第三話 炉辺談話
霜月 十九日 晡時
店内には落ち着いたクラッシック音楽が満ちていた。
ここは私の最寄駅付近の商店街にある洋菓子店の二階、涼風堂だ。ここの珈琲、紅茶が美味いのは言うまでもなく、さらに一階で売られている洋菓子をここで食べることもできる。そしてそれもまた良い味だ。そんなわけで私お気に入りの隠れた名店だ。
「注文は決まりましたか?」
メイド服を着たウエイトレスさんが注文を取りに来た。メイド服と一概に言ったが、電気街にいるような意味わからんメイドの様なフレンチメイドタイプではなく、古式ゆかしく、大正浪漫を感じさせる長袖、ロングスカートのヴィクトリアンメイドタイプだ。そんなメイド服に身を包んだ彼女はここを経営する女性の娘で、涼風碧という名前だったはずだ。
「私は紅茶を」
「黒いのを貰おうか」
勿論、後者が私だ。喫茶店にて珈琲を黒いの、と呼称するこの美学。常人にはわからぬのだろうな……
「紅茶と珈琲ですね。畏まりました。少々お待ち下さい」
ぺこりと頭を下げ下がろうとする碧を私は慌てて引き留めた。
「すまない、日替わりを二つ追加だ」
「畏まりました」
そうして今度こそ碧は下がっていった。
「……なんであんなので伝わるの?」
私の対面に座る女子高生が呆れた目をしている。
まあ、十中八九黒いのの事だろう。
「ここには何度も足を運んでいるからな」
……嘘だ。実際ここに『わたし』は一度しか来た事がない。
「成る程、常連さんて訳ね」
「そういうことになるな。それより、ここのケーキは絶品だぞ? 食わなきゃ損だ」
「まあ、そうなの? 損をするところだったわ。頼んでくれてありがとう」
「いや、構わないさ。あ、代金は勿論割り勘だぞ。童女に奢らせたりしないよな?」
「ええ、勿論。むしろ私が奢ってあげるわ」
「忝い。感謝する……それで、茶を飲みに来た訳ではないんだろ? 」
見透かした様な目で彼女を見つめる。
流石にいつまでも冗長に喋っている訳にもいかないからな。此奴が一体何者で、何を思い行動しているのか、探らせてもらおうじゃないか……!
「そんなに身構えなくてもいいわ。三つ質問があるだけーー」
と、そこで碧が注文の品を運んできた。
ことり、ことりと程よく金の施された磁器が並べられていく。素早く並べ終えた碧はお盆を抱くように持ち、お辞儀をした。
……うん、可愛い。控えめに言って可愛い。
無表情なかんばせがメイド服に実によく合う。キリッと凛々しいのもいいが、こう無機質なのも良いなぁ……など不埒なことを考えていると、咳払いが一つ。
「腰を折られたけど構わず続けるわ。それじゃあ最初の質問よ……あなたは、異能力者ね?」
「お前の言う異能と、私の思う異能が一致しているならそうだな」
既にバレているのだ。今更取り繕う必要もあるまい。無駄に足掻いて、墓穴を掘る方が良くない。
「じゃあ次ね、あなたはそれを使って他人を害する気はある?」
「ある訳ないだろ。もしあるにしても今ここで白状したりはしない」
「そう、その言葉が本物か、少し覗かせて貰うわね…………あら、本当に他人を害する気はないのね」
「当たり前だろ……私をどんな人間だと思っているんだ」
私は傷ついたぞ……
そんな傷心の私を慰めてくれるのはこの珈琲だけだ。うん……苦い。やっぱり珈琲にはミルクと砂糖が必須だな。という事でミルクと角砂糖を二個ほど投入した。
「ミルクと砂糖を入れないと珈琲も飲めないなんて本当に子供みたいね」
「言っておくが、ブラックで飲んでる国なんて少ないからな?」
「他所は他所、内は内よ。郷に入りては郷に従いなさい。それじゃあ最後の質問よ。あなたには私達の組織に加入する気はある?」
何だこいつ……いきなり勧誘してきたぞ。これは、アレなのか。悪徳商法って奴か? 規約も何も読まないで加入すると後で多額の請求がきたりするアレなのか?
