序章 第2話
「うぅ……うぐっ」
少年は強烈な吐き気を感じて目を覚ました。
その吐き気は、コールドスリープから目覚めた時に起こるもので、それは少年自身も知っている事なのだが、今の少年はまだ頭が働いていないため状況の把握ができず、混乱しながらただ不快感に耐え続けていた。
「あら? ようやくお目覚めかしら?」
突如投げ掛けられた冷たい声に少年は驚いたが、まだ体は脱力していて動かせなかったため、視線だけを動かしてその声の主を探す。
すると、部屋の奥のソファーに腰かけて、ティーカップを口元に運ぶ少女の姿を見つけた。
年齢は16~17くらいだろうか? 艶やかな金髪をドリルのように巻いたツインテールと、凛々しく、そしてプライドの高そうなキツめの目つきが印象的な美少女で、黒を基調としたフリル付きのドレスを着ている。
少年は驚いた。
地球という星その物が、隠居した者が老後を過ごす田舎くらいに思われている時代だ。
少女の服装は、少年からすれば中世どころか古代の民族衣装くらいの感覚であり、この時代の基準ではコスプレとして見ても珍しく思われるデザインなのだ。
「……あら? 女性を、ましてや命の恩人を、そんな不躾な視線でジロジロと見るなんて少々失礼ではなくて? それともそれが貴方の故郷の礼儀作法なのですか?
それはそれは……いったいどんな野蛮な国の生まれなのかしらね?」
少年は、その少女の言い方にムッとしたが、考えてみれば初対面の女の子をジロジロと眺めたのは確かに失礼だったかもしれないと思い直し、素直に頭を下げた。
「……うん、確かにジロジロ見たのは失礼だったね。ごめんなさい。
……それで、どういう状況なのか、教えてもらえるかな? なんだか頭がシャキッとしてくれなくて、まだ混乱してるんだ」
「フフッ……素直に頭を下げる程度には理性的で良かったですわ。……あそこで逆上して怒鳴り散らすようなお猿さんでしたら、もう一度宇宙を漂流していただくつもりでした」
……冗談に決まっている。
そう思いたかった少年だが、少女の口調や態度に本気の色を感じ、怖くなってそれ以上の追及を止めて話題を変える事にした。
「まだ記憶が曖昧な所もあるけど…… 確か俺は脱出ポッドに乗っていた……はずだよね? 君が拾い上げてくれたの? あ、そうだ! 君の名は?」
「君の名は。じゃあありませんわ。 他人に名前を訊ねるのなら、まずは自分から名乗るべきでしてよ? その程度の事すら理解できないんですの?
まったく…… 前世の前世の前世から人生をやり直すべきですわね」
少女の口の悪さに、少年は自分の口元が引きつるのを感じたが、深呼吸をして心を落ち着かせる。
名を訊くときは自分から名乗るのが常識というのは、確かだと納得したからだ。
「……俺の名前は、ライト・ノベルだ。ライトって呼んでよ。
よければ、改めて君の名前を教えてくれないかな?」
「お断りですわ。私は、先に名乗れ、とは言いましたけど、そうすれば私も名乗り返す、とは一言も言ってなくてよ?」
その発言を聞いた少年・ライトは、喉の奥から、うぐぅ、と変な声を出すと、驚きと怒りと脱力が混ざったような、珍妙な表情をしてしまった。
そんなライトの顔を見て、少女は笑いながら言った。
「オホホホッ……! 冗談ですわ。……フフッ、貴方の今の間抜けな表情の見物料として名乗って差し上げましょうか。私の名前は、エリザベスXと申しますわ」
「そうか、エリザベスX…… ん? X?」
ライトは、少女の名前の最後の一文字に首を傾げた。
ミドルネームならまだしも、最後にアルファベット一文字が付いている名前というのが珍しかったからだ。
だからライトは、それを素直に口にした。
「えっと…… 名前の最後がアルファベットだなんて、珍しい名前だね」
その言葉に、その少女。エリザベスXは、不思議そうな表情を浮かべる。
「あら? 珍しいかしら? ですが、貴方の名前もアルファベットでしょう?
……たしか、モブキャラAというお名前でしたよね?」
「全然違うよ!? ライトだよ! ライト・ノベル!」
「あら、薄っぺらで中身の無さそうな名前ですこと」
「そっ……そのセリフはあんまりだ! 謝れ! いろんな人に謝れ!」
ライトはエリザベスXの発言に対して、
『ライトノベルをバカにするな! パッと見て下らなく見える内容でも、作者はそれなりに頑張って考えているんだぞ! それを、誰でも書けそうだよねー、とか簡単に言いやがって! ちくしょうっ! ちくしょおおぉう!』
……という沢山の人たちの魂の声を代表する気持ちで言い返した。
そんなやり取りを繰り返す内に、エリザベスXの顔に微笑みが浮かぶ。
それは今までのSっ気たっぷりの冷たい笑い方ではなく、少女らしい可憐なものであった。
「あら……これは失礼いたしました。久しぶりに人と会話したので、少々嬉しくなってしまいました。
貴方の顔が愉快な造形だから笑ったなどという意図は、少ししかありませんわ」
「少しはあるの!? そこは無いって言い切ってよ…… まあ、それはいいや。
それより、久しぶりに人と会話したって言ったけど、ここに他の人はいないの?
