破滅の魔女は眠れる世界で殺戮を繰り返す10
「漆野時哉の異能は極めて特殊だ。範囲内にいる他人の異能を奪い、さも元々自分のモノであったかのように高い練度で使いこなせる」
「えっ、じじじじゃあ、俺能力盗られてるんですか?めちゃ大変じゃないですか!」
「ぎゃーぎゃーわめくな。うるさいな。俺が心配してねーんだから、おまえが心配すんな」
「だだだって、俺のことですよ?」
いつもの調子の唐津屋先生に対して動揺しまくりの奏芽が抗議する。奏芽の場合、異能が感覚に直接影響を与えているから他の人より恐怖の振れ幅が大きいのかもしれない。
「奪われるのは一時的なことよ。彼の支配する範囲が抜け出せば何の後遺症もなく力は戻ってくるわ」
「本当ですか!それなら安心ですね!でも、やっぱ怖いですよ!」
今目指しているのは、奏芽の索敵でボヤけて判別がもっとも付かなかったエリアだ。高層マンションのちょうど真ん中あたりの階層。フロア一つをまるごと賃貸するという庶民には想像もできない建物の中をエレベーターで上昇していく。
「はぁ……おまえらには見せたくなかっただがしょうがない」
これみよがしに嘆息する。もったいぶらずに早く異能を使ってほしい。唐津屋先生のものは一度も目にしたことがない。
……いや、ある。一瞬だけ脳裏を過ぎった。私は唐津屋先生の異能をかつて一度だけ目撃したことがある。だが、それを確信するだけで、それ以外の情報は残念ながら私の記憶は引き出してくれなかった。
「そんなに出し惜しむなら出さなくていいですよ?私から上に報告しておきますので安心ですね」
「なにが安心なんだ。まったく、可愛げがねえなぁ」
唐津屋先生がすっと手をかざすと、黒い霧のような球体が出現する。私の本能が危険なものだと警笛を鳴らした。
善華も奏芽もよく平然としていられるものだ。こっちは逃げ出したくなる衝動を必死で抑えているのに。
「蓮代寺、無理するな。俺の異能はいわば相手の恐怖を映す鏡だ。対象を絞っているが、直視すると影響を受けるぞ」
「先生が生徒を気にかけるなんて気が触れたんですか?」
ありがとうございます、と礼を言う前に善華が突っかかる。その裏側では私の手を繋いでくれてるのだから、善華が男だったらホレる女性も多いのではないか。
ぶっちゃけると私も最初の頃は善華と接触することに抵抗があった。触れただけで相手の全てを見透かすのだから、誰だって彼女を知らないうちは警戒する。でも、段々と善華を知っていくと、絶対にそんなことをする不躾な人間じゃないって分かる。
彼女の手はひんやりと冷たかったけど、少なくとも私の心は温められた。
「俺は苦しんでる顔が好きじゃないんだわ。犯罪者は別だが」
なんだか唐津屋先生らしからぬ陰のある言動に、善華も茶化すのをやめたみたいだ。善華のことだから、案外唐津屋先生の過去を知ってるのかもしれない。ちょっと気になったけど今聞くようなことでもなかった。
「とにかくまあ、俺の異能は対象の名前と顔を知ってれば発動する。発動すれば対象の位置も把握できる。その他一切は秘密だ」
「たくさん買ってますからね、恨み」
「転売できる?」
「いりません」
そんなやり取りをしているうちに、唐津屋先生が押した階に到着する。対象に近づくにつれて唐津屋先生の異能が徐々に形を変えていく。敵が何を恐れているか明らかになっていくわけだ。
なんという恐ろしい異能だ。身の毛がよだつ。名前と顔が一致すれば、唐津屋先生に勝てる人間なんていないかもしれない。能力の一端だけでそう思わせるのだから底知れない。そして、先生は全生徒の本名と素顔を閲覧できる立場にある。彼がこの学園において無敵である条件が整っているのだ。
なんで先生が大人しく風紀委員会の顧問程度に収まっているのか疑問にさえ思う。
「蓮代寺、出番だ」
ドアが開く直前、先生がそう言った。
一瞬の戸惑いののち理解する。容疑者が窓から逃亡を図っているのだと。中腹とはいえ高層マンションから飛び降りるなんて自殺行為だ。可能性があるとすれば、空を飛べる異能者が協力しているということ。
「先輩!逃げられます!」
奏芽も察したのか大声を上げる。
そう、肉体労働は私の役目。お生憎様。私も空を飛べるから目論見は外れるね。
窓ガラスが割れる大きな音が響く。それを合図に私はドアを蹴破り、部屋の中に突入した。いかにもな内装と家具が高級感を演出していたけど今の私には関係なし!あとで請求書が届いても負担は唐津屋先生に任せるとしよう。
なんて冗談も言ってられない。すでに容疑者は超低空スカイダイビングを決め込んでいた。全速力で追いかけ、私も空に飛び出した。
数は三人。勘定が合わないけど、あの中におそらくゴーストウィスパーはいない。フードを深くかぶった黒づくめの男が男を一人担いで、その反対側の手で別の男の手を握っている。
担がれている男はすぐに分かってた。悲鳴を上げて必死にフードの男の服を掴んでいる。その男は佐藤耕作だ。心の準備もなしに空の旅に連れて行かれたのだろう。その顔は恐怖に染まっていた。狐のような鋭く細い目が人相を悪くしているうえに金髪だから見た目だけなら素行が悪い少年である。
「待ちなさい!」
呼びかけに応じないとわかっていても一縷の望みをかけて試みる。意外にも、私の声に反応して佐藤とは反対側にいた男が振り返った。
「え……?」
不敵な笑みを浮かべるその人物を私は知っていた。
捜査資料とかブラックリストからじゃない。実際に会ったことがある。銀灰色の髪に青い瞳。まるで絵画の世界から飛び出してきたような繊細さと美しさをもつ整った顔。
激しい嫌悪感が私を襲った。
ああ!私はこいつを知っている!こいつは……こいつは私が止めないといけない!
湧き上がった感情が何なのか私はそれを認識できない。代わりに、頭痛と吐き気に見舞われる。私の記憶がその過去を呼び起こすまいと足掻いてる。
でも、はっきりと分かることがある。
革命の最後、私たちのリーダーであるナナシと一緒にいた三人。その中の一人が彼だ。
漆野時哉。私はあなたに聞かなければならないことがある。