同人誌を手渡す。
お釣り用に、500サクル硬貨は大量に用意してある。
新刊を受け取ったお客さんはそれはそれは嬉々としており、こういう読者の喜ぶ顔を直接見られる瞬間こそが、同人活動をしていて一番嬉しい。
今回の新刊も難産だったけれど、諦めずに頑張ってきて、本当によかった――。
「1冊ください」
「あ、えっと、500サクルです」
「1000サクルで」
「あ、はい」
隣に座っている私の婚約者のオリヴァーも、慣れた手付きでお釣りの500サクル硬貨と共に、新刊の同人誌をお客さんに手渡した。
初めてオリヴァーに売り子を手伝ってもらった時は大分手間取っていたけれど、今ではもたつくこともなくなり、スムーズに受け渡しができている。
私一人じゃとてもこの長蛇の列は捌けないから、本当に助かっているわ。
――昨今、我が国の貴族の間では、出版社を通さず自分で小説を作って販売する、『同人誌』が爆発的な流行を見せていた。
同人誌はこうして定期的に開かれる同人誌即売会イベントで販売され、中でも特に人気のサークルは壁側に配置されることから、『壁サークル』――通称『壁サー』と呼ばれている。
私の個人サークルである『ニャッポリート』も、一応壁サーだ。
「1冊くださいッ!」
「はい、500サクルになります」
「あ、はい!」
次の若い常連のお客さんから500サクル硬貨を受け取り、新刊の同人誌を手渡す。
すると――。
「あ、あのあの! ジュリア先生! 先生の同人誌は、私の生きる糧です! いつも本当にありがとうございますッ!」
と、真っ赤な顔で言われた。
うふふ。
「こちらこそいつもありがとうございます。今後も頑張りますね」
「はい! どうぞお身体に気を付けて!」
常連さんは新刊を宝物のように抱きしめながら、何度もお辞儀をしながら去って行った。
私の全身を、言いようのない多幸感が包んでいる。
――よぉし、この調子で、じゃんじゃん売るわよぉ!
こうして1000部用意した私の新刊は、一部の取り置き分を除き、2時間弱で完売したのだった――。
「じゃ、オリヴァー、私は買い出しに行ってくるから、暫くお願いね!」
「うん、いってらっしゃい」
『完売しました』という札を置いた私はスペースにオリヴァーを残し、一人買い出しに向かう。
この買い出しの時間も、同人誌即売会の醍醐味の一つ。
何せ本屋さんで売っている本と違って、同人誌はまさしく一期一会!
今日この場で買えなかったら、二度と手に入らないかもしれないのだ。
私は事前に用意していた買い出しメモを見ながら、順に目当てのサークルを回る。
どうしても欲しい本は事前に取り置きをお願いしていたこともあり、幸いほとんどの本は買うことができた。
あとは――。
「こんにちは、シンシアさん」
「……あ、どうも、ジュリア様」
友人である、男爵令嬢のシンシアさんのスペースにやって来た。
シンシアさんのスペースは会場内の列の中頃、所謂『島中』だ。
「取り置きをお願いしていた、新刊を1冊いただけるかしら?」
「あ、はい……、500サクルです」
「はい」
私が500サクル硬貨を渡すと、シンシアさんは新刊を差し出してくれた。
新刊のタイトルは『マクガーレンの隔絶』。
ううん、シンシアさんらしい、硬派なタイトルね。
「今回も面白そうね! 読むのが楽しみだわ」
「……いや、そういうお世辞はいいですから。どうせ誰も、私の小説を面白いとは思ってないんですから。こんなに売れ残ってるのが、その証拠です」
シンシアさんは平積みになっている40冊ほどの新刊を、ポンポンと叩く。
シンシアさんはいつも50冊くらい刷ってるはずだから、売れたのは10冊くらいか……。
「で、でも、私はシンシアさんの小説好きよ! 世界観も重厚で文体も骨太だし、こういう小説、私には書けないもの」
これは本心だ。
私の小説はエンタメ寄りでわかりやすさを重視している、『テンプレ』と呼ばれるものなので、流行に流されず自分の書きたいもので勝負しているシンシアさんのことを、私は尊敬している。
「……でも、結局売れなきゃ何の意味もないですから」
「……シンシアさん」
そんなことはない――と喉元まで出かかったが、それを私が言ったら嫌味になってしまうかもと思い、すんでで堪えた。
「あ、じゃあ、また終わったら来るわね。アフターはいつもの場所でいいわよね?」
「……はい」
気まずい空気を残したまま、私はシンシアさんのスペースを後にした――。
「うわぁ」
そして最後に私が訪れたのは、この同人誌即売会の中で最大手のサークル、『エクフラ』のスペースだ。
エクフラには未だに長蛇の列が出来ており、その列は会場の外にまで伸びている。
このように、壁サーの中でも更に人気の高いサークルは、購入列を屋外に伸ばすため、シャッター前に配置されることから『シャッター』と呼ばれている。
シャッターこそが、同人作家のトップオブトップ。
私の目標でもある。
