告白
「私さ、多分瀬川くんのこと、好きみたい」
そう切り出された刹那、秒針がカタッと止まった気がした。
瞬きすらせずに、その場で彫像のように固まる俺。そんな俺の様子を見て、桜宮先生は続ける。
「あ、いきなりごめんね。困るよねこんなこと言われたら」
「いや、そんな……」
「少しだけ自分の話してもいい?」
「あ、はい」
言葉少なめに返事をする。思ってもみなかった展開に、うまく思考が纏まらない。
熱に浮かされているときのような、現実から乖離した感覚に陥っている。呆然としている俺をよそに、桜宮先生は、苦笑いを浮かべて。
「私ね、高校までほとんど男の子と話したことなかったんだ。ずっと女子校だったし、お父さんも過保護で私に近づく男の子は許さないみたいな……そんな感じで。だから、ちゃんと異性と話すようになったのは、大学生になってからかな」
「そうなんですか」
「うん。当然、これまで恋愛したことないわけだから、恋愛には人一倍興味があったの。……サークルってわかるかな?」
「部活みたいなやつですよね?」
「そうそう。でさ、なんとしても恋愛したい私は、恋愛するキッカケを作るために、サークルの新入生歓迎会ってものに参加したの。男の子と知り合えればよかったから、サークルの内容はなんでもよくて、初めに声をかけてくれたテニスサークルの歓迎会に参加させてもらった」
過去を振り返りながら、自分の話をする桜宮先生。話の終着点が少しだけ不安だった。
「そしたらさ、男の人みんな私に優しくしてくれて。お話も上手だし、芸達者な人もいて、すごく楽しかった。言われるがままお酒飲んだりもしちゃって……」
「思いっきり法律破ってますね」
「あはは、ホントね。みんなには内緒だよ。でさ、まぁ想像付いてるかもしれないけど、所謂お持ち帰りをされそうになったわけ。初めてお酒飲んで身体の自由も効かないし、ほとんど抵抗できなかった。というか、これから何をされそうになってるのかもよく理解してなかったかも」
「……」
どう相づちを打っていいか分からず、黙ってしまう。
ただ、目線を逸らすのは憚られたので、苦笑いをする桜宮先生から目を離すことはしなかった。
「幸いにも、私の帰りが遅いのを心配してくれたお父さんのおかげで、未遂で済んだんだけど……それから、男の人にトラウマを抱くようになっちゃってさ。私に近づくのって、結局はそういう目的なんだと……怖くなっちゃって」
幼い頃から同性に囲まれた生活をして、ほとんど男性への免疫がなかった桜宮先生。
いきなりそんな場面に出くわしたら、男に対してトラウマを持っても仕方がないと思う。
桜宮先生は困ったように笑うと、青空を仰ぎ見る。
「そこから、私と同年代以上の男性は全員ダメになっちゃった。自然と距離を置くようになって、事務的な会話以外ほとんど話せなくなった。でも、このままじゃダメだと思って、高校の教師になったんだよね。元々、教えるのが好きだったのもあるけど、年下の男の子となら普通に話せるかなって」
「そうだったんですか」
「うん、ま、最初は全然だったけど、今ではまぁ年下の男の子相手なら普通に話せるようになったって思うよ。嫌悪感や恐怖心も湧いてこないしね。同年代以上の男の人とも、気合い入れれば話せないことなくなったと思うし」
「すみません、知らなくて……それなのに俺、花村先生のこと桜宮先生に勧めたりして……」
「えっ、あ、責めてるわけじゃないんだよ!? 元々、結婚相手は探してたし……でもまぁ、やっぱりトラウマって凄くてさ。どうしても花村先生を恋愛対象には見れなかったな。イケメンが嫌なのも、過去のトラウマが影響してるのかな。いつまでも過去に囚われてて嫌になっちゃうよ」
頬を指で掻きながら、呆れたように笑う。
