第4話 貴女とお話ししたいと言われました
『今夜、20時にパスレルホテルで。貴女とお話ししたい』
意味を理解するのに、10回は読み直した。
いや、理解できてない。
なぜ私が公爵閣下に呼ばれているのだろう。
………。
軽い女だと思われている?
いや、公爵閣下ほどの人が異国の、しかも貴族に手を出すとは考えにくい。
そんな軽率な行動はしないだろう。
でも旅のかき捨てとも言うし、男性はオオカミだとも言うし。
それに今回の提携からして、公爵閣下をもてなすために望むことはある程度なんでもしそうだ。
………。
私も貴族のはしくれとして、覚悟を決めよう。
この国ため。民のため。
きれいな下着をつけていこう。
こういう作法も習ってきてはいる。
支度を整え終わったところで、ノックが鳴った。
「お嬢様、いらっしゃいますか?」
ユゼフの声が扉の向こうから聞こえた。
ここで住み込みで働いている10歳の少年だ。
「ユゼフ、どうしたの?」
「お嬢様がここを解雇されたと聞いて……、来てしまいました。ごめんなさい」
泣きそうな細い声が聞こえてくる。
「そうなの? ありがとう」
「本当なんですか? なぜ、なんですか?」
心配しにきてくれたんだ。
「私も信じられないけど、本当みたい。理由は、私に創造的な仕事は無理だって、私の仕事は遊びだって、言われちゃった」
あらためて口にすると、涙ぐみそうになる。
子ども相手に恥ずかしいな。
「そんな……」
ユゼフの声から、私をいたわる気持ちが伝わってくる。
まだ、出かけるのに時間がある。
今後、もう会うことはないかもしれない。
「廊下は寒いでしょう。中にお入りなさい」
「いいえ、ここで大丈夫です」
10歳とはいえ男の子だ。
恥ずかしがっているのだろうか。
「遠慮しないで。風邪をひいたら大変だから」
扉が開ける。
涙でくしゃくしゃに目をはらしたヨゼフがいた。
両手で顔を隠し、きれてない。
これを見られたくなかったのか。
プライドを傷つけてしまっただろうか。
「泣いてるの?」
膝をついて、金色の髪をなでる。
「男なのに泣いてごめんなさい、悲しくて……」
ヨゼフが涙声で口を開いた。
「悲しい? 私がいなくなることが?」
ヨゼフがうなづく。
「きつくてやめたくなるときも、僕よりもっとがんばってて、目をきらきらしてるお嬢様がいるから、がんばれて。今は掃除しかさせてもらえないけど、いつかお嬢様のような仕事をしたいって、ずっと思って」
もうダメだった。
急にまぶたが熱くなり、涙がボロボロと止まらなくなった。
「ありがとう、ヨゼフ、ありがとう」
ようやくお互いに涙が止まったころには、もう出かけなければいけない時間になっていた。
「ごめんなさい。お別れする前にいろいろお話したかったのだけど、これから会わないといけない人がいるの」
「え? 今からですか? まさか、一人で?」
「まさか、誰か男性の職員に付き添いをお願いしようと思ってるよ」
このへんは治安がいいほうだと言っても、さすがにこの時間に一人で出歩く不用心ではない。
「じゃあ、僕が! ランプ持ってきます!」
「え?」
私の返事も待たず、ヨゼフは飛び出していった。
「お待たせしました! 行きましょう!」
断る口実を考える間もなく戻ってきた。
私の手を引く。
まあいいか。
自分を差し出せば、ヨゼフのことは守れるだろう。
そもそも歩いて10分の距離だ。
玄関を出ると、馬車が止まっていた。
スーツの男性が丁寧にお辞儀をする。
「マリお嬢様、お迎えにあがりました」
公爵閣下の護衛の方だ。
閣下は、歩いて10分の距離に馬車を用意してくださるのか。
「その少年は?」
護衛の人が、ヨゼフに気づいて尋ねる。
「マリお嬢様の護衛です!」
ヨゼフが声を震えながら、声を張り上げる。
護衛の人がにこっと笑う。
「これはこれは勇敢な護衛だ。さあ、一緒にお乗りください」
パスレルホテルに到着した。
異国の要人のためのホテル。
バラの庭園に囲まれ、神々の像があしらわれた、絢爛な建物。
今は暗くて見えないのが残念だ。
護衛の人にうながされて、中に入る。
「ヨゼフ様はここでお待ちください」
当然だけど、ヨゼフは入室をとめられた。
悲しそうな目で見上げてくる。
「だいじょうぶよ。待っててね」
にこっと笑って、胸に手を当てる。
外が絢爛なら中はそれ以上だった。
護衛の人の後ろにつきながら、灯りに照らされた赤いじゅうたんの上を歩く。
ちょっと怖いな。
ヨゼフにいてほしかったと思ってしまう。
護衛の人が扉の前に立つ。
「閣下はお待ちです。どうぞ」
「はい」
息を吸う。ノックをする。
「お招きにあずかりました、マリ・ラ・ジョリオです。入室しても」
「ようこそ。はるばるよくぞいらっしゃいました」
扉が急に開き、目の前に少年のように笑う公爵閣下が現れた。
腰をつきそうになった。
公爵閣下が扉を開けて出迎えるなんてことがあるの?
