4.
ロザリンは胸の奥で、何かが音を立てて砕けるのを感じた。
ミエールとアイザックの間には、すでに“何か”がある。
――もう、気づかないふりはできない。
冷たいものが頬を伝っていることに気づいたのは、侍女がそっと声をかけた時だった。
「お嬢様……寒くなってまいりました。窓を閉めてもよろしいですか?」
「……ええ。お願い」
カーテンが閉じられ、外の光が遮られる。
だが、ロザリンの胸の中には、先ほどまでの光景が焼きついたままだった。
ミエールの笑顔も、アイザックの優しい目も――全部、裏切りの証として。
その日、ロザリンは決意した。
馬車がかなしい悲鳴を上げて商会から離れて行く。
馬車の外からは楽しげな声や、商人が客寄せをする声が聞こえてくる。
はりつめた沈黙が馬車の中を支配する中、侍女のクロエが瞳を揺らしてロザリンを見つめている。
ロザリンはクロエの視線に気づくことなく、まぶたを閉じたまま――。
隠れるように裏口から出入りするミエール。
あの密やかなキス、恋人のような抱擁、甘く熱い視線。
それが、婚約者の自分ではなく「彼女」に向けられたものだという現実。
(……私は、ただの飾りだったのね)
長年の婚約者であるロザリンの信頼を裏切った婚約者。
そして、ロザリンという“友人”の背中を踏み台にして、恋を手に入れたミエール。
こんなにも、苦しいなんて……。
薄々は気づいていたけれど、実際に目にするとこんなにも胸が痛むなんて知らなかった。
自分が信じていたモノに裏切られる痛みに、ロザリンは胸に手を当て深く息を吐く。
心のどこかで気づいていた。けれど、認めたくなかった。
――でも、もう逃げない。
馬車のカーテンの隙間から夕日が差し込む。ロザリンはゆっくりとまぶたを開けた。
泣くだけでは終わらせない。
騙されて、裏切られて、それでも黙っている令嬢でいるつもりはない。
「……クロエ」
「はい、お嬢様」
「少し、調べて欲しいことがあるの」
ロザリンは穏やかにだが、覚悟を秘めた瞳でクロエ に微笑みかける。
クロエが小さく目を見開く。
今までのロザリンからは考えられない、鋭く、明確な意志が込められた声だった。
「私にできることなら」
「クロエにしか頼めないことよ。以前に言っていたわよね?同じ村出身の人がアーヴェント商会に勤めていると。彼女に、頼みたいことがあるの」
クロエは一瞬、息を飲んだように見えた。
けれど、すぐに真剣な表情でうなずく。
「かしこまりました、お嬢様。……力になります」
「ありがとう。少し、時間がかかってもいいわ。でも確実に、証拠を掴みましょう」
笑って流されるような言葉では終わらせない。
ロザリンは“婚約者”という鎖を、自分の手で外すと決めたのだ。