24.
夜も更けた執務室。暖炉の火はほとんど燃え尽き、揺れる残り火が壁に影を落とす。
重く閉ざされた扉の前で、ロザリンは一つ深呼吸をし、ノックした。
「……入りなさい」
父の声はいつも通り低く、感情の起伏が読み取れない。
中に入ると、父は机に向かい書類を読んでいた。
父はエドガー・シュヴァルツ伯爵――。
財務庁長官である彼は、夜にも関わらず身だしなみを整え、灰色の髪には乱れは一つもない。
厳格で眼鏡からのぞく理知的で切れ長な瞳。
ロザリンと同じ青い瞳。その瞳を前にすると、ロザリンは緊張でうまく話すことができないでいた。
「お父様、少しお時間を……」
父は眼鏡を外し、静かにロザリンを見る。
傷の癒えていない頬に、彼の視線が一瞬だけ走る。
「アイザックとの件か?」
その一言で、ロザリンはわずかに息を呑んだ。彼はすでに事情を察していたのだ。
「婚約を破棄したのは、執事からお聞きですよね?ミエールとアイザックが浮気している現場を、私自身の目で見ました。商会の奥の部屋で、抱き合って……」
声が震える。言葉にすればするほど、あの光景が脳裏に鮮明に蘇る。
お父様にアイザックとの関係を、直接話しをするのをはじめてだ。
お仕事で忙しい人だから、お母様が死んでから話すことは殆どなくなってしまった。
この家はお母様を中心にまわっていた。そのお母様がいなくなってから、お父様とどうやって関わればいいのか分からくなってしまった。
父親の顔に怒りの色が浮かぶことはなかった。ただ、黙ってロザリンの言葉を聞いている。
「それだけじゃありません。昨日、私は……誰かに……」
言いかけて、喉が詰まった。
――あれは事故だったのか、狙われたのか。
ドレスからのぞく手首を隠す。
考えたくなくても、手首に残る痛みが、あれが“現実”だったと告げている。
「……襲われたのか」
父の言葉は、ひどく静かだった。それが逆に、ロザリンの胸を刺す。
「何故……もっと早く、私に話さなかった」
その声に責めるような響きはなかった。むしろ、どこか痛みを含んでいるようだった。
「お父様に……相談しても、何も変わらないと思ったからです」
ロザリンは目を伏せる。胸の奥に溜まっていた言葉が、ゆっくりと溢れ出していく。
「私がどれだけ傷ついても、貴族の面目や、家の体面ばかりが大事なんでしょう?だから……私は、自分で決めました。婚約も、破棄も。これ以上、誰かに選ばれたままでいたくなかったから」
父はしばらく何も言わなかった。やがて、椅子を立ち、ロザリンの前まで来る。
「……母親に似てきたな。君の母も、そうやって私を試すような目で見たことがあった」
唐突な言葉に、ロザリンは目を見開いた。
「意志が強くて、譲らないところがある。彼女も、昔は私の忠告なんぞ、まるで聞かなかった」
「……お母様のようになれるなら、嬉しいです」
ロザリンは答えた。たとえ皮肉だとしても。
父はふっと笑った。それは滅多に見せない、疲れたような微笑だった。
「ロザリン。君がかけがえのない娘であることに変わりはない。ただ……私は、父親として、娘の成長を見てやれていなかったのかもしれない」
不器用すぎるその言葉。
ロザリンの胸にじんわりと響く。
「……見ていてくれなかったわけじゃないって、分かっています。ただ、私は……私の人生を、誰かの都合で塗り潰されたくなかった。それだけなんです」
父は小さく頷くと、ロザリンの肩に手を置いた。
「これからは、君の選ぶ道を、私が支えよう。……何があっても、だ」
ロザリンは言葉を失った。
目尻が熱くなって、ロザリンは隠すように微笑んだ。
「……ありがとう、お父様」