「……お前たちは悪質な業者の一つなのか? どんな活動をしているのかもわからない組織にホイホイ入っていく奴なんていると思ってるのか? ゴキブリじゃないんだぞ?」
「あら、ごめんなさい。説明がまだだったわね。私達は常人を護る正義の組織よ。常人にはその存在すら知られていない闇の組織……どう? 格好いいでしょ? あと、先に断っておくけれど、あなたに拒否権はないわよ」
「キャッチセールスの次は強引な勧誘か……警察を呼んでもいいか?」
「え、それは駄目よ、私が困るわ。でも仕方ないじゃない。異能って言うのは人知を超えた力。そんなのを使って犯罪でも起こされたらたまらないでしょ?」
「まあそれは分からなくもないが……」
ここで珈琲を一口。既に温くなっていたそれはすぐに飲み干されてしまった。後にはとごった砂糖が少し。
「でしょう? 異能に対抗出来るのは異能だけ。だから私達は管理され、管理する必要があるのよ」
彼女はそう言って机の上に一枚のカードを置いた。いや、コレは名刺か。これでもまだ劇場型詐欺の懸念は拭えないが、彼女の眼を見る限り嘘はなさそうだ。それならば彼女は信用してやってもいいだろう。
だが、彼女の事は信用出来てもその組織とやらは信用出来ない。
ヒトを管理するというその思想。こいつは危険だ。管理する者とされる者、この間には明確な身分差がある。行き過ぎれば優生学的思想に陥る危険もあるものだ。このイデオロギーを誰が提唱しているのかは分からないが、目の前の彼女はそれを盲目的に信じている様子だ。
ならば答えは一つしか在るまい。
「……仕方ないな。いいだろう、契約書を寄越せ」
彼女が鞄から取り出した紙切れとペンを受け取ると、早速書き始める。先ずは名前。西行ーーと、そこまで書いたところでフォークに腕をぶつけてしまい、床に落としてしまった。
床と接触したそれは、高く、硬い音を響かせる。
「すまない」
少々はしたないが、まだ小学生だ。多めに見てくれるはず。私は椅子から降りると、テーブルの下へと潜り込み、ゆっくりとフォークを探す振りをする……
「……やっぱり何かやましいところがあるのね。私に異能を使おうとしても無駄よ。私の異能は『結界』。あなたの干渉力じゃ私には届かないわ」
テーブルの上から声が降ってくる。どうやら異能を行使したのがバレた様だ。そして悪い事に、彼女の言葉通り異能は発動したが効果が確認出来ない。どうやら本当に効かない様だ。
「できるだけやりたくはなかったのだけれど、仕方ないわね……あなたを拘束するわ」
と、言う彼女の声の後、私の身体を何かが這い回る様な感覚が襲った。気持ち悪い様な、それでいてどこか心地いい様な感覚。身体をじっとりと舐められる様なそれに身体が反応してしまう。
私は直様フォークを拾い上げ、彼女の脹脛へと突き刺した。そして同時に異能を行使する。
直ちに異能の行使を止めよ。そう命令すると身体を舐るようなあの感覚は消え去った。
脹脛に刺さったフォークをゆっくりと引き抜くと、珠のような緋がふつふつと浮かんでくる。私はそのクランベリーソースをフォークに絡め、席に戻った。
「全く、『結界』の異能ならかかった振りも出来たろうに……」
自信を害せるはずがないといった傲慢な自尊心に心底呆れていた私は、フォークからぽたりぽたりとカップにクランベリーソースを落としながら、ため息まじりにそう言った。
「どうして!? 私の『結界』はそう簡単に破れるものじゃ……!?」
「馬鹿か、お前は……? 異能を弾く結界しか張っていないからこんな事になるんだ。確かに今の私の干渉力でお前に異能は行使出来なかった。だが内ならどうだ? そんな賭けに出てみただけだ。そうしたら案の定能力が効いて支配下に置けた。それだけだ」
最後に、ケチらずに物理結界も張っておけばお前の勝ちだったのにな、と付け加えて置いた。
ぐぬぬ、と今にも憤慨しそうな顔でこちらを睨んでいる彼女を尻目にポシェットから大学ノートと鉛筆を取り出した。
「それでは契約を結ぼうか。これから書く事がお前に課される戒だ。ここに書かれた事はそもそも行えないから注意しろよ?」
