月夜に泪を流したら
殴られた頭が痛い、縛られた腕が痛い、乱暴にされた身体が痛い
…そして左胸の奥の方がひりひりと痛んだ
再び戻った意識も覚束ないうちに、霞んだままの瞼は瞬きを繰り返しながらゆっくりと開いた。
目覚めた場所はどうやら大広間の様な、70畳程の和室の空間。ヒナタはその中央で、両手を後ろ手に拘束された状態で正座の体勢を取らされており、目隠しは外されている様だ。
部屋には9名の人間。ヒナタの側面を囲う様に8人の人間が二対に分かれて向かい合って座しており、ヒナタに対して真正面、対面する形で1人、という構図だ。側面にいる8名の中には、武士や騎士、花魁風の女など、かなり個性的な面子が並んでいる。そこには、メイジーの姿もあった。
「…起きたか」
やっと焦点の定まってきた両眼は、声の主を捉える。ヒナタの真正面・一番奥に座している少女だ。雪の様な白い肌に、真っ直ぐに腰の辺りまで伸びた白髪の蟀谷の付近には、水色の二対の髪飾り、そして四季花をあしらった真っ白な着物に身を包んでいる。年は同じくらいだろうが、それを感じさせない程の気品と、気迫が備わっていた。
全てを見透かした様に澄んだ目は、真っ直ぐにヒナタを見つめる。視線を直に受けたヒナタはごくり、と生唾を飲み込んで、硬直した。まるで蛇に睨まれた蛙の様に。
「手荒な真似をしてすまない。本来ならば国を挙げて君を歓迎すべきなのだが。」
少女が告げる。その口から紡がれる言葉は、一言一言が矢の様に鼓膜に突き刺さる様な重みがあった。
…直感する。恐らく、この正面の少女が先程ペペロが言っていた”陛下”で、ヒナタの周りを囲んでいるのが”八起”と呼ばれていた人達だろう。
「あ、あの…」
とはいえ、状況を完全に理解できていないヒナタは狼狽えるしかない。
「オイ、陛下の前だぞ」
唐突に側面から罵声が飛んだ。年頃は30歳程だろうか、黒髪でオールバックの、目つきが悪い男である。
「良い。…客人よ、ヒナタ、とかいう名前らしいが。」
少女が片手を上げて男を制止すると、そのままヒナタに問いかけた。
「…はい。」
小さく、返事をする
「…そうだな、まずは名乗ろうか。
私は、ヒィズル・ミタマ。このヒノクニを束ねる者だ。そして主の周囲に居るのは”八起”と呼ばれるヒノクニの幹部達。…そして現在は評定の真っ最中だ。
…何故ここに呼ばれているのか、わかるな?」
「……。」
俯いて、小さく頷いた。
「そうか。では単刀直入に聞こう。主は何故メイジーを…いや、我が国を助けた?」
身に覚えのないスケールの大きな質問に、思わず聞き直す。
「…国?俺が…この国を?」
「…力を使った後、気を失ったんだったんだったか。」
ミタマと名乗った少女は小さくため息をついて、語り始めた。
「半壊だ。君一人の力で、数千の軍勢を撤退に追い込んだそうだ。
…そんなケルゲン兵を相手取って殿を務めたと聞いた筈のメイジーが君を連れて帰ってきて、この話を聞かされた時は心底驚いたよ。…正直、我が国にとって奇跡の様な事態だ。奪われる筈だった領土と、失った筈の幹部が戻ってきたのだから。
それ故に疑問なのだ。主がいったい何者で、何の為に我々を助けたのか。」
鋭い剣幕でヒナタに問いかける。
それはごく当然の質問なのだが、全く別の世界から来たであろうヒナタにとっては悩ましい問いだった。何て答えることが最善だろう、と。
「…よく、わかりません。気が付いたらあの場所にいて、殺されかけてて。そこで、メイジーが助けてくれた。だから、何とかしなくちゃって思った。
…力の事は、よくわからない。自分でも初めてだったんだ。死体が動き出すなんて。」
悩んだ挙句、正直に告白することにした。
「…意味が分からないな。つまり、気が付くと偶然あの場所にいて、偶然力が発動したと?」
「…はい。」
当然の如く、理解は得られない。
「そんな滅茶苦茶な話、誰が信じるってんだァ?」
再び横から野次が飛ぶ。今度は甚平をはだけさせた赤髪の大男だ。
「…静かにしろ、まだ話している」
呆れた様にミタマが制止に入るが、幹部の面々の顔は揃って浮かない。
「…陛下、私からも質問よろしいでしょうか」
