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夢魔ルルウォの伝説  作者: 雪ノ下セツノ
13/19

恋とはなんぞ

「結局あの時は、どうして受け取ってくださらなかったんですか?」


 ヒョスロヌートは、ルルが新しく摘んできたコウルファの束を眺めながら、ふと思い出したように尋ねた。


 暗い洞窟の中だった。石を無造作に作られた机の上には何個も花瓶が並べられ、光の弱まったコウルファや瑞々しい明るさを放つコウルファがぎっしりと活けられている。

 その光の輪の中にうっすらと浮かび上がる顔。

 美しいはずのそれは、パンパンに膨らんだ頬のせいで台無しになっていた。


「むぅう、当たり前じゃ!せっかく怒られずに済んでおったのを……主があれをわざわざ届けに来たせいでバレたのじゃからな!もっと反省せい!」


 ルルだった。齢15に届こうとしている、美しい少女。

 柔らかなウェーブのかかった金髪は腰近くまで伸び、身長もグンと伸びた。

 かつての幼さは徐々に抜け、すらりと長い手足を持つ絶世の美女へと変身していく真っ只中。


 村中の憧れを一身に受けるルルは、今なぜかヒョスロヌートの家にいた。


 いや、なぜかではないのだ。

 村の者なら誰だって知っている。この3年間、ルルウォ・リスティージュが先生の住処である森の中の洞窟に通い詰めていることなど。


「大体……なぜお主、あの花輪を拾ってきたんじゃ?妾で実験したかったのなら手ぶらでも構わんかったろうに。村の誰もが言うことを聞く、大人気の先生様じゃろ?」


 思い出したらまた腹が立ってきた、とさらに唇を尖らせる。

 必要ないものを無駄に持ってきたなんて嫌がらせではないか。

 本当に怖かったのだ。嘘がバレた時の母は。

 何のためにあの怒りのスイッチを持ってきてしまったというのか。

 自分が嘘をついたことは棚に上げ、子供っぽい仕草で恨みがましく質問してくるルル。それを聞いたヒョスロヌートはかえって首を傾げた。


「それは……手に入れたい女性には花を渡すのだと村の方に聞いたもので。間違っていましたか?」


 なんて言うものだから。ルルは顔を真っ赤にする。


「て、手に入れたい女性……って、あの時の妾はまだ12じゃろうに!だから主はロリコンじゃと言っておるのじゃ!そういうのは、結婚を申し込む時に言うのじゃぞ!」


「ほう結婚を……それはバルギンさんに聞いたのですか?」


「いや、母じゃ」


「えー……リリス、さんですね」


「そうじゃ!」


 満足そうに頷くルル。人の名前を覚えないこの吸血鬼が、自分たち家族の名前だけは忘れなくなってきたのが嬉しいのだった。


「主は結婚せんのか?『もういい歳』じゃとミーシャが言っておったぞ」


 ルルは頬杖をつき、なんとなく尋ねる。

 きっと、研究が伴侶だと言うのだろうと予測はしながら、なんとなく。


「結婚……結婚ですか。まあ、確かにいい歳ではあるのでしょうが。それなら、夢魔のルルさんに聞いてみたいことが」


「む、よいぞ。『研究的質問』かの?」


「そう、ですね。ええそうです。『研究的質問』です」


 ヒョスロヌートは少しの躊躇いを見せたが、自分に納得させるように頷き進める。


「一般的な夢魔にとって、不特定多数の異性と交わることは生きる上で欠かせない要素です。だから結婚という観念がほとんどありませんね。

 しかしリリスさんとバルギンさんは違います。お互いに恋をし、結婚したと。

 私にはこれが分からないのです。種族本能に抗ってまで一人の相手と一緒になろうとする熱量が。『好き』という感情が。この点、娘のルルさんはどう考えていますか?やはり夢魔としての性質の方に共感しますか?」


 彼らしくない質問だった。魔力に関係しない、色恋についての質問など。


 そう、ヒョスロヌートは最近戸惑っていた。

 明らかに好意を寄せてくる夢魔の少女に。

 自分がどういう気持ちなのか、どうするのが良いのかが分からなくて。


 今までだって好意を寄せてくる女性は少なからずいた。

 しかし初めてだったのだ。これほど色々なことを彼に発見させた女性は。

 こうして魔力研究の隙間になんてことない話をする時間が心地よいものだということ。

 クルクル変わる表情が、いくら見ていても飽きないということ。

 自分の四分の一ほども生きていないのに、時々はっと驚くような知性の欠片を見せること。


 自分の中になかった視点が研究を一気に進めたこともあった。

 邪魔だった髪を、三つ編みにしてもらった。

 出たことがなかった日の下を手を引かれておそるおそる歩いた。


 研究に没頭するあまり倒れそうになったこともあった。洞窟の外に歩く気力もなく、ついに研究で死ぬのかと決意を固めた時、石の机に肘をつき、暇そうな顔をしたルルが座っているのに気付いた。

