第14話 やります!と答えました
「やります!」
自分の声が部屋に響き渡った。
公爵様の目が喜びで輝いた。
「そう言ってくれると思っていました」
拍手をしてくれた。
今度は拍手が響き渡った。
サッと血の気が引いた。
私は何を血迷ったことを言ったのだろう。
まるで、「待て」ができない意地汚いワンちゃんのようだ。
今になって思い返される。
ただの不審者だった私のことを拾ってくれたこと、私の研究を理解してくれたこと、みんなと研究に明け暮れた日々、思い出が胸に押し寄せてきた。
薄情すぎる、私。
コンコンコンと、ノックの音がして扉が開いた。
「失礼します」
ジェイムスさんだった。
「おや、ジェイムスくん」
公爵様が振り返る。
「丁度良いところに。マリさんが私の新事業に来てくれることになったよ」
ジェイムスさんの表情が一瞬固まった。
けれど、すぐに完璧な笑顔を浮かべる。
「そうですか。おめでとうございます。公爵閣下のお眼鏡にかかるとは。さすがです」
また拍手が鳴り響く。
空々《そらぞら》しく聞こえるのは、私の後ろめたさからなのだろうか。
「しかし、閣下」
ジェイムスさんが一歩前に出る。
「責任者を通さずに引き抜きとは、いささかルール違反でありませんか?」
ジェイムスさんの口調から、怒りがにじみでいているような気がする。
しかも公爵様相手に。
さすがに気のせいかな。
公爵様は眉を少し上げた。
「ほう。君が責任者であるなら、私は君の事業のオーナーだな。人事権は私のほうにあるはずだが」
「これはこれは。現場のことは現場に任せるがモットーである閣下の発言とは思えませんね。しかし、閣下の命令であれば従わないわけにはいきません。どうぞご自由に」
気のせいじゃなかった。
「言うようになったな、君も。天才実業家は、人の気を逆なでするのも得意らしい」
「お褒めにあずかり光栄です」
二人の間に緊張が流れる。
これは…、仲が悪いの?
逆に仲が良いからケンカするのかな?
そんなことないか…。
バンデンさんに視線を送ると、素知らぬ顔で窓の外を眺めた。
無視を決め込む気らしい。
なんで?
「あの...」
意を決して口を開く。
「あまりのことに興奮して発言してしまいましたが、今いるこの事業に愛着がありますし、ジェイムスさんには恩義があります。やはりここを離れるわけにはいきません」
ジェイムスさんは私に微笑み、公爵様に勝ち誇ったような顔をした。
「マリさん、こいつに恩義なんか感じなくていいんです。他の事業と同様に、あなたに投資をしただけですから。あなたは十分にあいつに回収できるほどの功績を出しました。むしろ恩義を感じるのはあいつのほうです」
公爵様が、だいぶ言葉遣いを崩されていらっしゃる。
「あの…」
口を開く。
今度こそ穏便になるようにと願いながら。
「もう少し詳しく新事業のことを聞いてもいいですか?」
公爵様は私に微笑み、ジェイムスさんに勝ち誇ったような一瞥を送った。
「もちろん」
公爵様は内ポケットから小さな装置を取り出した。
「これを見てください」
手のひらサイズの真鍮と銀の円盤。中央に青い結晶が埋め込まれている。
「これは?」
「最新技術です」
公爵様は結晶に触れた。
突然、青白い光が点灯した。
まるで星が手の中で輝くかのよう。
「もしかして…」
私は息を呑んだ。
「電気ですか?」
「ほう、知っていましたか。よく勉強をしている」
公爵様の目がこどものように輝く。
「この電気が、この世界の未来です」
見入る私の手を取り、公爵様は円盤を渡した。
「すごい...」
円盤の結晶から、かすかな振動と温かさを感じた。
頭の中で、無数の可能性が広がり始める。
「断言します」
ジェイムスさんが静かに声をかけた。
「ここが、今いるこの場所が、あなたの才能を最大限に活かせる環境です。自由な研究活動と、十分な予算、そして私のサポート。新事業のほうはそうは行きません。もうすでに莫大な資金が注ぎ込まれている。後戻りはできないし、早急な結果を求められる。それでも良いのですか?」
公爵様が軽く咳払いをした。
「何を根も葉もないことを。たしかに莫大な資金を投じているが、結果を焦ってはいない。資金だってまだまだある。当然、私も全力でサポートする。それに、全国から優秀な錬金術師が大勢集まっている。とても刺激的な環境でしょう?」
これは…、どうしたらいいのだろう。
どちらも私にはもったいない提案だ。
「閣下、貴方は婚約された身でしょう。あまりしつこくされるのはいかがなものか」
公爵様がハッとされた。
その表情を見たジェイムスさんは口元をおさえた。
「失言でした」
「そうだね、君らしくない発言だ。随分マリさんに入れ込んでいるとは思っていたが、成果があがっているだけに疑問を感じなかったよ。君も1人の男だったというわけだ」
「そういう言い方は品がありません」
ジェイムスさんは耳を赤くしている。
珍しいものを見た。
「君がどういう感情を抱こうと勝手だが、国の宝を私物化するのはいかがかな。マリさんは私が預かろう」
「…閣下の仰せのままに」
ジェイムスさんはそう言って、踵を返して去っていった。
「お見苦しいところを見せてしまったね。彼とは長い付き合いでね。親友…、いや戦友だな。ともに、この国の未来のために戦っている。いや、とにかく気のおけない間柄でね、公務中なのについ素が出てしまった」
「そうでしたか」
恥ずかしさに消えたくなる。
ジェイムスさんが私に好意を寄せてくれていることに気づかれてしまった。
「ああは言ったが、やはり君の意見が第一だ。君に決めてほしい」
何を!?
と思ったけれど、今の事業か新事業化の2択に決まっているじゃないか。
「そんな、私の意見なんて」
「君はもう貴族じゃない。好きなように生きていいんだ」
公爵様の言葉に、あの日の夜が思い返された。
私が祖国を捨て、錬金術師を目指したあの瞬間を。
「あの」
「なんだい?」
「婚約者様はどういうお方なのですか?」
公爵様がきょとんとした顔をされる。
絶対今じゃない質問をしてしまった。
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「隣国の王女様さ。顔も見たことないけどね」
公爵様が自分の左薬指についた指輪を眺める。
「今まで散々好きにさせてもらったからね。とうとう納めどきがきたらしい」
寂しげな顔をされた。
私はどうしても、それが我慢できなかった。
「公爵様は」
つばを飲み込んだ。
「公爵様も、好きなように生きないんですか?」
公爵様がハッとされた。
「これは一本とられたね」
公爵様は目を閉じ、口を緩めてふふと笑う。
「俺はいいんだ。この地位を最大限に利用して、好きなことを散々してきたのだから」
私はパンより錬金を選んだ。
この方は、パンを受け取ることを選んだ。
そしてそのパンを、この国に捧げることを選んだんだ。
「でも、そうだな」
公爵様は聞こえないくらいの音量で言った。
「一生添い遂げる相手くらい、自分で選びたかったな」