私は『最後尾』と書かれた札を持っている人に、「持ちます」と言って最後尾札を受け取り、列に並んだ。
暫くすると、やっと私の番が回ってきた。
逸る心臓を抑え、500サクル硬貨をそっと用意する。
「い、1冊ください!」
「はい、500サクルになります。――ああ、ジュリアさん、お久しぶりです」
シャッター作家のデリック先生が、朗らかな笑顔で迎えてくれた。
メガネの奥で、理知的な瞳がキラリと光っている。
――嗚呼、今日のデリック先生も神々しいわ。
デリック先生こそが、私の同人作家の原点。
ふとしたことからデリック先生の小説を読んだ私はそれはそれは感動し、私もこんな風に誰かを感動させる話を書いてみたいと思ったのが、小説を書くキッカケだったのだ。
「いつもありがとうございます」
デリック先生が新刊を手渡してくださる。
今回の新刊のタイトルは『嫉妬』。
何というシンプルでスタイリッシュなタイトルなのかしら!
デリック先生の小説のタイトルはいつも二文字だけという、昨今の長文タイトルに真っ向から立ち向かったものなのだけれど、内容があまりにも面白いことから、それでもこうしてシャッターとして君臨しているという、まさに雲の上のお方――。
テンプレの補正で何とか壁サーになれている私とは、作家としての格が違う……。
正直デリック先生の本を読むたび、そのあまりのクオリティの高さに心が挫けそうになることもままある。
――でも、私は決して諦めないわ。
デリック先生の本の主人公は、いつだって逆境を勇気と根性と知恵で乗り越えているんだもの。
私だって、根性だけは自信がある。
あとは勇気と知恵さえ身につけられれば、シャッターだって夢じゃないはずだわ――。
「こ、こちらこそいつも名作を読ませていただき、本当にありがとうございますッ! デリック先生の新刊を読めることこそが、私の生きる糧です!」
「ハハ、そう言っていただけると、作家冥利に尽きますね。後ほどジュリアさんのスペースにお伺いしますので、取り置きをお願いしていた新刊をいただけますか?」
「は、はい! 是非!」
デリック先生に取り置きをお願いされているというのは、私にとって最大の誇りだ。
デリック先生ほどのお方なら、他の作家に媚びを売る必要なんてないだろうから、純粋に私の作品を気に入ってくださっているということなのだろう。
それが私は、何より嬉しい――。
これからもデリック先生をガッカリさせないよう、精進しなくては――!
私は決意を改めながら、自分のスペースに戻った。
「でさ、そいつ何て言ったと思う? 『お前に食わせるマカロンはねぇ!』だよ」
「マジですかそれ。ウケるぅ~」
「――!」
私のスペースに戻ると、私の席にシンシアさんが座っており、オリヴァーと楽しそうに談笑していた。
「あ、ジュリア、おかえり。また随分買ったねえ」
オリヴァーが苦笑いを浮かべる。
「あ、うん。ここでしか買えないものだから。……シンシアさんは、ここにいて大丈夫なの?」
シンシアさんは一人でサークル参加しているので、スペースを離れたら本を売る人がいなくなってしまう。
「ええ、もうスペースは締めました。どうせこれ以上は売れないでしょうし」
「そ、そう……」
シンシアさんがそう言う以上は、私からは何も言えない……。
「あ、すいませんジュリア様、席取っちゃって」
シンシアさんが立ち上がる。
「ああ、いいのよそのままで。私ちょっと、トイレに行ってくるから」
「あ、そうですか」
またストンと座り直すシンシアさん。
本当は別にトイレに行きたかったわけではないけど、何となく咄嗟にそう言ってしまった……。
とはいえ、今更噓でしたとは言えないので、戦利品の同人誌を置いた私は、そっとその場を後にした。
「でさ、ここからが最高なんだけどさ」
「え~、ホントですか~?」
背中からオリヴァーとシンシアさんの笑い声が響いた――。
「だから僕は言ってやったんだよ。『お前ん家、天井低くない?』って」
「アハハ、ウケるぅ~」
暫くしてから自分のスペースに戻ると、二人は尚も盛り上がっていた。
オリヴァーもシンシアさんも、私と二人の時はあんなに楽しそうじゃないのに……。
「ジュリアさん、お待たせいたしました」
「あ、デリック先生!」
と、そこへ、ちょうどデリック先生がいらっしゃった。
やっと新刊が全部捌けたのだろう。
「取り置きをお願いしていた新刊をいただけますか?」
すっと500サクル硬貨を差し出されるデリック先生。
「はい! オリヴァー、新刊取ってくれる?」
「え? 新刊? ……もうないけど」
「…………え」
一瞬オリヴァーの言った意味が理解できず、頭がフリーズした。
「そ、そんなはずないわ! デリック先生の取り置き分は、奥に分けておいたでしょ!?」
「あっ! あれがそうだったの!? ゴ、ゴメン、君が平積みに入れ忘れたのかと思って、もう売っちゃったよ」
「っ!?」
そ、そんな……。
せっかくデリック先生が取り置きをお願いしてくださったのにッ!
