彼方より君に捧ぐ4
心配は杞憂に終わった。
戦闘向きではないけど一応奏芽も訓練を受けている。信用してないわけじゃないけど不安もあった。だけど、奏芽はきちんと役割をこなしたようだった。
「あ!沙奈江さん、捕らえましたよ!そっちはどうでした?」
「頭を捻り潰してやったわ」
「うげ!出来ればその現場見たくないですね……」
奏芽が拘束している男はフードを深く被っていてほとんど顔が見えない。抵抗する素振りを見せるので奏芽も迂闊なことができないようだ。
「あ、ちょ!こいつ結構力が強いんですよ」
「……もしかして!」
想像していた形とは違うが、やはり私の嫌な予感は的中していた。フードを引っぺがすと、そこにあったのは生きた人間の顔じゃなく、私が破壊した死体と似た青白い生気を失った顔だ。
「これは……!」
「犯人にしてやられたわね」
「他に痕跡は?」
「……わかりません。俺が辿れる範囲じゃ異常は何一つないです」
それを聞いて私は即座に動く死体の頸椎を踏み潰すように折った。奏芽は顔をしかめたけど、善華は当然の流れのように表情を崩さず死体に触れた。
「だめ。追えない」
追跡する術が途絶えた。噛みしめる歯にさらに力がこもる。
犯人は私たちの存在に勘付いて迅速に撤収した。学園でも最高峰の探索能力を有する二人から痕跡を消すことができたのだ。相手のほうが一枚上手だと認めねばならない。
しかし、諦めるわけじゃない。私が頭部を潰したあの死体。アレから手掛かりを得られる可能性に賭けた。
急いで来た道を引き返す。善華はすぐに後をついてきたけど、奏芽は死体を持ち上げるのにもたついて遅れた。心配ない。すぐそこだ。だから、目の前の光景に私は愕然とした。
「死体が、無くなってる」
ぶちまけた脳みその一欠片すら跡形もなく消え去っていた。戦闘が起こったことすらなかったことにされていた。一瞬のことだ。なんという手際の良さ。一枚どころじゃない。何枚だって上をいってるかもしれない。
「善華」
「だめね。深く潜れば辿れるだろうけど、今すぐは無理。気持ちを切り替えて現場を検証することをお勧めするわ」
「……必ず手掛かりを見つけ出して。頼りにしてるから」
「当然ね」
記憶を司る異能の力のせいか、善華は気持ちを引きずらない。
良く言ってもサバサバした性格。人によっては冷酷無比。私はその性格に何度も助けられたけど、彼女を悪魔と罵る人もいる。けど、彼女にとってはどうでもいいことなのだ。
ともかく私は善華に引っ張られるように気持ちを切り替えることにした。
「人体実験?肉体改造?してた場所に行くんですよね?うげー、なんか嗅ぎたくない匂いとか充満してそうで嫌ですね」
「別に来なくていいのよ?」
「いやいや、行きたくないとは言ってないじゃないですか!除け者にしないでくださいよー!」
善華が面白がって奏芽に意地悪を言うのはいつものことである。
そこは地下にあった。奏芽がわずかな匂いを嗅ぎわけて、ようやくそこが現場なのだと認識できる。だって、この部屋には証拠となるものの一切がなく、まさにもぬけの殻だった。ただ違和感はある。ここは廃墟の中という割にはあまりに綺麗すぎる。だけど、奏芽にここだと言われなければ気づくことができなかったかもしれない。
「善華の記憶には、こんな芸当ができる人物のリストってないの?」
「何人かはいる。だけど、外道に手を貸すような人物に絞ればいないわね。念のため脅迫された線で調べてみる」
「ここで手掛かり見つかれば越したことないんですけどね」
「そうね……奏芽、沙奈江、潜るから何かあった時はよろしく」
善華の記憶を司る異能は、対象に長く触れ続けることによってより多くの情報を得ることができる。その間、善華が無防備になるため、危険な場所でそうする必要がある場合、私たちが彼女を守る役割を担っている。
そして、善華が中央に置かれた金属製のテーブルに触れると、彼女の表情に若干の翳りが見られた。
不安に駆られた。彼女がそんな顔をするなんて珍しい。何か良からぬことが起きている。そう予感させられる。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないわ。働きづめで少し疲れただけよ」
本人がそう言うならこれ以上の心配は失礼に値する。だけど、とてもそんな風には見えなかった。
「ここで私たちがやるべきことはもうないわ。あとは検証班の到着を待って撤収しましょう」
「……まあ、善華がそう言うなら」
「あれ?もういいんですか?俺も全く手掛かりなしですよ。匂いぐらい残ってると思ったんですけどね」
「ワンちゃんはそろそろ小屋でくつろぐ時間よ」
「室外犬ですか!」
「突っ込むとこそこなの?」
奏芽の飼い犬チックなノリに苦笑しつつ、私たちは夕方には事務所に戻る手はずになった。
善華の言葉に納得できたわけじゃない。だけど、時間が経つにつれてそのもやもやは薄れていって、しまいにはそのもやもや自体がなかったことになる。それがなんだか途轍もなく恐ろしいことのように思えた。だけど、私はそう思ったことでさえ帰路についたころには忘れていた。