第11話 ジェイムスさんが訪ねてきました
ノックの音が聞こえた。
余裕のある落ち着いた音だ。
「はい、どうぞ」
「ご機嫌うるわしゅう、姫様」
ジェイムスさんはそう言って入室する。
「私はもう貴族ではないですから、姫ではないですよ」
と言っても聞かないので、最近はもう受け入れてしまっている。
入室のときにしか言わないので、一種のジョークなのだろう。
「お茶を淹れますね。おかけください」
「恐れ入ります」
ジェイムスさんはニコッと笑って着席する。
私がここに正式に配属されてから3ヶ月が過ぎた。
過ごしやすい個室に、三食ごはんもついている高待遇だ。
日々舞い込む仕事に追われているが、充実した時間を過ごせている。
これもそれもジェイムスさんのおかげだ。
キッチンに向かうときに、額縁に目が行った。
この国の100ドル紙幣。
一番の高額紙幣で、チップでもらうようなものではない。
けど、この国ではありふれた紙幣だ。
懐かしいな。
あれから3ヶ月か。
公爵様は元気に過ごされているだろうか。
そうだ。
今日はダージリンティーにしよう。
「貴女が提案してくれた燃料室の件、おかげで大幅に燃料費をコストカットできました。その額、なんと年間10万ドルです。これはすごいことです。一生かけて稼いで得られる賃金の10人分を、貴女1人が稼いでしまっているのですから。しかもたった1年です」
セリフに情熱や興奮が込められているが、口調はものすごく穏やかで知性的だ。
「そうなんですね。よかったです」
茶葉が開くのを観察しながら、そう答えると、
「反応が薄いですね」
苦笑しながら、ジェイムスさんが言う。
「お金の話は全然ピンとこなくて。あ、喜んでもらっていることには嬉しいと思っています!」
「それはそれは」
なぜか苦笑されている。
「粗茶ですが」
「ありがとうございます」
ジェイムスさんは優雅な所作で紅茶を一口ふくみ、カップを置いた。
「やはり貴女のお茶は世界一おいしい」
「そんな、ありがとうございます」
ジェイムスさんは大げさにほめてくれる。
「さて、成果報酬なんですが、1万ドルでどうですか? 成果に対して物足りないかもしれませんが」
「え! そんなにいただけるんですか! じゃあ欲しいものあります!」
「やっぱりそうなりますか…」
「これです!これ!」
学会からもらった資料にあったブラスブルン精密蒸留装置のページを見せる。
「これ、すごいんですよ! かなり高純度に金属を抽出できるんです! これを使えば、もっと蒸気機関はすごいことになります! ジェイムスさんの力で、なんとか購入できないですか!?」
「姫の仰せのままに」
ジェイムスさんは苦笑いをしながらうなづいた。
「しかし、もっと自分のために使ったらどうです? アクセサリーやよそ行きの服など新調されてみては」
「え? 自分のことにしか使ってませんよ? アクセサリーも服も十分ありますし」
「そこが貴女の素敵なところですね」
ジェイムスさんはやっぱりすごく褒めてくれる。
「さて、今日はお願いしたいことがあります」
ジェイムスさんは改まってそう言う。
仕事モードのジェイムスさんだ
「どんな依頼ですか!?」
今度はどんなのだろう。
ワクワクする!
「今日もまた、一段とよく目をきらめかせてくれますね。幸せな気持ちになります」
ジェイムスさんは微笑みながらそう言う。
スッと書状を私の前に置いた。
どこかで見たような字だ。
「この事業の最大の資金提供者である、公爵閣下からの書状です」
公爵…閣下…?
差出人に視線が泳ぐ。
「公爵 ポープ・アーバスノット」
心臓がドクンと、ありえないほど波打った。
「公爵様が、なんて…?」
頬が赤くなるのを感じる。
「読めませんか? 論文すらスラスラと読めるようになった貴女が」
ジッとジェイムスさんが見つめてくる。
「いえ、ええと」
じっくり読んでいるつもりが、なぜか上ずって文字が追えない。
どうしてしまったんだろう。
「貴女をご指名です」
「わ、私を? なぜ?」
「この国の事業を成功に導いている貴女と面会したいらしいです。本当に読めていないんですね。どうかされましたか?」
「そうですよね。変ですよね。今日は調子がなんだか悪いみたいです。今日が休日でよかったなあ。あはは」
そう言う私を、少し困ったような顔で見ている。
「公爵閣下と、なにか因縁でも?」
「いえ、そんな、特別なことは何も」
「特別なことはないけれど、何かしらの接点はあったと」
隠すようなことではないけれど、なぜか恥ずかしい。
「祖国にいたとき、私が以前働いていた錬金研究所の案内をしただけです」
「それだけ、には見えない感じですね」
「そうでしょうか。でも本当にそれだけなんです」
呼ばれて、一晩中錬金について話をしたことは言い出せなかった。
恥ずかしすぎる。
そうか、私は恥ずかしいんだ。
「まあ、いいでしょう。ともかく、こちらとしては断れない話です。しかし貴女が嫌であれば、断る方法もないわけでは」
「嫌というわけではありません」
ジェイムスさんの言葉を遮るように言った。
「光栄なことです。光栄過ぎて、緊張をしているだけです」
「それだけには見えませんが」
「こ、公爵様に気をかけてもらえるなんて、光栄なことですから」
ジェイムスさんは紅茶を口に運ぶ。
そしてカップを置く。
「もうひとつ、お願いがあります」
何か重々しく口を開く。
「なんでしょうか?」
今度こそ、仕事の依頼かな。
「私と結婚を前提にお付き合いしてください」
「…」
「え?」