知らない世界
どこまでも暗く、冷たい闇の中をただただ歩く。
ふわふわと浮いているような感覚、そこに自分の意思はない。
それはまるで死後の世界の様で、現実の様。
重ったるい瞼が自然と開いて、暖かな光を取り込んだ。縮小しきっていた瞳孔がその光をやっと受け入れた頃に、ゆっくりと起き上がり周囲の情報を認識した。
これといって目立った物のない四畳ほどの小さな部屋。ほのかに香るフローラル系の匂いに、自身は簡素なベッドの上。どうやら眠っていたみたいだけど…
「…また知らない場所」
「…おはよ」
不意に響いた聞き馴れない声に動揺してその方向に目をやると、自身が横たわっていたベッドの枕元、壁にもたれる形で椅子に座り本を読む少女の姿があった。
透き通るような金色の髪に、大きなフードの付いた真っ赤なポンチョ。その奥からちらりとのぞく腹部が何とも煩悩を掻きたてて…
「あ、あの時の…!」
「…どこ見て思い出したの、今」
少女が怪訝な顔でこちらを睨む。見覚えのある、ネコみたいな眼で。
「…やっぱり、夢じゃなかったんだ」
同時に悪夢のような光景が蘇る。血生臭い戦場の悍ましい惨劇が今も瞼の裏に張り付いている様で、反射的に嘔気を催す。少し驚いた様子の少女に背中をさすられて、寸での所で嘔吐を食い止めた。
「丸一日眠っていたわ。大分うなされていたみたいだけど。」
「…もしかして、ずっと付き添っててくれたの?」
「いや、さっき来たとこ。」
彼女は淡白に言い放ったが、よく見ると袖から覗く真っ白な腕には何か所も包帯が巻き付いている。彼女も彼女で相当な負傷なのだろう。それでも様子を見にやってきてくれたのだと思うと、少し申し訳ない気持ちになった。
「それにしても、不思議ね。自分が使った力なのに思い出して取り乱すなんて」
「あれ、俺がやったのかな…」
「あの状況で他に誰が居るって言うの?それに、あの死兵達はあなたの命令に従って動いているように見えたけど。」
「…わかんないよ。確かに霊感が人より強いってのはあるけど、”視る”事しか出来なかったはずなんだ。」
「レイカン?なにそれ。それはあなたの”ギフト”の話?」
「…”ギフト”?なにそれ…」
「…はぁ。本当に謎な人。」
呆れた表情で持っていた本を閉じて、ベッドに座っているヒナタの膝の上に置いた
「あ、これ俺の…教科書?」
彼女がさっきまで黙々と読んでいたのはヒナタがスクールバッグに入れていた歴史の教科書だった。
「悪いとは思ったけど、バッグの中勝手に見させて貰った。いくら命の恩人といえど見ず知らずの人を自分の国に入れるんだもの。でも中の物盗んだりはしていないから安心して。」
少女の足元には、ヒナタが背負っていたスクールバックが置かれている。教科書、スマホ、財布…確かに何も盗られてはいない。
「…荷物も持ってきてくれたんだ。ありがとう。」
「…ねえ、あなたは一体どこから来たの?」
「…え?」
唐突なその質問に面食らっていると、少女は無表情でヒナタの膝上に置かれた教科書を指差した
「その本、しばらく読んでみたけれど私には書いてある内容が全く理解できなかったわ。見たこともない文字なんだもの。」
その言葉で、ヒナタは確信する。薄々と感じてはいたが、考えたくなかった可能性を。
「…ここよりももっと、遠い所。多分、それしか言えないと思う」
…異世界転移。その類だろう。
見知らぬ場所にやってきて、見知らぬ服を着た見知らぬ人種の戦争に巻き込まれて、極めつけは文字の違い。いくら昨今が異世界ブームだからって、まさか自分が体験するハメになるとは…。
メイジーは表情を変えずにヒナタをじっと見つめた後、小さくため息をついた
「そっか。まあ、いいよ。あなたの事は私が問い質して解決する様な話じゃないと思ってるし。
…私はただ、お礼を言いに来ただけだから」
「…お礼?」
「うん。助けてくれてありがとう。お陰で生きて帰って来れた。」
そう言って、小さく微笑む。初めて見る彼女の笑顔に動揺しながらも、ヒナタもまた笑顔で返した。
