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夢魔ルルウォの伝説  作者: 雪ノ下セツノ
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とある吸血鬼

 日がとっぷり暮れ、酒場から騒がしい声が聞こえ始めた頃。すっかり人気のなくなった道をフラフラと歩いていく男がいた。背が高い上に痩せていて、全体的にひょろ長い。闇から溶け出したような深い紺の髪はボサボサ。後ろは肩の下まで伸び、前髪との区別なく顔にもかかっている。その隙間からかすかに月明かりが差し込み、ひどく不健康そうな青白い肌を照らし出していた。何日も食べていないかのような頰のこけようで、今にも倒れそうにヨロヨロ進んでいく。 


 バタンっと道の脇の扉が開いた。開いたドアから騒がしい音が飛び出す。酒場のようだった。扉を開けたのは中年の女。手には空の桶を持っており、水を汲みにいくところだろうか。


 道に立っていた男と目が合う。男が言った。


「血を…血を頂けませんか…?」


 髪の隙間からチラリと覗いたのは鋭く尖った牙。一瞬の間。女は絹を裂くような叫び声をーー


「あんれ、先生!またこもって研究してたんね? 」


 ――あげなかった。既知だったようだ。


「あたしのでいいならどうぞぉ」


 桶を地面に置くと袖をまくりって腕を差し出す。


「いつも…すみません…」


 先生と呼ばれた男は恐縮そうにその腕を掴むと、手首の内側のあたりに牙を突き立てた。


「いつ見ても不思議だねぇ、痛くないんだから」


 5秒ほどですぐ口を離した男が「どうもありがとうございました」と手を離す。


「先生久々だから、これじゃ足んねぇだろ?うちの客のみんな吸ってってくんろ!あいつらも、もすこし血の気が抜けた方がいーからねぇ」


 女はそのヒョロヒョロの細腕をガシッと掴むと、店の中へ引っ張っていく。勢いよく扉を開け、大きな声で「先生が来なすったよー!」と言うのに男は逆らわず、ズルズルと引きずられながら入っていった。


 バタンと閉じられたドアの外にはポツンと寂しげな桶だけが残されていた。



 *



「よおよおよお先生!」

「先生も飲みに来たんかぁ!」

「ついにべろべろに酔った先生が見れんのかああ?」

「酔ってんのはお前だろうよ!」

「ははっ、先生が飲みに来たっていやぁ血に決まってんだろぉよぉ」

「血でもなんでも飲んでくれ!先生にはいつも世話んなってんだからな」


 5,6人の男が店内にいた。手に手に持った木のジョッキを、引きずられてきた「先生」に向けて掲げる。


「はは…どうもすみません、皆さんお楽しみのところに。お世話になっているのは私ですよ」


 すまなそうな「先生」の背中をバンバンと叩きながら男たちは言う。


「おいおい何言ってんだ!あんたが作る魔法陣?ってのはほんとにすげぇ」

「ああ、あれを初めて見たときゃたまげたもんだ!」

「しかもどんどん新しいの作るしよぉ」

「てぇしたもんだよなぁ」

「なぁ今はなにつくーー」


 ワイワイと騒ぎ始める酔っぱらいに女が割り込んだ。


「ちょっとあんたら、話すのは後にして、とにかく先生に血ぃやんなぁ。この人またフラフラで歩いてん。いっつも限界までこもってんだから困ったもんだよ」


 女の言葉を聞くと、男たちは一斉に上着を脱ぎ出す。袖をまくれば事足りるのにこの男たちはいつも半裸になるのだ。すっかり出来上がっている。酒が入り、ほんのりピンクに染まってた体がずらっと並ぶ。「先生」は苦笑しながら髪をかき上げ、まず端の男の手を取ると牙を寄せた。


「先生今日も髪ボサボサだなぁ」

「もっと整えたらいい男なのにな!」

「村の女どもがたまに騒いでんだぜ?優しいし顔が綺麗だって」

「先生は男前にしてたって女なんかに興味ねぇからもったいねぇよ!」

「ひがむなひがむな」

「研究が恋人だってんだからな」


 好き勝手に言う男たちの手を順番に取り牙を突き立てていく。不思議と跡はほとんど残らず、男たちも平然とした顔で受けていた。

 6人いた男たち全員の間を回り終え、先生はふぅと一息つく。


「皆さんありがとうございました。本当に死ぬかと思いまして…」


 礼を言う先生の顔はまだ白くはあったが、多少の赤みが戻ってきていた。ポリポリと頬をかきながら困ったように笑う。前髪を邪魔そうに払うと、男たちがからかうのもむべなるかな、整った顔立ちをしていた。そのきれいな顔に浮かべられた笑みは確かに、女好きのする柔和さであるのだが。