「あれは取り置き分だって、何度も説明したじゃない!」
「そ、そうだっけ? おっかしいなぁ~」
頭を掻きながら目を逸らすオリヴァー。
どうせまた、ちゃんと私の話を聞いてなかったのね……!
オリヴァーは以前も、これとまったく同じミスをしたことがあるもの……。
「ジュリア様~、そんなに怒ったら、オリヴァー様が可哀想ですよぉ~」
「――!」
プラプラ手を振りながら、シンシアさんがオリヴァーを庇う。
くっ……!
「ははは、そういうことなら致し方ありませんね。残念ですが、諦めるとしましょう」
500サクル硬貨を仕舞うデリック先生。
あ……あぁ……。
「あの! でも、家に帰れば、自分用に取っておいた分があるので、次のイベントで持って来ますから!」
「え? よろしいんですか? それは、ご自分用なのでしょう?」
「いいんです! どうしても、デリック先生に読んでいただきたいので!」
「ふふ、では、お言葉に甘えることにしましょう。私もジュリアさんの新作は、是非拝読したいですからね」
デリック先生がメガネをクイと上げながら、朗らかに微笑む。
嗚呼――!
デリック先生にそこまで言っていただけるなんて……!!
わが生涯に一片の悔いなし!!
「ジュリア様~、そろそろアフター行きませんか~」
シンシアさんが退屈そうに足をプラプラさせながら、そう言ってくる。
クッ、せっかくの機会だから、私はもっとデリック先生とお話がしたいのに……!
「アフターですか。羨ましいですね。私は一度もアフターに参加したことはないので」
「え?」
デ、デリック先生……?
「スタッフさんたちと、アフターには行かれないんですか?」
シャッターのデリック先生は、いつも大人数のスタッフさんたちと共に同人イベントに参加している。
今日だってそうだ。
「ああ、彼らはあくまで売り子として雇っているだけなので、一緒にアフターに行ったりはしていないんですよ」
「そ、そうなんですか……」
それにしたって、デリック先生だったらいくらでも他の作家から声が掛かりそうなものだけれど……。
いや、違うか。
デリック先生クラスになると、みんな畏れ多くて声を掛けられないのだ。
基本的に作家というのは、自分と同レベルの作家とつるむものだから。
――よ、よし、今こそ勇気を出すのよ、私!
「あの、デリック先生! もし先生さえよければ、今から私たちとご一緒にアフター行きませんか?」
「え? よろしいんですか? 私がお邪魔して」
「もちろんです! オリヴァーとシンシアさんもいいかしら?」
「あ、うん」
「まあ、別にいいですけど」
やった!
「ふふ、そういうことでしたら、お言葉に甘えさせていただきます。スタッフに撤収指示だけ出してきますので、少々お待ちください」
「はい!」
嗚呼、まさかデリック先生とアフターに行けるなんて……!!