 命を、助けられた。


 ヒョスロヌートは思う。


 確かに自分は、この少女に好感を抱いている。

 それは間違いがない。研究が何より大切なことに変わりはないが、それを邪魔するどころかむしろ助けてくれる存在。

 人生で初めて出会った、横にいることが苦ではない存在。


 だが、そこで思考は止まる。

 横にいてもいい。自分が研究をする横にいても。

 はたしてその感情は、『好き』なのだろうか。

 種族本能に逆らうほどの、あの『好き』?


 それは違う。どうあっても研究が一番だからだ。

 研究を放っぽり出しても良いなどと、とてもじゃないが思えない。


 ずっと隣にいてほしい。そう思ったから結婚したのだと、あの二人の夢魔は言っていた。

『横にいてもいい』では足りない。

 だから何もできない。


 なら、このまま何もしなくても良いのだろうか。このまま、ルルはなんとなくそばにいるのだろうか。


 こういうことを、研究の合間にふと考えるのだ。

 それでいつも、今の状態に満足しているのだから何もしなくて良いのだろうという結論に至って終わる。


 だが、今日結婚という単語がルルから出て。

 少し気になった。この少女が、結婚というものについて何を思っているか。

 この少女には、自分がわからない『好き』という感情が分かるのだろうか。


 ルルが不特定多数を相手にする一般的な夢魔なら構わなかった。

 自分がそのうちの一人でも。研究の合間に時々横にいれば、それは安らぐ生活だと思ったから。


 しかし、ルルは決して一般的ではない。その生まれにおいて誰よりも特殊だ。

 もし、もしも既に気持ちを固めた相手がいたら。いや、今はおらずとも、両親のような一途な恋に憧れる気持ちがあるなら。

 両親がそうであるように、ルルもきっとその相手にだけ尽くすだろう。

 こんな穴蔵の中までわざわざ来るとは思えない。

 ルルにこの先会えないのだと思えば、少し。


 ヒョスロヌートはその先をうまく想像できなかった。

 少し、なんなのだろう。

 自分でも寂しいという感情が湧いてくるのだろうか。


 研究に没頭してしまえば案外簡単に忘れてしまう気もしたし、何か虚無感みたいなものに襲われるのかもしれなかった。

 現実感がなく、ただただ希薄な未来だった。

 何せ、ルルはずっとそばにいたから。出会ってからずっと。

 その前のことは思い出せなかったし、これからあるかもしれない変化なんて存在もしないように感じられた。


 だから聞いてみた。

 ルルの意識について、知りたくなって。


 どう答えるのか。

 ヒョスロヌートに凝視されながらルルが口を開く。


「『好き』な相手ができたときに、種族本能を無視して結婚をしたいかどうかじゃと……?」


 ルルは軽く首を傾げた。

 珍しい。ヒョスロヌートらしくない質問だと。


 同時に、ギクリともした。

 心を見透かされたような気がして。

 それは最近ルルが考え始めたことでもあったのだ。


 ルルはもうすぐ15歳になる。

 15歳になると、どの地域でも成人として認められることが多い。立派な大人。結婚を考え始める歳。


 だが、ルルは成人するから結婚に意識が及んでいたわけではない。

 夢魔にとっての15歳。

 それは、これまで他種属の形を借りていた夢魔が本来の力を得る歳である。


 多種族の精を搾り、魔力を吸収しなければ生きていけなくなる歳。


 魔力なしの体ではなくなる歳。


 ルルはその未知の世界に怯えていたわけではない。

 むしろ人一倍興味は持っていたと言っていい。何せリリスの子だ。しかも幼少期からきちんと自分が夢魔であることを認識し、英才教育を受けてきたサラブレッド。両親と同じ種族であることに誇りを持ち、両親があんな幸せそうに語る行為がついにできるのだと楽しみにさえ思っていた。


