19.
問いかけるロザリンの声には、ほんの少しだけ揺らぎがあった。
マクシミリアンは静かに首を振った。
「いえ。……“私”としてです」
その一言に、ロザリンの胸が小さく音を立てる。
「もし、あなたが誰にも頼れずにいたなら、どうか……私を頼ってください」
まっすぐなまなざしが、ロザリンを包む。
その優しさに、カフェでのミエールとの会話ではぴくりとも動かなかった心が揺れ動いた。
ロザリンはその視線に宿る温かさに、胸の奥で何かが解けるような感覚を覚えた。
まるで凍てついた湖の表面が、春の陽光を受けてゆっくりと溶け出すように。彼女の心は静かに。しかし、確かに動き始めた。
「……ありがとうございます。マクシミリアン様」
そう言って、ロザリンは初めて、自分から彼の隣へと歩み寄った。
ほんの数歩。それだけで、心の距離が一歩、近づいた。
ロザリンとマクシミリアンは、たわいもない会話した。何が好きで何が嫌いなのか。
話は日が沈み始めるまで続いた。
「本当に送らなくて大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫です。すぐそこに馬車乗り場があるので、拾って帰ります」
「分かりました。では、お気をつけて。今日はありがとうございました」
心配そうに見つめるマクシミリアンを安心せるように、ロザリンは微笑みながら手を振った。
マクシミリアンと別れて、馬車乗り場までのほんの数分。
日が落ちきる前のオレンジ色に染まった空。街灯がぼんやりと灯り始めた石畳の通りに、ロザリンは一人で立っていた。
馬車乗り場まではもう少し――そう思って角を曲がった、その瞬間だった。
誰かの影が背後から迫った。
振り返る暇すらなかった。ロザリンは後ろから口を押えられ、路地裏へと引きずり込まれる。
「っ――!」
押し殺した悲鳴。乾いた砂利にこすれる靴底。乱暴な手がロザリンの両腕を後ろに締め上げる。
ロザリンが顔を挙げると、見たことがない男がそこにいた。
路地裏の陰に溶け込む男は二人。顔には布を巻いていて、素性は分からない。けれど、のぞく目は明らかな敵意に満ちていた。
「ほぉ……こいつが伯爵令嬢様ってやつか。思ったより上等なドレス着てんな」
「今さら品定めかよ。無駄口はナシだ。さっさとやっちまおうぜ。命令は“跡を残すな”だったろ?」
――跡を、残すな?
なぜ私を伯爵令嬢だと知っているの?ただの物取りではなくて、私を狙って??
背筋を氷の指がなぞったような感覚。心臓が跳ね、ロザリンは無意識に足を振り上げた。男のスネに当たる。
「ぐっ……このアマ!」
痛みに震える男は、腕を振り上げる。
バシッ
鋭い痛みが頰に走る。頬を打たれ、視界がぐらりと揺れる。口の端にじんわりと鉄の味が広がった。
(誰……?誰が、私を……)
暗がりに包まれた狭い路地。逃げ道は塞がれている。周囲に人影はなく、助けも期待できない。
ロザリンは震える腕を押し上げ、抵抗をする。
「やめろって言ってんだろ!」
もう一度、鈍い衝撃。壁に叩きつけられる身体。肺から空気が抜け、息が詰まる。
ぶつけた衝撃で頭がクラクラして、身体に力が入らない。
――もうダメかもしれない。
そんな思いが頭をよぎった、その瞬間。
「――そこまでだ」
鋭く、凍てつくような声が響いた。