次に声を上げたのは、空色の髪をセンター分けした、騎士を思わせる出で立ちの青年だった
「…話してみろ」
「先程報告にあったメイジーの話ですが、この者は能力を発動する際、銃口を向けるケルゲンの兵士に対し”俺にそんなモノを向けるな”と叫んだ後、続けて”役に立て”と言った、との事でした。
その結果、動き出した死体達が”武器を持った兵士”に襲い掛かったと。そうですね?メイジー」
「…はい。」
俯いたまま答えたメイジーを一瞥すると、騎士風の青年は淡々と話を続ける
「こうは考えられませんか、陛下。この男、本当は戦場の全員を皆殺しにするつもりだったのではないか、と。」
言い放たれたその言葉に、ミタマの眉がぴくりと動いた。
「よく考えてみて下さい。”武器を持った者を殺す”命令を下したのです。その時にたまたまメイジーが武器を手放していただけで、もしガトリングガンを片手に戦っていたのなら、彼女も襲われていたでしょう。
結果、自軍がメイジーしか残っていなかったために、死兵達はケルゲン兵を襲い、それがメイジーを助けている様に見えた。
…本当はどこかの国の差し金で、戦火に紛れてあの戦場の人間を全員始末し、領土の横取りを企んでいたのではないですか?」
「……!」
そこに居た全員の顔つきが変わった。元よりヒナタには冷たい目線を向けていた彼らだが、それがより厳しいものになる。
敵意の視線を受け、ヒナタの全身を冷や汗が伝う。
…確かにそうだ、と思ってしまった為だ。…僕は全員を殺そうとした。
メイジーを助けたい・と思ったのは後から湧き出た感情で、目が覚めた後に感謝されたから。自分はそのためにやったんだと思い込もうとしていただけだ。
…戦場では、そんな事一ミリも思っていなかったのに。
「…その通りです。俺に、メイジーを助ける気なんて無かった。」
掠れ、震えた声で告げた。
「全部、自分の為にやったんだ。あの意味が分からない状況で、ただ死にたくなくて。他人の事なんて考えちゃいなかった。…本当はわかってた。あの惨劇を見て、これは俺がやったんだって。だから正当化したかった。死体をあんな扱い方した事も、何人もの人の命を奪った事も、全部仕方ないことだったんだって。」
「ヒナタ…」
静まり返った部屋の中で、メイジーの呟きが聞こえた。
「面白いじゃないか」
そこで端を切る様に、花魁の様な見た目の、着物を派手に着飾った女が声を発した。
「要はラッキーだったって事でしょ、アタシたちは。このボウヤの生への執着に生かされたのさ」
「コマチ。これはそんな簡単な話では…」
窘める様に、先程のオールバックの男が遮る。
「そうかい?アタシには、このボウヤが嘘を吐いている様には見えないけどねぇ。
…そうだろう?陛下サマ」
それを気にも留めない様子で、コマチと呼ばれた花魁風の女はミタマに話を向けた。
「…ああ。この男は嘘をついていない」
ミタマがため息交じりに答える。
「だーから困ってるって話でしょ?ヒノクニに奇跡を起こしたのが敵でも味方でもない、ただの迷子だったってんだから」
空気を読まずに軽い口調で話すのは、オーバーサイズであろう黒いネコミミのフードを被った少女だ。
「…なぁ坊主、お前は結局何者なんだよ?記憶喪失ってワケでも無さそうだ、どこから来たかくらいは言えんだろ?」
痺れを切らしたように話に入ってきたのは、スキンヘッドに眼帯に無精髭、ちらりと除く胸元からは刺青が見えた、”恐い”のフルコースを詰め込んだ様な初老の男。
「…日本、です。」
その迫力に、これまで以上に慎重に答えたが。
「ああ?どこだそりゃあ。大昔にでも統合されちまった国か?」
…やはり”日本”という国は存在しない様で。
「…その”ニホン”ってとこから、気が付いたらビャクヤ高原のど真ん中だったと。…まぁ確かに、ここらじゃ見たこともねぇ珍妙な格好をしてはいるが」
しかめた面でヒナタを凝視する。ヤクザに耐性の無いヒナタにとっては恐怖そのものだった。
…日本風の城があって、花魁がいて、ヤクザまで居るのに、城下町は西洋風で、ヒナタが着用していた日本の制服は”見たことがない”とは…ますます世界観が分からなくなってきた。
