第9話 ここに来てよかったとこぼれ出ました
「ここに来て、よかった」
そんな言葉が、口からこぼれ出た。
あれを生み出してくれた、この国の文化と人々に感謝したいと思った。
「決めた」
それなら、時間はない。
体はもう走り出していた。
「あ、お嬢様! どこに行くんですか?」
「あの鉄の馬に関わる仕事をする!」
夢中で鉄の線を走った。
どこまでもどこまでも続いている。
どれくらい走ったろう。
少し肌寒い季節なのに、汗が下着を濡らした。
ほてった肺に入る冷たい空気が心地いい。
宿舎みたいな建物のわきに、鉄の馬は停車していた。
「すごいね」
近くで見たら圧巻だった。
自分の背丈より高い、鉄のかご。
これが空っぽだったとしても、大人の男性10人がかりでも持ち上げられないだろう。
それが、鉄の馬に10個もつながっている。
馬だったら何頭、いえ何十頭必要なのだろう。
「あ、危ないですよ!」
ユゼフの静止を振り切ってよじ登って中をのぞくと、黒いダイヤ、石炭が詰まっていた。
「そっか、ヴェールランドはこれが欲しかったんだ」
こんなものが作れる国に、私達の技術の何がほしいというのだろう。
技術提携という高等なものではない。
私達の国の資源が欲しかったんだ。
その見返りに技術をもらっている。
「しょせん後追い、か」
侯爵は知っていたんだな。
公爵閣下は、私の何がおもしろかったんだろう。
「ま、今は関係ないか」
鉄のカゴから降りる。
私は私のできることをするだけだ。
「ごめんください」
宿舎に入ると、眼鏡をかけた背の高い男性と、小太りの背の低い男性がこちらをジロッと見た。
どちらも高価な外套を着ている。
「どちら様で?」
「マリ・ラ・ジョリオと申します。前職は錬金をしていました。なんでも仕事します」
「あいにく取り込み中でしてね。他をあたってください」
小太りの男性がめんどくさそうな声で言う。
「錬金ですか。それはちょうどいい。今ちょうどその手の専門家の意見が欲しかったところなんです」
眼鏡の男性がそう言う。
「本当ですか!」
今までの対応とあまりの違いに期待で声が高くなってる。
「おいおい、こんなの相手にしてるヒマなんかないぞ」
小太り男性が眼鏡男性に耳打ちする。
「まあまあ。修理工が来るまで3時間はかかりますし、直せたら儲けものじゃないですか。遅延による損害補償もしなくて済む」
「直せるわけあるか。専門家と言っても"外人"だぞ。何も分かるわけないだろ」
耳打ちをしてるとはいえ、よく本人を眼の前にして話せるな。
さすがに傷つく。
「よく私が"外人"だと分かりましたね」
二人に向き直り、不思議に思ったので聞いた。
「そんなの言葉と身なりを見れば分かる。そういう経緯でこの国で職探しなんかしてるか知らないが、いい身分なんだから、大人しく自分の国に帰りな」
「いえ、帰りません。修理する場所を教えてください」
「いいでしょう。こちらです」
眼鏡男性が笑顔で答えた。
小太り男性は、好きにしろといいそうな顔で眼鏡男性に目配せした。
「ここです。エンジンルームです」
眼鏡男性が案内してくれる。
「熱い、ですね」
中に入ると、喉が熱くなるくらいの蒸し暑さを感じた。
「湯気の圧力で走ってますからね。熱いんです」
子どもに説明するような口調で言う。
期待はされていないんだろうな、というのをひしひしと感じる。
「つまりこの汽車の動力源ですね」
「この鉄の馬は、汽車というのですね」
素敵な響きだ。
「おいおい、この子は汽車の名前も知らなかったぞ。余計、壊されるんじゃないか」
相変わらず聞こえる声で、小太り男性が眼鏡男性に耳打ちする。
忙しいといってた割には、ちゃんとついてくるのね。
「まあまあ、それはそれでいいじゃないですか」
「全然よくないだろ。これにいくらかけてると思ってるんだ。街ひとつ買えるくらいの金額が動いているんだぞ」
街ひとつの値段なんて想像つかないけど、多くのお金と人が動いているのはそうなんだろうなと思う。
正直、この小太り男性の言う通りだ。
私だってそう思う。
こんな見ず知らずの外国の女に任せようなんて普通は思わない。
でもこれは最初で最後のチャンスになるかもしれない。
なんとかしたい。
「これが図面です」
眼鏡男性が丁寧に折りたたまれた紙を差し出した。
「申し遅れましたが、ジェイムスと申します。先ほど聞こえてしまった通り、直せたら儲けものなので、気軽に取りくでください」
「気軽じゃ困るんだよ。くれぐれも悪化させるなよ。場合によっては、お前の国に請求するからな」
小太りな男はそう言い残して去っていった。
何しに来たんだろう。
設計図を開く。
そこには、細かく丁寧に書き込まれた図面があった。
「なんてキレイな設計図……」
あまりの美しさにため息が出た。
まるで繊細な絵画のよう。
「お嬢様、今からでもやめておきましょう! こんな危険なところ、ヤケドでもしたらどうするんですか!」
「錬鉄場に比べたら、なんてことないよ。むしろ仕組みが分かりやすくて良かった。まあ、これを実現するには相当高度な技術力が必要だけど……」
「ほう、図面を見てそこまで分かりますか」
「図面だけではわかりませんよ。実際に走っている姿を見たので、蒸気で走っているとわかったので、なんとなく想像つくだけです」
