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第12話 結婚を申し込まれました


「け、結婚?」


私の頭の中が真っ白になった。

ジェイムスさんの言葉が、鐘のようにグワングワンと響く。


「はい。ぜひ、私と結婚してください」


ジェイムスさんはいつものようにおだやかな表情で、紅茶のカップを置いた手も、いつもと変わらぬ優雅ゆうがさ。

私の手だけが震えている。


「なぜ、私なんかと…」

最初に出た言葉がこれだった。

疑問でしかないから。


「私なんか? 貴女はとても魅力的みりょくてきですよ」

どこが…?


「私って、外国人ですし、身なりもこんなですし、その…、言わなかったのですが、私は婚約破棄こんやくはきをされています」


「国籍で人を好きになることないですし、見た目だけ着飾った女性より、機能的な貴女の姿は素敵です」

微笑んで続ける。

「貴女と婚約できたのにそれを無下むげにするなんて、センスがありませんね」


「あ、ありがとうございます。そんなに褒めてくださって」


こんなふうに男性から言い寄られたことがない。

恥ずかしくて頭がぼーっとする。


「………」


何か言わなくてはと思うけれど、何も言葉が浮かばない。


「あの、その、突然過ぎて…」


「そうですよね。すみません。今すぐ答えが欲しいというわけではありません。ゆっくり考えてください」


彼はそう言うと、優しく微笑んだ。


思い返される。

ジェイムスさんはずっと私の良いパートナーでいてくれた。

私を尊重してくれるし、私の願いを最大限叶えようとしてくれている。


「…本当に嬉しく思っているんです。私にはもったいなさすぎる」


だからこそ、断らなければと思った。


「今は錬金に夢中になってる。なり過ぎている。他のことがどうでもよくなってしまうくらい。私はきっとふさわしくない」


この人と結婚したら、きっと私は幸せになれる。

でも私は、この人を幸せにできない。


「他のことはどうでもいい……?」

ジェイムスさんの表情が曇った。

「公爵閣下のことは考えられるのに、ですか?」


公爵閣下。


思わぬ言葉に、心臓が波打った。


「な、なぜ公爵様が出てくるのでしょうか」

顔が熱い。


「なぜって」

ジェイムスさんは苦笑した。

「もうその態度で誰もが分かりますよ。隠さないでもいいです」


「隠してなんか…」


「どちらでも構いません。私はそれでも、貴女のそばにいたいと思っています」


「そんな、でも…」


「公爵閣下は、既に婚約者がいらっしゃいます」


時が止まった、気がした。


「そうなんですか?」

なんてマヌケな問いだろう。


当然だ。

当然のことだ。


あのひとは公爵。

王家の血筋の方だ。

結婚の価値は重い。

かつての私がそうであったように。


当然なのに。

どうしてこんなに苦しくなってるのだろう。


「申し訳ありません。こんなことを言うつもりはなかったのですが」


ジェイムスさんは申し訳なさそうに言った。

そんな顔をさせてしまうほど、今の私は。


「いえ、当然のことをおっしゃっただけです。ジェイムスさんが後ろめたく思う理由は何もありません」


窓の外に視線を移した。

晴れていたはずの空が、いつの間にか曇っていた。


「貴女を理解し、支えられるのは私しかいません。今は貴女の中に私がいなくとも、私を見てくれるまで待ちます」


私は灰色に染まった雲から視線を外せないでいた。

今の私の態度がどんなに彼を悲しませているだろう。

喜んでお受けしますと言えたら、どんなに良いだろう。


「愛しています。貴女に初めてお会いした日、エメラルドに手を染められたあの瞬間から、私は心を奪われた」


知らなかった。


「この気持ちだけは伝えておきたかったのです」


私は、私の気持ちすら知らなかった。


「公爵閣下との面談は来週です。ドレスコードやマナーについて、こちらの書類をご確認ください」


彼は資料を私の前に置いた。


「ありがとうございます」


ジェイムスさんが去った後、部屋に静寂せいじゃくが戻った。

窓の外を見ると、雨粒が落ち始めていた。



_______________________


「お嬢様、どうかされたんですか? 元気がないように見えますが」


昼食を持ってきてくれたユゼフが心配そうに言う。

ユゼフは、ここで見習い技師として雇われた。

社員寮の小間使いとしての仕事が主になってしまっているけれど。


「そう? ちょっと寝不足なだけだよ」


下手な嘘だなと自分でも思う。


「ジェイムス様が来られましたね? 何かあったんですか?」


ユゼフは昼食をテーブルに置きながらそう尋ねてくる。

ユゼフはこの3ヶ月で少し背が伸びた。

髪も短く切って、制服がよく似合っている。

ジェイムスさんの計らいだ。


「何もないよ」


