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騎士

「あそこにいる方は、どなたなのかしら」

 飲み物を運んでいた給仕に、ソニアは声を掛けた。

「お見かけしたことがないのだけれど」

 ああ、と給仕はソニアの視線の先を見て頷いた。

「わたくしどもも詳しくは伺っていないのですが、他国から旅をしていらしたとのことでございまして」

「旅の方なの」

 それは知ってはいたが、ソニアはとぼけて言った。

「だから少し疲れたご様子なのね。ジュグラ様がお呼びになったの?」

「いえ、それが偶然お見えになったお客様とのことで」

 給仕は申し訳なさそうに言った。

「後ほど、ドバル様より皆様にご紹介があるとのことでございます」

「そう。分かったわ」

 給仕が去ると、ソニアは壁際で何かの料理を口に運んでいるその男に近付いた。

「初めまして、異国のお方」

 そう声を掛けると、男は驚いたように彼女を見た。

「リッカード商会のソニアと申します」

「これは、どうも」

 男はぎこちなく会釈を返す。

「ハードと申します」

 男は短く名乗った。だがそれだけではあまりに不躾すぎると思ったのか、付け加える。

「ナーセリの騎士です」

 やはりエドの言った通りだった。

 男の喋る共通語には、独特の訛りがあった。

「ナーセリのハード様とおっしゃるのですね」

 ソニアは微笑む。

「本日は、なぜこちらのパーティに?」

「ああ、いや」

 ハードは困ったように笑った。旅路の風雨に晒されて日焼けしたのであろう浅黒い肌と対照的な、白い歯が覗いた。

「図々しい話ですが、今宵こちらでパーティが催されるとは露ほども知らず。たまたまこちらで案内を乞うたところ、ご寛大にも、参加していかれよとおっしゃってくださったという次第で」

