好物は今日からこれ。
食欲を唆る匂いがキッチンの方から漂ってくる。
エンゲルから柄の悪い女性と、言い合いをしていた男の紹介を受けながら、その匂いの物を待っていた。
柄の悪い女性の名前はアイビス。
先ほどまで地面に這いつくばっていたが、エンゲルがソファに移動させてあげていた。今は涎を垂らしながらイビキを掻いている。
この店の店主という名目で毎日タダ酒を食らっている不労者。
ああ見えて弓の名手である彼女は、狩りをさせれば右に出るものは居ないらしい。
弓なんて繊細なもの扱えるのか?と、疑問に思ったが深く追求しないことにした。
そして今はテーブルとキスをしている長い髪の男。
彼の名前はヴィンセント。
この街のリーダーであるエンゲルの父の右腕。この街にとって欠かせない人物のようだ。
「レイヴンも見ての通り僕らの街は貧しい。
目の前にはセレクティオ王国。そして周りの大半は年中雪に覆われた雪山だ」
「確かに、森の中よりここは寒いな」
「そう。だから作物もまともに育たないし、生き物の数も少ない。
それと貧しい理由はもう一つある。
セレクティオの王都は小さな森を囲むように造られているのは知ってる?」
「いや…俺はあまり詳しくないんだ」
「なら説明するね、その森は精霊の森と呼ばれていて、森の中央には大きな木があるんだ。
その木は生命の樹と呼ばれ、魔力の元となるマナを生み出す元になっている。
そのマナの放出範囲をセレクティオが抑えているせいで、この付近にあるマナはかなり薄い」
「なるほど…森にいた時より魔力の回復が遅いのはそのせいか…」
「そうなんだ。だからセレクティオから離れるほど、マナで育つ作物は育たなくなる」
「なぜセレクティオはそんなことをするんだ?」
「勿論、自分たちの豊かさの為と僕らのような反乱分子が勢力を伸ばさない為。だろうね」
酷い話だとは思いつつも、父や母がセレクティオの騎士だったという事もありかなり複雑な気持ちだ。
「だからその現状を打破する為に、僕らは活動している。
セレクティオは今ノヴァレスの残党である僕ら、それとアルデンティア帝国に挟まれる形になっている。
どちらにも大きく兵を駆り出せない今、規模の小さい僕らでも、どこか一部を崩すことができればセレクティオに大打撃を与える事ができる」
「なるほど…アルデンティア帝国は攻め込まないのか?」
「それに関してはセレクティオと同盟関係にあるエルフの国“ヴァルカリア王国“が弊害になっているんだ。
帝国が大軍を率いてセレクティオに攻め込むにはヴァルカリアの領土を通るしかない。大手を振って通るのは不可能。
だからセレクティオと帝国の間の渓谷を通って小隊を送るのが今の帝国の精一杯だ。
いくら帝国と言えどセレクティオとヴァルカリアの両方を相手にはできないからね」
「何故帝国はセレクティオと争ってるんだ?」
生きてきて殆ど聞いたことのない話に、疑問符ばかりが口に出る。
「僕も詳しくはないんだけど、帝国は魔力を使うことを快く思っていないみたいなんだ。なんたってドワーフは魔力の素養が皆無だからね。
だから根源たる生命の樹を消すのが彼らの目的かな?」
「それは困るな…魔法が使えなくなったら不便じゃないか」
「まぁ魔法が使えない帝国から見たら脅威なんだろうね。
その代わりに帝国は技術力が高いんだ。電気で動く機械なんかを使うらしい。
武器も銃とよばれる遠距離に特化したものを多く使うみたい」
そうこう話しているとキッチンの方から、ルミナスさんが芳醇な香りを漂わせる料理を持って現れた。
「お待たせ。3人ともお腹空いたでしょ?」
「ルミナスさんの料理が食べれるなら、僕はいつまでも待てますよ」
エンゲルがニコニコ笑いながら体を揺らす。
俺も目の前に置かれた料理の香りを嗅ぐだけで、涎が溢れそうになる。
「どうぞ、ゆっくり食べてね」
「いただきます!」
「いただきます…」
手を合わせ目の前の肉にかぶりつく。
「う…美味い…」
信じられないほど柔らかな肉。
俺が知ってる竜の肉は噛み切るだけでも精一杯だったというのに…
味も絶品だ。
口に入れた後に鼻から抜ける匂いが二重の満足感を与えてくれる。
無心で食べる事だけに全ての神経を注ぐ。
気付くと目の前の肉は姿を消していた。
まるで魔法にかけられたような気分だ。
「ご馳走様です。美味しかったです」
「いいえ、お口に合ったみたいでなによりだわ」
ルミナスは皿を洗いながらニコッと微笑みを返す。
さっきは地面に転がるゴミを平然と踏みつけるヤバい人だと一瞬思ったが…
今となっては女神に見える。
いや、女神にとって道端に転がるゴミなど目につかぬのが道理…
さっきの出来事はそこに転がっているゴミが悪かったのだ。
一種の洗脳のようなものを受けているとガチャっと開く扉の音がした。
見ると先ほどエンゲルがルミナス様を連れてきた扉から、赤毛で顎髭を生やした大男が現れた。
「よお、相変わらず美味そうな匂いがするもんだから出てきちまった!ガハハ!!」
「ちゃんとガイストさんの分もありますよ」
男はドン!と俺の隣に腰掛ける。その振動は店を揺らす程の威力だった。
店が揺れた事への驚きよりも、それでも尚壊れる事なく、自らの存在意義を証明し続ける椅子に驚いた。
「おう、坊主がさっきエンゲルが言ってた奴か!」
バンバン!と俺の背中を叩きながら男はガハハ!と笑っている。
痛い…どんなパワーをしているんだ…この大男は…
口から先ほどの肉が飛び出そうになる。
いや待てそれよりも…見た目のインパクトに驚いて聞き流すところだったが…
この大男、ガイストと呼ばれていなかったか?
「なあ!アンタ…」
父の日記に書かれた男の名前…
同一人物かどうかを確かめようとする俺に男は言った。
「随分デカくなったな」
聞くまでもなく確信に変わる。
この男は父の知り合いだ。