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苦手な方はご注意ください。

地獄文庫 クジゴジ 1 「そのビルは木だった」

作者: ゴミ山埋もれの介

9時から書き始めて17時になったら強制終了というルールで書いた物語。

物語の途中でも3行しか書いてなくてもそこで終了。

まさに地獄。読むも書くも地獄の文庫。

野崎がこの公園に暮らし始めてどれくらい経っただろう。

失業してからこの公園で暮らすようになるまでそう時間はかからなかった。

失業で家賃を払うあてもなく住居を引き払い、ネットカフェなどを転々とするうちに手持ちの金も尽き、ついには公園で寝泊まりするようになった。

今は空き缶や古紙の回収で手に入るささやかな金で日々を暮らしている。


深夜から早朝にかけての回収作業を終えた後は特に何をするわけでもなく、公園でぼんやりとすごす毎日だ。

とはいえ東京の中心、高層ビル群に囲まれたその公園で暮らすのは野崎にとって案外悪いものではなかった。


公園のベンチに腰掛けて見上げれば立派なビルがあちこちにそびえる。

新陳代謝の活発な都心の街並みは常に何かが壊され何かが建設されている。その様子を公園から眺めるのが野崎は好きだった。

クレーンが資材を運び、どんどん伸びてゆく高層ビル。

その様子を植物の成長でも見守るように野崎は公園から毎日眺めていた。


周辺で一番新しいビルは先月完成したばかりだ。

ガラスを多用した透明感のあるそのビルにはファッション、飲食、雑貨と様々な店舗が入り、オープン直後の賑わいに包まれている。駅の方から歩いてくる人々が次々とそのビルへと吸い込まれてゆく。

