犬
そもそも僕は誰かに閉じ込められているのか? 可能性はほぼ一〇〇%。脱出には関係なかったとはいえ、わざわざ暗号を仕込むなど手の込んだ仕掛けには人為的悪意を感じる。必ずこれを仕組んだ人間が存在する。さらにもう一つ言うならばこの手の性悪な仕掛けは仕組んだ本人も性根が腐ってる。そのためどこかで僕を見ているに違いない。
それなら試してみるべき選択肢が一つ。
「聞こえるか! そこで見ているのはわかっているんだ! こそこそしていないで堂々と出てきたらどうなんだ!」
見えざる何かへの挑発、そして完全なハッタリ。しかしこれで変化があれば一歩前に進める。
――――――
何か聞こえる。明らかにさっきとは別の事象が発生している。当たりか? 耳を澄ます。
グ――ァ――
なんだ? 地を這うような重低音。地震ではなさそうだ。……声?
グルル――ァ
ここまで聞こえてやっとわかる、唸り声だ。それも人のものではない。荒々しさを感じさせる獣特有のそれ。
閉じ込められている檻の向こうに黒い影が蠢く。黒い靄に包まれているかのように形状が読み取れないため目を凝らす。
「犬……だよな」
強靭な筋肉を備えた四肢にスラリと整った顔立ち。ドーベルマン。
しかし疑問はそこではない。ドーベルマンではありえないほどの巨躯。さらには身体の一部が爛れて内臓が剥き出しになっていたことだ。
だが驚くべき点はそこでもなかった。
奴が一歩前に踏み出す。檻の中へ。
自分の目を信じることができなかった。檻の外にいた怪物が一切の音を立てずにガラスを透過してくるのだ。信じろというほうが酷だろう。
奴が咆える。犬とは思えない声量で、迫力で。目の前の敵を制圧しひれ伏させるために。
――――――真っ白。
「――――」
動かない。考えない。言葉が出ない。ただ恐怖に飲まれ、現実から逃避し、思考がホワイトアウトする。
抗うことも何もできず、僕は静かに目を閉じた。
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凛、と鈴が鳴った気がした。
「諦めちゃダメです!」
目の前に広がる現実の暗闇にいつか夢に見た光が一閃、差し込んだ。
刹那、不意に浮遊感が襲う。同時に下方向へ身体が千切れるほどのGがかかる。
何が起こっている? 目を開けられない。三半規管もめちゃめちゃ。確認する術は今のところない。ただ一つ言えるのは怪物からは逃げ切れたというところだろうか。