「…お礼を言うのは俺の方だよ。あの戦場で、こんな不審なヤツを二度も助けてくれて、連れ帰って手当までしてくれて。君が居なかったら多分死んでた。だから、偶然でも君を助けられたなら良かった。」
と、言い終わった所で気づく。
「…そういえば、名前まだ聞いてなかったね」
「ああ、言われてみれば。私はメイジー・ロズローリン。メイジーで良いから。あなたは?」
「俺はヒナタ。マシロ・ヒナタ!よろしくね…」
お互い自己紹介を終えたところで、二人の間をしばしの沈黙が包んだ。元々人とのコミュニケーションを怠ってきたヒナタに、名前を聞く以上の会話スキルが無い為だが、メイジーもこれ以上、特に何か話を切り出そうという素振りは見られない。
「…じゃあ、私そろそろ行くから」
そのうちメイジーが口を開いて、席を立つ。気まずい空気にいたたまれなくなった…というわけではなさそうで、彼女も基本的に、人と積極的に話すタイプではない様だ。
「…あ、ねえ!」
切り出す会話を考えていたヒナタがやっと声を上げた。それに反応してメイジーも足を止め、振り向いて不思議そうにヒナタを見つめる。
「…そういえば、あの戦いって、どうなったの?」
ヒナタが巻き込まれた先日の戦い、途中からの記憶が無いのだ。見た感じ、メイジー側の戦力は明らかに全滅寸前だったが、それでもヒナタと二人生きてこの場所に居るという事実が、素直に疑問だった。
「ああ、あの後ずっと気を失ってたんだもんね。教えてあげる…」
「メイジーさん!」
彼女の言葉を遮るように明るい声が部屋に響いて、女性がぱたぱたと入ってきた。
おでこを出したヘアスタイルと、そばかすが特徴的な小柄な少女だ。
「…ペペロか。どうした?」
「あっ、お話し中すみません!陛下より、”八起”集合による緊急評定を行うとの事です!」
ペペロと呼ばれた少女は息継ぎなしで言い切ると、ぷはぁ、と胸を押さえメイジーに視線をやった。
「そうか、わかった。すぐ行く。
…ヒナタ。悪いけどこの話はあとで…」
「あ、その客人もご一緒にとの事でした!」
再びメイジーの話を遮る様にペペロが口を挟と、メイジーは一呼吸おいて、いつもの事だと言わんばかりにヒナタの方をちら、と見る
「…そうか。だそうだ、ヒナタ。起きたばかりで悪いけど、一緒に来てもらう。」
「え!?でも今、陛下って…」
不意を食らった様に声を上げる。恐らくとても偉いであろう人と、何やら凄そうな人たちが集う会議に自分が呼ばれるのだ。
「多分、あなたが気になっている件だよ」
簡潔に告げるとすたすたと部屋の入口へと向かう。
「あ、待ってって、心の準備…!」
ヒナタもそれにつられるように、慌ててメイジーを追いかけた
***
扉を開けた先は、活気溢れる城下町だった。といっても、ヒナタにはそう見えるだけかも知れないが…
「…すげえ」
レンガ造りの建物が並んだ中世的な街並みは、思わず見蕩れてしまいそうな程に綺麗で、地元の寂れた商店街しか知らないヒナタの眼には新鮮な光景だった。
商人、住民、兵士など、様々な人でごった返す中を黙々と前を歩くメイジーに必死に付いていこうとするが、商売人の売り文句にいちいち反応し足を止めるペペロに袖を引っ張られ、何度も見失いそうになる。
そうして大通りをしばらく進んでいるうちに、大きな噴水のある広場に出た。
「うっわあ!!!」
そして、その眼前に広がった光景に唖然とした。
「おや、ヒィズル城を見るのは初めてですか、ご客人」
呆けて開いた口の中を覗き込むように、ペペロが問いかける
「…うん、初めてなんだけど、初めてじゃないというか、少し見覚えがあるというか…」
ヒィズル城と呼ばれたそれは、日本風の雄大な城だった。城壁は真っ白に塗られ、所々に西洋風なアレンジも感じられるが、その造りは元の世界で見たそれとよく似ていた。
「俺の故郷にも、こんな感じの建物があってさ」
「ほお、それは興味深いですね。このレムニカ大陸にこの城と同じ造りの建物があるなど聞いたこともありませんが…」