しかしその一方で野崎の暮らす公園へとやってくる人は少ない。

ホームレスのたまり場として有名なせいか、家族連れも買い物客も高層ビルに囲まれた好立地なはずのこの公園を無視し続けている。

ホームレス以外には喫煙場所を失った周辺の従業員たちがタバコを吸いに訪れるくらいのものだ。


キラキラ輝く高層ビルに囲まれた一点の黒いシミ。

その染みの一部であることに野崎はすっかり慣れてしまった。

街を楽しそうに歩く人々を妬むわけでも自分の境遇に絶望するでもなく、ただ『そういうものだ』と日々を暮らしていた。



いつもよりは暖かい日差しの午後、野崎はいつものようにベンチに腰掛け、出来たばかりの高層ビルを眺めていた。

すると野崎の隣に一人の男が腰かけた。

しゃれたスーツを着た細身の中年で、野崎がしているように目の前に建つ真新しい高層ビルをジッと眺めたかと思うと不意に声をあげた。


「あのビル、できたの最近ですよね、どう思います?」


野崎がこの公園で見知らぬ男に声をかけられることはわりとある。

相手が作業着なら仕事の斡旋だ。

三十代前半の野崎はホームレスの世界ならまだまだ若い。肉体労働の仕事をさせようとその手の業者が声をかけてくる。

しかし相手がスーツを着ているとなると目的は全く違う。

『あのビルをどう思う?』と声をかけてきた男に野崎はぼんやりと返事を返した。


「透明感があってきれいですよね。光も多く入りそうで」


そう答えて野崎は男の返事を待った。どういう言葉が返ってくるかは大体予想できる。


「実はね、私はあのビルで働いているんです」

「仕事が毎日忙しくて休む暇がありませんよ」

「この公園で一服するのだけが唯一の安らぎなんです」


野崎に声をかけてくるスーツの男たちの目的はホームレスを見下すことだ。

世間話の体で声をかけ、いかに自分が立派に働き、日常を真面目に暮らしているかをアピールし、『お前らとは違う』と見せつけようとする。

野崎はそういう人間を何人も見てきたせいでそんな悪意にもすっかり慣れてしまい、もはや何も感じない。

それで気が晴れるならと、最近では話を聞いてやってるくらいの気持ちにまでなっていた。

だから野崎は今回も男の言葉をただ待った。

すると男が静かに口を開いた。


「あのビル、実は私が設計したんですよ」

「へえ……」


野崎は『あのビルで働いてる』という言葉は何度も聞いてきたが、『あのビルを設計した』と言われたのは初めてだった。


「あのビルだけじゃありません。あそこのビルも、あっちのビルも私の設計ですし、来年にはもう一棟私の設計したビルがこの街に増えることになっています」

「それは……すごいですね」


設計士の登場に一瞬驚いたが、結局のところ言いたいことは他の人間と同じでいかに自分がすごいかのアピールでしかない。

いつもと違う何かが起こるのかと心のどこかにあった期待が消え、野崎は普段なら口にしない意地の悪い言葉を口をついて出た。


「じゃあこの公園なんて邪魔でしょうがないでしょうね。ホームレスだらけであの美しいビル群には似合いませんし」

「いや、そんなことはありません」

スーツの男は野崎の言葉を否定するとジッと目の前のビルを見つめ、つぶやいた。

「実を言うとあのビルはまだ完成していないんです」

男の言葉に野崎は首を傾げたが、男はお構いなしに言葉を続ける。


「私はビルを設計する時は必ず木をイメージして設計しているんです。あなたは一本の木にどれだけの生き物が暮らしているか知ってますか?」

「いや……知りません」

「ある調査では数百種、一万匹以上生き物が一本の木で暮らしていたそうです。私は自分の設計するビルにも多くの生き物が暮らす様子を思い描いて設計しています」

「はあ……」

「しかしあのビルにはまだ足りないんです、生き物の多様性が」

そう言った男はビルではなく野崎をジッと見つめた。


「そこでお話なのですが、あなたはあのビルで暮らしてみたいとは思いませんか?」

「はあ!?」

男の唐突な申し出に野崎は素っ頓狂な声をあげてしまった。


「あのビルには様々なテナントが入り多くの人間があのビルの中に生きています。しかしあのビルを木と呼ぶには関わる生き物の数は満たせているものの種類がまだ不足しています。そこで、あなたのようなタイプの人間にもあのビルに関わってもらいたいのです」

「いや、そんな、なんで自分が……」

「いいですか、木に暮らしているのは木にとって良い生き物ばかりではありません。木に穴を開けて卵を産み付ける虫や木を腐らせてしまう菌も木には存在します。しかしそれでこそ木なんです。私はこの都市空間を本当の自然にすることをめざしています。そのためには良いものと悪いものを壁で隔てるのではなく、共存させたいのです」