「そうなのですね」

 話し始めてみれば、ハードは先ほどの夜道で見たときの印象よりもはるかに理知的であった。柔らかい口調で淡々と語るその姿は、レスリーとは対照的だった。

「先ほど、リッカード商会とおっしゃいましたか」

「はい。父の営む商会でございます」

「そうですか。その紋章の付いた船を、リモンの港で見たことがあります。大きく立派な船でございました」

「リモンからいらしたのですか」

「ええ。険しい山を越えねばならぬということで、自分の馬はあの街の厩舎に預けたままです」

 馬。

 そうか、とソニアは気付く。

 騎士と名乗る人ならば、確かに馬がなければおかしい。

 先ほど見かけたとき、そういえばこの男は徒歩だった。

「リモンに預けてしまわなくても、海岸沿いをシャフールの方から回ってくれば、馬でも来られましたのに」

「どうやらそうだったようですな」

 ハードは苦笑する。

「私も、馬を預けて二日も歩いた後でそう聞きました」

「まあ」

 ソニアが口に手を当てると、ハードは小さく首を振る。

「何しろ、異国を旅するということに慣れておりませぬゆえ、全て試行錯誤の繰り返しです。故郷を旅するようにはいきません」

 故郷。

 ソニアはそこに触れた。

「ナーセリは武勇の国と聞き及んでおります」

 ソニアは言った。

「とても豊かで、美しい国だと」

「おっしゃる通り、我が母国は豊かで美しいところですが」

 ハードはソニアの称賛を受け止めた後で、やや声を落とした。

「海を越えてこちらまで聞こえてくるのは、そういった話ばかりではありますまい」

 ハードはちらりと周囲に目を走らせた。

 その瞬間、友好的だった彼にまたあの暗い空気が戻ってきたような気配があった。

「ナーセリは、騎士と魔人の国です」

 ハードは言った。

「民を魔人から守るため、騎士がその命を懸けて戦い続ける国」

 魔人。

 その言葉は、ソニアの好奇心をくすぐった。

 見知った人ばかりが集まる、変わり映えのしないパーティで、退屈を紛らわすには格好の話題だった。

「私も噂には、魔人というものがいるということは聞いたことがございます」

 ソニアは言った。

「けれど、実際に目にしたことはございません。ハード様は、魔人をご覧になったことがおありですか」

「あります」

 ハードはまた短く答えた。

 ソニアは次の言葉を待ったが、ハードは魔人についてはもうそれ以上は喋るつもりがないようだった。

「やはり、恐ろしいものでございますか」

「ええ」

 ハードは頷く。

「ナーセリの騎士様は魔人と戦うのが使命だとおっしゃいましたが、ハード様も魔人を討ったことが?」

「私の討った魔人など」

 ハードはソニアの言葉にかぶせるようにそう言って、微かに顔をしかめた。

「取るに足らないものばかりです」

「たとえば、どんな魔人がいたのですか」

 ソニアは尋ねた。

「私、興味がありますの。この国にはいないもののお話ですから」

 ソニアの言葉に、ハードは彼女の目を覗き込むように見た。

「失礼ですが、ソニア殿は見たことがございませんか。魔人やそれに類するもの、黒い霧のような瘴気を」

「いいえ」

 ソニアは首を振った。

「今言いました通り、この国には魔人なんておりませんもの」

「そうですか」

 ハードはそう答えたが、どこか納得してはいない様子だった。

 だが、魔人などというものが本当に出てきたら、国は大騒ぎになるだろう。ソニアの知る限り、この国にそんな騒動が起きたことは一度もなかった。

「魔人は、一口には言えません。人に似た姿をしておりますが、どこか獣のようであったり、蛇のようであったり、もっと別の何かのようであったりします」

 ハードの説明は曖昧だった。

 ソニアはふと、エドの言葉を思い出す。


 あの連中が来るところには、魔人が出るような気がするんですよ。


「ハード様は、この国には何の目的でいらっしゃったのですか?」

「私は――」

「やあ、こんなところにいらっしゃったのですか」

 ソニアの背後からかけられた明るい声が、ハードの低い声を打ち消した。

「私を置き去りにして、こんなところでご休憩とは。ひどい方だ」

「レスリー卿」

 ソニアが笑顔で振り返ると、渋面のレスリーと目が合った。

「だって、ガスペン卿と私には分からない政治のお話をなさっていたから」

 少し拗ねたようにそう言ってしなを作ると、レスリーはあっさりと頬を緩めた。

「確かにガスペン卿は、私の顔を見るとすぐに政治談議を吹っ掛けてきますからな。けれど、いずれはあなたにも関係する話ですよ。聞いておいて損はない」

「まだ私には早いですわ」

 ソニアは首を振る。

「難しいお話を聞いていると、頭が痛くなってしまいます」

「まあ、今日のところはいいでしょう」

 レスリーは己の寛大さを誇示するように、鷹揚に頷く。

「それではエスコートの続きをいたしましょう」

 そう言われて、ソニアはハードに向き直った。

「今お話していたこちらの方は、ハード卿。名高いナーセリの騎士様だそうでございます」

「ナーセリの?」

「ハードと申します」

 ハードが会釈する。

 レスリーは、ハードの粗末な身なりを見て最初から歯牙にもかけていなかったが、改めて彼の姿を一瞥し、

「それはそれは、遠いところから」

 とおざなりな挨拶をすると、自らは名乗ることもなくソニアの肩を抱いた。

「さあ、ソニア嬢。ちょうどジュグラ様の列が空きました。今のうちにご機嫌伺いに行っておきましょう」

「え、あ、はい」

 確かに、見ればジュグラの前に並ぶ客の数はだいぶ減っていた。

 レスリーに強引に連れていかれながら、ソニアは振り返った。

「それでは、ハード様。失礼いたします」

「お気遣いいただき、光栄でした」

 ハードはそう言うと、静かに微笑んだ。



「もう。レスリー卿、今日はずいぶんと強引ですわね。あの方の珍しいお話がもっと聞きたかったのに」

 ジュグラへの挨拶を待つ列に並んだところで、ソニアが冗談交じりに本音をぶつけると、レスリーは思いがけない真面目な表情で彼女の顔を見た。

「私よりも、あんな貧相な男の方がお好みですか」

「え?」

 ソニアは目を瞬かせる。

「私をまいて、あんな粗末な服の、得体の知れない男とずいぶん親し気に話しておったではないですか」

「普通の会話をしていただけですわ」

「少々、妬きました」

 レスリーは率直に言った。

「あの男、本当に自分を騎士だと言っておりましたか」

「ええ。ナーセリの騎士様と」

「胡散臭いですな」

 レスリーは首を振った。

「騎士にしては、腕など私の半分くらいの細さしかなかった」

 そう言って、己の腕に力を込める。仕立てのいいシャツ越しにも、硬い筋肉がぐっと盛り上がるのが分かった。

「武勇の国といっても、ナーセリもたかが知れておりますな。あんな優男が騎士を務められるのであれば」

 レスリーの言葉に、ソニアはハードを振り返る。

 しかしどこへ行ったものか、ハードの姿はもう見えなかった。





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[一言] レスリーくんからそこはかとなく漂う三下臭 見せ(魅せ?)筋自慢して、本能で恋敵出現に勘付いているところは鈍そうなハード氏より遊び慣れてるというかソッチの嗅覚は鋭いのね、って感じです。 魔人が…
[良い点] レスリーに筋肉があるとは意外でした! 効率的に筋肉を使えるのかどうかは別としても、ちゃんと鍛えているのは好感度高い……! 勝手に、うさんくさいイケメン優男だとばかり。 政治談義ができて社…
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