破滅の魔女は眠れる世界で殺戮を繰り返す9
辿り着いた先は警備員すら常駐しているような高級マンションだ。
私とは縁遠い世界を見上げる。正直こんなところに住みたいとも思わなかった。床も壁も高そうな材質で、そこを歩くだけで神経が磨り減りそうである。
「突入するぞ」
唐津屋先生が到着と同時に耳を疑うようなことを言う。
「え?令状は?」
「俺が令状だ」
は?何言ってんの、この人。頭アスベストにでもなった?
かくゆう私も令状なしで捜査を断行したことがあるので強く拒否できないわけだけど。善華は呆れてはいるけど慣れた様子で、奏芽は困惑して私に視線で訴えかけている。
許してほしい、奏芽。私も先生の横暴を止められない。
「おい、おっさん。てめーもグルだろ?なんか言えや!」
窓の隙間に手をねじこんで警備員の胸倉を掴む教師の姿から私たちは何を学べばよいのだろう。唐突な出来事で油断していた警備員は目をひんむいて悲鳴を漏らした。
「うわー、この人やっちゃってますね」
奏芽もドン引きの課外授業である。
「先生も大概おっさんですよ」
「口を慎め、坂月。俺はまだ二十代前半だ」
「なんなんですか、あなたたちは!」
「黙っとけよ。会話に割って入ってくんじゃねえ。俺は今生徒と話してる。聞かれた時だけ口開けろや」
なんか……もう無茶苦茶である。ドン引きである。
犯罪者を追ってる私たちのほうが先に逮捕されるのではないかと不安になる。奏芽もすでに思考を放棄したようだ。目はがっつり開いているけど焦点が合っていない。ここではないどこかに旅に出ているようだ。
そうしてる間も、唐津屋先生は警備員の体を自分のほうに引き寄せて窓に顔面をこすりつけるという蛮行に及んでいる。
いや、なんかもう私が先生を連行しようか?
「そんで、何階にいる?」
「いや……なんか具体的にはわからないですね。ここだって確信はあるんですけど、ぼやけてるっていうかなんていうか」
「そりゃそうだわな」
何がそうなんだろうか。何の説明にもなってない。善華のほうに目をやるけど、どうやら彼女も承知しているみたいだった。
そのことから察するに、まだ名前を教えてもらってない佐藤の協力者は奏芽の感覚を狂わせる類の異能を有しているということになる。
「えっ、原因知ってるんですか!」
「説明がめんどい。親切な坂月先輩が教えてあげるもんだと思ってたんだがなあ」
唐津屋先生はどこか遠くを見るように天を仰いだ。いちいち仕草がわざとらしい嫌味な先生である。善華から皮肉の一つや二つ聞けるかと思っていたら、そんなことはなく、なんだかやけに大人しくかった。
いや、考えないようにしてたけど、やはり私に気を使ってるのだ。
だけど、これ以上黙っているのは不自然だと判断したんだろう。善華はおもむろに口を開いた。
「漆野時哉。小坂井結菜と同じくブラックリストに記載されてる要注意人物よ」
「有名なんですか?」
「もう少し自分の仕事に対して真摯に取り組んだほうがいいんじゃないかな、奏芽くん。漆野時哉はともかく小坂井結菜を知らないのは問題だわ」
「う……すいません」
「犯罪歴こそないけど、危険な思想の持ち主として上層部にマークされてる。私たち下っ端には無縁の存在だけど、一応私たちのチームの権限で閲覧できる情報の範疇よ」
私はそいつを知っている。
記憶の中の彼は、レジスタンス気取りの大罪人である。ナナシの最大の敵。学園を戦場に変えた革命家。私たちの日常は漆野時哉によって壊された。
震えがとまらない。頭痛に襲われ、吐き気を催す。
唐津屋先生から見えない位置で善華が手を繋いでくれた。その手の温もりが少しだけざわめく心を落ち着かせてくれた。私がどれだけ過去にトラウマを抱えているのか痛感させられた。
だけど、思い出せてよかったこともある。
私の記憶の最後。ナナシと一緒にいた三人の中の一人は彼だ。彼に漆野時哉に会えば何か分かるかもしれない。
「おい、てめえ。早くドア開けろや。公務執行妨害で逮捕すんぞ」
「お、横暴だぁ!」
警備員の可哀想な彼に同情を寄せる。ついに彼を救ってくれる人物は現れなかった。