……あ、というか、ここってどこなのかな?」
今さらながら疑問を感じたライトが辺りを見回すと、その部屋の内装は、エリザベスXの服装と同じように、旧世代のヨーロッパ風で、まるでライト1人が未来からタイムスリップして来たかのようだ。
だが窓のステンドグラスから星の海が透けて見える事から、ここが宇宙であるという事が判る。
意識しなければ気付かないが、ランタンの灯りもどこか人工的だ。
「他の人はいないのか?……ですか。ええ、人は貴方しかいませんよ。
まあ、知りたいこともあるでしょうが、まずは手を貸していただけませんか?
フフッ……その過程で、貴方は色々と知る事になると思いますし、ね?」
そう言ってニコリと笑ったその顔は、さっきの可憐な笑顔と、その前の冷たい笑顔の、どちらにも見えるものだった。
ライトは、「わかった」とだけ返事をすると、エリザベスXに連れられてそのヨーロッパ風の部屋から廊下へと足を踏み出した。
部屋から一歩外に出ると、そこはさっきの部屋のような旧世代のヨーロッパを模したような作りではなく、少し古いデザインではあるが、近代の一般的な建造物らしい廊下であった。
だが、ライトがまず気になったのは、その見た目ではなく薄暗さと肌寒さだった。
コロニーなのか宇宙船なのかは不明だが、今いるこの場所は生活環境の維持が最低限ギリギリに設定されているようである。
「ああ、暗さと寒さが気になりますか? ですが、軟弱で惰弱で貧弱な貴方に合わせてエネルギーを無駄に使う余裕はありませんの。我慢してくださるかしら?」
「……了解。暗さと寒さと君の口の悪さは、そういうものだと思って我慢するよ」
ライトの口から皮肉がこぼれ出たが、それを聞いたエリザベスXは顔色の一つも変えずに、「それは良い心がけですわ」と言って冷たく微笑んだ。
ライトはもうそれ以上何も言い返す事もできず、ムッとした表情で、ただ黙ってエリザベスXの後をついていくだけであった。
「この部屋ですわ。さあ、遠慮なく奥へどうぞ」
ライトが案内された部屋には、素人では何に使うのかも判らない機械やモニターが並んでいて、男の子ならば一目見れば意味もなくワクワクしてしまいそうな部屋だったが、ライトは二つほど強い違和感のあるものを見つけてしまい、足を止めた。
「……何? あの剣。あと、彼女はいったい……」
研究所か宇宙船を思わせる近代的な部屋の床に何故か岩が飛び出していて、そこには小学生がデザインした『ゆうしゃのつるぎ』のような剣が突き刺さっている。
その時点で違和感満載だが、その前には鎧を着た女性が仁王立ちしているのが更に違和感を加速させている。
しかも、鎧と言っても現実的な鎧ではなく、ドレスと鎧が混ざったような漫画的なデザインだ。
「彼女は、姫騎士型アンドロイド・クッコローネRですわ。エネルギー節約のためにオートモードになっているので、気軽に近づくと自動で攻撃しますわよ」
「アンドロイド!? しかも、姫騎士型なんて聞いたことが無い……
……ん? 近づくと攻撃して来るんだよね? 君、さっき俺に『奥へどうぞ』とか言って前を歩かせなかったっけ!?」
「貴方の気のせいですわ。……きっとコールドスリープの後遺症が残っているのでしょう。
装置が不良品だったのでは? 手早く要件を済ませて休息を取りましょう」
「酷い冤罪だ!? コールドスリープ装置のメーカーから訴訟を受けるよ? ……まあ要件を済ませるのは賛成だけどさ」
「フフッ…… では、要件を言いましょうか。そこに刺さっている安っぽい剣が見えますね? あれはこの施設の機能を復活させるためのキーなのです。
あれをメインコンピューターに差し込めば、施設の機能が復旧します。発電施設も復旧しますからエネルギー不足も解決できますわ」
彼女が指差した先を見ると大きな装置があり、そこには確かに剣を差し込むことができそうな、大きな鍵穴らしきものがあった。