今日は人生最高の日だわ――。
こうして私たちがやって来たのは、会場の近くにある焼肉屋さん。
焼肉というと庶民の食べ物というイメージがあるので、貴族が来るのはどうなんだという声も聞くが、昔から同人イベントのアフターといえば焼肉と相場が決まっているので、私たちもそれに倣っているのだ。
「う~ん、このお肉美味しぃ~。口の中でとろけますぅ~」
カルビをバクバク頬張りながら、恍惚とするシンシアさん。
ふふ、シンシアさんはカルビが大好きだものね。
「あはは、シンシア、ほっぺにタレがついてるよ」
オリヴァーがハンカチで、シンシアさんの頬を拭く。
「えへ、ありがとうございま~す」
二人はまるで恋人同士みたいだ……。
一応オリヴァーは私の婚約者なのだから注意すべきか迷ったが、狭量だと思われそうで、グッと我慢する。
「うん、確かに美味しいですね。こういうお店は初めて来ましたが、もっと早く来るべきでした」
デリック先生がお上品にカルビを食べながら、そう仰る。
デリック先生は筆頭公爵家のご令息でもあらせられるので、こういった庶民的なお店は、普段はいらっしゃらないですよね。
でも、デリック先生がお食べになるとこんな安物のカルビでも様になるのだから、不思議なものである。
おっと、こうしてはいられない。
せっかく巡ってきた千載一遇のチャンスなのだから、デリック先生にいろいろとお訊きしなくては!
「あの、デリック先生! 不躾で恐縮なのですが、どうしたらデリック先生みたいな、面白い小説が書けますでしょうか!?」
「面白い小説、ですか……」
デリック先生はフム、と顎に手を当てる。
こんな仕草すらも神々しいわ――。
「私は自分の小説を、面白いとは思っていません」
「……え」
そ、そんな……!?
「何を仰いますか!? デリック先生はシャッターなのですよ!? 今日だってあんなにたくさんの方が、先生の新作を求めていたじゃありませんか! それはひとえに、先生の小説が面白いからに他なりませんッ!」
「オ、オイ、ジュリア」
「……あ」
オリヴァーにたしなめられた。
周りのお客さんが何事かと、こちらを窺っている。
し、しまった……!
私としたことが、つい熱くなってしまった……。
「ハハ、すいません、私の言い方が悪かったですね。もちろん私だって、毎回ベストは尽くしているつもりです。そしてありがたいことに、たくさんの方に私の小説を評価していただいている自負もあります。――ですが、常に改善の余地もあると思っているのです」
「――!」
改善の……余地。
「私の小説はまだまだ百点満点ではありません。いえ、むしろこの世に百点満点の小説なんてないのでしょう。どんな作家にだって伸び代はある。だからこそ私は現状に満足せず、もっと面白い作品が書けるよう、日々精進しているのです」
「デリック先生……」
嗚呼、やはりこのお方は格が違う……。
デリック先生にとっては、シャッターという立場さえ通過点に過ぎないのだわ――。
「あ、すいません、僕、ちょっとトイレに」
オリヴァー!?
デリック先生がこんなイイお話をしてくださってる最中なんだがら、空気読んでよ!?
「ああ、では私も」
……あ。
デリック先生も席を立ってしまった。
くっ、まあいい。
続きはデリック先生がお戻りになってからでも。
「……」
「……」
男性二人が席を立ったことで、私とシンシアさんだけがこの場に残った。
昼間のことがあっただけに、気まずい沈黙が流れる。
な、何か話題はないかしら。
――あ、そうだ。
「シンシアさんは、次の同人イベントにはサークル参加するの?」
「え? 次ですか?」
オリヴァーと話す時は猫撫で声なのに、私との時は地声だ。
まあ、それは別にいいのだけれど。
「もちろん参加しますよ。私はイベントには全部出るって決めてるんで」
「そ、そう、凄いわね……」
確かにシンシアさんは毎回イベントには欠かさず参加しており、そのたびに新刊を出している。
私は筆があまり早くなく、毎回は参加できていないので、その点でもシンシアさんを尊敬しているのだ。
「ジュリア様は参加しないんですか?」
「あ、うん、実は今、前々から温めてたネタのプロットを切ってるところで。次のイベントまでに執筆は間に合わなそうだから、参加は見送ろうと思ってるの」
「へえ、どんなネタなんです?」
「……!」
この瞬間、シンシアさんの瞳がギラリと光ったような気がした。
一応はライバルであるシンシアさんに、未発表作品のネタを話してしまうのはどうなんだと一瞬迷ったが、まあ、シンシアさんだったら問題はないわよね。