語気が強まってゆくスーツの男とは対照的に、野崎は男の言葉を聞けば聞くほどに冷静になってゆく。

「あなたの言ってることはつまりあのビルは木で、そこには良いものも悪いものも存在すべきだと。だから自分もあのビルで暮らしてみないかと」

「その通りです」

「つまり、自分は害虫としてあのビルに住めと」

「いや、さすがにそこまでは言いませんが……」

スーツの男は苦笑いを浮かべて否定したが、そういった意図は明らかだ。

「とにかく、見るだけでも見てみませんか? ただの商業ビルでは考えられない特殊なギミックは単純にあなたを楽しませることができるはずです」


男はベンチから立ち上がると野崎の意思を確認もせず目の前にそびえるビルへ向かって歩き始めた。

野崎の中には若干の躊躇もあったが、振り返りもせず歩いてゆく野崎の自信に惹かれるものを感じ、男の後に続いた。


公園を離れ、男の後を追いかけ高層ビルの森へと足を踏み入れた野崎は周囲の華やかさに居心地の悪さを感じていた。

オープン間もない商業ビル周辺は着飾った幸せそうな人達であふれ、野崎の存在はなんとも場違いだ。

真夜中に空き缶集めでビル街を歩くこともあるので周辺の地理には詳しかったが、どっちを向いても自分の居場所は無い。

野崎は小さくなりながら男の後を追った。


ビルの前までたどり着くと、ようやくスーツの男が振り返った。野崎の姿を確認すると、ビルを見上げて満足げな笑みを浮かべた。

「どうです? 美しいでしょう」

透明なパネルを多用した五十階建てのビルが光を反射して輝いている。

数十階ごとに建物からせり出す形でテラスが作られており、透明パネル越しに日差しの差し込む暖かな広場となっている。ビル前の広場からは内部へと繋がる4基のエスカレーターが見え、笑顔の人達がそのエスカレーターへ向かって歩いてゆくのが見える。


「行きましょう。私たちはこっちです」


男は中央のエスカレーターに背を向け、広場の端の植え込みの隙間からビルの裏側へと歩き始めた。

植え込みといビルの外壁の間にかろうじて人が一人通れる程度の隙間があり、男と野崎はその狭い空間を奥へ奥へと歩いてゆく。

そしていよいよ植え込みに阻まれ先へ進めなくなったところで男が立ち止まった。


「さあ、これをどうぞ」

男が野崎に一枚のカードを手渡した。

「それはこのビルの制御キーのようなものです。その隙間にカードを通してみてください」

そう言って男は外壁の継ぎ目を指差した。

野崎が男に言われるがままパネルの継ぎ目にカードを通すと、その瞬間、外壁の一部がスライドし、ビルの内部へと続く通路が現れた。


「これは私とあなたしか知らない秘密の入口です。私がこのビルに込めた設計思想を今からお見せしましょう」


ビルの外壁に突如現れた入口にスーツの男が吸い込まれてゆく。

野崎は突然の出来事に戸惑うしかなかったが、引き返すこともできず、その後に続いた。

扉の先は相変わらず細く、しかも暗い。壁の隙間から漏れてくる僅かな光が辺りを照らしているだけだ。

その細い通路はすぐに行き止まりとなり、鉄のパイプがはしごのように建物の上部へと続いていた。


「ここからは少し大変ですよ、このハシゴで上に行きます。安全装置などはありませんから気を付けてください」

男は野崎の戸惑いもお構いなしにどんどん昇ってゆく。中年で運動とは縁遠そうな雰囲気とは裏腹にその様子はとても力強い。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は山賀といいます。このビルを設計した設計士です」

「自分は、野崎……」

「野崎さんですね。どうですこのハシゴ、驚きましたか? ビルのてっぺんまで行けるんですよ」

「驚くというか、メンテナンス用の通路とかじゃないんですか?」

「違います。これは誰にも知られずここで暮らす人のために私が設計段階から組み入れていた秘密の通路です」

さすがにハシゴのぼり疲れたのか、男は一度大きなため息をついてから再び話始めた。


「私の設計コンセプトは木です。木には色んな生き物が暮らすべきだという話はしましたよね。私はその考えのもと、この建物に二面性をもたせたのです。一つは商業ビルとして多くの人の集まる世界。そしてもう一つは誰にも知られずこの木にこっそり暮らす生き物の世界。私たちが今いるこの場所はそのもう一つの面というわけです」


山賀の呼吸が一層激しくなる。

「さすがに高層ビルをハシゴでのぼるは疲れますね。ひとまず休みましょう」

薄暗い中、はしごを昇ってゆくと、はしごの脇に小さな空間が現れた。

「ちゃんと休憩用のスペースも用意してあるんですよ。さ、どうぞ」

山賀にうながされ、はしご脇の小空間に野崎もあぐらをかいて座った。


「どうです? ここで暮らしてみたくなりましたか?」

「暮らしたくなるも何も、薄暗い通路を歩いてはしごを昇っただけじゃないですか。暮らせる要素なんかどこにもありませんよ」

「それもそうですね……じゃあ上にのぼるのはひとまずやめて、暮らしたくなるような場所に行きましょうか」

そう言うと山賀は壁を指差した。

「そこの壁に隙間あるのわかります? そこにさっきのカードを通してみてください」

山賀に言われるがままカードを壁の継ぎ目に通すとさっきと同じように壁がスライドし、そこに通路が現れた。

今度ははしごではなく階段だ。やはり人が一人通れるほどの狭い幅の中を階段がずっと先へと続いている。


「行きましょう。この階段の先には生活向きのスペースが待っています。相変わらず通路が狭いですがそこだけは諦めてください。木の皮の内側で暮らす生き物になったつもりでお願いします」


