第六話 対岸火災
霜月 二十日 食時
「嫌よ! 『化物』にはなりたくないわ!」
おおう……予想より拒絶が酷いな……
アレか、先に『翻転』の話をしたのがいけなかったのか。
「こいしの場合使い過ぎれば気持ち悪くなるんだろ? そこで止めれば『翻転』はしないさ」
「私はもう『収納鏡』二つと『譎詐の鏡』も作ってるのよ。すでに気分が悪いわ……」
さっきの話がショックで顔色が悪いのかと思っていたが、そうか、そもそも気分が悪かったのか。ならばそうと言ってくれればよかったものを……
「そう言えば、最初に会った時に同時に二つの結界を展開出来てなかったな……二つ同時はやはり辛いのか?」
「ええ、同時に使うとすぐに気分が悪くなってしまうわね……」
「ふむ……どうやらこいしは世界から外れ易いみたいだな。ふむ。アレか、『結界』の異能故にってとこか。無意識のうちに自分と外的世界に境界を引いてしまっているんだろう……ほら、これでどうだ? 楽になったか?」
私はこいしに糸で操る人形の様に異能を繋いだ。
「身体が軽くなった……一体、何をしたの?」
「あん? ああ、私の異能でこいしと私を繋げて、私がアンカーとなることでこいしを外的世界のパラダイムの中に留めてるだけだ」
「え、それじゃあキミが……」
「安心しろ、私はそう簡単にパラダイムを見失わん。何しろ、『二人分』だからな」
「……二人?」
「いいから行け……」
取り敢えずヤクザキックした。
私だって女の子。知られたくない秘密位持ち合わせているのさ。
こいしは既に支配下なので能力も使える。壁を少し開き、そこからこいしを『鳴神』の元へ送り出した。
あ、転けた。ちょっと心配になってきたな……
◆◆◆
痛ったい……
全く、乙女らしからぬ蹴りなんかしちゃって、態度と口調を改めればすっごく可愛いのに……
心の中では文句を言いながら立ち上がり、パンパンと服の汚れを払い落とす。まあ、この部屋に汚れなんて無いんだけど、癖ってやつね。
私はこんなにゆったりとしているけれど、『鳴神』はまだ動き出していない。
ーー当然だ。何しろ私は今ここにはいないのだから。
現在、物理、干渉、存在の三重結界を張っている。前二つは字面からわかるだろうけど、三つ目の存在結界、これは文字通り存在感を消すためのものね。飼主であるありすには隠せないけれど、それ以外の人は認知できないという優れ物だ。
しかし、異能を外に使おうとすればこの結界は破れてしまうため、暗殺者紛いのことは出来ない。
と、そこで『鳴神』が消失した。
知覚出来ない程速く、纏っていた自動発動型相対結界が引き千切られ、体表の物理結界に接触した。
脊髄反射的に私は結界を二つ張り、それらを繋げることで簡易ワームホールを作り、緊急離脱した。その判断によって壁の反対側、五十メートルの距離をとれた。
だけど、たかが五十メートル。
光速、秒速三十万キロメートルで動いているであろう『鳴神』にとっては誤差の範囲内。近似すればゼロになってしまう距離ではある。だけれど、ほんの僅かな時間でも稼げればいい。それさえあれば結界の一枚は張れるもの。
……それにしても何故私の場所が?
