第16話 伝えました
翌日の晩餐会は、ヴェールランドの高官たちが集う華やかな場だった。
私は昨夜決めた自分の選択に胸を膨らませながら、部屋の片隅で静かに時を過ごしていた。
ジェイムスさんから贈られた淡いヒスイ色のドレスが、シャンデリアの明かりを受けて美しく輝いている。
その生地は肌に優しく馴染み、袖口と裾のシルバーの刺繍が光を捉えるたび、星屑のようにきらめいていた。
広間は人々の華やかな笑い声と会話で満ちていた。
円形の大広間は、上流階級の人々で溢れ、彼らの身につけた宝飾品が光を反射してきらめいている。
男性たちはタキシードに身を包み、女性たちはカラフルなドレスで装い、そのさまは庭園に咲き誇る花々のようだった。
私はどこか場違いな気分だった。
研究所での毎日とはあまりにもかけ離れた世界。
「マリさん」
声がして振り返ると、バンデンさんが立っていた。
「バンデンさん」
見知った姿を見つけられて、安心した。
「お待ちかねでしょう。公爵閣下がお呼びです」
「は、はい」
緊張した様子の私を見て、バンデンさんは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。あなたにとってはなんてことはないでしょう。身ひとつで亡命した、あのときのことを考えれば」
「か、からかわないでください」
顔が熱くなるくらい恥ずかしくなったが、少し緊張がやわらいだ。
「ありがとうございます、バンデンさん」
「お役に立てて何よりです。では参りましょう」
「はい」
ヨゼフと私を馬車に乗せてくれたあの時を思い出した。
まさか、こんなところに来るとは思わなかったな。
大広間の中央に近づくと、人々の輪の中心に公爵様の姿が見えた。
彼は今日も黒を基調とした正装に身を包み、胸元には赤いバラ。
光沢のある生地は彼の立ち姿をより堂々と見せていた。
周囲の人々と会話をしながらも、どこか遠い目をしていた。
その視線が私に気づき、パッと明るくなる。まるで曇りが晴れたかのように。
「マリさん」
公爵様は周囲の人々と会話を切り上げ、私に歩み寄った。
優雅で力強い足取り。
その姿に周囲の視線が集まるが、彼はそれを気にする様子もない。
「来てくれたね、ありがとう」
「お招きいただきありがとうございます」
私は丁寧にカーテシーをした。
後ろめたさのような気持ちが湧き上がる。
「緊張してるね」
「はい、少し…」
「それでは少し静かな場所で話をしよう」
「いいのですか? 他の方々が」
「問題ない。行こう!」
公爵様は私の腕に自分の腕を差し出した。
皮手袋越しに感じる温もりに、心臓の鼓動が早まる。
公爵様にエスコートされ、ベランダへと導かれる。
緊張のあまり、足が震えているのが自分でもわかる。
ベランダに出ると、涼しい夜風が頬を撫でた。
広大な星空が広がり、街の明かりが宝石のように散りばめられている。
ここから見る首都の夜景は、まるで天空の星が地上に降りてきたようだった。
「美しい夜だ」
公爵様が呟いた。
「はい」
私は深呼吸をした。
ドレスのコルセットが少し窮屈で、うまく息ができない。
「公爵様、私」
「残念、よっぽど私の名前を呼びたくないと見える」
公爵様の青い瞳が、月明かりに照らされてきらめいた。
『キュリーと呼んでください』
そう言われたシーンがバッと目に浮かんだ。
いや、恥ずかしすぎる。
「おそれ多くて」
「友人として、そう呼んでほしい。ダメかな?」
友人。
その言葉に、胸がキュッと締め付けられた。
「キュリー、様」
やっとそう言うと、公爵様…キュリー様は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔の温かさに、緊張が少しほぐれた。
「あなたの決断を聞かせてください」
「はい、私は」
一瞬、迷いが生じた。
でも、昨夜の決意を思い出す。
「ぜひ、新事業に携わらせていただきたいです」
キュリー様の顔が明るくなり、瞳が喜びで満たされる。
「そう言ってくれると思ってたよ」
彼は静かに、しかし確かな喜びを表現した。
うれしそうな表情の中に、安堵の色が混じっているようにも見えた。
「電気…、本当に不思議なエネルギーですね。これからどんな可能性を秘めているのか、想像すると胸が高鳴ります」
「俺もさ」
キュリー様はポケットから、あの円盤を取り出した。
月明かりの下でさえ、その造形の美しさは目を引いた。
「君に渡したものと同じものだ。美しいだろう」
夜風の中、キュリー様の指先で青く光る結晶を見つめる。
その光は、昼間よりも深く、神秘的に感じられた。
「そうですね。ここに来たのも、この光に導かれたからかもしれません」
「ロマンチックなことを言うね」
キュリー様は微笑んで言ったが、私は恥ずかしくなった。
この円盤と夜風と晩餐会の空気にあてられたんだ。きっと。
でも、その言葉に偽りはない。
「俺もそうさ。錬金が生み出すすべてに魅せられて、俺の人生を捧げている。錬金は石を、時に馬千頭に匹敵するパワーに、時に闇夜を昼間にする光に変える」
キュリー様が円盤をなでると、今度は青から白へと光の色が変わった。
ろうそくの炎とは違った光が、端正なキュリー様の顔を優しく照らす。
美しい。
その光の色の変化に、私は息をのんだ。
「どうして色が変わったんですか?」
キュリー様は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに微笑んだ。
「よく聞いてくれた。ここ、こだわったんだ。蛍石が使われていてね」
説明しながら動くその指には、薄くプラチナの輝きを放つ指輪が光っていた。
婚約者とのつながりを示す証。
その手で円盤をなでると、また青い光に戻る。
「これも錬金で動いている。塩水に2枚の金属を入れて、プラチナ線でつないだものだ。錬金は、自然の力を借りて生み出している。火の力、水の力、風の力、土の力」
キュリー様の言葉には情熱が満ちていた。
「錬金は自然との対話であり、自然の恩恵そのものだ」
キュリー様の話を静かに聞いた。
彼の婚約者のことも、将来への不安も、期待も、もうどうでもよかった。
申し訳ないけど、内容も頭に入ってこなかった。
ただ純粋に、まっすぐに、錬金を語るキュリー様の情熱が私を酔わせた。
どうしたのだろう。
胸がドキドキしている。
熱いものが、私の血管の中をぐるぐると回っているようだ。
私の中で何かが溢れそうになる。
抑えきれない感情が、喉まで上がってくる。
「好きです」
口から言葉があふれた。
言った瞬間、自分でも驚いた。
頭の中が真っ白になる。
時間が止まったかのよう。
キュリー様の瞳が大きく見開かれた。
彼の手が止まり、円盤の光が消える。
暗闇の中、私たち二人は互いを見つめ合った。