 しかしそれと同時に頭をよぎるのは、自分が普通になってしまうという恐怖だった。

 魔力を持っていなかったからヒョスロヌートに声をかけられた自分が、どこにでもいるただの夢魔になってしまう。研究以外に興味を示さないあの吸血鬼は、ただの夢魔には目もくれなくなるのではないか。魔力が体内に宿ってしまった瞬間、もう話すこともなくなってしまうのは、少しどころではなく、寂しい。


 だからといってルルは、ヒョスロヌートと結婚すればずっと近くにいられるなどとは考えなかった。

 夢魔は2、3日に一度魔力の補給ができれば生きていくことができるが、それは普通の夢魔ならの話だ。ルルは夢魔同士の子。異色の生まれ。それがどう作用するかわからない。もしかすると性欲が絶大で、毎晩しないと生きていけないかもしれない。

 もしそうなった時、研究に没頭する彼が毎晩自分に応えてくれるとは思えなかった。


 大体、ルルは確かにヒョスロヌートのことを好いていたが、恋をしているかと問われれば答えはノーだった。

 あまりにずっと近くにいたから。出会いが最悪だったから。

 恋に落ちるタイミングもなくズルズルとここまできた。

 特に事件もない穏やかで賑やかな日々を過ごした。毎日何気なく遊び、兄のように慕っていた。抜けたところのある困った兄だと。


 ルルは、自分は別の人と結婚するのだろうと漠然と考えていた。夢魔だから結婚しない可能性だってあるだろうが、やはり両親の姿には憧れた。愛する人とだけ一緒に寝たいと思った。


 だから、旅に出ようと思った。一般的な夢魔がそうするように、男を食い散らかしながら色々な土地を渡り歩くのだ。夢魔の中には効率よく精を搾り取るために娼館に勤めるものも多かったが、ルルはそれではいけなかった。ただ生きるためではなく、結婚がしたいのだから。相手を見つけるために自ら探し歩いたほうがいいだろうと思った。


 かつて、父バルギンも旅をしていたと言う。サキュバスにとっては娼館で人気者になることが若い夢魔に人気の未来、王道の夢であるが、インキュバスにとってはそう都合の良い場所がない。夢魔がよく相手にする人間や獣人は男の方が圧倒的に性欲を持て余しているから、男の客の方が捕まえやすいのだ。必然的に自分で相手を見つける必要があるインキュバスは旅をする。同じ場所に長く留まればトラブルの頻度がグンと上がるから、村から村へ、街から街へフラフラと移動する。食い散らかしていくから、一度行った地域に戻ることは滅多にない。


 だからもしルルもそうしたならば、このニコニコ顔の吸血鬼にはもう会えないのだろうことがわかっていた。

 それは寂しい。

 しかし結婚はしたい。

 旅もしてみたい。

 父だってそれで運命の相手を見つけたのだ。

 しかしもうヒョスロヌートに会えないのも……とそんなことを最近グルグル考えていたのだった。


 そんなタイミングでヒョスロヌートから結婚についての質問が出た。

 ルルはまさかと思う。

 まさか、自分がそろそろ15になることに気づいていたのだろうか。

 そういうことは忘れていそうな研究バカなのに。

 その上、ルルに『好き』とは何かを聞いてくるなんて。

 もしや。

 もしや?

