キャリー・マイセルフ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
君はさ、海外旅行にどんな印象を持っている? いや、経験しているかいないかは、この際、大した問題じゃない。見知らぬだけじゃなく、風習も取り巻く空気も全く異なる空間に、嬉々として足を踏み入れることができるかい?
自称でも、海外に第二、第三の故郷を持っている人って、どんな気持ちなのだろうね。四海のうち、皆兄弟ってほど交流があったとして、それは全部、仮面じゃないかと、僕は思ったりする。 本当の自分はどこにあるのかな……なんて、ふふ、なんだか思春期じみた話になっちゃったね。
そう考えるきっかけになった、ひとつの出来事。聞いてみてくれないかな?
僕のおじさんの一人は、定職についていない。どうも短期の仕事で食いつなぎながら、友達の家を転々としてお金をちまちま貯めているらしいんだ。
そのお金で何をするのか? ありていに言えば、海外をブラブラするんだ。
少し前はルポライター? みたいなこともやっていたみたいだけど、今は全然。
日記をつけているわけでもなし。写真とかも撮って来ない。おかげで久しぶりに会ったとしても、ウソか本当か分からない土産話に、耳を傾けるくらいしかできないんだ。
そして数年前。僕が大学に入って、車の免許を取り立ての時。
夕方、おじさんがひょっこり、僕の家にやってきたんだ。事前の連絡もなしでさ。
おじさんはくたびれた背広を羽織り、リュックサックを背負って、ふらふらと千鳥足だった。更によく見ると、服のあちらこちらに破れ目ができていて、下に着こんだシャツの色がのぞいてしまっている。口にする言葉も「うー、うー」と、意味を成さないうなり声ばかり。
「飲みすぎもたいがいにしなさいよ」とぼやきながら、母さんが肩を貸しかけたけど、図体のでかい僕が引き受ける。
母さんの誘導で空き部屋へとおじさんを連れていく僕。手早く敷かれた布団の上に、おじさんを寝かす。少し経つと、すぐに寝息を立て始めた。よほど疲れているらしい。
母さんが僕に、おじさんの上着を脱がせてあげるように指示を出し、部屋を出ていく。夕飯を作っている最中で、火のお世話をしないといけなかったからだ。
僕は空いているハンガーに背広の袖を通してあげると、クローゼットのドアを開ける。
ドサッと、何かが落ちる音。続いてカードが散らばる音が響いた。
クローゼットの中からじゃない。もっと手に近いところからだ。見ると、背広の真下の床にカードケースが転がっている。
表面の、手が込んだ編み込みデザイン。結構なブランドものじゃないかなと、素人の僕にも察しがつくほどだ。その二つ折りになっていた口の部分が盛大に開いて、カード類が飛び散っていたんだ。
枚数が多い。ざっと目視できただけでも十数枚。ちらりとのぞくケースの中身は、それに倍するくらいの量のカードが入っている。
僕は慌てて、カードを拾い集めていった。ジロジロ観察する気はなかったけど、どうしてもちょっとした情報はちらりと目に入り、脳に刻まれてしまう。
顔写真。横に並んだ数字。日本語ではない、どこかの言葉が並んでいて、文章の一番上の列だけ文字のフォントが太く大きい。それでいてその一列だけ、青や金色に網掛けが施してある。
まるで免許証だったけど、問題が一つ。顔写真に映っている人はどれもおじさんのものじゃなかったんだ。
翌日。ちょうど日曜日だったこともあるのか、おじさんは僕たちよりも遅め。午前十時くらいに台所へ顔を出した。昨晩に比べれば、足取りは十分しっかりしている。
一応、母さんが朝ご飯を用意してくれていたけれど、おじさんは「気持ちはありがたいが、今日は急ぎの用事がある。悪いが、すぐにでも出たい。」というや、部屋へ戻っていく。
それを見て母さんは、「いい練習だから、車でおじさんを最寄り駅に送ってきてあげたら?」と、僕に提案してきた。
正直、僕は少し怖かったよ。
あのカードケースに入っていた、誰の者かも分からない免許証たち。あれが何を示しているのか、分からなかったからだ。
もしも、後ろ暗いことをしていたのなら、日記や写真を見せてくれなくなったこともある程度は納得できる。証拠になり得るものは残さない、というわけだ。
僕の家から最寄りの駅までは、車を使っても十五分ほどかかる。道が混んでいると、もっとだ。
そして更に、気になることがひとつ。出発してからほどなく、バックミラーいっぱいに黒いワゴン車が映っていることだ。こちらが少しブレーキを踏めば、追突してしまいそうな車間距離。煽られていると見ていいだろう。
おじさんは後部座席に座っている。乗ってから最初の五分くらいはじっとしていたけれど、ワゴン車が煽り始める少し前に、背広からカードケースを取り出して、ドキリとした。
ルームミラーで見る限り、おじさんはカードケースの中身を何度も何度も確認しているみたいだった。