フランク過ぎる。
こんな人だったっけ?
「どうぞどうぞ、お座りください。ダージリンティーでよろしいですか?」
公爵閣下に座ってと言われて、簡単に座れない。
え、もしかして閣下自らがお茶をいれるつもりなの?
「こ、公爵閣下、ご用件はなんでしょうか?」
用件がわからないと緊張でお茶の味もしないだろう。
座ることすら無理だ。
「無理に呼んでしまいましたか?」
お茶をいれる手をとめ、こちらに向き直る。
「…そうですよね、貴族の貴女に断るという選択肢はない。嫌でしたよね。俺一人で舞い上がってしまい、申し訳ありません」
「いえ、違うんです!」
つくづく、なんて私は会話が下手なんだ。
「呼ばれたこと、心の底から本当に嬉しかったのです。でも、同時に不安でした」
「不安? なぜです?」
「なぜ呼ばれたのかと。夜伽の相手ではないかと」
「夜伽……? YOTOGI……?」
閣下が口に手を当てた。
考え込む。
思い出したかのように、手をたたく。
そして、驚いた顔をした。
「まさか! 俺が、そのようなことを要求する男に見えましたか?」
暗いからわからないが、顔が赤いように見える。
「ご、ごめんなさい! わからないのでそれくらいしか思い当たらなくて」
「そうでしたか、伝えたつもりだったんですが……、”もっと貴女の話を聞きたい”と」
本当に?
社交辞令ではなくて?
じっと私の目を見る。
「こんな夜に説明もなく呼び出したこと、お詫びします。心から、貴女の話を聞きたいと思ってお呼びした次第です。俺の都合で恐縮ですが、明日にはここを発たなければなりません。貴女の時間が許す限り、お話しませんか?」
「わ、私の話のどこを気に入ってくださったんでしょうか?」
思い出しただけで死にたくなるような話しか思い出せない。
「錬鉄や錬金の話ですよ。貴女の研究について、全然聞けずに終わってしまいましたからね」
「そんな! 述べたとおり、まったく成果があがっていないんですよ。聞くに値しないと思います!」
「私が聞きたいんです。お茶をどうぞ」
美しいカップに注がれた、ダージリンの琥珀色が揺らめいた。
顔をあげると、閣下の顔がランプの優しい灯りに照らされる。
座って紅茶をいただくものだと習ってきた私は、生まれて初めて、立ちながらカップを受けとった。
自分の研究を、なるべく簡潔に話そうとした。
要点だけを伝えるつもりだったが、閣下に掘り下げられて、気づいたら5時間も経っていた。
どんな興味がある話でも、5時間も経てば疲れる。
でも閣下は、そんな素振りどころか、ますます目をらんらんとして相づちを打つ。
私は私の研究を、こんなに話をできたことがない。
こんなに言葉を交わしたことがない。
楽しかった。
外が白んだ。
白い光が閣下の端正な横顔を照らす。
変わらず、優しい顔で私を見つめてくる。
そして、ぽつりとこう言った。
「貴女をこのまま帰すのは惜しい」
閣下が椅子から立ち上がって、ひざをついた。
「錬金術職員として、どうか我が国に来ていただけませんか」