 ヒョスロヌートは自分に興味がかなりあるのではないか?と。


 なら、ヒョスロヌートと結婚するという道もあるのか?と。


 そこまで考えが飛躍して、ルルはブンブンと頭を振る。

 正気になれと。

 なぜ結婚したいと思ったのかをよく思い出してみろと。


 父と母に小さい頃から聞いていた『恋』に憧れたからだ。

 ヒョスロヌートもさっき言っていた、種族本能に逆らうほどの熱い恋。激しく燃え上がる熱烈な愛。劇的な出会い。

 出会ってからは毎日が輝き、胸が苦しくなるほどの高揚を感じる運命の相手。そんな相手との奇跡みたいに気持ち良い夜。

 とにかく良いものだと素敵なことだと毎日聞かされていたから、それを体験したいと思ったのではなかったか。


 ヒョスロヌートのことは確かに好きだが、恋ではない。

 母に聞いた『キュンキュン』を感じたことはない。

 何も激しくないし、日々は輝きもせずただひたすらに穏やか。


 ヒョスロヌートだってきっと、自分に恋はしていない。

 恋をしている者は恋という感情がわからないなんて言わないはずだ。

 それは熱く燃え上がり、毎日が劇的に変わるものなのだから。


 だから、ヒョスロヌートとは結婚しないのだ。


 ルルはそう頭の中で再確認すると、ウンウンと一人頷きながら元気よく答えた。


「もちろん、劇的な恋をして運命の相手と結婚したいと思っておるぞ!」


「そ、そうですか……そうですよねやっぱり……」


 心なしか残念そうに呟くヒョスロヌート。


「して、結婚するということは妾が15になるということじゃが……主はどうするつもりじゃ?15になった妾に……何か……」


 言葉が尻すぼみになって消えていった。

 流石のルルも直球で聞くことはできなかった。15になった自分は用済みかなどと。

 もし「そうですね、ルルさんが魔力を持ってしまったら私の研究材料が一つ少なくなりますね……」などと困った顔で言われたらどうするのだ。

 このニコニコ吸血鬼が自分を完全に実験対象としてしか認識してなかったことがわかったら泣いてしまう。


 いやそれよりもだ。ルルの頭にもっとひどい可能性が浮かんできた。

 いざ旅に出ようと挨拶をするときになって、「魔力を持った夢魔になど用はありません。日の光が入るのでそこ勝手に開けないでもらえますか」などと冷たい態度を取られたら。そんなことになれば自分はショックで寝込んでしまうに違いない。しばらくは出発できない。


 事前に何かしら聞いておいて心の準備をしようと思っただけなのに次々と悪い考えが浮かんできてしまう。

 この頃のルルは毎日結婚について夢見る少女だった。

 人生で最も妄想力たくましい時期だったのだ。


 眉をシューンと下げたり顔を青くさせたり忙しなく表情を変えるルルをヒョスロヌートは飽きずに眺めていた。

 彼女は一体何を考えているのだろうと考えながら、質問の意図にも頭を巡らせる。

 15歳になったら。

 そこでふと思い出した。

 最近来た旅人が言っていた言葉を。


「もしかしてルルさんも『誕生日パーティー』について聞いたのですか?」


「たんじょう…?」


 それだろう、と自信満々な様子のヒョスロヌートに困惑するルル。

 もしかして自分が15になることはさほど気にされていないのだろうか。それならそれで、いつも通りのヒョスロヌートが一番だと胸を撫で下す。

 それにしても、たんじょう、なんだったか。ルルは聞いたことのない単語に結局首を傾げた。


「なんじゃそれは」


 ヒョスロヌートも首を傾げながら答える。


「おや?てっきりそれを聞いたから15歳になることを言い出したのだとばかり……ではなぜ」


「そ、それは良い。そんなことよりそのたんじょうなんとかは何なのじゃ?」


「そうですか?ええとですね……」


 誤魔化すようなルルに促され、ヒョスロヌートはこの間聞き齧った知識を披露する。


「その旅人さんが昔いらした異世界では日にちというのを大変重要視するらしいんですよ。1年間を365にわけ、それをさらに12で区切り、全ての人が今日が何個目の枠の何日目に当たるかを把握しているのだとか。なんだか恐ろしいですよね。私はそんな律儀に太陽が昇ったり沈んだりするのを数えてはられませんが……

 ああ、それで。さらに彼らは自分が生まれた日にちを覚えていて、それをみんなに祝ってもらうようなんです。全員が生まれた日にちを覚えていたら毎日お祝いになってしまう気もしますが……それともそれで良いんでしょうかね。大変そうです」


 異世界は不思議なものだからと肩を竦めたヒョスロヌートにルルが質問を重ねる。


「お祝いとは……どんなのをやるのじゃ?」


「そうですね、普段は食べないような豪華なものや甘いものを食べたり、贈り物をするそうですよ」


 甘いものと聞いてルルの目がキラキラと輝いた。ルルは甘いものが大好物だが、砂糖が貴重なため滅多に食べられない。それでもルルたくさん食べている方ではある。娼館の女たちがたまに貢がれる甘いものはよくリリスにもお裾分けされたし、村にきた行商人が甘いものを持ってくれば結構な確率でヒョスロヌートの元に届き、そのままルルの口の中へ入ることになったのだから。

