百薬鳥
「おや、これはお揃いで」
館の主は、椅子の背もたれに身を預けたまま、自分の前に並んで立った二人の若い男女に目を細めた。
「レスリー卿にソニア嬢。よく来てくださった」
「お招きにあずかり光栄です、ジュグラ様」
レスリーが胸に手を当て、隣のソニアも膝を折る。
「今宵も楽しんでいかれよ。ソニア嬢、ご両親は今はログサ神殿領かな」
「はい。神殿領のこたびの開放を逃すわけにはいかぬと、取るものとりあえず船を仕立てて出発いたしました」
「さすが、腰が軽い」
ジュグラは低く笑う。
「ログサの大神官とはかつて会議で酒席を共にしたことがある。聖職者にしてはずいぶんと柔軟な考えの持ち主ゆえ、今回の開放を主導したのも彼であろう。以前もお父上に頼まれて彼に手紙を書いたことがあるが、今回もぜひリッカード商会にと言付けておこう」
「ありがとうございます」
ソニアは声を弾ませた。
ジュグラの口添えがあれば、ログサ神殿領での独占的な商売も夢ではないかもしれない。それは、リッカード商会に更なる発展をもたらすだろう。
「そういえばレスリー卿、聞いておるぞ」
ジュグラはレスリーに無数の皺の刻まれた顔を向けた。
「アレン公の銀鉱山にさっそく出資したと」
「お耳が早い」
レスリーは驚いたように目を見開く。
「その話は、つい先日のことですぞ」
「あまり深入りはせぬ方がいいだろうな」
ジュグラは穏やかに言った。
「あそこも最初はずいぶん威勢よく掘り出されるであろうが、長くは続かぬ。資金を回収したらさっさと離れることだ」
「え、あ」
レスリーは目を白黒させた。
「そうなのですか」
「もともと、あのあたりの地盤は脆い。あの国の技術ではそう深くまで掘り進めることはできぬであろう。財を成すよりも先に落盤で全てを失う」
ジュグラは笑みを浮かべた。だが皺の奥にある黒真珠のような目は、笑っていなかった。
「不相応な賭けからは下りるべきだろうな」
「は、はい」
気圧されたようにレスリーは頷く。
その顔が青白かった。どうやら、相当にその鉱山に入れ込んでしまっていたようであった。
「足りぬ身分を、財で補おうという考えは正しい」
ジュグラは言った。
「だが、それは誰もが考えつくこと。であれば、その足をすくおうという輩もまた数多くいるということ」
「肝に銘じます」
レスリーが殊勝な顔で言うと、ジュグラはまた低く笑った。
「なに、おいぼれの忠告だ。聞き流されよ」
そのときだった。
不意にどこからか、甲高い女の声のようなものが聞こえてきた。
どこか物悲し気なその声はしばらく続き、やがてかすれるようにして消えた。
ソニアは周囲を見回す。
自分達の話に夢中で気付いていない客が大半だったが、中にはソニア同様、気味悪そうに周囲を見回している者もいた。
「今の声は」
ソニアが言うと、レスリーがきょとんとする。
「ああ、聞こえたかね」
ジュグラはこともなげに言った。
「どうも、若いご婦人には聞こえる方が多いようだな」
そう言われてソニアも気付いた。気味悪そうに周囲を見回しているのは、女性ばかりだった。
「あれはこの辺りの森に古くから棲む、百薬鳥という名の鳥の鳴き声だ」
「鳥、でございますか」
ソニアは思わず尋ね返す。あれは女の声だった。とても鳥の鳴き声には聞こえなかった。
「うむ」
ジュグラは頷く。
「まるで女の声のようであろう。どういうわけか、その声が男にはほとんど聞こえぬので、あの鳥は男に裏切られて死んだ女の生まれ変わりなのだ、などというまことしやかな言い伝えもあるが」
ジュグラはバカにしたように笑う。
「鳥は、鳥。己の習性に従って鳴いているに過ぎぬ」
その言葉に、なぜだかソニアの背筋を寒気が走った。
「百薬鳥とは、どんな鳥なのでございますか」
まだ若いとはいえ、ソニアは世界を飛び回るリッカード商会の娘に生まれ、自国から出たことのない人間よりはものを知っているという自負があった。
それでも、百薬鳥などという名前の鳥は聞いたこともなかった。
「名前からして、医術に関係のありそうな……」
薬は、リッカード商会でも取り扱う重要な商品だ。少し、興味はあった。
「ああ」
ジュグラはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「その肉を食うことが、百薬にも勝るのだよ」
その目に、ぞっとするほどの冷たさがあった。
「だから、百薬鳥だ」
「まあ、そんな鳥が」
一応そんな相槌めいたことを言いながら、ソニアはジュグラから目を逸らした。その冷たい目を見返すことができなかった。
ジュグラの腹心のドバルが、ソニアを見ていた。ドバルも先ほど挨拶した時のにこやかさとはかけ離れた、胡乱な目つきをしていた。
ソニアの中で、言いようのない不安が膨らんでいく。
「お二人はいったい、何のお話をされているのですか」
自分がのけ者にされたようで不愉快だったのだろう、レスリーが不満そうな声を上げた。
「百薬がどうとか、私には何のことやらさっぱり分かりません」
「やはりレスリー卿には聞こえなかったか」
ジュグラは笑った。
「私にも聞こえぬ」
そう言うと、ジュグラはソニアをもう一度見た。
「聞こえなければ、そんな音はしないのと同じだ」
聞こえなければ。
ならば、聞こえてしまったら?
その答えを聞くことはできなかった。
レスリーはジュグラから鉱山の話をもっと聞きたかったようだが、後ろの客がつかえていた。
ジュグラにもう一度挨拶すると、二人はその場を辞した。