「うわ……本当にあったよ。……でも見た感じ、特に難しい手順が必要なわけでも無さそうだけど、なんで自分でやらないの?」
「なんで……と言われましても、こういったシステムは、アンドロイドには操作出来ないように作られています。……いえ、逆ですね、私たちアンドロイドのほうが、重要なシステムを操作できないように作られていると言うべきでしょうか」
「ああ。確か末端のアンドロイドがクラッキングされた時に、そこから連鎖的に中枢まで操作されないように、アンドロイドは一部の機体を除いて、あえて専門的なコンピューター操作が出来ないように作られて……
ん? 今、君は、私たちアンドロイドって言ったかい? もしかして君は……」
ライトは驚きで震える指をエリザベスXに向ける。
彼女は、嫌そうな顔でその指を払いのけながら、口を開いた。
「まさか、今の今まで気付いていませんでしたか? 私は人間ではありません。
……では、折角ですから改めて自己紹介いたしましょうか。
私は悪役令嬢型アンドロイド・エリザベスX…… 『異世界の賢者』と呼ばれた天才科学者、ショウ・セツカ・ナーロウ博士の晩年の作品の一つですわ」
エリザベスXは、そう名乗りながら、自分が機械である証拠を見せつけるかのように、その目をキュピーン! と光らせる。
当然ライトは驚いたが、彼女がアンドロイドという事実や、目が光ったというインパクトよりも、ナーロウ博士の作品であるという事に対する驚きの方が大きかった。
「ナーロウ博士のアンドロイド…… 都市伝説じゃなかったのか……。信じられないけど、でも確かに普通のアンドロイドとは完成度がまるで違う……」
まるで、人間にしか見えない!!
そんな驚きから、目の前のアンドロイドの少女をジロジロと見るライト。
「……なんです? その無粋で下品な視線は? 突然、発情でもしましたか?
私がアンドロイドだと知った途端にそんな目で見るなんて、貴方は生身の女性より、人工物に興奮する性癖の方ですか? あ、もうちょっと離れていただけますか? 視線と気配と生体反応が汚らわしいので」
エリザベスXはそう言いながらハンカチで口元を押さえ、視線を逸らしながら追い払うように手を、しっしっ、と振った。
「酷いな!? 視線はともかく、気配と生体反応が汚らわしいって言葉は初めて聞いたよ!? 悪役令嬢って言うより、毒舌令嬢って感じだなー、もう!」
「あら、毒舌令嬢とは気の効いた呼び名ですわね? 悪くありません。
……ところで、このままシステムを復旧させなければ、あと30分ほどで酸素の供給がストップしますが、のんびりとしていてよろしいのですか?
もしや、酸素の尽きた死の空間がお望みで?」
「望んでないよ!? そういう事はもっと早く言ってよ! あ~もうっ……やるよ! あの剣を抜いて、奥の鍵穴に入れればいいんだよね?
でも、そこの…… クッコローネRだっけ? 彼女をどうにかしてくれないと、自動で斬りつけて来るんだよね?」
ライトは、剣の刺さった岩の前に仁王立ちするアンドロイドを見ながら言った。
するとエリザベスXは、自分の指に着けていた指輪を外して、ライトに見せる。
「では私の指輪をお貸ししましょうか。これを装着していれば味方として識別されますから、攻撃はされませんよ。
……それでは作戦の確認です。まず、貴方がこのまま近付き、斬られます。
そして、その隙に私が30分ほどティータイムを楽しんだあと、貴方に指輪を渡しますから、それを着けて剣を抜いてください。良いですね?」
「良くないよ!? 全っ然良く無いよ!? 最初から、指輪を貸してよ!
俺が斬られるプロセスって必要ないよね!? それと、今このタイミングでティータイム必要かな!? それに30分経ったら酸素の供給止まるよね!?