「ではまた研究に戻ろうと思いますので…素敵な研究結果が出たらまたお教えしますね。失礼します」


 ニコニコと笑いながら早速帰ろうとする先生に一同は呆れ顔を浮かべた。こういうところがモテそうでいてモテない原因の一つである。


「またかよ先生…さっきまでフラフラだったんだろ?ちょっとくらい休んでけよ」

「そうそう、酒は百薬の長ってな!」

「おめぇは飲み過ぎだけどな!」

「先生はほんっと研究好きだよなあ。今は何の研究してんだ?」


 男がその質問をした瞬間、先生の目がキラリと光った。質問を発した男がまずいという顔をし、周りの男がやれやれと酒を飲み干す。


「今研究しているのはですね、この世界の生物なら全てが持っている魔力というものが一体どのように生物を生物たらしめているか。また、種族によって含有魔力の差があることやそれが種族特性にもたらすーー」


「おーい酒もう一杯!」

「こりゃ長くなるぞぉ」

「まー珍しく先生が飲んでってくれるんならいいじゃねぇか」

「先生の研究の話は難しすぎんだよなあ」


 男たちはぼやきながらも先生を取り囲んで座り直す。先生は先ほどまでの穏やかな微笑から一転、イキイキと目を輝かせ、こんなに面白いものはない!という顔で研究内容を語っている。酒も飲まず立ったままの大演説。男たちも、学がないから理解できねぇ!と頭を抱えながら楽しそうに飲んでいる。


 夜が更けていく。酔客と珍客をよそに。


 朝が近付いていた。先生の天敵である朝が。


 吸血鬼の天敵である朝が。



 *



「おーい先生。日ぃ暮れるぞお」

「もうそろそろ帰れんじゃねえかー?」


 日がとっぷり暮れ、酒場から騒がしい声が聞こえ始めた頃――。

 見覚えのある時間。2度目の夜だった。


 昨夜夢中で語っていた先生の話は途切れることなく、そのまま朝を迎えた。朝までいては帰れなくなることをすっかり忘れていた先生。


『あ、あれっ?明るいですねまさかもう朝…あ、熱っ、日が!まずいですあっあっ日がぁぁ…』


 と、戸の隙間から差し込む朝日に悶絶していた。白い肌が真っ赤になり、一部が灰のようにボロボロと崩れ始めてやっと外の明るさに気づいたのだ。慌てて机の後ろに隠れ、大笑いする男たちと心配そうな女主人によって店の奥へと匿われた先生。夜になったら起こしてあげるから寝てていいさぁという女主人の言葉に甘えすっかり寝入っていたのだった。


 ゆさゆさと揺さぶり起こす声に先生の意識が徐々に覚醒していく。


「おはようございます…」


 日の差し込まない戸棚の隙間で眠っていた先生。朝ボロボロと崩れかけていた肌はすっかり元通りだ。ボサボサの髪をかき上げながら、覗き込む男らと女主人を見上げ頭を下げる。


「どうも皆さんすみません、助かりましたよ。昨夜は大変楽しませてもらって…。

 では、寝ている間に新しい理論を思いついたので急いで帰りますね。ありがとうございました」


 にこやかに言い立ち上がると、そそくさと出口に向かう先生。そのらしさに男たちは笑い、バシバシと背中を叩きながら元気よく見送る。


「また飲もうな先生!」

「今度は研究だけじゃなくて女の話とかもしてくれよな」

「いや、先生はそのままでいてくれ」

「先生が女に興味持つ日なんか来ねえよ!」

「お前ら、そう思いたいだけだろ?」

「だってよぉ身なりに気ぃ使った先生なんて、落とせない女いねぇだろーが」

「そんな先生見たくねぇっ。ちょっと抜けてんのが先生のいーいとこなんだよ!」


 ガヤガヤとついてきて男たちを振り返り、先生は控えめに言った。


「はは…そんなことはあり得ませんよ。もう60年ほど生きてますが、私の興味をそそるのは魔力だけです」


 目を細めて柔らかく笑い、暗い外へと足を踏み出す。


 このやり取りがフラグになるなんて、まだこの時誰も思っていなかった。

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