「…商店街を歩いていたら、急に、戦場に居た兵士達の…多分、幽霊が湧き出てきて、気が付いたら自分が戦場に」
問いに答えてはみるが、自分で話してみても意味がわからないのだ。それを他人が理解するなんて、まず無理な話だろう。
「…突拍子もない話だが、どうせこれも嘘じゃねぇって言うんだろ?陛下」
光沢を放つ自身の頭を撫でながら、ヤクザ風の男は陛下に問いかけた。
「…そうだな。」
ミタマは呆れた顔で答える
「なぁ、ヒナタ。主はどうしたい?」
「…へ?」
ミタマから唐突に投げかけられた質問に思わず躊躇う。
「…私は生まれつき、他人の”嘘”には敏感なんだ。…だが残念なことに、主の”嘘臭い話”からは全く嘘の香りがしない。
…だから一先ず、私は私を信じて、主を信じることにする。よって、主に選ばせるのだ。この先の事を。」
言い放って、真っ直ぐにヒナタを見つめた。
「…これから、どうしたい…か。」
…元の世界に帰りたい、というのが一番だろう。でも、帰る方法がわからない。この転移が何らかの意図によるモノだとしても、その課題とクリア条件がわからない。
だとしたらまずすべきことは…
「この世界の事、知りたい」
強い意志を持って答えた。
未知の世界において、無知は最大の弱点。さっき痛い程学んだ事だ。だったら、この状況を利用しない手は無い。向こうもこちらの正体を探りかねている以上、迂闊に危害を加えては来ないだろう。
「奇遇だな」
ミタマがにやり、と笑った
「私も、主の事が知りたいと思っていた。」
「陛下、良いのですか?」
慌てた様子で、オールバックの男が口を挟む。
「良いも何も、お前たちも知っておきたいだろう?この者の”神贈物”について。」
「…それは、そうですが」
オールバックの男を黙らせ、改めてヒナタに向き直った
「交渉だ、ヒナタ。主の知りたいことを、私達が教える。これでも一国の主とその幹部達だ、情報網は狭くない。それに加えて最低限の衣食住も保証しよう。主が寝かされていた城下町の一室はゲスト用に国が借り切っている。あれをそのまま使うといい。
その代わり、私達は主の力について調べさせて貰う。勿論、危害は加えない事を約束する。不満はあるか?」
「あの…その”神贈物”っていうのは…」
ここに来るまでに何度か聞こえてきた単語だが、身に覚えがない。自分自身が何の事だかわからない以上、安請け合いも出来ないだろう。
「…本当に何も知らないのだな、主は。いいだろう、フラム、説明を。」
ミタマに振られたのは、空色の髪をした、先程のセンター分けの青年
「ええ、僕ですか…わかりました」
フラムと呼ばれた青年は、こほん、と咳払した後、丁寧な口調で説明を始めた。
「神贈物”とは、この世界の約一割程…少数の人間が持つ、特殊な”体質”の様なものです。その力は人によって様々ですが、基本的には特定の何かに耐性があったり、特殊状況下においての身体能力向上…といった、人体の基本性能にプラスして与えられた恩恵…すなわち”神様からの贈り物”という考え方から、その力を”神贈物”、また、その所有者を”神贈物所有者”という呼び名で広く伝えられています。」
「じゃあ、俺の力は…」
”神贈物”とは、あくまでその人の体質に根差したもの・ということは…
「この力も、僕の体質…”霊感”に基づいたモノってわけか…」
「君の力は、少し事情が違う。」
青年は目を細めて、ヒナタを睨んだ。
「死者の復活と使役…
”神贈物”によって、人としての道理を外れた恩恵を授かりし者…
”神贈物所有者”の中でも極めて稀な、”禁忌”と呼ばれる存在でしょう。」
…禁忌の”神贈物所有者”とはそういう意味か。あの時のペペロの反応を見るに、万人に受け入れて貰える力では無さそうだ。
「オレがガキの頃に聞かされたおとぎ話だが、こんなのがあったなァ…」
割り込む様に、赤髪の大男が話始める
「『お母さんの言うことを聞かずに悪さばっかりしていると、”死霊術師”がお化けを連れてやってくるぞ』ってな。
オレも随分ヤンチャなガキだったが、まさか本当にやってきちまうとは思わなんだァ!!」