それにしても、このエンジンが恐ろしい。
これだけ重たいものを動かすには、相当な圧力が必要になる。
それを閉じ込めるのは、高い気密性がないと無理。
「不思議だな」
故障があるなら、どこからか漏れて爆発しかねない。
「動かなくなっているだけ、なんですね」
「そうですね」
「動かなくなったとき、なにか症状はありましたか?」
「症状? エンジンから異音がして動かなくなったと報告を受けています」
「なるほど……」
図面に視線を戻す。
もしエンジンの不具合で動かなくなっているなら、あれがあるはず。
なければ今頃爆発してる。
「たぶん、安全弁があるはずなんですが、どこか分かりますか?」
顔をあげてジェイムスさんに尋ねる。
「安全弁? すみません、わからないですね。私はただの商人なので」
「いえいえ、こちらこそすみません」
商人なんだ。
そんな感じしないな。
また図面に視線を戻す。
ここかな。
ここっぽい。
「ということは…」
顔を上げる。
「あれだ」
バイプの先にフタのようなものがついており、それが開ききっていた。
「なるほど」
「なにか分かりましたか?」
「エンジンはちゃんと止めてありますか?」
「安全のために止めてあります。ブレーキもかけてありますし、燃料も除けてあるので、万が一にも動き出しません」
「よかったです」
商人ということだけど、的確な安全確保をしている。
勉強されたんだろうな。
「よかったというと?」
「安全弁が上がっているので、エンジン内の圧力が限界を超えたということです。もしエンジンが動き出して、安全弁でも逃しきれない圧力がかかったら、私達は爆発に巻き込まれてしまうので」
ジェイムスさんの顔色が曇った。
爆発事故は前例で起きてしまっているのだろう。
「それはまた物騒な話ですね」
「燃料が除けてあるのなら大丈夫でしょう」
「…もう一度確認しておきます」
ジェイムスさんは背を向けて出口に歩いていった。
圧力が高まったのが原因とわかったのは大きい。
とはいえ、まだ何も分かってないに等しい。
「…あれ?」
「なにか?」
燃料室に向かおうとしたであろうジェイムスさんが振り返って聞き返した。
「この部分、この金属パイプの接合部ですが、何か変わったことはありませんでしたか?」
蒸気の通る太いパイプの接合部を指差した。
「そういえば、最近交換したと聞いています。以前のものが老朽化したと」
あやしい。
「どんな金属を使用したのですか?」
「さあ…、材質まではなんとも」
パイプの接続部に近づいて、触れる。
「やめなさい!」
ジェイムスさんが私の手首を強く握っていた。
「ヤケドしたらどうするのです?」
真剣な目だ。
息を切らしている。
距離があったから、走って止めに来てくれたのだろう。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて手をひっこめる。
びっくりした。
突然の大きな声に驚いたのはもちろんだけど、こんなに強く握られたのは初めてだ。
やっぱり男性って、力が強いんだな。
「失礼。強く言い過ぎました」
ジェイムスさんは気まずい感じで、手を後ろに組んだ。
「とんでもない! 心配してくれてありがとうございます!」
外人の女の私に、なんでこんなに優しいのだろう。
「しかし、もう少し用心してください。年端もいかない女性の貴方に、ヤケドなどされたら償っても償いきれません」
いつの間にかユゼフもジェイムスさんと並んで、そうだそうだと言わんばかりの顔をしている。
「大丈夫ですよ。もう冷えてますし、それに私はもう16のいい大人ですし」
「まだ16歳だったんですね…。貴方の国では十分に大人かもしれませんが、この国ではまだ子どもですよ」
そうなんだ。
「とにかく、体を大事に作業されてください」
そう言ったあと、ぐっとパイプに顔を近づけた。
「それで、このパイプがどうしたんですか?」
私は静かに指先でパイプの表面をなぞった。
緑かかった青い粉が指につく。
「青サビ、ですね」
「青サビ?」
ジェイムスさんは眉をひそめながら近づいてきた。
「変ですね。確かに新品に見えるのですが、もう腐食しているとは」
「そうですね」
私もそこは変に思った。
青サビは、銅を含む合金が、熱と水蒸気に"長時間"さらされたときに現れる現象だから。
私はエンジンの奥に身を乗り出した。
「お嬢様! あまり無茶をなさらないでください! って言われたばかりなのに!」
心配そうなユゼフの声が聞こえる。
「私も同意見です」
ジェイムスもなかば諦めに近い声で賛同する。
もう注意しても無駄だと思われてしまっただろうか。
水槽の水に指を入れ、匂いをかぐ。
鉄の匂いがする。
「ジェイムスさん、このボイラーの水はどこから補給しているのですか?」
「井戸水です。停車駅の近くで随時補給しています」
「やっぱり」
「やっぱり? なにか分かったのですか?」
乗り出した身をもとに戻す。
下を見ると、スカートがすすに汚れていた。
おめかししたままだった…。
作業着、借りればよかったな…。
「おそらくですが、この水に含まれるミネラルと、接続部の金属が反応して、特殊なエンが形成されています」
私がこう告げると、なぜかジェイムスさんは薄く微笑んだように見えた。