 しかし、足りない。甘いものはいくら食べても食べ飽きない。

 甘いものを食べることのできる誕生日パーティーとはなんて良いものなんだろうとルルは思った。


 だが、ルルの希望はすぐに消えた。


「……生まれた日など、覚えておらん」


「はは、まあ暦など身近なものではありませんからね」


 そういうことだった。誕生日パーティーは、日にちを細かく気にして生きている世界の者のための行事なのだ。ルルは当然覚えていない。15になったら変態するとは言うものの、実際に生まれてからピッタリ15年が経って瞬間にというような正確なものではない。大体15年が経った頃に能力が開花し、15歳になったんだなと思うくらいの曖昧なものだ。誕生日など覚えているものはほとんどいない。

 ルルはなぜそんな楽しそうなものを教えたのだと恨めしそうな顔でヒョスロヌートを見る。

 ヒョスロヌートはジメジメした視線を笑顔で受け止め、人差し指を立てた。


「では、どうでしょう?誕生日を決めてしまうというのは」


「誕生日を、決める……?」


「はい。自分で勝手に決めてしまえば良いのです、覚えやすい日にちで。丁度3日後は収穫祭ですから、ルルさんの誕生日は収穫祭の日だということにしてみては」


「妾はもっと寒い季節に生まれたらしいが……」


「いいではありませんか。15歳におなりなのでしょう?大人のルルさんが新しく生まれる日ということにするんです」


「大人の…」


 ルルの表情が少しずつ明るくなってくる。


「大人の妾は、収穫祭の日に生まれるのじゃな?」

「はい」

「誕生日には、お祝いをするのじゃな?」

「ええ」

「主は、誕生日パーティーをしてくれるのかの?」

「もちろんです」

「甘いものは…」


 期待のこもった眼差しを向けられたヒョスロヌートはまるで妹を、いや、まだ小さな娘を安心させるように柔らかく笑った。


「収穫祭で沢山の人出がありますから、甘いものもきっと売られるはずです。買っておきますから夜になったらうちへ来てください。それから……」


 いったん言葉を止めるヒョスロヌート。

 まだ何かあるのかとワクワクが抑えられないルル。


「それから?それからなんじゃ!……いや待て、考える。お祝いは甘いものと、甘いものと、ええ……豪華なものを食べて……確か……そうじゃ!贈り物じゃった!そうじゃな?贈り物をすると……」


 ルルが何かに引っかかったように動きを止める。


「贈り物……主が?」


 まさか。そんなものを用意するような男ではない。大体誕生日パーティーの話だって今出たのだ。

 事前に準備する時間などなかっただろうし、これから当てがあるにあるにしたって子供にあげるようなものを買ってくるに違いない。

 買うかも分からない。もしかして何か拾ってくるのでは。

 どんどんルルの中のヒョスロヌートの手の中にあるものがひどくなっていく。


 ルルはソッと目を瞑った。

 何をくれるにしろ、何かをプレゼントしてくれるその心持ちが嬉しいではないか。

 そう自分に言い聞かせる。

 ルルの中のヒョスロヌートはついに洞窟の奥を這っているような巨大なミミズを持って爽やかに笑っていた。


「虫……以外でお願いしたいのじゃ……」


「む、虫?はは、いえ、さすがに」


「む?そうかの?ならなんでも嬉しいのう」


 ルルはホッとしたように目を開ける。


「ルルさんもきっと喜ぶと思います」


 自信満々のヒョスロヌートと目が合う。


 ルルの心の中にじんわりと温かいものが広がった。

 自分はなんて幸せなのだろうと思う。

 兄とも慕う人が自分が大人になる日を祝ってくれる。

 魔力以外に興味のない人がプレゼントを用意してくれる。

 ルルは例えそのプレゼントがただの石だろうと研究結果を記した紙だろうと、なんだって喜べる気がした。

 だって誕生日なんて素敵なものをもらったのだから。それ以上は望むべくもない。


 ルルはヒョスロヌートの首にギュッと抱きつき、パッと離れた。


「うむ、楽しみにしておる!また3日後……妾の誕生日にの!」


「はい、誕生日に」


 目を細めるヒョスロヌートに手を振り、ルルは元気に洞窟を飛び出していった。

 美しい金髪が外の風にパッと煽られ、反射した光がヒョスロヌートの目を強く射る。

 眩しさに目を閉じ、また開いたときにはすっかり辺りは元の薄暗がりに戻っていた。

 ルルが飛び出したときに隙間ができた分厚い蔦のカーテンもぴったりと閉じ、どこに入口があるかも分からないほどになっている。


 名残り惜しむようにゆっくり瞬きを繰り返すと、目に残っていた金色が少しずつ少しずつ消えていった。

 いつも通りコウルファの明かりにぼんやりと照らされた室内を眺めながらヒョスロヌートが一人ゆっくりと立ち上がる。


「それにしても虫とは……ルルさんは私をなんだと……娼館の方達も確か……私の研究成果を詰め込んだ最高の一品が……虫……いや、皆さんに聞いてきたから絶対に喜ぶと……はは、楽しみです」