全然知らなかった。桜宮先生は男女問わず、誰にでも明るく気さくに話しかけてくれる人だと理解していた。
トラウマを持っている印象がなかった。
ふと、前に桜宮先生をナンパから助け出したときに、抱きつかれたのを思い出す。あれも、過去のトラウマの影響なのだろう。そう考えると、腑に落ちる所があった。
「でももう三十路だし、このままだと婚期を逃しちゃう。私、騙されやすいから、将来結婚詐欺とかに遭っちゃうかもしれない。だから、お母さんは私に結婚させたがってるんだ。このまま行くと、一生独り身コースだしね」
「桜宮先生、貢ぎ体質ですしね」
「そうみたいなんだよね。あんま自覚ないけど」
「自覚なかったんですか……」
それこそ、俺が悪意に満ちた人間であれば、桜宮先生から金をだまし取っていただろう。
それくらい、桜宮先生は財布のひもが緩いイメージがある。だから、もし今後、悪い男が桜宮先生に近づけばどうなるか分からない。
同年代以上の男性がダメなのであって、年下がセーフなら尚更だ。若い男が、桜宮先生に近づいて、言葉巧みに金をだまし取り、桜宮先生の心を傷つけるかもしれない。
だとすれば、桜宮先生のお母さん──清香さんが、桜宮先生を結婚させたがっているのも納得だ。お見合い結婚で、あらかじめ結婚相手の人柄を知っておければ、安心だし。
「まぁ、ともかく、何が言いたいかと言うとね?」
桜宮先生は、パンと両手を合わせて話の流れを元に戻すと、焦茶色の髪を揺らして、俺の目を覗き込んできた。
「恋愛経験はないし、ストライクゾーンが年下なの私」
「な、なるほど」
そう直球で言われると、中々インパクトがあるな。
「瀬川くんが私に優しくしたりするからイケナイんだよ? 拗らせてるおばさんはね、簡単に惚れちゃうんだから」
「桜宮先生はおばさんなんかじゃないですよ」
「あ、ほらまたすぐそういうこと言う。そういう優しさの積み重ねだったり、私に尽くしてくれたり、ナンパから助けてくれたり、ピンチの時に飛び出してきてくれたりするから、好きになっちゃった。……ダメだって分かってたんだけどね」
「……そう、ですか」
ここまで自分の過去の話をしてきたのは、俺に「好き」だと告白した理由を話すためだったようだ。
いきなり言われたときはドッキリかと思ったが、今なら素直に正面から受け止めることができる。
「あ、でも、だから責任取って付き合ってとか言うつもりはないよ。これは私の気持ちに区切りをつけるためだから。これからちゃんと婚活して、相手見つけるよ。……身勝手な告白してごめんね。私、瀬川くんには迷惑かけてばっかりだね……」
「あはは」と乾いた笑いをこぼす。
俺は、一度瞑目すると、小さく、本当に小さく深呼吸をした。
その上で、改めて桜宮先生を見つめる。
膝の上で、所在なさげにぎゅっと握られている右手。明るく気丈に振る舞っているが、緊張やら何やら色々な感情が見え隠れしている。
俺は、小刻みに揺れるその右手に左手を重ねた。
俺の手の感触に気がついた桜宮先生は「え?」と、間の抜けた声を漏らす。
だが、俺はそれに気を取られることなく、真剣に、平静を装いながら口火を切る。
「ホント、勝手ですね桜宮先生」
「う……ご、ごめん。言わずに心の中にしまっとくべきだったよね……」
「違います。勝手に告白しといて、勝手に諦めてることを言ってるんです」
「……?」
「察しが悪いですね」
「瀬川くんがそれを言うかな!?」
驚いたように声を上げる桜宮先生。
俺が察しが悪くて、鈍感なのは分かっている。それでも、桜宮先生も大概な気がする。
俺はわずかに微笑を湛えると、真っ直ぐに目を見つめて、左手に力を込めながらハッキリと告げた。
「俺でよければ、桜宮先生の彼氏にしてください」




