第四話 電光雷轟
霜月 十九日 日入
前回で十九日は終わりだと思ったか? 残念だが私の十九日はまだ終わらん。
私達が涼風堂から出た時、陽はすでに落ちていた。藍に染められた空の西側だけが紅く燃えている。放射冷却の影響か、昼間より気温がぐんと下がっている。そのせいで、私の吐く息も再び白く凝縮した。
喉を攻撃してくる冷気を防ぐ為に、首に巻くマフラーを少し引き上げ、口元まで覆う。
「さて、計画を進めようか」
ガス灯を模した街路灯に照らされて、こいしの怪訝な表情がよく見える。それにしても、やっぱり可愛いな。
飴色のアンダーフレームの眼鏡にショートボブの黒髪。他人に興味がないような無表情だが、そこがまたどこか人形のようで心惹かれるところがある。あと、ワンピースにケープとか似合いそうだった。
こいしから少し視線をずらすと、秋の大四辺形が目に入った。それを追うように横に二人並んでいた状態から私が一歩分前に出る。
「まあ、今日はもう帰る。門限が近いんだ」
「えっ、思わせぶりな態度しておいて結局!?」
「……うるさいな。私はウチでは良い子で通ってるんだ。敢えて壊す必要もないだろう。ほら、ついてこい。私の家を教えてやろう」
◇◇◇
夜の帳が下りた街。闇が勢力を増したその姿は何時もの日常から乖離し、非日常が溶け込んでいた。
地鳴りの様な大きな音を立て、巨大な金属の箱が左側を通り過ぎた。押し退けられた空気が私を襲い、モノトーンのマフラーが翻った。前に垂れてしまったそれを背後に払いさり、少し形を整える。ばっちり決まった所でくるりと向きを変え、後ろ向きに歩き出す。
視線の先には表情を凍らせ、一歩後ろを付いてくるこいしの姿があった。まあ、表情が凍っているのは寒いからだろう。私は手袋にマフラー、コートを着ているがそれでも寒い。対してこいしはブレザーだけだ。流石に寒いのだろう。
子供は風の子、私は火の子。
あゝ早くお家帰ってあったまりたい……
「なあ、異能力者ってどうやって探してるんだ? 足で稼ぐ人海戦術か?」
丁度いい、という事で疑問を解消する事にした。
「……部外者には教えられないわ」
「そんなこと言っても教えてくれるんだろ。知ってるか? 世間ではそういうの素直じゃないって言うんだぞ」
「うるさいわね! 強制されてるから仕方なくよ。決してキミのためではないわ!」
「ツンデレしてる所も可愛いな」
「……はぁ。本部にある量子コンピューターと有機コンピューター、この二台のコンピューターを並列演算させて世界の歪みを観測する事で異能力者を探しているのよ」
「ふーん」
少しおちょくり過ぎたか? だが私は悪びれない! それどころか、さらに逆撫でしに行く為、気の無い返事を返した。
「異能の仕組みってわかってる? 異能って言うのはーー」
「自己の内的世界を形成する夢想力、これを反転させ外的世界に干渉し、侵食し、書き換える。だろ?」
「え、ええ、そうよ……」
「成る程……侵食された事によって生じるズレを計測する事で異能の行使を観測するわけか……これならいけそうだな」
俯きながら呟いていた顔を上げると、融解して豆鉄砲を食らった様な表情になっているこいしがいた。
……どうしたんだ?
うむむ、と首を捻って考えてみるもわからない。何に驚いてるんだ? 驚く様な事なんてあったか……? じっ、と観察していると口元が震える様に動いているのが見えた。
「……ここまで理解が深いの? ということはかなり前から異能が? いやでも……」
ああ、納得した。異能に対する私の考察が素晴らし過ぎたからか。でも、あれは知識として存在していた異能の原理を私の言葉で編み直したものでしかないからな。私が一から実験し、考察したものではないから、畏敬の念を送られると名状しがたい面映ゆさに襲われるんだが……背中がこそばゆいぞ……
「考え事してるところ申し訳ない。もう私の家に着く。お前、明日は学校あるか?」
「え、あるわよ?」
「そうか、なら明日の朝四時に迎えに来い」
「えっ、そんな横暴な!」
「反論は認めない。じゃあな、良い夢を」
それだけ言って家に駆け込み、ドアを閉めた。寒空の下、震えているこいしを残して……
霜月 二十日 平坦
私は家の門の前に立ってる。別に私の家は豪邸ではないので、門と言ってもアルミ製の門扉なのだが。
待ち人が来ないので、身嗜みを確認する事にした。
今日の服装は所謂ゴスロリだ。スカート部分がモノトーンのギンガムチェックでフリルの多分に付いたワンピース。また寒いのでその上からケープ付きのコートを着ている。そして薔薇のコサージュ付きのヘッドドレス。きわめつけに中の人は怪奇猟奇趣味の神秘、耽美主義者。
……うん。もう、完璧だな。
と、自己陶酔していると待ち人が到着した。微妙に息を切らし、顔が赤いことから急いで来たのはわかるのだが、時間に遅れるのは問答無用でよくない。これは少し仕置きが必要か?