深く思考したくなったが、今はさて置いた。というよりできない。知覚するよりも速く迫る『鳴神』から逃げ続けながらの思考は難度高いわ……
普段ならばこんな戦い方をしていれば、いずれ異能の使い過ぎで翻転してしまうけれど、今回に関してはその心配はない。
むしろ沢山使ってありすを『翻転』させようとすらしていた。
……けど今の所、全く堪えたようには見えないのよね。なんなんだろう、あの娘怖い……
「わっ!?」
考え事をしながら逃げ回っていたら、移動先を読まれ回り込まれてしまった。空っぽに見えるけれど頭はあるらしい。でも先回りされようと、やることは変わらない。今度は天井に飛び、結界で足場を作った。目が何処に付いているのかは知らないが、明らかに視界外に出ても直ぐに反応してこちらへ跳んできた。
そこで一つの仮説が浮かんだので、もう一度飛び、壁とは違い強度の低い結界で囲ってみた。すると、『鳴神』は周囲を一蹴し全ての結界を破り捨てた。次に私は別の結界を張ってみる。今度は一マス分部屋を狭めるものだ。
『鳴神』は暫く徘徊した後、壁際まで行き攻撃を加えるが、破れないと知ると、中央で静止した。
おい、早く戦えっ! と野次が外野から飛んでくるが気にしない。気にしないったら気にしない。だって異能者との戦闘の基本は相手を知ることだもの。先ずは様子見よ。
まあ、先程までの試行で相手の手の内の当てはついたし……あとは、攻勢に転じるだけねーー!
「お前じゃ私にダメージは与えられないわ! 増量してからまた来なさい、この樹洞野郎!」
「……おーい、口調がぶっ壊れてるぞ」
「そこっ、うるさい!」
部屋を狭めていた結界を解除する。
直ぐに『鳴神』が私に反応し、文字通りの光速で迫る。が、その身体が私に触れることはなかった。
「……よし、『空間感圧式拘束結界』の作動も問題ないわね」
相手に質量がなく感圧式が使えないせいで、コストパフォーマンスの悪い空間感圧式を使ってしまったが、負担は全部ありすの方にいくんだ。問題なんてない。
『鳴神』は頑張って拘束から逃れようとしているが、それが叶うことはない。拘束結界は膂力以外によって破ることはまず不可能だ。
故に質量を持たぬ『鳴神』に破る術はない。動けない敵なんてただの的。大きな隙は大きな攻撃のチャンス。
これで決めるーー!
「……未だ見ぬ過去 過ぎ去りし未来 隔離されし今 その全てに於いてその質料は無く その形相も無い 故にその存在は失われ 観測は叶わない 『輪廻流離結界』ーー!」
詠唱が終わると同時、『鳴神』の立っていたマスが天井まで闇に包まれた。その闇は三秒程で晴れたが、晴れた先に闇を塗りつぶす様に輝く光は存在していなかった。私は『鳴神』の消失を確認すると、中央を仕切っていた結界も解除し、膝に手を付き肩を落としているありすの元へと向かった。
「言われた通り倒したわよ」
報告するも返事はすぐには返ってこなかった。少し経ってからありすは顔を上げた。
「……お前、巫山戯るなよ? 瞬間移動モドキの連発もそうだが、特に最後のヤツだ。持ってかれるかと思ったぞ……」
「キミは決して『翻転』しないって信じてたのよ」
「調子いい奴だな……」
実際、結構辛そうではあったので背後に回って抱き抱えてみた。さらさらと流れる御髪が頬に当たりこそばゆい。御髪の感触も楽しみつつ、前へ回した腕でふにゃりとした柔らかな感触も楽しむ。
……ここは天国なのかも知れないわね。
「素晴らしい抱き心地ね、私の抱き枕にならない?」
「断る。下僕の身の程を弁えたらどうだ?」
私にとってはとても魅力的な提案だったのだけれど、お嬢様はお気に召さなかったらしい。
でも、押せば受けそうだな……
「……一回一万円でどう?」
「……む、それは魅力的だが……断るぞ」
「釣れないなぁ……」
「おい、なんか字が違くないか?」
ありすの言葉は黙殺して、私はこの状況を楽しむことにした。ありすは片手で抱ける程軽い。ということは抱っこしていても片手が自由になるわけで、もう存分に弄ってやった。まだ幼いありすに触れることはどこか背徳的で、段々と倒錯した気分になってくる。思うがままに、むにむにと幼女の柔らかさを堪能していたのだが、ありすが不機嫌になってきているのがわかったのでリリースしてあげた。