他の作家の意見も、一度聞いてみたかったし。
「えーとね、とある国に、『聖女』と呼ばれる存在がいるの。聖女は魔力で国中に結界を張っていて、魔なる存在から国を守ってくれているのね」
「ふんふん」
「そういった背景もあって、聖女は国民から愛されているアイドル的な存在だったのだけれど、その人気に嫉妬した国王が、聖女をその国から追放してしまうのよ。どうせ結界なんかなくても、支障はないだろうって」
「ははぁ」
シンシアさんが、先が読めたとでも言わんばかりの顔になった。
「追放された聖女は、そこで偶然隣国の王子に出会い、その力を買われて隣国で厚遇されるの。で、結界を失った聖女の祖国は、瞬く間に大量の魔物に襲われ大混乱に陥る。焦った国王は聖女に戻って来るよう命令してくるのだけれど、既に隣国の王子の婚約者になっていた聖女はそれを一蹴。どうしても助けてほしいなら国王が王位を退き、隣国に国家ごと差し出せば、今まで通り結界を張ってもいいと条件を出すの。国王は泣く泣くその条件を飲んでハッピーエンド。――こんな感じなのだけれど、どうかしら?」
「ふぅん、ジュリア様らしいお話ですね」
暗に如何にもテンプレっぽい話だと言いたげだ。
まあ、実際その通りなので、何も言えないけれど……。
「ま、面白いんじゃないですか」
「ほ、本当に!?」
シンシアさんは小説に対しては決してお世辞は言わない人なので、私はテーブルの下で右手をグッと握った。
よし、やはりこの話はイケる!
これでまた、私は作家として一歩上に進めるわ――!
――こうしてこの日のアフターは、私にとって大変実りあるものになった。
「わあ、相変わらず凄い人ね。テーマパークに来たみたいだわ。テンション上がるわぁ~」
そして訪れた、次の同人イベント当日。
今回私はサークル参加はしていないので、本を買うためだけに一般入場しているのだけど、会場内は大勢の人でごった返していた。
歩くのもままならないくらいだ。
いつも私は自分の本が売り終わってから買い始めるので、その時には会場は若干落ち着いているのだけれど、開場直後のこの時間帯は、一番場がカオスになっている時だ。
人の流れに飲まれないよう、気を付けなくちゃ……!
今回も買いたい本はいっぱいあるしね!
本当はオリヴァーがいてくれたら買い子を頼めたんだけど、今日オリヴァーは用事があるらしく、この場にはいない。
同人イベント当日は空けておいてねといつも言ってるのに、いったいどんな用事なのかしら……?
「……あら?」
その時だった。
とある島中の一角に、夥しい行列が出来ているのが目に入った。
な、何あの行列!?
壁サーならまだしも、島中であれだけの規模の行列は珍しい。
いったいどんなサークルなのかしら……。
コッソリ横からサークルのスペースを覗き込むと、そこにいたのは――。
「あ、ジュリア様、おはよーございまーす」
「――!!?」
勝ち誇った顔のシンシアさんが、私に挨拶してきた。
なっ!!?
この行列は、シンシアさんのサークルのものだったの!?
「……!!」
更に私を、もう一つの衝撃が襲った。
シンシアさんの隣にはオリヴァーが座っており、売り子としてシンシアさんを手伝っていたのだ――。
そ、そんな……。
オリヴァーの用事って、これだったの……?
「あ、ちょっとだけ待っててくださいねぇ。すぐ戻って来ますから」
シンシアさんはお客さんに頭を下げると席を立ち、オリヴァーと二人で私の目の前まで歩いて来た。
オリヴァーは大層気まずそうにしており、私から目を逸らしている……。
「シンシアさん、これは……」
「いやあ、今回は久しぶりに傑作が書けまして。まさかここまでの行列になるとは思ってなかったですけど。あはははは」
シンシアさんはドヤ顔でケラケラ笑っている。
いや、どちらかというと訊きたいのは、オリヴァーが売り子をしていることのほうなのだけれど……。
「あ、そうだ。今回もジュリア様は、私の新刊の取り置き依頼くださってましたよね? はい、これが私の新刊です。今回は特別に、お代は結構ですよ」
「え? ――!!」
シンシアさんに差し出された新刊のタイトルを見て、私は絶句した。
――そこには『聖女追放』と書かれていたのだ。
そ、そんな……!!?
慌ててバラバラと冒頭部分だけ読むと、私が前回のアフターでシンシアさんに話したプロットの内容が、そっくりそのまま書かれていた――。
クッ、シンシアさん、私のアイデアを盗んだのね――!!
