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第四弾・『囲われた街で』

『殺人鬼はそれでも家族を求める』とほぼ同時期に起こっていたストーリであり、『壊れた街』の対極に位置する番外編です。

こちらも推理物ですが壊れた街よりも多分戦いが多くなるのかな?その予定です。

 世の中というものは酷く生き辛いものだと思う。

 何故って?

 俺の周りにまともな人間が一人もいないからだ。なら俺以外の人間の周りも同様にまともな奴はいないはずである。つまり世界中全ての人間がまともではない、つまり生き辛い世の中であるという事の証明である。

 違うか?違うね。

 どこぞの名探偵のように行く場所行く場所で事件に遭遇したり、ありきたりなイケメン君が学校へ行けば全校の女子生徒に囲まれる様なそんなクソみたいなバカみたいな人生なんてそうある事じゃないだろう。俺だって違うさ。そんな人生遅れる事なら送ってみたいものだ。いやまっぴらごめんだが。

「さて、あなたに質問です」

 だがしかし、というものもあるだろう。者か、あるいは場合か。ともかく限度を知って欲しい。

 俺は振り回されて喜ぶような質でもないし俺の周りで問題事を起こされても困るんだ。それではしゃいでいたのはせいぜい幼稚園児時代くらいのものだろう。そんな事ではしゃいでいる俺など記憶にないが。

 だが誰も予想できた話ではないのだ。

 まさかただ当たり前に面倒ながらもそれなりに真っ当に生きてきた俺からすると尚更予想を立てるなど不可能な案件だった。無理からぬ、と言って欲しいね。言わないなら俺が言うぞ?

 無理からぬ。

「あなたが真っ当?あなたが真っ当であると定義するのならまずはこの世界の概念を根底から見直す必要があると私は思うけれど」

 しかしそう言われたとしても困るな。自己の評価など所詮は個人で行う外ない。客観的な意見が一体何の役に立つと言うのか。俺は役に立った試しがないね。あったとして映画の善し悪しくらいだろうか。しかしあれはあまりやってしまうと内容を見る前に知れてしまうのだから後悔する可能性も同様に付き纏う。引き際を知らない奴はそれだけはやめとけ、と発信したい。

「話がずれました。再度質問しましょうか」

 さて質問である。俺はどうでも良い話、頻繁に職務質問に遭うのだ。別に挙動が不審だとかじゃないと思う。ただ俺は夜の散歩が趣味なだけである。

 ……十分怪しいのか。そしてどうでも良いか。

 だが誰かに質問される、という経験はあまり人生において大概の人間は少ないのではないだろうか?例えば「〇〇は××でしたか?」と聞かれてれば「はい。〇〇は××です」と多分九割くらいの人間は答えるだろう。

 果たしてこれは質問だろうか?俺はそうは思わない。これはあくまでも会話であって本来あるべき質疑応答とは違う気がするのだ。だってほら「質疑応答」。なんか硬いだろ?

「今回起きた事は、偶然でしょうか?」

 必然と偶然の違い、とは果たしてどれだけの人間が考えたことがあるだろうか?いや多分ほぼ全ての人間がそんな事考えちゃあいないだろう。そんな事を考えるのは哲学者くらいのもので、そもそも辞書を引けばすぐに答えが出るのだ。考えるまでもない。

 必然。起こるべくして起こった事象、あるいはその因果関係を指す。

 偶然。何かしらの因果関係が絡み合ったことにより、割合、つまり確率によって起こり得る事象が実際に起こった際に使われる言葉。

 だがどうだろうか?俺はあんたらに質問する。そうあんたらだ。

 偶然というのは奇跡とは違うのだ。結局は起こり得る、という『可能性』を最初から孕んでいたのであればそれはつまり、必然と同義ではないのかと。

 むしろ確率論によって起こる起こらないの二択に別けられた中で『起こって』しまったのであればそこには何者かの意思が介入している『可能性』を考慮するのが妥当だとは思わないか?

 そこで再度質問だ。

 必然と偶然の違いとはさて何であるか?

