救世主の目覚め
『……して、…だして、、おもいだして……。』
『救世主よ…思い出して、あなたの願いを。』
ー ー ー ー
「…嗣恩いい加減起きなさいよ!!」
「!?」
隣の家にまで聞こえるような、大きな声に驚き目が覚める。するとそこには、眉間にしわを寄せ、いかにも不機嫌そうな顔をした、幼なじみの紗枝が横に立っていた。
「…なんで勝手に入ってきてんだよ。というか、鍵かけてたのにどうやって入った?」
「なんでって、もう8時だよ!わざわざ迎えに来て待っててあげたのに、これじゃ遅刻じゃない!」
いやだから、どうやって入ったんだよ…。
と疑問に思いながらも、僕は黙る。これ以上紗枝にしつこく聞くと、平手打ちをされかねない。
…全国常連である空手少女の平手打ちは怖いからね。
「ほら!早く準備して!」
「へいへい…。」
これ以上、紗枝のことを待たせると本気で怒られそうなので、寝ぼけながらも重い腰を上げて学校に行く準備をし始めた。
「じゃあ、聖徒さん。行ってきますね。」
着替えなどの準備を済ませて下に降りると、テーブルの上に置いてあった、僕の兄である聖徒兄さんが写った写真に紗枝が手を合わせて挨拶をしていた。
いや、兄さん死んだわけじゃないんだけど…。
しかし、もう死んでしまったと言ってもいいのかもしれない。兄はもう3年前から行方不明なのだ。
小さい時に両親をなくしてから、7つ歳が離れた僕と聖徒兄さんの2人で暮らしていた。
しかし、まだ小さかった僕を養うために、兄さんは都内の進学高を中退して働くことを決めた。
容姿端麗でスポーツ万能でもあり、優しく温和な性格もあってか、教師からの信頼も厚かった。
そのため担任は、兄さんが高校を中退することを説得していたらしいが、
「かわいい弟に、辛い思いはさせたくないので。」
とあっさり高校を中退したのだった。
しかし、若くして働くのは厳しいもので、絶対に無理はしていたと思う。それでも、僕に心配はかけまいと、兄さんは笑顔を絶やさないでいてくれた。
そう、兄さんは優しい人だった。困っている人がいたら見過ごせず、誰にだって「大丈夫ですか?」と手を貸して助けようとした。
だからこそ兄さんが、僕を置いてどこかに行くようにはとても思えなかった。
…いや思いたくないのかもしれない。
「ほら!早く学校行くよ!」
「はいはい。」
ー兄さん行ってきます。
そう心で唱えて、僕たちは家を後にした。
ー ー ー ー
「ちょっ…まじもう無理。早いって…。」
このままじゃ遅刻するからと紗枝に言われて、家から
学校まで走ることにしたのだが…
ホームルームが始まるまであと数分。このままじゃ遅刻は確実だろうと言う時に、僕は息が上がってしまい、手を膝について立ち止まってしまった。
それはそうだ。帰宅部の僕が、毎日空手の稽古をしている紗枝と同じペースで走れるわけがない。
「男が何言ってんの?第一、寝坊した嗣恩が悪いんだからね!」
別に遅刻したっていいじゃないか…。
と言うと、紗枝に正拳突きをされそうなので、黙っておこう。
…全国常連の空手少女に正拳突きなんてされたら、病院のお世話になるかもしれないからね。
「ほら!早く立って!」
そう言いながら、紗枝は僕に手を差し出した。
…こう見ると、やっぱり美人だよなぁ。
素直にそう思った。ぱっちりとした黒い瞳に、鼻筋の通った綺麗な顔立ち、風でサラサラとなびく長い黒髪、空手をやっていることもありスタイルも抜群によかった。
「どうしたの?」
「えっ?い、いやなんでもない!」
まじまじと紗枝のことを見ていたのが、バレてしまったと思い、パッと目を逸らしてしまった。
「そう?なら早く……あっ、大丈夫ですか!?」
そう言うと、紗枝は向かいの通りにいた妊婦に駆け寄っていった。どうやら、この女性は買った食材をカゴから落としてしまい、しゃがんで拾うことができず困っていたようだ。
ふいに、時計に目をやると既にホームルームが始まる時間になっていた。
さっきまで、あんなに急いでたのに…。
紗枝の他人への気遣いに自然と笑みが溢れた。しかしこのままだと、1限の授業が始まってしまうので、僕も手伝おうと女性のもとに駆け寄よろうとした。
ーこの偽善者が!!
