まっかなあばれりゅう
「――始祖様に恋をしたヒョスロヌート様は邪悪な『影』を倒し、それから300年近く、仲良く愉快に暮らしたのでした。めでたしめでたし」
すっかり辺りは暗くなっていた。
サンセは話し疲れたのか、伸ばしていた背をゆっくり椅子にもたれかけさせ、目を閉じて思い出にふける。
それを見ていたダリンは、あれ?と首を傾げた。
「おばあちゃま。終わりなの?」
「あら、初めての恋の話はここで終わりよ」
どうして?と薄く目を開くサンセにダリンはそわそわと体を動かし、何かを思い出すように手を握ったり開いたりする。
「だって、だって、まだ誕生日パーティーやってないもん。あと、ヒョスロヌートさまが作ったプレゼントも、あ、しゅうかく祭の三日目も!えーっとあと……それくらいかなあ」
どうなったの?とサンセを見上げるダリンの頭をサンセは撫でながら微笑む。
「よく覚えているのね。そうね、それはまた別のお話になるのよ。始祖様の旅立ちのお話。世界へと足を踏み出す、そのドタバタ騒動」
「それ、私きいたことない!」
「あら。そうだった?」
「うん!きかせて!」
ダリンはワクワクと顔を輝かせたが、サンセは首をゆるゆると振った。
「もう遅いから、今日はお帰りなさいな。もう夕飯の時間でしょう?」
ハッと外を見たダリンはびっくりしたような顔をし、慌てて椅子から飛び降りたが、それでも名残惜しそうになかなか帰ろうとしない。
「おばあちゃま、明日ぜったい話してくれる?」
「ええ、話すわ」
「ぜったいぜったい?」
念押しするように聞くダリンの言葉をサンセはゆっくり繰り返す。
「絶対絶対よ」
ダリンは力のこもったその言葉を聞いて「分かった!」と安心したように頷くと、「また明日ねー!」と手を振りながらバタバタと出ていった。
「ふふ、あの子ったら本を置いていってるわ」
ガランとした部屋に一人残されたサンセは、机の上に置き去りにされた古い本を手に取った。もう何度も読まれてボロボロになったその本は、かつてルルがサンセたちの文字の勉強用にとくれたポピュラーな児童文学。
ルルはそれを手渡しながら、「どれをやろうかと迷っておったのだが、ユースがこれにしろと聞かんかったのじゃ。自分の物語なんぞ恥ずかしいのう」なんて珍しく照れていた。
サンセたちは毎日のようにその本を開いて勉強した。イーツが一番に覚えたし、他も悪戦苦闘しながらなんだかんだ読み書きは完璧になった。そのおかげで助かったことは数知れない。
その努力の結晶。端がすっかり擦り切れよれて文字もかすれてはいるが、今でもダリンのお気に入りとして現役だ。
サンセはその表紙を愛おしそうにじっくりと眺める。
子供用にアレンジされた冒険譚。暴れ龍を高潔で美しい少女が改心させ、その仲間にするという綺麗な物語。登場人物にはどこか非現実的な固さがあり、そのモデルとなったルルやユースリーンを知っている者なら誰だってかなりの脚色が加えられているだろうと簡単に予想がつく内容。
しかし実際がどうだったのかなんて野暮なこと、サンセは聞いたことがなかった。創作は創作。綺麗な物語はそのままで十分だ。サンセは余計な裏事情を知って幻想が壊したくないタイプだった。
だから、自分が知る綺麗な物語を思い出す。色が褪せて読みづらくなってしまった題名を一文字ずつ指でなぞり、懐かしそうに口に出した。
『まっかなあばれりゅう』