11.
昼下がり。
アーヴェント商会の二階、重厚な扉の前にロザリンは立っていた。
今日の彼女は控えめな色合いのドレスに身を包み、同行していた侍女クロエに視線を向ける。
クロエは瞳を揺らしてロザリンを見つめ、小さな声で問いかける。
「お嬢様……本当にお一人で?」
「ええ、大丈夫。すぐに終わるわ。……長く引きずることじゃないもの」
静かに微笑みクロエをさがらせると、ロザリンは扉をノックもせず開け放った。
――そこには、二人の男女が身体を寄せ合う光景が広がっていた。
「……ロザリン……っ!」
声を上げたのは、ドレスの袖をまくり上げ、アイザックの腕に抱かれていたミエールだった。
ソファの上。
火照った顔のミエールはアイザックに寄り添い、アイザックは彼女の頬に触れていた。
驚きに固まった彼らの目の前に、ロザリンは静かに足を進めた。
まるで演劇の幕が開いたように、場の空気が凍りつく。
「これは……どういう、つもりかしら?」
静かな声だった。
けれど、その冷たさは氷の刃のように空気を裂いた。
「ロ、ロザリン……ちがっ……これは、その……!」
驚きで青ざめるアイザックは咄嗟に立ち上がり、動揺した様子でロザリンに近づこうとする。
だがロザリンは、首を振った。
「“違う”って……何が違うの? 私が見ているこの光景が、幻だとでも言うつもり?」
「……偶然よ、ロザリン。私はただ、用事があって訪ねてきただけで……っ」
ミエールが震える声で弁解しようとした瞬間――。
ロザリンは薬指に指輪が輝く手で、ミエールの話を制止する。
「偶然?偶然という言葉はほんとうに便利な言葉ね……な……。ねぇ、アイザック?何度私は偶然という言葉を言葉どおりに受け取れば良いの?」
偶然なんかじゃない。
この日にミエールが商会に来るのを知っていた。
ロザリンの瞳は静かな怒りを浮かべて、アイザックを見つめていた。
アイザックはその視線から逃れるように、わずかに顔を背ける。沈黙の中、重苦しい空気が三人の間を満たしていく。
「……ロザリン、君の誤解だ。ミエールがここにいるのは、俺とは関係ない。ただの……」
「“ただの”?」ロザリンの声が鋭くなる。
「あなたの“ただの”が、どれだけ私の心を傷つけるか、分かっているの?」
ロザリンの言葉にアイザックは、ハッと息を呑んだ。
呆れた。
浮気をしておいてその行為が、相手を傷つける行為だと分かっていないなんて。
「商人は信頼と信用。あなたはそう言ったわよね?」
「……あぁ」
視線を合わそうとしないアイザックに、ロザリンはあきれたように深く息を吐く。
ロザリンは一歩、アイザックに近づいた。ヒールのかかとが床に硬く響く?
「その信頼を、あなた自身が最も軽んじてどうするの?」
アイザックは答えられなかった。唇がわずかに動くだけで、言葉にならない。ミエールもまた、沈黙の中で顔を伏せ、足元を見つめていた。
「ロザリン……僕は、本当に……」
ようやくアイザックが絞り出したその声は、あまりにも頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。
「言い訳はいらないわ」
ロザリンはぴしゃりと言い切った。
「もう、何を聞いても、何も信じられないもの」
そう言って、ロザリンは自分の左手に目を落とした。薬指の指輪を、ゆっくりと外す。
ロザリンは、左手の薬指から抜いた指輪を、テーブルの上に静かに置いた。
「――婚約を、破棄させていただきます」




