ペペロとデジャヴ
泣き腫らした瞼が重ったるい。
それなのに、朝日を浴びた僕の身体は、清々しい程に軽かった。
「くぁぁ…」
カーテンから差し込まれた朝日が、容赦なくヒナタを起こしに掛かる。
寝返りを2、3度繰り返した後にやっと薄目が開いて、ぼうっと天井を見つめた。
「こんなにぐっすり寝れたの、いつぶりだろ」
昨日の夜メイジーに送られ、貸し出された部屋に着いてからの事はほとんど覚えていない。気が付くと枕に顔が沈んでいた…事くらいだろうか。
重力に反して飛び上がった寝ぐせを片手で押さえながら、のそのそとベッドから起き上がる。…確か扉を開けた向かい側に洗面所があった為だ。
木製のドアがぎい、と音を立てる。が、外側に向かって開いたドアは最後まで開かずにごつん、と何かにぶつかった。
「っでぇ!!」
「あ…」
扉の先には、男が立っていた。黒地に桜の柄をあしらった派手な着物に身を包んだ、180cmは優に超えるだろう長身の青年だ。片方だけばっさりと頭髪を刈り上げた派手な髪形で、例の如く目つきが悪い。
青年は眼を引ん剝くようにヒナタを見つめると、小さくため息をついた。
「…ったく、呑気な奴。まだ寝てやがったのかよ。もう昼過ぎんぞ」
「あ…えっと、誰…でしょうか」
「ああ!?覚えてねぇのかよ!?昨日あの場に居ただろうが…っつっても、タダでさえ濃いあのメンツの中で一言も喋ってねぇんじゃ、覚えてねぇのも無理ねぇか…
”八起”が一人、トラノスケ様だ!トラで良いぜ!」
そういえば、と思い出す。居た気がする、一言も話さずに終始気難しい顔を貫いていた、武士風の格好をした男が。
「…どうしてここに?」
「お前の要望だろうが…この国の事知りたいんだろ?だからこうして俺様が来たんだ!
オラ早く着替えろ!とりあえず飯だ!」
急かされるがまま身支度を整え、半ば強引に町へ連れ出された。確かによく寝ていた様で、真上まで昇った太陽と、辺りから漂う香ばしい匂いが昼を告げる。
大通りに所狭しと並んだ屋台からは、それぞれの料理を店主が身を乗り出して購買を誘い、賑やかな活気を見せていた
「くぅあ~腹減って来たぁ~!おいヒナタ!何が食いてぇんだ!」
隣を歩くトラは流れ出る涎を気にも留めず、料理への目移りを繰り返す。
「…じゃあ、おすすめで。」
「まかせろ!」
四方から容赦なく襲ってくる熱された調味料の匂いが、ヒナタのお腹を鳴らし、ふらふらと歩くトラの後を追う。国の事について調べる…当初の目的とは多少違うものの、食文化を知る事も重要だ。…思えばここに来てから、何かを食した記憶が無い。
数分程歩いて、トラの”おすすめ”に辿り着いた。緑に囲まれた小さな広場のすぐ傍で、ひと際行列の出来ている屋台だ。
「ほらよ、ラッパ鶏のジャンク焼き!」
強面のオッサンから手渡されたのは、全長30センチ程はあるだろう、乱雑にカットされた肉のみが串に刺さった、焼鳥の様な料理。
「…ラッパ鶏?」
「良いから食えって、今回は俺の奢りだ」
木陰のベンチに移動するや否や、トラに促されて、一口齧る。パリッとした皮と、口の中で解けるような柔らかな肉質に、甘辛いオレンジ風味のタレがこれでもかと絡みついて…
「うま………うま!」
気が付くと、夢中で頬張っていた
「だぁろぉ~!?超美味ぇんだ、ラッパ鶏!!何でも、鳴き声がラッパみてぇだってんでこういう名前になったらしいけど、実際美味けりゃ何でも良いよな!」
「へぇ…聞いたことないや。でも、マジで美味いねこれ」
「なんだ、本当に何も知らねえんだな!まあいいぜ、俺が教えてやっからよ!」
口の周り一帯をラッパ鶏のタレで染めたトラが、自信満々に親指を突き立てる。ヒナタはラッパ鶏を頬張りながら、呆気に取られるようにそれを見つめた。
「…あん?何見つめてやがんだよ?」
「あ、いや…ちょっと驚いちゃってさ。昨日の”八起”の人達の反応みた感じ、あんまり歓迎されてる感じじゃなかったから」
得体の知れない素性と、”神贈物”を持つ人間なのだ。実際、トラだって随分と険しい顔をしていた記憶がある。
「ああ、そんな事か。ぶっちゃけ、俺には難しい話なんてわかんねぇからな。仲良くしろって言われたら仲良くするさ。
それに…メイジーとは幼馴染みたいなもんでな。死んだと思ったアイツが帰ってきてスゲー嬉しかった。だだから個人的に気になったんだ。アイツが助けて、助けられた男はどんなヤツなんだろう・ってな」
今回連れ出してきたのは、ヒナタの人間性を見る為。トラなりの入国審査…だったのだろうか。
「で、結果は合格だ!…まあ色々訳ありなんだろうが、お前は悪い奴じゃねぇよ。一緒に居りゃ何となくわかる」
と、万遍の笑みでヒナタに告げた。
「…トラ。」
「おう!」
「口の周りタレついてる、台無し」
「なぁ!?気にすんじゃねーよせっかく良い事言ってんだから!!」
真正面から褒められるのは慣れていないヒナタの、照れ隠しだった。手の甲で必死に口の周りを拭うトラを横目にくす、と笑う。
「っしゃあ取れたあ!