「おっとぉ、何ですかその目は? こういう場なんですから、滅多なことは言わないほうが身のためですよ?」
「――!」
シンシアさんに先手を打たれた。
……確かに今この場で私がシンシアさんに盗作されたと訴えても、証拠はどこにもないのだから、むしろ私がシンシアさんに言い掛かりをつけているように見られるのがオチだろう。
あの場にいたのは私とシンシアさんだけだし、私は他の誰にもプロットは話していないから、盗作の立証はほぼ不可能だもの……。
「そういえばオリヴァー様からも、ジュリア様にお話があるんですよね?」
「……ああ、うん」
「……!」
今度はオリヴァーが、私の前に立った。
「……ゴメン、ジュリア。――僕は、シンシアのことが好きになってしまったんだ。だから、大変申し訳ないけど、君との婚約は破棄させてほしい」
嗚呼、そういうことだったのね……。
シンシアさんの盗作と違って、オリヴァーのこの婚約破棄発言には、然程の衝撃はなかった。
……多分私も心のどこかで、いつかこうなることをわかっていたのだろう。
「……そう、わかったわ。――じゃあね、オリヴァー」
「ジュ、ジュリア!」
オリヴァーの私を呼び止める声を無視して、私はその場から逃げるように走り去った――。
「う、ううぅ……!! うぅ……!!」
会場の裏手の人気のないところまで来た私は、その場に頽れながら声を殺して泣いた。
酷い……!
私が何をしたっていうの……!?
シンシアさん……、友達だと思っていたのに……!
秘蔵のアイデアを奪ったうえ、婚約者まで……!
私に何の恨みがあるっていうのよ――。
「――ジュリアさん」
「――!!」
その時だった。
この場では決して聞こえるはずのない声が、私の鼓膜を震わせた。
そんな、嘘……!
あのお方は、今新作を売っている真っ最中なはず――!
「……デリック先生」
だが、そこに立っていたのは、紛れもなくデリック先生本人だった。
「ど、どうしてここに? ご自分のスペースはどうされたのですか?」
「ジュリアさんが酷いお顔で会場を出て行くのが見えたので、心配で来てしまいました。ああ、新作は優秀なスタッフたちがちゃんと売ってくれてますので、ご安心ください」
デリック先生はフフフと、天使みたいに微笑まれた。
嗚呼、デリック先生――!
そんなデリック先生の神々しいお顔を見たら、私の涙腺は決壊した――。
「う、うわあああぁぁ……!!」
私は両手で顔を覆いながら泣いた。
これは私の、魂の悲鳴だった――。
「……何があったのか、話していただけますか?」
私が落ち着くのを待ってから、デリック先生はそう仰った。
デリック先生……。
「はい、実は――」
私はシンシアさんに盗作されたことと、オリヴァーから婚約を破棄されたことを、デリック先生に吐露した――。
「……何と惨いことを――!」
いつもは常に温和なデリック先生が、珍しく静かに怒りの炎を燃やしている。
やはり同じ作家として、盗作という卑劣な真似は許せないのだろう。
「……でも、私も悪いんです。大事なアイデアを他人に漏らしてしまうなんて。作家として迂闊でした」
「それは……。ですが、あくまで一番悪いのはシンシアさんですよ。どうかご自分をあまり責めないでください。――ジュリアさん、私はジュリアさんのファンです」
「……えっ!?」
突然のデリック先生の告白に、思わず顔が真っ赤になる。
ファ、ファン???
あのデリック先生が、私のファンだと仰ったの、今???
「ジュリアさんの書く小説が、私は心の底から好きなんです。まさに生きる糧なんですよ」
「……デリック先生!」
まさかあのデリック先生から、そこまで言っていただけるなんて……!!
嗚呼、辛いことと嬉しいことが立て続けに起きすぎて、頭がどうにかなりそう――!!
「だからどうか今回のことにめげずに、今後も作家としての活動を続けてはいただけないでしょうか? 私を助けると思って」
「……!」
デリック先生はくしゃっと、子どもみたいにはにかんだ。
はうっ……!!
この瞬間、私の胸がトクンと一つ跳ねた。
はわわわわ……!!
どうしちゃったのかしら、私……?
