23.
「お前が令嬢の婚約者に近づいたのは、私の指示だったとでも言うつもりか?その結果、婚約破棄だ! お前の浅はかな行動が、すべてを台無しにした!」
ミエールは首を横に振る。涙が床に落ち、静かな書斎に小さな音を立てる。
「違います……お父様が、シュヴァルツ家との関係を深めるために、彼に近づくようにって……私、ただ……」
「言い訳はもういい!」
男爵は手を振り上げ、ミエールは再び叩かれるのではないかと身をすくめる。しかし、男爵の手は途中で止まり、力なく下ろされた。
彼は再び椅子に腰を下ろし、額を押さえて深いため息をつく。
「……お前にはわからんのだ。貴族の家の存続がどれほどの重みを持つか。この家を守るために、どれだけの犠牲を払ってきたか……」
書斎に沈黙が落ちる。ミエールのすすり泣く声だけが、かすかに響く。
彼女は床に膝をついたまま、父親の言葉を反芻していた。
(ミエール――……)
自分の名前を呼ぶ、ロザリンの優しい笑顔を思い出す。
そして、婚約者の隣に座る、私を見た時の笑顔と冷ややかな視線。
自分がしたことが、本当に取り返しのつかないことだったのか。
ロザリンとの友情、シュヴァルツ家との関係、そしてこの家の未来――すべてが自分の手で壊してしまったのか。
「ミエール」
男爵の声が、突然静かに響く。
ミエールは顔を上げ、父親の意外なほど穏やかな口調に戸惑う。
「お前が会うというなら、行ってみるがいい。ただし、覚えておけ。シュヴァルツ家が我々を見捨てれば、この家は終わりだ。お前の行動一つで、男爵家の運命が決まるのだ」
ミエールは小さく頷き、涙を拭う。彼女の心は恐怖と決意の間で揺れていた。
「はい、お父様……私、必ずロザリンに分かってもらいます。彼女に謝って、すべてを元に戻します。」
男爵はミエールをじっと見つめ、長い間何も言わなかった。その視線には、怒りと失望、そしてほんのわずかな期待が混ざっているように見えた。やがて、彼は立ち上がり、書斎の窓の方へ歩み寄る。外は暗く、星一つ見えない夜だった。
「行け、ミエール。だが、失敗すれば……お前はこの家に居場所はないと思え」
ミエールは息を呑み、立ち上がる。乱れた髪を整え、震える手でドレスの裾を握りしめる。彼女の心は決まっていた。ロザリンに会い、すべてを正す。親友の信頼を取り戻し、男爵家の名誉を守るために。
書斎のドアを開け、ミエールは一歩踏み出す。その背中に、男爵の冷たい視線が突き刺さる。
「ミエール。会うことになったら、必ず私に知らせなさい。会う日と場所は私が決める」
「分かりました……。お父様」
ミエールは振り返ることなく、書斎を後にした。
彼女のピンク色の髪が、薄暗い廊下の灯りに揺れながら、ゆっくりと遠ざかっていった。