「っ!?」
ピタッと、何かに吸い寄せられたように僕は足を止めてしまった。同時に心拍数が上がっていく。ドクッドクッと、心臓が脈を打っているのが自分でも分かる。
…嫌なことを思い出してしまった。
3年も前に起きた出来事を、僕は未だに引きづっていたのだ。過去の出来事に縛られ、女々しく、前を向けずにいた。どうして自分はこうなのだろう。ハァ…と自分の不甲斐なさに思わず溜息が出てしまった。
あの時、僕はただ…。
『救世主よ、思い出して…。』
「!?」
『思い出して…あなたの願いを。あなたが最後の…。』
突然だった。突然、頭の中に声が響いた。とても優しい声音の…女性のか細い声が。
言った言葉の意味さえ分からなかったが、ハッキリときこえた。
「他の人たちは!?」
すぐに周囲の人たちの様子に目を向ける。しかし全員、何事もなかったように平然としていた。
まさか…自分だけ?
「なんだったんだ…今のは。」
唐突に起きた出来事に、理解が追いつかなかった。訳が分からない…。
しかし、何故だろう…。ついさっきまでの暗かった気持ちが、不思議と穏やかになっていた。暖かい雰囲気に包まれるような…懐かしいとも思える。
「兄…さん?」
あれ?どうして今、僕は兄さんだと…。
「待って!!そっちは危ない!!」
鼓膜に鋭く突き刺してくるような、女性の金切り声にハッとさせられる。声がした方に目をやると、先ほどの妊婦が必死に何かを呼びかけているようだった。
「まさか…!?」
この危機的状況に気付くや否や、僕はただ走った。紗枝が…紗枝が危ない。落ちた商品を拾おうと、道路に出たんだろう。しかし、向かい側から来ているトラックに紗枝は気づいていない。
…このままじゃまずい、頼む間に合ってくれ!
両親をなくし、兄は行方不明になり…今度は幼なじみの紗枝までも目の前で失おうとしている。ふざけるな…。
絶対に紗枝は…紗枝だけは、なんとしててでも。
ー思い出しなさい、あなたの願いを。
…そうだ。あの時も今も、僕はただ助けたかった。困っている人に手を差し伸べたかった。聖徒兄さんのように。
ー ー ー ー
3年前、聖徒兄さんが行方不明なってから1ヶ月がたった時のことだった。
兄さんの行方のことで、中学生だった僕は警察から事情聴取を受けておりその帰りだった。
「おい、いいから金貸してくれよ。ある分でいいからさ。」
「こ、今月はもう無理だよ…。もう本当にないんだ。」
「おいおい、俺らだって金なくて困ってるんだわ。困った時はお互い様だろ?友達なんだからよ。」
…カツアゲだ。家までの帰り道でもあった、人が通らないような小道にクラスの不良たちが、男子1人に対して行為に及んでいた。
早く助けないと…。
すぐさま僕は、スマホでカツアゲの現場の一部始終を録画した後、来た道を戻り警察を呼んだことにより、その場は収まった。
それからこの事件は、学校で問題となり不良たちも停学処分となった為、男の子はもう大丈夫だと思っていた。しかし、その時の僕は考えが甘かった。先のことまで見通せていなかったのだ。
事件から数週間がたったある日の放課後、僕は学校に忘れ物をしてしまい教室に取りにいった時だった。
学校につくと、廊下から下品な笑い声が響いてきた。
…間違いない、あの時の不良たちだ。
すると、教室からぞろぞろと不良どもが出て行き、玄関の方へと向かって行った。
僕は急いで、教室に向かった。中に入ると、目を疑う光景が広がっていた。全身水びたしで傷だらけの、あの時カツアゲをされていた男の子がいたのだ。
「大丈夫!?」
と僕は、ハンカチを差し出してその子に声をかけた。すると男の子は、不満をあらわにした表情を浮かべながら、パシッと僕の手を振り叩いた。
「この偽善者が…。」
そして、彼は教室から出て行った。僕はというと、呆然としてその場に立ち尽くしていた。そう、あの事件以来、報復として彼は不良どもにさらに過激なイジメを受けていたのだ。
この時からだ…。この時から僕は、無闇に人を手助けすることをやめた。僕が良かれとして手を貸したことが、彼にとってそれは偽善でしかなかったのだ…。
ー ー ー ー
確かに、あの時の僕はバカな偽善者だった。でも…仮にあの時したことが偽善だと分かっていたとしても、僕は…彼を助けていたと思う。きっと、兄さんもそうしたはずだ。だから…だから今僕がすることが偽善だと言われたとしても!
ー嗣恩、理解されなくたっていい。たとえ自分のした事が偽善だと罵られても…、きっと誰かの心には響くさ。
「さえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「嗣恩!?待っ…」
僕は、紗枝の体を押しのけ道路脇へと追いやった。そして、彼女に笑みをかける。
…あぁ、最後の最後に誇らしいと思えることができた。でももう一度…兄さんに会いたかったなぁ。
キキィィィィィィィ!!ガシャン!!!
ー ー ー ー