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ジュグラ

 ジュグラの屋敷の車止めには今日もいくつもの馬車が並んでいた。

 整理係の使用人が駆け寄ってくると、エドは少し気取った様子で自分の馬車の車体を示す。

 そこに描かれたリッカード商会の紋章を見ると、使用人はすぐに馬車を奥まった場所に案内する。

「お嬢様、着きましたぜ」

「ええ」

 手鏡を取り出して、風で乱れた髪を直すと、ソニアは馬車を下りた。

 隣に止まっている、若き貴族レスリー卿の紋章の付いた馬車はもう空っぽで、御者が馬の汗を拭いていた。

「やあ、どうも」

 その御者と顔見知りのエドが気さくに声を掛ける。

「ご主人様はもう中ですかい」

「ああ。これは、リッカードの」

 振り向いた御者は、ソニアを見て丁寧にお辞儀する。

「ええ。我が主人は一足先に中に」

「そう、ありがとう」

 ソニアは、黒々とした屋敷を見上げた。

 メルタ王国の政財界全てに暗然たる権力を持つジュグラ・フロントは、ソニアの父率いるリッカード商会にとっては絶対に疎かにできない相手だ。

 けれど、そのはっきりとしない出自や背景は、彼に得体の知れない不気味な印象を与えていた。

「じゃあ行ってくるわね」

 馬の首筋を叩きながらさっそく煙草をふかし始めたエドにそう声を掛け、ソニアは歩き出す。

「へい。お嬢様、どうぞお気を付けて」

 晩餐会に行くのに、気を付けてとはおかしな呼びかけではあったが、ソニアもあまり変には思わなかった。

 それは、先ほど見たあの不吉な男のせいかもしれなかった。



 屋敷の大広間に通されると、すでに幾人もの客が立ち話をしていた。

 話したことのある人間もいれば、顔だけは知っている人間もいる。どこの誰だか全く想像もつかない、という人間はいない。

 今日は立食形式の晩餐会だけあって、出席客の数が多い。

 ジュグラ卿は、こういう目的のよく分からないパーティを時折開催する。

 参加する者にとっては、ジュグラ卿との関係を抜きにしても、人脈を作るうえで大いに役立つ。

 呼ばれれば参加しない手はないのだが、ソニアの侍女たちは同行を嫌がった。

 父が参加するのであれば、男の使用人を連れてくればいいだけだが、娘であるソニアが来るには侍女の方が何かと都合がいい。

 だが、一緒に来る勇気のある侍女はもう一人もいなくなってしまった。

 なぜだろう。

 なぜ、侍女たちはそこまでこの屋敷を恐れるのか。

 大広間の高い天井から吊るされた大きなシャンデリアを見ながら、ソニアはそんなことを考える。

 確かにこの古い屋敷は、あまり気分のいい場所ではない。

 打ち捨てられた古城をジュグラ卿が買い取って、中を今風に改装したのだという話だ。

 だからさびれた外観とは異なり、屋敷の中は驚くほどに洗練されている。

 無論、それでもあちこちに古さを感じさせる傷みや汚れが見え隠れはしている。

 特に、壁や床のところどころにあるシミは、時に人の顔や魔物の姿のように見えたりもする。

 それが、侍女たちには気味が悪いのだろうか。

 リッカード商会の屋敷は、こことは正反対だ。父が建てて間がない新しい屋敷は、そういった不気味さとは無縁だ。

 そんなことを考えていると、不意に自分の前に誰かが立った。

「レスリー卿」

 ソニアは相手に気付き、丁寧に膝を折って挨拶をする。

「お会いできて嬉しゅうございます」

「私こそ」

 長身の美丈夫は、甘い笑顔を浮かべる。

 若い野心家の貴族レスリー卿は、ジュグラのパーティの常連だった。ソニアにも積極的にアプローチをかけてくる。

 ハンサムな彼から言い寄られるのは、ソニアも悪い気はしなかったが、彼の一番の目当ては自分ではなく父率いるリッカード商会の財力だということは分かっていた。

 父は「レスリー卿の家格が、あともう少し上だったなら良かったがな」と笑っていた。

 平民から己の才覚だけで商会を興した父には、中位貴族の彼では娘を嫁がせるには家柄が物足りないのだ。

「ソニア嬢、本日はお一人ですか」

「ええ。目ぼしい使用人は皆、父が連れて行ってしまったものですから」

 ソニアは微笑む。

「家に残っているのは、用心棒のような荒くれ者ばかりで」

 それは言い過ぎというものだったが、そう公言するのは用心のためでもあった。