「おい、遅刻するとはどういう了見だ?」
「……」
返事がない。死んでしまったのか?
「……おい」
「え、あ、いや、何でもないの! 走ってきたからちょとぼーっとしてて……」
「たく、仕方のないやつめ……ほら飲め」
ポシェットから百五十ミリリットルのペットボトルを放ってやった。こいしはそれを危なげに受け取り、口をつける。一息で半分以上なくなってしまった。
返されたそれにはもう少ししか残っていなかったので、全部飲んだ。空になったペットボトルを潰し、家の脇のカゴに放り込む。
戻ってくるとまだこいしはぼうとしていた。
心なしか先程より顔が赤い……
「風邪をひいているのか? 大丈夫か?」
「……何!? 何なのあの娘、可愛すぎるでしょ……それに、か、間接……!?」
何やらぶつぶつ言ってる様だが聞こえん。いや、聞きたくない。昨日の無表情キャラが総崩れですよこいしさん……
だが、うん。殴れば治りそうだな。
「あいたぁ!?」
近所迷惑な声が早朝の住宅街を突き抜けた。
◇◇◇
こいしに計画を伝えた後、私は近所の川の河川敷に来ていた。この近くには梅林があり、春には人が多く訪れる。しかし、今は十一月。梅の葉は落ち、河川敷の草も黄色く枯れたここを訪れる者は少ない。その上まだ日も出ていない。
その上でここに来る奴っていうのは大抵怪しい奴だ。
ーー葉の擦れる音と茎の折れる音。如何やら誰かがこの河川敷に降りてきた様だ。
「君、一体こんな時間にこんな所で何をやっているんだ?」
男の声。それも高校生くらいか? 草を踏みしめる音が近づいてくるが、まだ遠い。
接近してくる人物が十分に近づき、遠方相に入る直前に私は大仰な振りを付けて振り返った。
「御機嫌よう。月が綺麗ですね?」
異能を行使。他人には見えない糸が私の身体から伸びていく。その銀糸の槍が彼に向かい収束する。だが、その糸が彼を捕らえることはなかった。
彼は私が振り向くと同時に後ろへ跳んだらしい。今私と彼の間には三メーター程距離がある。領域外に出てしまわれては、異能は使えない。大した気配察知能力だ。出来るだけ意識を希釈し、初動を察知されない様にしたのに、いとも容易く避けられてしまった。
「やるじゃないか。私、初めてだから優しくしてくれよ?」
彼の顔が引きつるのが見えた。だが、油断はしていない様だ。付け入る隙がない。無闇に飛び込めばその時点で切り捨てられそうだ。じり、と半歩間合いを詰め、攻め込もうとした時、初めて彼が口を開いた。
「女の子の異能力者なんて珍しいな」
「そうなのか? 『結界』も女だろ?」
「そうだね、でも珍しいことなんだよ。女の子が異能を持つのは。君も彼女も少数派ということさ。異能力者の多くは男、強力なのもそうだね」
これは知識にはなかった情報だな。異能は男に多く、強い……
「へぇ、じゃあお兄さん……強いの?」
「ああ、強い。だから、剣を納めてはくれないか? 女の子を傷付けたくはない」
「何とまあ、舐められたもんだ……まあ、この形じゃ仕方ないか」
「そうか、降参する気はないと?」
「当たり前だろ。それにお前、どちらにしろーー戦うだろ?」
「ああ、違いない」
と、言い終わるや否や、彼の姿が掻き消えた。同時に腹部に重撃。軽い私は宙を舞い、大きく吹き飛ばされた。先程まで私がいた所には彼が掌底を放った体勢で止まっていた。
「む、硬いな」
打ち上げられた私は異能を行使し、宙に留まった。
……痛い、服を固めなければ今ので終わっていたな。
今、私の服は私の身体に相対的に固定している。服と肌との間に隙間が出来る様に服を固めたおかげで、身体の方にダメージは一切ない。言うなれば水槽をそのまま殴った様なものだ。中のものは傷つかない。
……まあ、水は衝撃を伝えやすいから中のものが無事で済むかはわからないが……だがまあ、イメージはそういう事だ。
今度はこちらの番だが、まだ奴の異能もわかってない。そんな状態でこちらから飛び込むのは危険。ならば、まずは飛び道具でーー!