ずい、とよりヒナタに顔を近づけ問いかける。この少女、天然な様に見えて意外と聡いタイプだろうか
「少し似てるってだけで、雰囲気は全然違うよ。この城は何というか…圧巻だ。」
西洋じみた街並みの先に、まさか和の集大成が待っているとは…しかし意外なことに周囲との調和は良く取れていて、芸術に関してこれといった関心のないヒナタでさえ思わず魅入ってしまう程だった。
「そうでしょうそうでしょう!このヒノクニの首都タカマガハラに悠然と聳えるヒィズル城!まさに圧巻・そして難攻不落!そんな素晴らしいお城に入れるなんて超ラッキーですね、ご客人!!」
「観光気分で来られたなら超ラッキーだったんだけどね…。」
興奮した面持ちで語るペペロとは裏腹に、ヒナタの心中は穏やかでは無かった。
目覚めていきなり国の陛下とその幹部っぽい名前の人達の集会に呼ばれるという事態、楽観的な気分でいられるわけがない。この国、いやそれどころかこの世界の事について、全く知識が無いのだ。最悪ここがとんでもない独裁国家で、怪しいから即処刑…なんて事もあるかもしれない、とネガティブな考えばかり浮かんで、全く落ち着かない。
「あの…俺、大丈夫ですかね…?」
不安は募るばかりで。恐る恐る尋ねると、メイジーがこちらを一瞥し、くす、と笑う
「取って食われたりはしないから安心して。」
「あれ、不安なんですか?大丈夫ですよ、陛下はとっても良い人ですから!」
メイジーの言葉に被せるようにペペロも口を挟む
「根拠になってない!」
問答を繰り返しながら、先程の露店通りの喧騒とは打って変わった、静けさの包む針葉樹の並木道をしばらく進むと、高さ3m程の真っ白な城門が姿を現した。
「はぁい、到着でーっす!!」
終始ご機嫌なペペロを余所に、メイジーは門番に近づく
「ご苦労様です、メイジー・ロズローリン、戻りました」
「こんにちは!ペペロです!緊急評定しにお二人を連れて来ました!この捕虜的な人も許可済みです!」
「捕虜!?」
メイジーに被せ気味に話すペペロに被せ気味に突っ込んだ
「…伺っております、お通りください」
苦笑いの門番の合図で城門がゆっくりと開き、三人は中へと誘導された
「…近くで見ると、よりすごいね」
色鮮やかな花々に囲まれた広大な中庭の先に凛と佇む純白の城は、淀みのない純真さと、何物にも染まらない強さを誇示している様で、自然と背筋が伸びてしまう。
「メイジー殿」
ヒィズル城を見上げたまま立ち呆けていると、中庭で待機していた門兵が歩み寄り、険しい顔つきでヒナタを一瞥した
「…ああ、わかってる。ペペロ」
何かを察したかの様に、小さく頷く
「わっかりましたー!」
と、ペペロの快活な声が聞こえた刹那、ヒナタの視界は光を見失った。
「んぇっ!?」
と、思わず情けない声が漏れた頃には身体の自由さえも奪われ、地に膝をつく形になっていた。
「悪く思わないで。城の内部は秘密だから見せるわけにはいかないの」
布で覆われた耳の先で、メイジーの声が聞こえた。
「だからっていきなり拘束しなくても…」
目隠しをされ、両手を腰のあたりで縛られた状態で嘆く。確かに、身元不明の部外者であるヒナタに、国の要である城の中を案内する訳にはいかないだろうが…
「だって、『これから拘束します』なんて言って抵抗して暴れられでもしたら手が付けられないじゃいですか」
唐突に、耳元でペペロの囁きが聞こえる
「バカ言うなって、俺にそんな力…」
「何言ってんですか?たった一人でケルゲンの兵隊を半壊に追い込めるような人間、警戒しない方がバカですって。」
「おいペペロ、そのくらいに…」
「わかってますよ。この方は先の戦の大恩人。でも、もしかしたら我が国の脅威かもしれない
…そうですよね?”禁忌”の神贈物所有者|さん?」
先程までの彼女がまるで嘘のような、冷たい吐息を首筋で感じ、生温い汗がヒナタの背筋を伝った。
直後、首の後ろに衝撃が走り、視界が飛ぶような感覚に襲われる
―――甘く見ていたのだ、この世界を。
そして無知とは、どれ程恐ろしい物なのかを。