「そうですか。なら今宵は私があなたのエスコート役を務めましょう」

 レスリー卿は笑顔で言うと、ソニアの手を取った。

「まあ、そんなもったいないこと」

 恐縮するソニアに構わず、レスリー卿は半ば強引に広間の奥へと進む。

 そこに、ジュグラの忠実な腹心で代理人を務めることの多いドバルという中年男がいた。

 恰幅のいい身体を揺すりながら、にこやかにほかの客の相手をしていたドバルは、レスリーとソニアを見ると目を細めた。

「おお、これはこれは。お二方おそろいで」

「お招きいただきありがとうございます」

 レスリーが如才ない笑顔で言った。

「麗しいご令嬢が、なんと本日はお一人でいらっしゃったとおっしゃるのでエスコートを」

「リッカード商会のソニアでございます。ドバル様、お久しゅうございます」

 ソニアも笑顔で挨拶し、差し出されたドバルの手を握る。

「父と母が海外に行っておりまして。本日は代理として参りました」

「伺っております。ご商売がうまくいかれているようで、何よりだ」

「全て、ジュグラ様とドバル様のおかげでございます」

「私など、何も。全ては我らが主ジュグラ様のお力かと」

 ドバルは柔和な笑顔を崩さすにソニアの世辞を受け流す。

「間もなくジュグラ様がいらっしゃいます。もうしばらくお待ちを」

 その時、わけもなく、ざわり、とソニアの背筋を寒気が走った。

 夜会服が薄すぎただろうか。

 そっと自分の二の腕をさすったソニアを、ドバルは笑顔のまま見つめた。



 ソニアが壁際に下がってレスリーと話していると、客たちから拍手が上がった。

 このパーティの主催者ジュグラが姿を現したのだ。

 客たちに囲まれていても、長身の彼の銀色の短髪が見えた。

 次々に差し出される手を鷹揚に握り返しながら、ジュグラはゆっくりとドバルの控える主催席へとやって来る。

 広い肩幅と短く刈り上げた真っ白な髪は、かつてこの老人が隣国との戦争において比肩する者のない功績を上げた優れた軍人であることを物語っていた。

 軍人として表舞台に立つまで、彼がいったい何をしていた人間なのかについては、さまざまな説がある。けれど結局は誰も本当のことを知らない。

 いずれにせよ、王の絶対的な信頼を得た彼は、その後も功績を重ねるとともに蓄財に励み、引退した今でも国内外に隠然とした勢力を持っているのだった。

「これだけの方々のご列席を、嬉しく思う」

 ジュグラは低い声でそう言うと、ドバルが恭しく差し出した杯を手に取った。

「どうか、楽しいひと時を。乾杯」

 パーティが始まると、ソニアはさっそくお得意先の貴族や商人のところに顔を出し、愛想よく挨拶をした。レスリーはどうやら今日は本気でエスコート役を務めるつもりらしく、ずっとソニアに付き添っては自分も挨拶をするものだから、話した何人かからは二人がもう婚約でもしたのかと誤解された。

 それはソニアにとっては迷惑でもあり、少し心が浮き立つようなことでもあった。

 目ぼしい相手を回り終え、中年貴族に捕まったレスリーをうまく巻いたところで、ソニアは目立たない壁際に戻り、一息ついた。

 後は、行っていないのは主催のジュグラのところくらいか。

 腹心のドバルに挨拶したとはいえ、主人に挨拶しないわけにはいかない。

 しかしジュグラを見ると、案の定、彼の前には挨拶の客が列をなしていた。

 もう少し落ち着くのを待とう。

 そう思って周囲を見たソニアは、そこに一人の場違いな男を見付けた。

 所在なさげに壁際に立ち、誰とも交わることなく突っ立っているその男は、先ほどここに来るときにすれ違ったあの旅の男に他ならなかった。

 もう旅装は解いてはいたが、それでも皆がきちんとした礼装や夜会服に身を包んでいる中で、いかにも粗末な身なりの男は、嫌でも人目を引いた。

 現に、彼を見てひそひそと囁き合う客も一人や二人ではない。

 ナーセリの騎士。

 魔人を討つために生きる、異国の戦士。

 若く頼りなさそうなその風貌は、とてもそんなイメージとは重ならなかった。




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[一言] 傷心を癒すには愛ですかね!(ワクワク
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