第22話 次の一手を打たれました
朝の光が研究室に差し込んできた。
「もう朝」
夜通し作業したのに。
スィフト時代のノート、ヴェールランドでの記録、まだ目を通しきれていない。
私の研究は間違いなく、この国で生まれたもの。
それを、この国の人々に、祖国に証明しなければいけない。
そうでなければ、終わる。
「お嬢様! 大変です!」
ユゼフが新聞を持って飛び込んできた。
一面の見出しが目に飛び込む。
『スィフト国研究所長、重大発表
最先端を走る外国研究員、自国の国家機密を盗用か』
血の気が引いた。
「なんてことを…」
震える手で新聞を受け取る。
ケルヴィの写真が大きく掲載されていた。
『本日午後、会見を開きます。我が国の知的財産を守るため、断固たる措置を取る所存です』
新聞を握りしめる手が震える。
午後の記者会見。
ここで世論はがケルヴィの言うことを真に受けたら…。
そんなこと、あってはならない。
この私が、通信技術の未来を、いやこの国の未来を変えてしまう。
午後…、時間はわずか。
でもゼロじゃない。
やるしかない。
「ユゼフ、実験ノート、いえ、なんでもいい。なにか証拠になりえそうな資料をすべてここに持ってきて」
「はい!」
必死でページをめくる。
何か、何でもいい。
コンコンと扉が叩かれた。
「どうぞ」
「おひさしぶり、マリ様」
その顔を見たとき、背中に悪寒が走った。
「エミリア…!」
アルケミア研究所の同僚で、ケルヴィの婚約者のエミリア。
あの時と変わらない笑顔。
でも何か冷たいものを瞳に宿しているような気がした。
「何しに来たんですか?」
ユゼフが私の前に立ち、エミリアと対峙する。
「ユゼフ、だったかな。久しぶりなのに、随分な言い方じゃない」
「お嬢様は今、忙しいんだ。あんたの婚約者のせいでね」
「あら、よかったね。マリ様のワンちゃんになれたんだ。幸せな人生ね」
「なんだと!」
「ユゼフ、いいの」
ユゼフがいつにないほど語気を荒げている。
私のためだ。
私のために怒ってくれている。
「ありがとう」
ユゼフの肩に手を置く。
ユゼフはこちらを見て、うつむいた。
「お嬢様がそう言うなら」
顔をあげ、エミリアを見据える。
「なぜあなたがこの国に?」
あの時のエミリアの幸せそうな笑顔がちらつく。
アルケミア研究所に未練はない。
でも、彼女がいなければ、私は祖国で研究を続けられたかもしれない。
いや、違う。
あれがあったから今がある。
過去のことで心を乱されている場合じゃない。
「あら、わたしだって外国に来てみたいのよ? ヴェールランドはおしゃれな国だし」
平然とそんなことを言う。
「そう。ぜひ楽しんで。この国は良い国よ」
「そうでしょうね。私はずっと狭い場所にいた。こんなとこまで来られたのはケルヴィ様のおかげ」
「よかったね。今は取り込み中なの。また機会があればゆっくりティータイムしましょう」
正直、相手にしたくない。
顔を見たくない。
でもまた、私の居場所を奪うというのなら、容赦しない。
「マリ様はあいかわらず、わたしのことなんか気にしないのね」
「今は余裕ないの。あなたの婚約者のせいでね」
「今は、ね。昔だってマリ様は私のことを見下して相手になんかしてなかったじゃない」
「見下していた? そんなことない」
本当に身に覚えがない。
何がどうして彼女の中でそうなっているのだろう。
「まあ、マリ様にこんな話しても分からないか。せっかくの貴族の身分を捨てても、こうやって成功をつかんでいる。雲の上の存在。あたしなんか、きっと空気より軽い存在よね。いえ、害虫みたいなものね」
「お嬢様のことをこれ以上侮辱するなら許さない!」
ユゼフがそう口を開く。
「侮辱? 褒めたつもりだったんだけどな。たしかに余計な話をしすぎたかな」
エミリアは封筒を差し出した。
「ケルヴィ様からの条件。今なら、まだ間に合うよ」
「条件?」
きっとまともな話じゃない。
不安を抑えながら封を切る。
『マリ。おとなしく罪を認め、スィフトに戻れ。そうすれば、穏便に済ませてやる』
「マリ様が素直に戻れば、記者会見で『既に和解した』と発表するって」
エミリアが言う。
両国の落とし所は、私が祖国に戻ること。
きっとそれが一番平和な解決策。
でも、
「戻らない」
私は、もう祖国に戻らない。
「バカね」
エミリアの表情が豹変した。
「このままだと、マリ様は犯罪者。もう、どこの国も受け入れてくれないよ」
エミリアは拳をにぎりしめる。
「ただ祖国に戻るだけですべてがうまくいくのに。そんなのワガママじゃん」
「エミリア、私はここで新しい技術に出会った。そしていろんな研究でこの国の、いえ世界の人々を幸せにできる。これは祖国ではきっとできない。少なくとも、女性に独創的な仕事ができないと思っている国では、到底」
「あなたのご両親のことも考えたら?」
その言葉に、体が凍りついた。
「スィフトの貴族社会で、娘が国家反逆者だなんて知れたら…」
「脅しのつもり?」
「おどし? ただの事実よ。外国かぶれになって忘れてしまったかもしれないけど、男には男の、女には女の、貴族には貴族の、貧民には貧民の役割がある。みんな、そこで一生懸命生きてる。才能だけで、すべて自分の思い通りになると思わないで!」
エミリアの最後の声は少し涙ぐんでいた。
「ねえ、知ってる? ケルヴィ様、毎晩あなたの名前を呼ぶの。『マリ、マリ』って」
ゾッとした。
「最初は嫉妬したけど、今は違う。あなたさえ手に入れば、ケルヴィ様は満足する。そしてあたしは正妻として、すべてを手に入れる」
エミリアの声が鋭くなった。
「あたしの父は破産寸前なの。来月には路頭に迷う。あたしにはこれしか生きる方法がないの」
エミリアが詰め寄る。
「お願い、マリ様。」
一瞬言葉が詰まる。
エミリアの気持ちが痛い。
でも。
「答えは変わらない。出て行って」
私がそう言うと、エミリアは表情を失った。
目だけが見開かれて、私をにらみつける。
「出ていかないと、人を呼ぶ」
ユゼフが怒気を含ませ言う。
「後悔するわよ」
エミリアは憎々しげにそう言い放った。
私は戦う。
この国の未来のために。
私のために。