言い放って、豪快に笑った。
「”死霊術師”ねぇ…無尽蔵に死体が生産される戦場において、これ程恐ろしい力は無いんじゃない?まぁ、どうするかはボウヤの勝手だろうけれど」
便乗する様にして、コマチと呼ばれていた花魁風の女性も悪戯な笑みを見せる。
「…念の為言っておくが、この場にいる”八起”は全員”神贈物所有者”だ。いくら”禁忌”といえど、変な気は起こさねぇ方が身の為だぞ」
仕上げに眼帯のヤクザが凄み、ヒナタは委縮する。
「…話が逸れたが、ヒナタ。私との契約は成立ということで受け取って良いのだな?」
一段落して、会話の経過を見守っていたミタマが場を仕切り直した。
「…はい。」
不安要素は多々あるが、自身もよく理解していない力だ。その調査に協力する事で自身にも得る物があるだろうと、その要求を承諾した。
「わかった、では城下町のゲストハウスは好きに使うといい。それとこの国の事、この世界の事も好きに調べて構わない。”八起”の皆は、各員この者に協力する様、部下に伝えておけ。
…その代わり、私達の調査にはしっかり協力して貰う」
「…わかりました。」
軽く頷いて答えた。デメリットは無い…と信じて。
「では、今日はもう帰って休むといい。ペペロが随分と手荒な真似をしてしまった様だからな。
メイジー、送ってやれ。」
「え、私…」
不意を食らった様に、メイジーは目を丸くさせて驚いた。先程の一件で、後ろめたく感じるものがあるのだろう。
「お前だってまだ本調子ではないんだ。早く帰って休め。
…ああ、ヒナタの拘束は外していいぞ、その代わり城を出るまで目隠しはして行け」
「…わかりました」
ミタマに促され渋々と立ち上がると、ヒナタに視線を合わせて、気まずそうに逸らす。
そのまま歩み寄ってヒナタの手を縛っていた布を解くと、それを目隠しとして巻き直した
「行こ」
短く言い放つと、再び視線を奪われたヒナタの手を引いて、二人は大広間を後にした。
「…よろしかったのですか」
二人が去り、しばしの沈黙が包んだ空間で、オールバックの男が口を開いた。
「これが最善だ。」
ため息とともに、ミタマは吐き出す様に言い放つ。
「確かに、わざと強く出て見たが嘘言ってる様には見えなかった。もしオレが敵国の差し金だとして、あの状況で身元を聞かれたら、適当な敵対国の名前でも出して二国間を引っ掻き回してやろうとでも考える。
あんな突拍子もないことを言い出してメリットなんかねぇからな。」
「だから追放も拘束もせず、ヒノクニの管轄下で自由にさせてやるのが一番だってことだろ。あんな力追い出して他国にでも利用されちまったら最悪だ。
この国が気に入って、ヒノクニの戦力になってくれるってんならタナボタだしな」
「”禁忌”の力を、戦争に利用すると…!?そんな事したら…!」
「アタシらは間違いなく周辺諸国から悪鬼非道扱いだろうねぇ。
…けどさぁ、そんな温いこと言ってられる状況でも無くなってきてるだろう?」
”八起”の各々が思案を述べる中、コマチの言葉がミタマを誘う。
それに答えるようにミタマはゆっくりと息を吐いて、閉じた眼を大きく見開いた。
「遊牧国家ケルゲン…この借りは返さねばな。」
***
「…城、広くない?」
終始無言のメイジーに手を引かれたまま城内で右折左折上り下りを繰り返し、5分程だろうか。ひんやりとした風が、ヒナタの頬を撫でた。
「目隠し、外していいよ」
その声とともに、ヒナタの手を握っていた柔らかな感触は離れ、のぼせた右手は空を切る。
言われるがままに両眼を覆っていた布を解くと、そこは先程、ヒナタがペペロに拘束された中庭。
いつの間にか辺りはすっかり日が落ちて、夜の静寂が町を包んでいた。
「…わぁ」
ふと見上げた空は、隙間なく敷き詰められた一面の星と、静かに佇む月の明かりによって豪勢に彩られている。人工の光のない世界の澄んだ夜空は、どこかヒナタを寂しい気持ちにさせた。
「…今日は月が綺麗」
前方で、メイジーが呟く。それから少しの間を置いて、ヒナタに向き直った。
「ねぇ、疲れてる?寄りたいところがあるんだ」
「疲れてるけど、行きたい」