…で、後は何が聞きてぇんだ?美味いメシ屋か?オススメのデートスポットか?」
「えっと、この国の成り立ちとか、世界の情勢とか、色々あるんだけど…」
そう、本来の目的は”この世界について知ること”。トラだってヒノクニを束ねる幹部”八起”の一人。知っている情報は多い筈だ…が。
「…お!?…おお…世界ジョーセーか!ああ、あれだな、それは…また今度だ」
明らかに取り乱す。…今までの会話の節々から薄々感じてはいたが、多分トラは…
「はぐらかすな、馬鹿」
ヒナタの思考は、ふいに聞こえた、後方からの声によって代弁された。
どこかで聞いた事がある様なその声に反応して振り向くと、二人が座っていたベンチの後ろで、空色の髪をおでこの中心で分けたつり目の青年が立っている。
「フラム!」
驚いた様に、トラが声を上げた。ヒナタにとっても見覚えのある顔…昨日の評定で見た、”八起”の一人。
フラムは、ラッパ鶏を片手に持ったヒナタを一瞥すると、深い溜め息を吐いた。
「ヒナタ…とやらの”この国の事が知りたい”というセリフを、”観光がしたい”程度のニュアンスで勘違いしているのはお前くらいだぞ」
「あ!?違ぇのかよ!?」
ヒナタは、やっぱりか…と思わず項垂れた。多分トラは、ヒナタの事を”訳アリの観光客”位にしか思っていない。その楽観さが恐らく、トラの良い所でもあるのだが。
目も当てられん…と、額に手を当てたフラムが、横目でヒナタを見やった。
「ヒナタ、君の知りたい事は僕が教えてやる。
…先に言っておくが、君の疑いはまだ晴れていない。最悪、トラ一人言い包めるなんて猿程度の知能があれば誰でも出来てしまう。だから僕が来てやったんだ。万一にも変な気を起こさないようにな。」
「…悪ぃな、ヒナタ。コイツ深読みすんのが好きなんだ。」
「お前がバカなだけだ!
知っているんだぞ、評定の時話が難しいからって、終始険しい顔で考えているフリをしてるの!」
…やっぱり、しかめっ面で一言も喋らなかったのはそういう事だったのか。
と、仲が悪いようで、何とも息の合った二人を前に呆気に取られた。
しばらくいがみ合いを繰り返し、やっと落ち着いた様で、フラムが改めてヒナタに向き直る。
「…とはいえ、場所のチョイスだけは褒めてやる。ヒナタ、こっちに来い。」
フラムの後に続いて、広場の中央に向かって歩き出す。緑に彩られた低い柵に囲まれて、1.5m四方程の画が地面に描かれていた。
緩やかなX字の様な形になった図の中が、太い線で7つに区切られている。
「これは…地図?」
「そう、この世界の地図だ。…君が知りたいのはこういう事だろ?」
そうだ、と言わんばかりに大きく頷いた。
「そうだったの?」と、横で見ていたトラがあんぐりと口を開ける。
「…千年程前の話とされている。
幾多もの大陸と、何百もの種族が存在していたこの世界に、”ラグナロク”と呼ばれる厄災が起こった。
…それは仲を違えた神々の戦争だとも、単なる災害による天変地異だとも言われているが、事実、その厄災によって数多もの人間が死に、たった1つを除いた全ての大陸が海の底に沈んだ。」
「そこで残った唯一の大陸がこの、レムニカ大陸…?」
「そうだ。そしてそんな状況でも、世界の各地に生き残った人間は少数ながら居た。大陸を追い出された者達は当然、新天地を求め、このレムニカ大陸を目指した。そうして大陸に辿り着いた人類は、自分達の種族を守るために縄張りを主張し、やがて国を作った。
…大半の人類が滅んだとはいえ、一つしかない大陸に数多の種族が押し寄せ、それぞれが領土を主張するんだ。どうなるかはわかるだろう?」
「…当然、戦争が起きる」
「そう、戦争が起きた。この千年の間、数々の国が生まれては消え、同盟と裏切りを繰り返し、大陸は未だ終わることのない戦火の中。