山賀は野崎の反応は気にせず、階段をのぼってゆく。狭く急な階段はどこまでも続くように思えたが、しばらく進むと階段の先からほんのりと光が差し始めた。

突然の光に目がくらむが、壁に手をつきながら階段をのぼってゆくと、その光の中で野崎は思わず声をあげた。


「おお……」


階段をのぼった先には光の降り注ぐ6畳ほどの空間があった。

部屋の半分ほどを透明なパネルが覆い、外の景色がよく見える。

いつの間にか15階ほどの高さまでのぼってきていたようで、透明パネルの向こうの景色はとても良く、下を覗けば一階の広場を歩く人たちの姿が目に飛び込んでくる。


「どうです? 良い眺めでしょう。コーティングしてあるので外から中は見えませんし、空調の恩恵も受けられます」

「すごい……」

野崎は薄暗く狭苦しいはしごのことなどすっかり忘れ、その眺めの良い景色に目を奪われていた。


「こういう小部屋がこのビルの外壁には複数存在します。上にあがればもっと眺めの良い景色にも出会えますよ。どうですか野崎さん、ここで暮らしてみませんか?」

「……」

しかし山賀の問いに野崎は答えられなかった。

「……ご不満ですか?」

「そうじゃなくて、むしろ逆すぎるというか、ここまでしてもらえる理由がわからないんです。自分はこんな良い話をいただいても返せるものが何もない」


「そうですか……では、あえて失礼なことを言わせていただきます」

山賀の目が鋭さを増した。

「私の設計コンセプトは話しましたよね。木には色んな生き物が暮らすべきだと。そして、あなたにはこの木の害虫になってもらいたいのです。正直、あなたから何かを得ようなんて思っていません。あなたは何の利益ももたらさず、ただこのビルに寄生してくれたらそれでいいんです。それがあなたに与えたい役割なんです」

「……」

「その、すみません……」

黙ってしまった野崎を見て、あまりに直接的な物言いをしてしまったことにばつが悪そうに山賀は顔をそむけた。


「いや、わかりました……その話、受けさせてください」

「ほんとですか?」

「自分には何かができるわけじゃないけど、何もできなくていいなら、それは自分にできることなのかもしれないので」


そう答えた野崎を見て山賀がホッとした表情を浮かべた。

「ありがとうございます。特殊なお願いだけに誰でもいいというわけにもいきませんし、野崎さんのような方に決断していただいて助かります。それでは先ほどのカードを出してください。これからについての説明に入りましょう」


扉を開けるのに使ったカードを渡すと山賀はそれを振ってみせた。

「これはここでの生活に欠かせないカードです。扉を開けるよりも大切な機能がありますので」

「大切な機能?」

「この建物のコンセプトは何度も話した通りです。野崎さんにはこの木で暮らす生き物になってもらうわけですが、この木で暮らす以上はこの木の中でだけ、つまりビルから出ずに生活してほしいのです」

「いや、でも食べ物とか……」

「そこで役に立つのがこのカードです。このビルは夜になると人はいなくなります。完全な無人で機械による警備がこのビルの特徴なんですが、このカードを持っていると侵入者とは判定されません。つまり、夜になるとこのビルはあなた一人の物になるんです。昼はこの狭苦しい外壁沿いで暮らさねばなりませんが、夜になれば堂々と商業エリアを歩き回れます」