「わ、わかりました! デリック先生のためにも、今後も頑張ります!」
さっきまであんなに絶望していたのにもう前向きになってる辺り、私も大概単純だ。
「ふふ、それはよかった。――ああ、ちなみに安心してください。シンシアさんには近々、創作の神の鉄槌が下ると思いますので」
「え?」
創作の神の、鉄槌……?
妖しく微笑むデリック先生のお顔は、まるで悪魔みたいに美しかった――。
――そして訪れた、次の同人イベント当日。
「デリック先生、本当に手伝っていただいてよかったんですか?」
隣に座るデリック先生に、私は恐る恐る訊く。
まさかデリック先生が、私の新刊の売り子を手伝ってくださるなんて……!
まだ夢を見てるみたいだ……。
「ええ、もちろんです。私の新刊の販売は優秀なスタッフに任せてますし、何より私はジュリアさんのファンですからね」
「デリック先生……、ありがとうございます!」
「いえいえ、どういたしまして」
ニッコリと微笑むデリック先生に、私は胸がいっぱいになる。
嗚呼、私本当に、諦めないでよかった――。
よし、あと少しで開場だから、スペースの最終確認しなきゃ!
新刊はお客さんの側に向けて平積みしたし、値札も出したし、お釣りもたっぷり用意してあるし、あとは――。
「あ、ジュリア様、お疲れ様でーす」
「――!」
その時だった。
私の目の前に、シンシアさんが無邪気な笑顔を浮かべながら立っていた。
こ、この人……!
私にあれだけのことをしておいて、よく顔を出せたわね……!!
「いやあ、今回から私も遂に、壁サーデビューですよぉ。1200部も新刊用意するの、本当に大変でしたぁ」
「……!」
1200部……!
初めての壁サーで、随分大きく出たわね……。
いや、私がいつも1000部刷ってるから、それへの当てつけかもしれないわね。
……今ハッキリとわかった。
この人はずっと、私を見下したくて堪らなかったんだわ――。
だからこそ婚約者も奪って、自分が私より上だと世間に見せつけた……。
……ある意味哀れね。
そんなさもしい虚栄心を満たすために、悪魔に魂を売るなんて――。
「……何ですかその顔は? 私に何か、文句でもあります?」
「いいえ、別に。用がないならもういいかしら? スペースの最終確認したいから」
「クッ! 用ならありますよ! これ、私の今回の新刊です! ジュリア様にプレゼントしたくて持って来たんです」
「……!」
シンシアさんに差し出された新刊のタイトルを見て、私は目を見張った。
――そこには、『聖女追放2』と書かれていたのだ。
2???
2ってことは、前作の聖女追放の続編ってこと???
そんな……!
いくら何でも、これは悪手だわ……!
私もあまりにも悔しかったものだから、逆にどんな内容になってるんだろうと思い、血の涙を流しながらシンシアさんの前作の聖女追放を読んだけど、まさに大団円だったし、続編の余地はまったくなかったように思う。
よくプロの小説でも、1作目が予想以上にヒットしたから、無理矢理続編を作るということは見られるけど、大体は1作目ほどのヒットはせずに終わるのがパターンだ。
……とはいえ、無理もないのかもしれない。
シンシアさんにとってこの聖女追放は、ずっと不遇だった作家人生にやっと訪れた救世主とも呼べる存在。
もうシンシアさんは、これに縋って生きていくしかないのだ……。
「ありがとう、シンシアさん。後でゆっくり読ませてもらうわね。――ああ、そうそう、お礼と言っては何だけれど、私の新刊も受け取っていただけるかしら?」
「え? ――なっ!?」
私が新刊を差し出すと、今度はシンシアさんが目を見張った。
「な、何ですかこの、『男爵令嬢は私の小説のアイデアを盗んだうえ、婚約者まで奪った』ってタイトルは!? 私に対する当てつけですかッ!?」
「あらあら、オリヴァーのことはまだしも、シンシアさんは私の小説のアイデアを盗んだ覚えもあるのかしら?」
周りの人たちが好奇心を宿した瞳で、こちらを窺っている。
こんな大勢の人がいる前でそんな発言をしてしまう辺り、シンシアさんも大概迂闊ね。
「クッ! もういいです!」
シンシアさんは顔を真っ赤にしながら、自分のスペースに戻って行った。
「ふふ、今のシンシアさん、イイ顔してましたね」
デリック先生がメガネをクイと上げながら、ニッコリ微笑む。
「ハハ、ちょっと大人気なかったですかね?」
「いえいえ、あなたはもっと酷いことをされたのですから、このくらいの意趣返しは当然の権利ですよ。さあ、そろそろ開場です。最終確認をしておきましょう」
「はい!」
こうして満を持して開場したこのイベントで、私の新刊は飛ぶように売れた。
1000部刷った新刊は、過去最速で完売したのであった――。
よし、この調子なら次回からは、もう少し部数を増やしてもいいかもしれないわね。
また一歩、シャッターに近付いたわ――。
「ジュリアさん、ここは私が見ておきますから、どうぞ買い出しに行かれてください」
「あ、ありがとうございます、デリック先生!」
お言葉に甘えて、買い出しに出掛ける。
さあて、今回もいっぱい買うわよぉ!
