第19話 気持ちを聞かれました
「才能も、運も、“環境”も、すべて手に入れた気持ちはどう?」
王女様がそう言った。
言葉の意図が理解できないのに、言葉自体がすっと血に入って冷たくしていく。
「エリザベス、なんてことを言うんだ」
キュリー様が少し強めの口調で王女様をたしなめた。
体が震えた。
「言い過ぎたかしら? ごめんなさい」
彼女は小さく笑った。
「君が何を誤解しているかしらないが、マリに錬金以外のことで煩わせたくない」
「錬金、以外ね。本当にそう?」
「どういう意味だ?」
「やめてください」
自分で自分が出した声に驚く。
動悸と吐き気がする。
「私はお二人の幸せを願っています。お二人の幸せのためならば、今すぐにでもここを去ります」
沈黙が流れた。
言い過ぎただろうか。
でも言わずにはいられなかった。
「…すまない。“私達の問題”に君を巻き込んでしまって。君にここを去られるのは国家の損失だ。どうか思いとどまってほしい」
キュリー様が私に対して謝ってくれる。
でも違う。
「私に気をかけないでください。どうか、王女様を大切にされてください」
キュリー様にも王女様にも視線を送れない。
お二人がどんな顔をされているか、怖い。
「そうだな。その通りだ」
キュリー様の声が王女様のほうに向いたのを感じた。
「エリザベス、すまない。苦しい思いをさせてしまったね。でも信じてほしい。君をないがしろにしているつもりはなかった。君のふるまいが完璧であったから、安心してしまっていたんだ」
キュリー様は膝をついて、頭を下げた。
「そんな君が思いを溜め込むまで気付けなかった俺は愚かにもほどがある。どうか許してほしい」
王女様は顔を覆い、膝からくずれ落ちた。
「ごめんなさい、私、不安で」
王女様の声が涙ぐんでいる。
「君は何も悪くない。今日は帰って二人でゆっくり過ごそう」
王女様は、話をしたこともない異国の男性と結婚する。
それはどれほどの不安とプレッシャーがあったことだろう。
そして故郷を離れる寂しさ。
私のように勝手に出ていったわけではない。
王女として、自国へ恩恵を与え、一方で異国での使命を果たさないといけない。
ケルヴィとの結婚も果たせなかった私には到底、想像もつかない領域だ。
「マリさん、お見苦しいところをお見せしました。本当にごめんなさい」
王女様が深々と頭を下げる。
「頭をあげてください! 滅相もないです。王女様のご苦労と苦悩は私には計り知れません。私などに気を遣わないで、どうかご自身を大切にされてください」
王女様は顔を上げ、涙でうるんだ目で私を見つめる。
泣き腫れたまぶたも、美しいと思った。
少し沈黙が流れた。
王女様と今日始めてちゃんと目が合った気がする。
「優しいのね」
王女様はやっと口を開いた。
その声は、最初に聞いた時のような温かさを取り戻していた。
「本当に錬金は好きだし、あなたのことも好き。今日のことで、あなたをもっと好きになった。信じてくれる?」
「こ、光栄です」
信じるも何も、そう言っていただけるだけで身に余る。
「また、お邪魔してもいい? あなたと錬金の話、いっぱいしたいの」
「もちろんです」
「本当?」
「本当です! 王女様は本当に錬金を好きでいると、この時間だけでも十分に伝わりました。私も錬金が大好きなので、ぜひ」
王女がじっと私を見つめる。
「私は、あなたのことも好きなのよ?」
顔が赤くなるのが自分でもわかる。
はっきりと好意を示すのはここの文化なんだろうか。
嬉しい。
嬉しいのだけど、どうしていいかわからなくなる。
「私も好きです。ありがとうございます」
早く返答しなければ王女様を不安にさせてしまうと思ってすぐ答えた。
王女様相手に好きだなんて、失礼だったろうか。
「ありがとう」
王女様が目を細めて笑ってそう言った。
そのあまりに屈託のない笑顔に驚いた。
この笑顔こそが、本当のエリザベス様なんだと思った。
キュリー様は平謝りしながら、王女様の手をとって去っていった。
ユゼフに見送りをお願いした。
私は三人を見送ったあと、額縁に飾った紙幣を壁から外した。
今までの記憶が浮かんでは消えていく。
少し目を閉じた。
それでもそれは止まらない。
思わず額縁を振り上げる。
ゴミ箱に振り下ろす手が止まった。
「何をやっているんだろう私は」
何も捨てることはない。
そう自分に言い訳して、戸棚を開けた。
奥の方にそっとしまう。
どうか、二人の末永い幸せでありますように。