ポシェットが開き、中から数十本の五寸釘を浮かび上がらせる。そしてそれをそのまま自身の周囲に滞空させた。
「存在固定、符号添付……全物体加速射出ーー!」
「うわぁ……」
彼の額に汗が滲んだ様にも見えるが、もう止められない。符号は付いた。後は事象の確定を待つだけだ。
加速射出された釘がその速度を増しながら私の領域外へと飛び出していった。そこからは空気抵抗やら重力やらで減速するが、そんなもの気にならない。そもそも初速が音速を超えている。五十メートルにも満たない私と彼との距離など本当に一瞬だ。
音を置き去りにした釘が彼に迫る。見てからでは避けられない。横方向への高速移動で幾つかの釘は避けられた様だが、全てではない。目では負えずとも音は拾える。音のする方向へ偏差射撃を行った。今度は一本づつ、連続で。だが、最初のもの以外を当てる事が出来ずに弾が切れてしまった。回収してもいいが、彼には出来るだけ近づきたくないので、やめておいた。
「くそっ、いってぇな……」
如何やら釘は左腕に刺さった様だ。二の腕に深々と刺さっている。恐らく骨まで貫いているだろう。これで、彼の左腕は使い物になるまい。明らかにこちらが有利になった。
「どうした? 最初の一撃に全力を使ったか?」
「……お前と戦ったのが俺で良かったよ。他の奴じゃあの釘だけでお陀仏だ」
「そうか、それは不運だなぁ。だがどちらにしろ、お前もお陀仏だよ」
ふわりと地に降り立った。彼の異能は恐らく『高速移動』。それならばカウンターだ。早すぎるがゆえに行動が直線的になりやすい彼にとっては天敵だろう。
「……行くぞ」
再び彼の姿が掻き消えた。私も彼に合わせて後ろに跳ぶ。これなら相対速度が下がり、接触までの時間を稼げる。その間にポシェットからワイヤーを取り出し、周囲に展開出来る。
「存在固ーーがっ!?」
錐揉み回転をしながら吹き飛ばされる。何度か地面にぶつかり減速したところで体勢を立て直せた。
……左腕に鈍い痛みが。
恐らく最初の地面との接触で骨折したのだろう。異能で強引にはめ直し、接合した。激しい痛みが左腕の感覚を麻痺させ意識を飛ばそうとしてくるが、己を叱咤し右に跳ぶ。
ーー直後、私の立っていた空間が抜手で貫かれた。
すぐに起き上がり、今度こそワイヤーを展開する。
「存在固定、符号添付……全物体飽和展開ーー!」
ワイヤーが私の領域の中に、網の様に張り巡らされた。
先ほども吹き飛ばされたが、展開自体は終わっていたのだ。そして、彼がワイヤーに突っ込み、ところてんになる……筈だった。しかし、ご覧の通り、彼は生きている。一つの欠損部位もない。
……そういえば彼が接近した瞬間、ワイヤーを動かされた気がするな。
「ーーっ!?」
彼がまた消えた。だが、何も起きない。警戒を強め、耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ます。さらさら、と葉の触れ合う音だけが辺りを漂っている。と、暗い地面に落ちる闇。
「ーー上か!」
今から跳んでも間に合わない。
ポシェットからハンカチを取り出し、即席の盾を創る。三度目の接敵。今度は音を置き去りにしてきた。正面からは受けず、斜めにいなす。衝突の瞬間に回転することで、更に衝撃を減らす。
「捕らえたぞ、雷野郎……!」
私の眼前で彼は捕縛されていた。展開されていたワイヤーではなくーーマフラーに。展開していたワイヤーには丁度、人一人分ほどの穴が空いていた。
「お前の異能は『雷』だな? 高速移動はローレンツ力によるもの。ワイヤーは電磁力でこじ開けたって訳だ」
「……よく見破ったな。君はまだ小学生だろ?」
「正解でもあるが、不正解だな」
「ははっ、なんだい、君に興味が湧いてきたよ」
「はぁ? 何言ってんだお前……ロリコンか?」
「いや、恋愛的な意味じゃないさ」
「そうかい、安心したよ」
「……いや、それはまだ早いかな!」
激しい音を立て、紫電が迸る。彼を拘束していたマフラーは高圧電流によって焼き切られてしまった。
「あぁ! お気に入りだったのに!」
「ごめんよ。だが、闘いの道具にした君が悪い」
「ちっ……なんだ? 引くのは止めたのか?」
「……君とはヒットアンドアウェイよりもクロスレンジで闘うのがよさそうだからね」
「童女と殴り合いたいのか? いい趣味してんな……」
「いや、殴り合いではないよ。残すは一撃さ。この一撃で雌雄が決める……受けよ我が剣! 『轟き降る一振りの雷』を!」
彼の掲げた右手から、強烈な光が伸びる。その光、高温のプラズマが剣を形創る。上方へと伸びるその閃光に私の展開したワイヤーが容易く焼き切られる。
拙いな……流石がにあれは固定しても防げない……
「『轟撃 電稲弧妻剣』ィィ!」
鉄をも溶かす稲妻が大地を割った。