「そのカードで?」

「そうです」


にわかに信じられる話ではなかったが、そのカードのおかげでこの場所までこれたのは事実であり、今さら山賀が嘘をつくとも思えない。


「ただ、商業エリアを自由に歩けるといってもショップに入ればそこの店員が翌日なって異変に気付きますからショップに入るのはNGです。ゴミ置き場の場所を教えますからそこで食料や衣類を調達して生活してほしいのです。ゴミといってもきれいな食品や衣類が必ずあります」

「夜中に出歩いてゴミを漁るとかネズミだな……」


そうつぶやいた野崎は自分の役目がネズミそのものであることをあらためて思い知った。

しかしその役目を受け入れたのは自分自身だ。


「わかりました。あと、いくつか質問がありまして、トイレはどうするのかという点と、この契約がいつまで続くのか、その辺も教えてほしいのですが」

「トイレについてはいつでも使える場所を教えましょう。あと契約に関してですが、このビルから出たくなったら契約終了といったところですかね。一度外に出てしまったらもう二度とここには戻ってこれません」

「そうですか……」

「どうです? 問題ありませんか?」


野崎はしばらく考えたのち、ゆっくりと首を縦に振った。

「大丈夫です。よろしくお願いします」



それから数時間、野崎は山賀と共にやってきた外の見える小部屋でぼんやりと時間が過ぎるのを1人で待っていた。

暑くもなく寒くもない部屋から道行く人をただ眺める。それは悪くない時間で、思いつく問題は部屋の床の硬さくらいのものだ。


「営業が終わったら商業エリアに出てゴミ置き場から床に敷けそうなものを探そう。それと食料だ」


野崎はすっかり暗くなった窓の外を眺めながらその時を待った。

一階のフロアを賑わすイルミネーションが消えると、壁の向こうからかすかに営業終了のアナウンスが聞こえてきた。

そこからさらに数十分、従業員退出のアナウンスが響いた。

それを合図に野崎は立ち上がった。


山賀に教えられた通り、壁の継ぎ目にカードを通し、秘密の扉を開く。

しゃがまなければ通れないほどの狭い通路を抜けると殺風景な小部屋へと出て、その小部屋の扉をそっと開けて様子をうかがうと、そこはもう商業エリアだった。


必要最小限の明かりしかなく薄暗い空間に人の気配は無い。

「……本当に大丈夫なのか?」

野崎はまるでお守りかのように山賀に貰ったカードをポケットの中で握りしめた。

辺りを見回すと天井のあちこちに防犯カメラが見える。

ゆっくりと首を振るカメラは野崎の方を向いたが、特に何も起こらない。


大きく息を吐き、山賀に教わったゴミ置き場を目指して歩き始める。

辺りを見回しながら歩いているとこのビルの美しさを思い知る。光を多く取り込む透明パネルに囲まれた空間は数フロアに渡り吹き抜けとなっており、広々とした空間にカフェや有名ブランドのショップが並ぶ。