入れてあるはずのものが、入っていない。そう感じたら、誰でもする仕草。ますます僕の心臓は苦しくなっていく。
ついには背広を叩き出し、リュックの中を漁り始めるおじさん。よほどまずいものなのか、いや、でもそれを尋ねるのも……。
考え事をしていると、不意に左手から車が割り込んできた。僕と前の車の車間距離は、そこまで広いわけじゃない。強引にもほどがあった。
そのお尻にボンネットをこすりそうになって、急ブレーキ踏んじゃったよ。ギュキュッとタイヤが叫んで、前につんのめりそうになる。
後ろの車とぶつかることはなかった。先ほどと変わらず、僕との車間距離を詰めたままだ。――まるでこの展開を読んでいたかのように、ぴったりと寸分変わらずの距離で、ね。
それでいて、割り込んできた車は著しくとろい。僕も減速せざるを得ないし、追い越しができるほど道路も広くなかった。速度が落ちるにしたがって、先ほどまで慌てていたおじさんは、自分の身体を抱きしめながら、震え始めた。
「ウソだ、ウソだ。あるはずなんだ。絶対にあるはずなんだ。頼む、頼む……」
僕まで震えたくなるくらい、おびえた口調だったよ。
そうこうしているうちに、前の車も僕の視界を覆いつくすほど、迫って来た。
完全に停車してしまうほどのスピード。今から車体を傾けても、バンパーのどこかを前の車にこすってしまう。それでいて、後ろの車は依然、車間距離を詰めたまま、金魚の糞のごとくついてくる。
冷や汗が垂れたよ。後ろの車は煽っていたんじゃなく、最初から、あの割り込んできた車と連携して、僕たちをサンドイッチするつもりだったんじゃないか……。そう思ってね。
すでに前の車は、鼻先でハザードランプをつけている。その光自体も、運転席の僕からかろうじて視認できるかどうか、という至近距離でね。脱出はできない。
僕たちはあえなく、サンドイッチの具と成り果てた。
動けなくなった僕たちの車の周りを、前後のワゴン車から出てきた、男たちが取り囲む。その姿はグレーのスーツで統一されていたよ。そのうちの一人は車内から取り出した誘導灯で、後ろから来る車の交通整理をし始めた。
やがて僕の座る運転席側に近づいてきた男が、背広の胸ポケットから警察証らしきものを取り出し、見せてくる。
「大変申し訳ありませんが、免許証を拝見いたしたいのです」
その言葉に僕が免許証を取り出そうとすると、警察証を掲げた人が、空いた片手でそれを止める。
「いえ、確かめたいのは後ろの……」とおじさんを指さした。
どうして運転手の僕ではなくて、おじさんのものを見るんだ?
振り返った時、おじさんはもう震えることをやめていたけれど、引きつった顔を右に左にと、せわしく動かしていた。
やはりおじさんは追われる者だったのか、と改めて僕は鳥肌が立つ。
そうなると、ここで手向かったら僕も同罪になってしまうかも。そもそもおじさんの罪状って、何なんだ? でも、そんな疑問を抱くべき手合いじゃないと、僕は次の瞬間には認識したよ。
ガチャリと、後部座席のドアが開いた。僕がロックを解除していないのにだ。
おじさんは抵抗するそぶりを見せなかった。囲っていた一人がおじさんのボディチェックをしていく。あのカードケースもだ。
やがてその人が告げる。「免許証、不携帯です」とね。
おじさんは瞬く間に目隠し、さるぐつわをされて、後ろのワゴン車に連れこまれてしまった。そしてワゴン車は、車が途切れた間隙を縫って、強引にUターン。僕が来た道を戻っていく。
あっけに取られる僕の前で、再び運転席側のドアが叩かれた。先ほど警察証を掲げた、男の人。
「このような事態になってしまい、驚かれたでしょう。大丈夫ですか? よろしければ、ご自宅まで私が代わりに運転しますが」
ありがたいような、うさんくさいような気がしたけど、僕は運転を任せることにした。
ヘタに機嫌を損ねてはいけないと、直感的に感じたんだ。
家につくと、まず警察証を見せた男の人が車を降り、インターホンを押して、出てきた母さんと二、三、言葉を交わす。僕も続いて降り、母さんに尋ねたけれど、おじさんは来ていないとのことだ
その間、男の人は車を車庫に入れ直し、僕たちに挨拶をして去っていく。そばにワゴン車は停まっていなかったから、どこかで合流する手はずなのだろう。
まるでわけが分からないできごとだったけど、僕はひとつ確かめたいことがあった。
おじさんの部屋はまだ布団が敷きっぱなし。僕はそれをはいで、よく探してみる。
すると、おじさんが寝ていたところのちょうど真下辺りに、昨日見たものと同じカードが、一枚潜り込んでいたんだよ。
僕はそれを見て、思わず声を出しちゃった。それもまたほとんどが読めない字だったけど、おじさんの名前と共に、この文句だけは日本語でこう書かれていたんだ。
「人間運転免許証。写真の者を動かすことを許可する」と。
声を聞きつけて母さんが来たけれど、確かに握っていたはずのその免許証は、僕がふと目を離した隙に、消えてなくなってしまったんだ。