…それでもここ百年、大陸はようやく7つの国に纏まった。しかし、千年も前から続く戦争の遺恨は終結を許さなかった。そうすると今度は”領土の確保”ではなく”大陸の統一”を目指した戦いに変わる。
残った7国による、レムニカ大陸の統一を目的とした”虹色の戦争”…それが今、この世界の現状だ。」
「…”虹色の戦争”なんて言っても綺麗なのは名前だけ…千年分の恨み辛みに憑りつかれた血生臭ぇ戦だ。まるで呪いだよ。」
淡々と語るフラムに、必死に付いていこうとするヒナタ。それをフォローする様に、険しい表情のトラが口を挟む。
「でも、折角7つにまで纏まったなら協議とか…そういう解決も…」
「…言っただろ?”呪い”だって。
もう皆、戦争に身を置く事しか生き方を知らねぇんだよ。」
「……っ。」
トラの率直な返答に言葉を詰まらせた。確かに、産まれてからどころか、千年も前から戦争が日常のすぐ側にあって、”平和な世界”を誰一人として知らないのだ。だから、どの国も終わりを求めて”終結”まで戦い続けるしかない。…それ故に、”呪い”なのか。
「とは言え、その均衡も崩れつつある。」
遮るように、フラムが視線を地面の地図に戻した。
「ヴァルハル、バレル、ケルゲン…主にこの三勢力を始めとした諸国の戦力拡大によって、ヒノクニの各戦局は激化し、苦しくなる一方…
先日の戦地ビャクヤでの戦いもそうだ。南方の防衛の要地を、休戦状態にあった筈のケルゲンの強襲により落されかけた。」
フラムが指で示す。大陸の西側で、3つの国に挟まれるようにして位置しているのがヒノクニだ。そしてその南側を横に広がる様にして位置するのが、ケルゲンという国。先日の戦いは、このヒノクニの南側、ケルゲンとの国境に位置する”ビャクヤ”と呼ばれる場所で起きた。
「この間のあいつらは、そのケルゲンって国の兵士…」
浅黒い鎧を身に纏った集団…ヒナタがこの世界に来た”きっかけ”とも言えるだろう。
「ヒノクニでは1年前、大きな戦争があってな。そこで俺たちは敗れ、当時の”八起”を3人失った。俺と、メイジーと、フラムの3人はそれの補填として、最近”八起”に繰り上がったんだ。
…アイツらはそれを”弱体化”と踏んで、ヒノクニを潰しにかかってんだろ。」
トラがぎりりと歯を鳴らした音が、周囲に静かに響いた。
共鳴する様に拳を固く握ったフラムが、静かに、怒りの籠った口調で話を続ける。
「ケルゲンの強襲を食らったあの時、北東の戦地に居た僕達はどうすることも出来なかった…!それでメイジーの部隊だけが応戦に行って、返り討ちにあった。恐らくケルゲンは、最初から応戦に来た部隊ごと潰すつもりで来てた。その後の侵略を少しでも楽にする為に。
だからメイジーは、自らを含めた少数で殿になって、自分の部隊を撤退させたんだ。この”敗け”を少しでも次につなげる為に…。」
その場面を間近で見ていたヒナタにはわかった。何千もの兵士に囲まれてなお、たった一人で敵に向かって行ったメイジーの強さが。
「…やっぱり、メイジーはすごい人だ。」
「ああ、だから俺達も負けてらんねぇよ」
無意識に零れたヒナタの呟きに、トラが力強く答えた。
「…少し話が逸れたが、これがヒノクニの現状だ。ヒナタ、これで満足か?」
思いつめたのか、小さなため息とともにフラムが問いかける。
「うん。よくわかったよ。ありがとう。」
お陰でようやく、この世界について抱いていた疑問があらかた解消された。
西洋風の城下町に、日本風の城があったり…様々な文化がごちゃまぜになっていると感じたのは、千年に渡る戦争の中で、様々な種族が統合や分裂を繰り返してきた結果…ってことだろうか。
「…でも本当に、君はどうやって戦地ビャクヤにやってきたんだろうね?先日の事は話せば話すほど疑問が増すばかりだ。」
「もっともな疑問だけど…」
「『覚えてない』んだろう?