そんな空間を一人で独占している今の状況が野崎はなんとも不思議な気分だった。

ホームレスの時には気後れして近寄ることすらしなかった場所を歩いているのだから。


しかしそんな静かな空間を歩いていると遠くからかすかに物音が聞こえてきた。

誰もいないはずの空間に響くその音は野崎を緊張させた。

とっさに観葉植物の陰に隠れ、息を殺す。


すると野崎の前に現れたのは床掃除と警備を兼ねた自動運転のロボットだった。

ゴミ箱のような形のそのロボットは野崎のそばまでくるとレンズを野崎に向けたが、特に何のアクションも起こすことなく通り過ぎていった。

その様子にやっと山賀の言ったことが本当なのだと確信できた。


「このカードさえ持っていれば絶対に大丈夫!」


野崎は観葉植物の陰から駆け出すと警備ロボの前へと立ちふさがるように飛び出した。

突然進路を塞がれた警備ロボは急停止するが、ゆっくりと進路を変えて野崎を追い越してゆく。

その様子を見て野崎は小さく笑った。

とにかく今はゴミ置き場を見つけることが先決だ。


そう思って再び歩き始めると、再び遠くから物音が聞こえてきた。

またかと思った野崎は今度は隠れることもせず、音を気にせず堂々と歩いた。

すると少し先の陰から現れたのは人の影だった。


「!!」


警備ロボだと思い込んでいた野崎は人の気配にその体を硬くした。

人影は向き直り、ゆっくりと野崎へと近づいてくる。

その姿がハッキリしてくると野崎の体はますます硬くなった。

目の前に現れたのは真っ赤な全身タイツにカウボーイハットを被った奇妙な男だった。

幻でも見てるのかと何度も目をこらしたが、全身タイツの男はそこに立っている。


「夜の散歩を楽しんでるところに悪いが時間だ」

奇妙な男の声が薄暗いビルに響く。


「時間? なんのことだ!?」

「この世界はもう終わってしまうんだ。終わる時間が決まってる」

「意味がわからん。大体なんだその格好……」


全身タイツでおかしなことを言う男は無表情のまま、野崎を見つめている。

「意味なんかわかるわけがない。この世界は時間が来たら終わる。それだけだ。それがこの世界を作った人間の決めたルールなんだから仕方がない」


全身タイツの男は動揺する野崎を気にすることもなく、一歩、また一歩と近づいてくる。

「俺はタイムリミットマン。この世界を時間通り終わらせるためにやってきた。この世界の主人公であるお前は今この瞬間、俺に殺されて死ぬ。受け入れろ」


野崎の全身が震えだした。

それは初めて経験するタイプの恐怖だった。

言葉が通じる様子の無い人間には恐ろしさしか感じない。

野崎は全速力で駆け出した。とにかくあの奇妙な男から逃げなければならない。


「ちょ、待てよ!」


タイムリミットマンと名乗る全身タイツの男は逃げ出した野崎を追って駆け出すとあっさり追いつき、そのまま野崎に飛び掛かって床に押さえつけた。


「逃げるな、めんどくせえ」

「離せ!」

「なあお前、ゴミ置き場に行きたいんだろ」

「なんでそれを!?」

「俺が連れてってやるよ、死体としてだがな」

「ふざけるな!」

野崎は馬乗りになったタイツ男を振り払おうとしたがものすごい力で押さえつけられ、動けない。


「そんなに騒ぐなって。俺が殺さなくてもお前は結局死ぬんだ。山賀だっけ? あいつが言ってたろ、お前は害虫役だって」

「それがどうした!」

「害虫はいつか駆除される。駆除するその日のためにお前はここに呼ばれたんだ」

「そんな、そんな話を信じろと?」

「いや、信じなくていい、お前はこれから死ぬという事実を受け入れればそれでいい」


タイムリミットマンと名乗る男が腰に手を回すと大きなナイフがその手に現れた。

「こいつはタイムリミットナイフ。今名付けた。こいつでお前を殺してこの世界は終わる」

「やめろ!」

「すまん、そんなやりとりしてる時間もない。ほんとごめんな、もう終わりの時間なんだ」

タイムリミットマンは野崎の抵抗もあっさり受け流し、その胸にナイフを突き立てた。

逃れようと必死で暴れていた野崎の体は突き立てられたナイフと共にその抵抗をやめ、見開いた目がただジッとタイムリミットマンを見つめていた。

野崎の目に最後に映ったのは全身タイツの奇妙な男の姿だった。


「死んだ、死んだな、よし、これでこの世界は終わりだ」


そう言うとタイムリミットマンは血に染まった野崎の死体を担ぎ上げた。

「特に赤が着たかったわけじゃないけど俺のタイツが赤でよかったわ。とりあえずお前が行きたかったゴミ置き場には連れてってやる。さあ行こう」


タイムリミットマンは野崎の死体を担ぎ、ゴミ置き場へと歩いていった。

それがこの世界の最後の光景だった。

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