が、私がシンシアさんのスペースの前を通りかかると――。
「そ、そんなバカな……。有り得ない……」
「――!」
シンシアさんが文字通り、頭を抱えていた。
シンシアさんの隣で売り子を手伝っているオリヴァーも、何と声を掛けていいのかわからずオドオドしている。
――シンシアさんのスペースは閑散としていた。
大量に平積みされている新刊も、ほとんど売れた様子はなかった。
嗚呼、やっぱりこうなったか……。
読者というのは、良くも悪くも非常にドライな存在だ。
面白い本は挙って買ってくれるけれど、面白くない本には見向きもしない。
やはりシンシアさんは、聖女追放の続編は書くべきではなかった。
……まして他人から盗んだアイデアだから、上手く扱えないのも当然のことなのだから。
「ね、ねえ、元気を出してよシンシア。また次、頑張ればいいじゃないか」
オリヴァーがシンシアさんの肩に手を置きながら、精一杯励ます。
「うるさいですね!? 産みの苦しみも知らないような人間が、偉そうなこと言わないでくださいよッ!」
「なっ!? そんな言い方はないだろう!? 僕は君のことを心配して――!」
あらあら、喧嘩が始まっちゃったわ。
これはこの二人の関係も、長くは続かないかもしれないわね。
――そうか、デリック先生が仰ってた創作の神の鉄槌というのは、まさにこのことだったんだわ。
今後シンシアさんが性懲りもなく聖女追放シリーズに固執するのも、はたまた昔みたいに自分の作品で勝負するのも、どちらにせよ待っているのは地獄――。
一度甘い汁を吸ってしまった人間は、二度と元に戻ることはできない。
作家にとって盗作というのは、禁断の果実そのものなのだわ――。
私は尚も言い争いを続けている二人に背を向け、鼻歌交じりに買い出しを続けた。
「「カンパーイ」」
そしてその後のアフター。
私はデリック先生と二人で、いつもの焼肉屋さんに来ていた。
くぅ、やはり新刊が完売した後のお酒とお肉は格別だわ!
今ならいくらでも食べられそう!
「デリック先生、今日は本当にありがとうございました! お陰で助かりました!」
私は改めて、デリック先生にお礼を言う。
「いえいえ、どうかお気になさらず。――私としても、下心があってやったことですし」
「……え?」
下心?
それって、いったい……。
「ふふ、鈍感な方ですね。まあ、そんなところも好きなんですが」
「――!?」
デ、デリック先生!?!?
今、何と仰いました???
「いい機会ですから是非覚えておいてください。男がこんなに女性に優しくするのは、大抵下心がある時ですよ」
「あ、えっと、その……」
ニッコリ微笑むデリック先生に、私はタジタジになる。
ちょ、ちょっと待ってちょっと待って!?
今私の身に、何が起きているの!?!?
あ、あのデリック先生が、私のことを、すすすすすす、好きですって???
「――ジュリアさん、実は私はずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。どうか私の妻となり、人生という名の長編小説を、共に執筆してはいただけないでしょうか」
「……デリック先生」
私の右手を両手でギュッと握りながら、情熱的な視線を向けるデリック先生。
嗚呼、夢みたい――。
――今日は、人生最高の日だわ。
「はい、私なんかでよろしければ、喜んで」
私はデリック先生の両手に、左手をそっと重ねたのだった――。
「「「おめでとうございまーす!!」」」
「「――!?」」
その瞬間、お店の店員さんやお客さんたちが、全員立ち上がって私たちの婚約を言祝いでくれた。
「ハハ、ありがとうございます」
「ふふ、ありがとうございます」
照れながらみなさんに頭を下げる私とデリック先生。
焼肉屋さんでプロポーズなんて、如何にも同人作家らしくて最高ね!
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