…この千年の歴史の中で、他の大陸を求めて幾多もの冒険家が海に出たけれど、ここ以外に大地が見つかったなど聞いた事がない。
君が居た”ニホン”って場所が本当にあるのだとしたら、この戦争すら終わりそうなものだが。」
「俺も、意図して来たわけじゃないんだ…でも、信じて欲しい。俺は敵じゃない。」
「それを決めるのは僕たちだ。…だが」
と、不意を打った様に、フラムは手に持っていたトートバックをヒナタに手渡した。
「うわっ、と…」
唐突なフラムからのパスを、慌ててキャッチする。
「一先ずは歓迎するよ。それ、着替え。その恰好だと目立つだろうし、替えの服ないんだろう?
…後は少しだけど・って、陛下からお小遣い。」
中を確認すると、数着の着替えと、シンプルな折り畳み式の財布が入っていた。しばらくはこれで生活しろ、という事だろう。
「…至れり尽くせりだね」
「おっ、小遣い貰ったのか、ヒナタ!やったな!早速飯でも行こうぜ!!」
隣で見ていたトラが手渡されたバッグを覗き込んで、親指を突き立てる。
「馬鹿か貴様は!ヒナタ、足りなくなっても僕は貸さないぞ」
「大丈夫、とりあえず一回家帰って着替えるよ。ずっとこの制服だからベタベタで正直困ってたんだ。」
理解不能だ、と言わんばかりのフラムをヒナタが窘める。先程のラッパ鶏のお陰で、しばらくお腹は空きそうにない。
「おお、そうか、じゃあ送ってってやる!」
「ありがとう。でもせっかくだし、この町探検しながら帰るよ。」
「…そうか。では、僕たちはこのまま城に戻るとしよう。なぁトラ、貴様もまだ仕事が残っていた筈だ。」
げえ、と、苦虫を噛み潰したような表情のトラが、フラムに引き摺られて帰っていった。その様子を見送ってから、ヒナタも広場に背を向ける。
一歩踏み出すと、涼しい風が吹いてきた。空を仰ぐと日は傾き始めていて、オレンジ色に染まった空が逢魔が時を告げる。
夕暮れ時の大通りは昼の活気とはまた違った賑わいを見せているが、相変わらず人で溢れていた。
喧騒の中に流されるように露店街を進むと、一つの店に目が留まる。色とりどりのガラス細工が敷き詰められる様に並んだ、小さな雑貨屋だ。
「ここ…」
ふと、思い出す。昨日城に向かう途中、ペペロに袖を引っ張られて足を止めた場所の一つだ。
「ペペロとも、仲直りしなきゃだよな」
ぼんやりと眺めて呟いた言葉は、雑踏の中に紛れて消えていった。
***
何とか家に辿り着いて、フラムから預かったトートバックを開いた。
白を基調としたフード付きのローブが3着。サイズは少し大きめだが、一緒に入っていた革製のベルトは、『これで調節しろ』ということらしい。
「おお、ファンタジーっぽい…!」
鏡に向かって、身なりを確認する。まるでコスプレをしている様な恥ずかしさと、新しい自分になったかの様な清々しさを感じて、思わず鏡の前でポーズを決めた。
「…本当に異世界来たんだ、俺」
ふいに、実感した。どこか夢見心地だった、自らが置かれている状況を。
――俺は、何のためにここに来たんだろう
女神が現れるでもなく、転生したわけでもなく、気が付いたら戦場に居た。その目的すら知らされずに。
もし、自分の転移に何か課されている目的があるのだとしたら、と考える。…それは今日の、フラムの話に出てきた事だろうか。
「…7つの国による”虹色の戦争”の終結と、レムニカ大陸の統一。」
呟いて、咄嗟に首を横に振った。
…流石にそれはないだろう、と。千年もの間続いている戦争を、自分が終わらせるのだ。この薄気味悪い能力1つで。身の丈に合った話ではない。
「チート能力で魔王倒せって言われた方が分かりやすかったんだけどなぁ」
と、右手を一杯に広げて、掌を内側に、右目を出す様にして顔を覆う。
「…俺は、どう生きれば良いんだろう。」
「うっわあ…」
…不意に、心底白けたような生気のない声が部屋に響いた。
「っ!?」
慌てて辺りを見回すと、半分空いた木製のドアから、こちらを覗いて冷ややかな視線を送っている人物が居る。