そう言う私の顔を、ユゼフは覗き込む。


「僕に言えないことですか?」


ユゼフは寂しげな顔をしている。

そんな顔をされたら、言わないでいられなくなる。


「公爵様に会うことになったの」


ユゼフはずっと私の味方でいてくれた。

ユゼフには嘘はつけない。


「え? あの公爵ですか?」


ユゼフの目が丸くなった。

あの日のことは、ユゼフにも印象に残っているようだ。


「そう。来週に面談めんだんがある。私の成果を評価してのご指名らしいの」


「そうなんですね! すごいじゃないですか!」

目を輝かせて言ってくれた。でもすぐに表情が曇った。

「…嬉しくないのですか?」


ユゼフは、公爵様に影響されて私が国を出たことを知っている。

いつもの私なら、喜んでいるはずだとユゼフは思ったのだろう。


「嬉しい…、そうね、嬉しいよ。ただ」


「ただ?」


「公爵様は既に婚約者がいらっしゃるそうよ」


「え…それは」

ユゼフは驚いた顔をした。

「お嬢様…、それってまさか、公爵様のことを好きなんですか?」


そう言われて、私がとんでもない発言をしてしまったことに気づく。

顔が、熱い。


「言わないで。私も、どういう感情なのかわからないの」


ユゼフは口をつぐんだ。

心配そうな目でじっと私を見ている。


ユゼフに心配させてしまった。

何か、言わないと。


「でも、僕は!」


先に口を開いたのは、ユゼフだった。

意を決したように、声を大きくした。


「僕は一生、お嬢様のそばにいますので!」


ユゼフの顔が赤らんでいく。

私を励ますために、勇気を出してくれたんだろう。


どう考えても、私と公爵様がどうにかなるってことはない。

公爵様が、一介いっかいの技師である私と。

分不相応ぶんふそうおうすぎる。


それを察して、ユゼフが励ましてくれたんだ。


「ありがとう、ユゼフ」


自然と笑みが浮かんだ。

こんなに自然と笑えたのは久しぶりな気がした。


「よし! 公爵様のことなんか忘れて、仕事に打ちこも!」


「仕事…。そう…ですね…」


「ユゼフ、ありがとう!」


「はい…、お嬢様が元気になって嬉しいです…」


ユゼフは心配そうな顔をしながらも退室していった。

空元気っぽかったかな。


時計の音が妙に大きく聞こえる。

面談の日までに、自分の気持ちを整理しなければ。


_____________________________________________


あれから一週間が経ち、面談前日を迎えた。

私の不安は整理されるどころか、日に日に大きくなっていた。


面談って、どんなことを話せばいいんだろう。

そもそも、まず一目会ったときはなんて言えばいい?

お久しぶりでございます、だろうか。


もし公爵様が私のことを覚えていなかったら?

あの方はいろんな人と会っているのだから、あの夜のことを忘れていても不思議ではない。

ただの一職員として接されたら、私は平静でいられるだろうか。


そんな考えがぐるぐる回っては消え、また現れる。

そんな繰り返し。


「緊張されているのですね」


「ええ、少し」


ジェイムスさんは優しく話かけてくれる。

いつもと変わらない様子で。

私が逆の立場だったら、気が気じゃない。

ジェイムスさんは、プロポーズの返事を催促さいそくすることもなく、ただサポートしてくれる。


彼の優しさが、より一層苦しい。


「今回の公爵の目的は視察しさつで、貴女との面談は公爵のオマケみたいなものです。貴女はただ、公爵閣下との時間を楽しめばよいのです」


「そうですね」

ジェイムスさんの優しさに、うまく笑むことすらできない。


「こちらをお渡しします。差し上げるのでお使いください」


ドレスだった。

淡いヒスイ色の生地に、シルバーの刺繍ししゅうが施された上品なドレス。


「これは…」


「貴女にお似合いだと思って」


「こんな素敵なドレス、受け取れません」


「受け取ってください。ただのプレゼントです」

その言葉に、胸が痛んだ。


「ジェイムスさん、私は…」


「今はその話はやめましょう」

彼は優しく言った。

「まずは明日に向けて、気持ちを落ち着かせることに集中しましょう」


「…ありがとう」


「では、失礼いたします。良い夢を」


「良い夢を」


彼が去った後、私はドレスを抱きしめてベッドに倒れ込んだ。

明日、公爵様に会う。

でも彼には婚約者がいる。

そして、ここにはジェイムスさんがいる。

私を理解し、支えてくれ、そしてプロポーズまでしてくれた。


窓の外を見ると、星空が広がっていた。

雨は上がり、澄んだ夜空に無数の星が瞬いている。

まるで私に何かを告げているかのようだった。


「運命があるなら、私に教えて」


星は変わらず、瞬くばかりだった。


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