乱れた服を整えつつ、白い目を向けてくるありす。
「さっきの部屋の件といい今といい、私のことが好きすぎるだろ……私と『仲良し』したいのか?」
「うぇ!? いや、別にそんな……」
「もういい、その反応でわかった。こいしは同性愛者のペドフィルだったってことか……」
「違う! 違うからーー!」
「趣味は人それぞれだからな好きにするがいいさ……それで、こいしの倒錯した性癖は置いておいてだな、先程の戦闘のことだ。なんでわざわざ詠唱なんてしてるんだ? 結界なんてトラップみたいなモノなのにその存在をバラしちゃ世話ないだろ?」
「……! それはアレよ、浪漫よ! 浪漫は大事でしょ?」
「確かに、それは一理どころじゃなく、十理程はあるな……そうだ浪漫と言えばこの言葉ーー」
あ、これは多分私も知ってる言葉だ。そう思ったので、私もありすに合わせて口ずさんでみることにした。
「「浪漫そのものに意味は無く、求め彷徨う過程にこそ意味がある!」」
「ありすも分かる人なのね! 私はこの言葉をお父さんに教えてもらったのだけれど、まさにその通りだと思うわ」
正にその通りだった。私が紡いだ言葉とありすが紡いだ言葉は一つの齟齬もなく、ぴったりと重なった。
「ならこれも分かるのか?」
多分今度のもわかる……さっきの言葉の次にくるのはーー
「「浪漫のためなら労働を厭わない!」」
やっぱり、ありすも同じ言葉を知っているみたいだ。
「おお……! こいしとは仲良く出来そうだな……『仲良し』はしないが」
「もう、違うからぁ!」
これはよくない……これからも暫く弄られそうね……
調子に乗り過ぎたかしら……でも、後悔はしてないわ。
それでも、自業自得とはいえ精神力が削られそうね。はぁ……
……でも、ありすと一緒にいる事は悪い事ではないのかも知れない。常人には手を出さないだろうし、目の前に虐げられている人がいればきっと助けるだろう。それに、私達に対して情報を秘匿する機関よりはよっぽど信頼できるし、何しろ可愛い。
可愛いは正義。
ありすは可愛い。
だからありすは正義。
ほら、三段論法も言っているわ。という訳で、私はありすに喜んで尻尾を振ろう。
……異能から逃れられないといった諦めも含まれてはいるけどね。
霜月 二十日 隅中
異界から出た私達は部屋でまったりしていた。具体的にはベットでごろごろしながら本を読んでいる私と、ぼうっと虚空を見つめているこいしだ。
「……ありすは何を読んでいるの?」
心ここにあらず、といった感じだったこいしだったが幽体離脱はしていなかった様で安心した。何の気なしに口から零れた言葉だった様だが、私はしっかり答えてやる。
「ユイスマンスの『さかしま』だ。面白いぞ。読むか?」
その時に私の愛読書を勧める事も忘れない。
「え、遠慮しておくわ……」
表紙を見せた途端にこいしは嫌な顔になった……解せぬ。
面白いのに『さかしま』……
「そ、それじゃあその枕元にある珠は何?」
「ん、これか。これは『鳴神』の核だ。有り体に言えばそうだな……鳴神になった男の内的世界の塊だ」
私の異能で解析してみたら内的世界が結晶化したモノだったって訳だ。
「え、それって……」
「ああ、こいしが思い描いたようにこれを使えば『雷光』が使えるぞ」
「凄いじゃない! 大発見よ、ノーベル賞が取れるわ!」
「そんなに褒めるな。面映ゆいじゃないか。だがこれだけでは使い物にならん。中身を取り出そうとすれば『鳴神』が出てきてしまう」
「じゃあそれは無用の長物ってわけ?」
「今はそうだな、今は……」
「何よ、含みのある言い方ね」
含みが有るのは仕方がないさ。まだ仮説でしかないわけだから。
あゝ早く検証がしたい……
「何れ分かるさ、それよりもこいし、学校はいいのか?」
「え……嘘っ! もう十時なの!? ごめん、講義に遅れちゃうからもう帰るわね」
こいしは時計を確認すると、お座なりな別れの挨拶をして、騒がしく去っていった。
……せめて散らかした机の上は片していって欲しかった。
ため息を一つ吐き、残された私は一人寂しく部屋を片付け始めた。
romanはドイツ語で小説。