 ヒョスロヌートはルルが驚く顔を想像して口元を緩めながら洞窟の奥へ奥へと進んでいく。

 文字がびっしり書き込まれた紙が散乱する研究用の部屋にたどり着くと、端に置いてある机の上の小箱を取り上げた。

 研究の結果出来上がった自身の最高傑作。箱を開けて中身を摘み上げうっとりと見つめると、効果に問題ないことを確認し大切にしまい直す。

 こうしてものを作ってしまうから発明家と言われるのだろうな、とヒョスロヌートは苦笑した。


 だが今回ばかりは世紀の大発明だったと言っても過言ではない。ある種族の生き方を丸ごと変えてしまうかもしれない大きな発明。

 見た目も娼婦監修の下、こだわり抜いた一品。

 ヒョスロヌートはその研究成果が形になったとき、ルルの役に立ちそうだと思った。

 だから、丁度その頃「誕生日」について聞いたばかりだった先生はそれをプレゼントにすることにした。

 ついでに『誰かにプレゼントするときってのは娼婦の意見聞いときゃ大概うまくいくんだよ』という酒場の男のアドバイスも思い出し、娼館に向かった先生は一気に娼婦たちに囲まれいろいろ口出されたのだった。


『まあまあまあ先生!わざわざこんなとこまで!』

『女性が喜ぶ贈り物って……まさかルルちゃん?』

『あの噂は本当だったのね!』

『ほらね!だから言ったでしょう?』

『とりあえず座ってくださいな』

『お飲み物はいかがなさいますか?』


 さあさあと先生に椅子を勧め姦しく囲む女たち。


『いえ、あの……そう長居するつもりはつもりはないんです。大体決まっていて、皆さんに確認しようと来ただけなので』


『あの先生が!大体決まってるですって?』

『先生、ここに来たのは賢明な判断だったわ。どうぞその自信満々の顔をやめて私たちに教えてくださいな』

『ええ、まさか先生が女心なんて分かっているはずないんですから』


 ヒョスロヌートは苦笑しながら言った。


『はは……今回ばかりは正解を知っているのですよ。女性には、花を渡すものだとね』


『あら……先生にしちゃまともだわ』

『でも、ルルちゃんへのプレゼントなんでしょう?残るものの方がいいと思うけれど』

『そうね、もうそろそろ成人でしょうから。記念になるものがいいわ』

『花を添えるのも大事よ。それと本命ね。やっぱり定番はーー』

『ああいいわね!先生がーーを差し出してきたら誰だって恋に落ちるわ』

『――なのは確定として、――とーー、――も捨てがたいわあ』

『あとデザインも大事よ!線が細い方が女の子らしくていいとーー』

『私は二人の思い出がーー』

『せっかく先生なんだから赤いーーは』

『えー?それ逆じゃない?ルルちゃんの青をーー』


 ヒョスロヌートは、自分を放って盛り上がり始めた女たちに困ったような笑みを浮かべた。所在なげに立つその肩にポンと手が置かれる。

 リリスだった。

 彼女はヒョスロヌートの両肩をソッと押し、優しく椅子に座らせる。

 リリスは自分も隣に座ると、目をキラキラさせながらヒョスロヌートの顔をグッと覗き込む。


『先生、うちの娘狙ってるの?』


『はは……』


 特にそういう意図はなかったが、目を爛々と輝かせるリリスと鼻息の荒い娼婦たちが果たして弁明を聞き入れてくれるだろうか。

 長くなりそうだ、などとヒョスロヌートが決意を固めたのは人生で初めてだった。




「あの時は大変でしたが……おかげで素晴らしい作品が……あとは、ええ、身だしなみがどうだとか……」


 小箱を大事そうに持つとぶつぶつ独り言を呟きながら娼婦らのアドバイスを思い出す。

 あの日、ルルに対しての想いが恋なのではないかと散々詰め寄られたヒョスロヌートは、結局自分の中の気持ちに謎を深めたまま誕生日パーティーに臨むのだった。

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