なんでソコでそんなにゆっくりしちゃうのさ!?」
「オホホホホッ! まあまあ、そんなにムキにならないでくださいませ。ほんの冗談でしてよ? ……チッ。 さあ、この指輪をどうぞ」
「今、舌打ちしなかった? い……いや、まあ今はそれどころじゃないか。
ツッコミをしているうちに時間切れになったら笑えないし、早くシステムの復旧をしちゃうよ」
ライトは、「ツッコミで時間切れになったら私は笑ってあげますよ?」と言うエリザベスXの言葉を聞き流し、指輪をはめて、剣にゆっくりと近づいてゆく。
本当にこの指輪で斬られないのか? という疑いから、最初は怯えを感じさせる動きだったが、手を伸ばせば届く距離になってもクッコローネRが動かない事を確認し、ホッと安堵のため息をついてから剣の柄を握り、一気に引き抜いた。
当然と言えば当然だがその剣は本当に岩に突き刺さっていた訳ではなく、窪みにはめ込んであっただけだったため、さほど強い力を入れなくても簡単に抜けた。
ライトがその剣の先を見ると、そこにはバーコードともQRコードとも似ているようでいて微妙に違う、見慣れない模様がある。おそらく、これをコンピューターで読み取るのであろう。
(おっと、珍しい物だから気にはなるけど、ジロジロ見ている暇はないよね)
ライトはその剣を奥にある大きな装置の鍵穴に差し込む。
鍵の様に回す必要はなかったようで、差し込むとすぐに、ピッ、という音がして、その装置についていた小さなモニターが起動した。
そして、その画面に文章が映し出される。
「えっと? 『私はロボットではありません』の項目にチェックを入れてから、道路の写真を全て選んでください? ……このプロセス、必要かなぁ? いや、まあ、やるけどさぁ」
表示された指示をこなすと、次のページが開かれ、ネコ耳、幼女、エルフ耳、メイド服、ナース、ムキムキな軍人など、いろんな写真が表示された。
「えっ? あなたがグッと来る写真を全て選んでください? なにコレ!?」
「ああ。博士はお茶目な方でしたから、ちょっとしたイタズラでしょう。
その質問に正解も不正解もありませんよ。三つ以上選べば次へ行けるので、適当にどうぞ」
「あ、そうなんだ? じゃあ適当に……って、グッと来る写真を選べって内容なのに、なぜかムキムキ軍人だけ5枚もあるんだけど!? なに? これ、選んで欲しいの!?」
適当で良いといっても、やはりムキムキ軍人をグッとくる写真として選ぶのは抵抗があったライトは、ムキムキ軍人5枚を除外してから選び始めた。
ついでに胸毛の濃い山男と、メガネにオールバックで面長の白衣の青年も除外した。
「それじゃ、適当にコレとコレとコレで、と……。あっ、機能を復旧しますか? って表示された! これでYES でいいんだよね?」
このまま決定していいのか確認をするために、ライトはエリザベスXの方を振り向く。
するとエリザベスXは、まるで普通の少女のような、キョトンとした無防備な表情をしていた。
「え~っと…… どうかしたの?」
「……いえ? 何でもありません。 ああ、そこはそのままYES で決定して結構ですよ」
「了解、じゃあ決定だね。 はい、タップしたよ」
モニターに、『しばらくお待ちください』という文字が表示され、室内にウィーン……という低い起動音が響き始める中、エリザベスXがライトに質問を投げ掛けた。
「……先程、グッと来る写真を選んだ時、自分で何を選んだか覚えていますか?」
「えっ? 適当で良いって言われたから、何となく目を引いたものを三つ選んだんだけど……
確か…… あっ!? ち……違うよ!? あれは適当に選んだだけで、深い意味はっ……」
「フフッ、悪い気はしませんわね。 まあ、気持ちだけは受け取っておきましょうか」
焦って弁明しようとするライトと、からかうようにニンマリと笑うエリザベスX。
ライトが深く考えずに第一印象で『グッと来る写真』として選んだ3つは、
『ドレス姿のお嬢様』 『艶やかな金髪』 『気の強そうなつり目』
の3つで、それは見事にエリザベスXの特徴に当てはまるものであった。
「私の人工知能に重大なバグでも発生すれば、貴方の気持ちを受け入れる時も来るかも知れませんよ? その僅かな可能性を信じて、私を愛しても構いませんわ。
ええ、片想いする権利は誰にでもありますから。あっ、ですがあまり近づかないでくださいね? うっかり宇宙アメーバと間違えて焼却してしまいそうですので」
「……とりあえず、君の口の悪さに修正パッチが入ったら、考えてみる事にするよ」
そんな漫才のようなやり取りを5分ほど続けていると、突如コンピューターから、ポーン、という軽快な音が聞こえ、部屋の照明が明るさを増した。
モニターには、『機能の復旧が完了しました』の文字が映し出されている。
「どうやら全て……という訳には行かないようですが、いくつかの機能が復旧したようです。
これで休眠状態になっていた私の同胞達も、少しずつ目を覚ますことでしょう。
……ああ、何十年ぶりでしょうか…… とても…… とても長かったですわね」
そう呟いたエリザベスXの表情は、一言では言い表しきれない様々な感情がこもっているかのようで、やけに人間的に見えた。
「さて、貴方にはお礼をしなくては行けませんね。折角いくつかの機能を取り戻したのですから、おもてなしをいたしましょうか。
さあ、食堂に案内いたしますわ。そこで私の同胞を二人ほど紹介いたしましょう」
エリザベスXがそう言うと、一つの扉が自動で開き、その先の廊下が照明で照らし出される。
それはまるで、ライトを先へと案内するかのようであった。
次回からは基本的には週に一話ペースで、金曜日に更新します。
ストックに余裕できたら投稿ペースを上げるかもしれません。
では、とりあえず次回は来週の金曜日という事で、よろしくお願いいたします。