 解=知らん。

「あなたらしい答えです」

 俺らしい。

 ふむ。長くそんな事は考えたことはなかった。いやもしかしたら今までにだってそんな経験はないかも知れない。

 だってそうだろ?自分らしさとは何だろう?などと考える奴は往々にして意識高い系って奴だからだ。あるいは自意識高い系か。誰も、それこそ全人類が他人の本来のあるべき姿など考えたりなんてしないだろう。あるとしたらその答えはこうである。

 Aのあるべき姿=自分にとって都合のいい姿。

 でなければ世の中は回らないだろう。全ての人が自分の本来の姿(笑)を追い求めて自分が望むように行動していたら世の中はとっくに破綻している。

 九割が自己を捨てて社会に合わせ、残りの一割が社会を捨てた自己中野郎、という分割が出来ているから世の中は回転しているのだ。つまり一割は潤滑油という事だ。あるいは見せしめか。

 そして俺の周りにはその一割の、更に分割して一割くらいの自己中人間が存在している。どうして俺なんだろうね?嫌になっちゃう。

「では、次の質問です」

 圧迫面接、と言う言葉があるが実際どうなのだろうか?俺程度の人間はまだその経験はないし、その立場になったこともないので知る由もないがあれは法律的に見てオーケーなのだろうか?

 圧迫。文字からして面倒臭そうだ。それに脅迫みたいなイメージが湧いてしまう。圧『迫』。脅『迫』。

 しかしこういう言葉で遊んでみると不思議なもので漢字に強くなるものである。漢字にだけは自信があるね。

 しかしどうでも良いが癒し、と言う言葉もあるだろう。

 癒し。身体、精神の疲労なんかから気分が解消される、その元がなくなることを言うらしいのだがどうだろうか。

 癒し。卑しでなく。癒し。

 この字。言葉でなく漢字。全く癒されないのだ。書くのがものすごく面倒くさい。だから俺は癒し、と電子媒体以外で書かなければならない時には『いやし』と素直に書くようにしている。

 癒し、と言う字が名前に入っている奴は災難だな。あんたは一生いやされないのだ。

「あなたはどう動きますか?」

 これの答えはすぐに見つかる。

 例えばあんたらならどうする?周りに困っている、あるいはこれから問題行動を起こしうる『可能性』を孕んだ奴がいたとしよう。

 あんたらなら助けるか?

 俺の解=頑張れ。

「それもやはり、あなたらしい答えですね」

 逆に思う。何故わざわざ他人を救う必要があるのか、と。

 結局は個人の問題ではないか。そうなるまでに追い込まれてしまったのはあくまでも当人の責任であり他の誰もが責められるべきではない。だったら助ける方が烏滸がましい。筋違いだ。むしろ迷惑とさえも言える。

 いやもちろん誰かを助けて愉悦感に浸りたい、という性癖を持つ方ならどうぞご自由に。それはあくまでも個人の行動だ。個人で望んで、個人で動いたその結果、その相手が助かっただけに過ぎん。自己満足ならご自由に。

 だがそれ以外の奴はやるべきではないのだ。何故って?

 責任が取れないからだ。AがBを助けようとしたその結果、むしろ事態が悪化したとしよう。その責任は誰のものになる?

 Aか?

 いやそうはならないのだ。やはりこの場合でもその責任は根本的原因、事象を作ってしまったBに帰結する。回帰と言う方が正しいのか。

 結局は物理的な結果としては何も変えられていない。だが精神面の方はどうだ?

 おそらくBはAを、理不尽にも恨むだろう。「お前が余計な事さえしなければ」と言った風に。

 そんな責任転嫁などまっぴらごめんだ。だから俺は誰も助けない。俺自身が動くことなどそうそうある事でもない。それこそさらにもう一個、連続殺人事件でも起きない限り、俺は動かんな。連続殺人なんてのは一つの街に一個で十分である。なおこの言い分は一家に一台、と言う意味ではない。無いなら無いに越したことはない。その方が俺は好きにできる。


 だから俺は『この件』についても動く気はない。理由?逆だ。

 俺が動く『理由』がないんだ。どうしても俺を動かしたいんなら一億円くらい持ってきてくれ。悩む振りくらいはしてやろうじゃないか。それでもやはり、俺は動かないのだろうが。

 という訳で俺は働きたくないです。

 解=労働の義務の撤廃を要求する。


「本当にあなたは……」


「素敵な人」


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