先に注意喚起をしてからさらさらと書き始める。小学生には扱えない様な文字の羅列。それを見て彼女は私の異常性に気がついた様だが、どうにも驚きが足りない。もっと驚くと思っていたのだが……
まあ、寧ろ好都合だ。彼女はこれから私の下僕だ。対等な会話が出来る方が楽でいい。
「ほら、読め」
書き終えたノートを彼女に渡す。彼女がそれに目を通す間暇になったので、カップの底にとごった緋い砂糖をスプーンで掬う。
しゃり、という舌触りが心地いい。そして甘い。後は隠し味が……
カップが完全に空になってしまったので、碧を呼んで珈琲のお代わりを貰う。今度はテーブルでハンドドリップをしてもらう事にした。
こりこりと、ミルで豆を挽く音だけが店内に響く。やがてその音も止み、珈琲メジャー、ドリッパー、ポットを持ってやって来た。こぽり、こぽりと回し注ぐ姿って凄く萌えると思うんだ。
うん、眼福。
そうやって淹れられた珈琲を飲んでいると、彼女がノートを突き返してきた。
「どうした、読むのが遅くないか?」
「 ……あなたが難しい字を使い過ぎるからよ。お陰で読むのに苦労したわ」
ぶっきら棒な上にトゲがあるな。叩かれたら痛そうだ……ああ、御御足に傷をつけたから怒っているのか。
「お前の御御足に傷をつけた事は謝る。済まなかった」
謝りながら異能を行使して傷は治した。これなら痕も残らないだろう。完璧だ。
「当たり前よ、でも、それだけじゃあなたの事を許す事は出来ないわ。こんな事に異能を使うだなんて……それに、結局あなたは何かやましいことのある人だったというわけね……出会った時点で拘束しておけばよかったわ……」
「……む? 何か勘違いしている様だから言っておくが、私に他人を害する気は無いからな?」
「嘘よ。それならこんな事する必要ないじゃない」
「いや、ある。お前の所属する組織は危険だからな、まだ入るべき時ではないと判断したんだ。それに、何故私が他人の為に働かなくてはならないのだ? 私は自分の為に生きれればそれでいい。多少の起伏は許容するが、山や谷はのーせんきゅーだ。舗装され、敷かれたレールを走るだけの人生? 全く結構な事じゃないか。羨ましいぞ。思考停止できる。これ程素晴らしい事はないだろう? 私は只怠惰に暮らす為にしかこの能力を使う気はないぞ?」
アレ……どうした? 何故彼女は唖然としているんだ。私、何かおかしい事を言ったか?
「おい、どうした?」
「いや、何でもないわ……例えそうであっても私はあなたにはついていけないわ。自分の為に異能を使うという事は巡り巡って他人を害するって事じゃない」
「あー……ならこれでいいか? 私に異能を行使しろ。条件式はそうだな……あなたに敵意を持った者以外への異能の行使を禁止する結界、でどうだ?」
命令すると、すぐにあの感覚に襲われ、身体中満遍なくぞわりとさせられる。私という存在を侵されている、そんな気分になってくる感覚だ。
「……ぁ、んっ……」
妙な声を出してしまった……流石にこの感覚には慣れそうにないな。そして暫くかかってようやく解放された。
「……何でそんなに抵抗力が高いのよ」
「そうなのか? 自分では分からんからなぁ……そうだ、まだお前の名前を聞いていなかったな。名は何というんだ?」
「……こいしよ」
「こいしか……いい名じゃないか。それでは私も名乗るとしようーー私の名はありす、西行ありすだ」
右手を差し出すも、それが取られる事はなかった。
「……私の異能を受けた事を誠意とは見るわ。でも、まだ完全に信用した訳じゃないから」
「そうか、なら一週間で解放してやるから、その間に私の事を確りと見定めて、報告するかどうか決めてくれ」
そう言って命令を書き換えてやる。
譲歩に譲歩を重ねてやったんだ。そろそろ折れてもらわないと困る。下がり過ぎて道からはみ出してしまいそうだ。でも、信頼関係は大事だからな。異能で縛っているとはいえ、信用ならん奴を側に置いておくのは怖い……それに籠絡する手段は考えついてあるしな。
「……いいわ、一週間ね。精々ボロを出さない様に気をつける事ね」
「ああ、分かっているさ。じゃあまずは一週間。女子高生じゃあ大変だろうが、よろしくな」
「女子高生……? 私は十八歳で大学生よ」
「なんだと……!?」
今日一番の驚きはコレでした。まる。
吸血鬼は浪漫。