「ペペロ…!?」
突如現れた、見覚えのある髪形とそばかすの少女に、赤面しながら問いかけた。
「あ、人違いですー…」
そっと、ドアを閉めようとするペペロを、腕を挟んで、慌てて阻止する。
「わ、待ってッ…!どうしてここに!?」
「招集です」
無表情で、被せ気味に答えると、すぅ、と右手を上げ、手刀の構えを取った。
「っ…!!ストップ!ストップ!」
焦ってペペロを制止しようとすると、何故か一瞬、びくっとした表情を見せた後、ゆっくりと構えを解いた。
「…何でしょうか。」
冷たく言い放ち、びく、と再び身体を身震いさせる。
「…?あ、あのさ…謝りたくて、昨日のこと」
「……へ!?…い、いや、あれは私が……。」
「あれは俺の説明不足が招いた事…っていうか、こんな意味わかんない奴がいきなりやって来たんだ、警戒されて当然だと思ってる。…だからさ」
と、ヒナタはローブのポッケに手を突っ込んで、握ったままの掌をペペロに差し出すと、その中身を狼狽えるペペロに手渡した。
「…?……!これ…」
ヒナタが手渡したのは、澄んだ水色の、小さなガラス細工のストラップ。
それは昨日、城に向かう途中の露店で”綺麗だ”と、ヒナタの袖を引いた物だった。
「物で釣る…ワケじゃないけど、仲直りのしるし。すぐにとは言えないけど、信用して貰えるように頑張るよ」
こっ恥ずかしい気分になりながらも、素直な気持ちを伝えた。これまで、あんなに他人に興味の無かった自分がこんな事を言う様になったのは、やはりメイジーのお陰だろうか。
「…私が謝れって…言われたのに……」
ペペロは気まずそうに俯いて、掌に乗ったガラス細工を、静かに握りしめた。
「私こそ…すみませんでした。」
呟くように言い放って、沈黙。その後で恥ずかしくなったのか、『陛下から貰ったお小遣いを無駄遣いして!』なんて小言をつらつらと述べると。
「ひぅっ!」
と、不意を食らった様な叫びと共に、再びペペロが飛び上がる様にして身体を硬直させた。
「もぅ~やっと謝ったと思ったら~!」
「ペペロって本当ヘンな所いじっぱりだよね~!」
扉の奥…ペペロの背後から声が2つ聞こえて、一瞬身構えると、半開きだったドアがゆっくりと開いた。
「いだい!痛いってば!!」
涙目のペペロが後ろに向かって怒鳴る。どうやら、脇腹をつままれていたらしい。
『だってペペロが中々謝ろうとしないからじゃない』
2つの声がハモる。…悪態を吐くたびに身体がびくついていたのは、その都度脇腹をつねられていた所為か。
ドアが開いて、背後の2人が姿を見せる。ぴょこん、と同時に飛び出した顔はまるで…
「あれ、ペペ…」言い切る前に。
「ぺスカです!」
「リチャーナです!」
「ペペロです!」
3人がテンポよく言い切って、ニコッと笑う。
突如として目の前で巻き起こった展開に思考が追い付かず呆けていると、とん、と首筋あたりに衝撃が走って、気が付くとヒナタの視界は天井を泳いだ。
「あ…れ……?」
『お昼寝の時間でーす!』
3つの元気な声が同時に耳に響いたのを最後に、ヒナタの思考は夢の中へと消えた。
***
「…ってぇ」
ピリッとした軽度の頭痛と共に、霞んだ瞼がゆっくり開いた。ゆっくりと瞬きを繰り返して少しずつピントを合わせていくと、そこは見覚えのある70畳ほどの大広間。
「…起きたか」
まず、ヒナタが真正面に捉えたのは、真っ白な着物に身を包んだ、透き通った白髪の少女だ。
そして、中央に寝かされたヒナタを囲む様にトラ、フラム、メイジーを含んだ8名の人間が座しているが、ちらほら見知らぬ人間も居る。その中にはペペロと、先程一緒に居た2名の姿もあった。
「また、ペペロが手荒な真似をした様で、すまない」
鼓膜の奥に突き刺さる様な、真っ直ぐな声に刺激され、ゆっくりと起き上がる。手縄の様なものはされていない。
ヒナタは目を白黒させながら、乾いた口をゆっくりと開いた。
「…デジャヴ?」
眼の覚めるような夜が、再び始まった。