小さく笑って答えると、メイジーは軽く頷いて、歩き出す。遅れない様に、ヒナタもそれに続いた。
月明かりに照らされた細道を歩きながら、メイジーがぽつりと話し出す。
「…今日の事は、ごめんなさい。私も、ペペロも。あなたを騙したみたいになっちゃって。」
「ううん、こちらこそ。俺だって嘘ついてた。ペペロが警戒してああなるのだって、無理ないよ」
「…優しいんだね。
ペペロはさ、ああ見えて何というか、愛国心が強いんだ。でも、ちゃんと話せばわかってくれる子だから」
「早く誤解が解けるように頑張らないとね」
柔らかな風に背を押され、お互い躊躇っていた筈の言葉を素直に吐き出した。
そんな静かな謝り合戦を繰り返しているうちに開けた場所に出て、メイジーが足を止めた。
「とうちゃく。」
「…すげえ」
飛び込んだ光景に思わず、息を飲んだ。
そこは小高い丘になっており、小さな公園の様な場所。眼下には柔らかな明かりの浮かんだ城下町が広がっている。辺りは白を基調とした花々が咲き誇り、それを月明かりが優しく照らす。
中央には、花々に囲まれるようにして小さな木製のベンチがぽつんと置かれていた。
「どうぞ」
メイジーに促され、ベンチに腰掛ける。ヒナタが座るのを確認した後で、その隣にメイジーが座った。
「綺麗な場所だね」
柔らかな月光を讃えるようにゆらめく花々の甘い香りに包まれて、ヒナタはそれ以上の言葉を失った。
「大好きな場所なんだ。大好きで、大切な場所。」
「…どうして、僕を連れてきてくれたの?」
「…大切な場所だから。」
メイジーは真っ直ぐに街の方を眺めたまま、ゆっくりと語り出した。
「ミタマ様と約束した場所なんだ。」
「ミタマ様…って、陛下と?」
「うん、小さい頃に。」
遠い目をして、左手で自身の髪に触れる。
「辛いこととか、苦しいこと、嫌なこととか、悩みごとがある時は、ここに来るんだ。後は、戦場に出る前。ミタマ様がここに来てくれて、”約束”をする。無事に帰ってきますようにって願掛けに、ミタマ様が私の髪を編んでくれるんだ。」
思い返せば、戦場でのメイジーは左側の髪を編んでいた。しかし、今はそれがない。
「あの戦場でもうダメだと思った時、この髪に触ったんだ。そしたら、その後に君が現れた。意味が分からなかったけど、何だか助けなきゃって思った。…それがまさか結果的に助けられる事になるなんてね。」
「…でも、俺はメイジーのことなんて…」
「いいんだよ、それで。君が生きようとして、必死に足掻いてくれたお陰で、私が助かった。私を助けようとしてくれたかどうかじゃなくて、君の頑張りにお礼を言うんだ。」
そう言って、無邪気に笑った。初めて見せる屈託のないメイジーの笑顔は、ヒナタの心を塗り潰していた何かを、ゆっくりと溶かしていくようで。
「…あれ?」
熱いくらいの泪が、ヒナタの頬を伝った。
それを契機に、この世界に来てからずっと強張っていた身体が、緊張から解放される。
――頑張った、なんて人に言われたのは、いつ以来だろう。
これまで心の隅に追いやって、忘れていたモノがここぞとばかりにしゃしゃり出て、制御を失った。
「…怖かった…全部怖かった」
一度外された感情の栓は、泪と共に素直な気持ちをただ吐き出した。
「…うん」
子供の様に泣きじゃくるヒナタをメイジーはそれを静かに、時折頷いて、見守った。
「…多分、君はこれから、たくさん悩むと思う。苦しむと思う。だからその時に、君の支えになってくれる場所が必要だと思ったんだ。」
泣き濡れたヒナタの眼からあふれた泪を、人差し指で拭う。
夜風が涙痕を攫って冷たくなった頃には、気持ちも着いてどこか吹っ切れた表情を見せた。
「メイジー…この場所、気に入った」
真っ赤に腫らした目元を噤んで、めいっぱいに笑う。
「それはよかった」
メイジーがくす、と笑って、相変わらず淡泊に答えると、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、いこっか。もう大分遅いし」
「…うん!」
月明かりにぼんやりと照らされた道を歩き出す二人を、夜風にそよぐ花々が見送った