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√正義  作者: ニンゲンモドキ
√A
2/7

思い出と共に。

 風が、紅葉を静かに揺らしていた。


 木々の隙間から差し込む光が、墓標の輪郭をぼんやりと照らしている。


 両親の墓の前で、俺は一人、これからのことを考えていた。


 父のことを尋ねたのは、随分昔のことだった気がする。


 王国の騎士だった父は、俺が生まれる前にこの森へ移り住んだらしい。

 人里離れたこの場所なら、母の体に少しでも穏やかな日々を与えられると信じて――。


 その願いは、ほんの少しだけ報われた。

 母は俺を産み、弱った体で7年間生きた。


 騎士だった頃の話はあまり語らなかった父だが、

 一度だけ、子どもみたいな笑みでこう言ったことがある。


 「それなりには強かったんだぞ」と。


 あの時の父の表情が、ふと脳裏に浮かんでくる。

 頼りなくて、でも誇らしげで――俺は、その時の父がどんな想いだったのかわからない。


「騎士、か……」


 父から教わった剣と魔法。

 俺もあの背中を追って、歩いてみるのも悪くないかもしれない――


 そう思いかけた瞬間、視界の隅に蒼い影が映り込んだ。


 ヒラリ、ヒラリと空を舞う、一匹の蝶。

 その羽は透き通るような青で、秋の紅葉に溶け込まず、むしろ鮮烈に浮かび上がっていた。


「……綺麗だな」


 この時期に、蝶なんて珍しい。

 それに、どこか懐かしい気配がある。


 まるで父さんと母さんが――ここにいるような、そんな気がした。


 この森は、二人と過ごした思い出がすべて詰まっている場所だ。


 無理に離れる必要は、今はまだない。


 もう少しだけ、ここで――


 母の十年目の命日も近い。

 それまでは、このぬくもりの残る場所で、ゆっくりと考えていよう。

 今後のことは、それからでも遅くはないだろう。


 蒼い蝶が、陽の光を受けながら高く舞い上がっていく。

 その姿を見送って、俺は静かに墓前から背を向けた。


 それから三日が過ぎた。

 穏やかな時間に包まれていたはずの森が、その日、突如として喧騒に染まる。


「ゴァァァァァァァ!」


 空気を震わせる咆哮に、反射的に家を飛び出す。


 森の入り口で、陽を遮るように立ちはだかっていたのは、全長三メートルを超える竜の姿だった。


 重々しく蠢く体躯。

 魔力は感じないが、こいつは体内のガスを火花で引火させるタイプだ。

 家の近くで暴れさせれば、一発で灰になる。


 忌々しげに舌打ちしながら、俺は剣の柄に手をかけた。


「……面倒な奴が来たな」


 何度か父と倒したことがある。

 肉は硬く、臭みも強く、狩ったところでサイズ的に食いきれない。


 加えて今のこいつは、異様に荒れている。

 敵意がなければ、やり過ごす事もできただろうが。

 よく見ると、体のあちこちに斬り傷や裂傷が走っていた。


「誰かに襲われて逃げてきたってわけか……」


 とばっちりもいいところだ。

 仕留め損ねて他所へ逃がすなど、三流の所業だ。


 しかし今さらそんな文句を言っても仕方がない。

 こいつをここで止めねば、第二、第三の被害が出るだけだ。


 竜の喉元から、微かにガスの匂いが立ち昇る。

 火を吐くつもりか。


 瞬間、地を蹴り、竜の懐へ滑り込む。


 その口を――一閃。

 火打石の役割を果たす歯を下顎ごと斬り落とす。


「アアアアアアア!!」


 苦痛の叫びを上げて竜が後退する。


「これで火は吐けないな」


 俺は一歩、足を踏み出した。


 竜の黒い瞳に、ほんの一瞬だけ恐れの色が映った。

 勝ち目もなく、分の悪い戦いだと理解したのだろう。


 逃げ道を探すように、竜は大きな翼を広げ、空へと浮かび上がる。

 だが――


「逃げられると思うなよ」


 左手をかざし、魔力を一点に集中させる。


 放たれた冷気が、竜の翼を凍てつかせる。

 そのまま、竜の巨体は音を立てて地へ叩き落とされた。


 地鳴りのような衝撃の中、俺は一歩ずつ歩を進める。


 飛べない、炎も吐けない、動きも鈍い。

 もう、ただの巨大なトカゲだ。


 竜は最後の抵抗とばかりに尻尾を振り回してきた。

 だが、下から上へ振り上げた一撃が、その尻尾を根元から断ち切る。


「……ヴ、ウア……」


 満身創痍。

 それでも竜は、なお突進してきた。


 無闇に殺傷をするつもりはないが。


「……仕方ない」


 俺は一息だけ、言葉を飲み込む。


 そして、胸元へと剣を突き立てた。


 切先に氷の魔力を流し込む。

 剣に掛かる重さが、命の終わりを知らせる。


「……悪かったな」


 深く息を吐き、剣を引き抜いた。


 地に崩れ落ちた竜はもう動かない。


 不本意ではあるが、奪ってしまった命の責任は取らざるを得ない。


 「命を奪ったなら、その責任は忘れるな」

 ――父の口癖だ。


 不味くても、食うしかないか。


 俺は竜の死骸を見下ろし、苦笑しながら呟いた。


 竜の処理をどうすべきか悩んだ俺は、ふと思い出して書斎へ向かった。

 父がかつて使っていた、小さな部屋だ。


 病を得てからはほとんど使われていなかったせいか、埃の匂いが鼻を突く。


 書棚に並ぶ本も、どれも見覚えのあるものばかりだ。

 今さら新しい知識が転がっているとも思えない。


「やっぱり、ないか……」


 諦めかけたとき、窓際に差し込んだ光が、一冊のノートを照らした。


 机の上にぽつんと置かれたそれは――父の日記だった。


「……覗き見は……良くないよな…?」


 俺が日記の書き手なら、人様に見られるなんてごめんだ。

 だが、背に腹は代えられない。


 目を閉じ、胸に手を当て、一呼吸入れる。


「我が親愛なる父よ。この愚息を……どうか、お許しください」


 冗談混じりにそう呟いて、俺はそっと、日記を開いた。


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