第二話 家常茶飯
霜月 十九日 食時
既に冬を迎えた或日、皆の吐く息が白い。時折吹く風は通り魔の様に私の肌を刺していく。そんな寒空の下、学校へと歩いていく波に乗る。
昨日私は検査入院をした。どうやら狂った様に笑っていたのがいけなかったようだ。
念には念をということでMRIにも入れられてしまったが、勿論検査の結果は問題なしだったので、学校に行きたいと駄々を捏ねて即座に退院した。
知識を整理しながら歩いていると、七歳の身には少し辛い道程も然程苦ではなくなった。
ガラリとドアを開け、教室に入る。既に登校していた児童達が一瞬こちらを見やるがすぐに視線を戻した。
机に座り友達と話す者、本を読む者、教室の後ろでじゃれ合う者と皆思い思いの方法で朝のHRまでの時間を潰していた。もっとも、彼ら彼女らに時間を潰すという概念があるはずもなく、ただ楽しいからといった本能による欲求に従っているだけだろうが。
観察は止めにして私は席へ向う。廊下側から二列目の一番後ろの席だ。
前の児童が壁となって、ここなら内職もやり易い。いい席だ。
ランドセルの中身を机の中に移し、空となったそれをロッカーに詰める。そして席に着いた私は漢字のドリルを開いた。本当は本を読みたいのだが、私が読みたい本をここで読んだりしたら悪目立ちしてしまうので止めておいた。代わりに宿題を先に終わらせておこうという訳だ。
途中、何人かが声をかけてきたが当たり障りのない返答であしらっておいた。
級友を適当にあしらいつつ、向こう二週間分の範囲が終わったところで教員が入ってきた。黒縁のセルフレームの眼鏡を掛け、少し長めの黒髪をおろした男性教員。名前は確かーーそう、能登 学人だ。
朝の挨拶を終えると、能登が一人一人の名前を呼んでいく。それに応える児童達。
こうして改めて名前を聞いていると、色々なことを邪推できるな。
一口に名前と言ったが、下の方ではない。上だ。すなわち姓。
下の名前ほど無意味なものはない。名は体を表す、と言う慣用句があるがヒトに於いてそれは間違いだ。個人識別記号、この世に生まれ落ちた時、他人に恣意的につけられるモノであるそれが自身を表すモノであるはずがない。
だが姓は違う。生きてきた軌跡の中にあり、その個人の象徴と言えるものを後になってつけたモノだからだ。それは恣意的でないし、論理的だ。
例えばフジワラ。
一般に多くいるのは藤原だが、極少数だが不死原という姓も存在する。後者の方を今回は邪推しよう。
大昔に月人よりもたらされた不死の薬。富士の頂で焼かれたはずのそれの一部をこっそりと使った、もしくは飲んだ者がいた。
まあ帝の持っていた薬だ。強大な権力にちょっかいをだすには少なくとも同程度の権力がいる。そしてその頃の時の権力者といえば、藤原だ。ほら、繋がった。
だが、量が少なかったのだろう。規定量に達しなかったためか、不完全な不死性しか得られなかった。その不死性は常人よりは少し寿命が長いという程度なのかもしれない。
でも、それだけでも迫害を受けるには十分だ。その辺りがこの姓を持つ者が少ない所以であろう。
だからきっと不死原姓の者は常人よりも生命力が強かったり……
「ーー西行! 聞いているのか?」
っと、考え事をしていたら私の番まできていたようだ。
悪目立ちするのは良くないからな、返事をしておこう……
「すみません先生、考え事をしていて……」
「そうなのか? でも先生の話はしっかり聞けよ?」
その後は滞りなく点呼と返事が繰り返され、退屈な一時間目の授業が始まった。
霜月 十九日 日鉄
時は流れて今は五限だ。今までの授業は一切聞いていない。何しろ詰まらないからな。白湯ほども詰まらなかった。
なので私は昨日認識したあのチカラーー異能ーーを扱う練習をしていた。
『果てぬ無窮の人形劇』
これが私の異能の名だ。
どうだ。格好いいだろう?
力の内容は単純明快その名の通りーー
『範囲内の人形を操る』
ただこれだけだ。しかし、簡潔だからこそ強い。範囲が指定されていないことから熟練度が上がれば範囲も上がるのだろうと推測ができるし、さらに、『人形』の定義だ。これも中々に面白い。
どうやら肉体も人形の一つであるらしい。試しに普段を挙手をしない児童を対象にしたところ、挙手をさせる事に成功した。抵抗はされたが、押し切ることができた。小学校低学年程度の力では防げないらしい。
……焦る児童を見て愉しんでいたら、こちらに飛び火したのは予想外だったな。勿論、完璧なまでの回答を容易してやったさ。
とまあ多少の起伏さえあったが、私にとっての学校一日目は特に滞りもなく過ぎ去った。
霜月 十九日 晡時
実にいい天気だ。雲一つない青空、視程五十キロ。うん、清々しい。朝は寒かったが、今は少し暖かい。手袋とマフラーを外し、私は学参を買うため隣駅の本屋に向かっていた。
私の通う学校はそこそこに頭の良い学校らしく、一年生の身にして既に二年生の漢字を習うなど、学習の進度も早いのだが、いかんせん私には既に知識がある。
……ぶっちゃけ、暇なのだ。
既に教養となり、定着している事を再び履修することなど面倒以外の何物でもない。
そこで、学参でも買って授業中の暇潰しをしようという訳だ。
それにインプットされているからといってアウトプット出来るかと言われれば、それはまた別問題で、その訓練をするという意味合いもある。取り敢えず、まずは高校学参だ。それが終われば代数学などをやるという方向でいいだろう。
……本当は本が読みたいのだが、それだと周りに目立って、級友共が群がるからな。その点、学参なら一ページづつ切り離して持っていけば然程目立たないから、その心配も必要ない訳だ。
◇◇◇
私は自分の弱さを憎んだ。
何故私の背はこうも低いのか……!
本屋には何事もなく着くことができた。問題はその後だ。届かないのだ。
私が昨日のうちに目星をつけておいた学参は一番上の棚にあり、百二十センチあるかないかの私では届かない。かと言って、店員に頼む訳にもいかない。
「仕方ないか……」
一旦学参コーナーを離れ、店内を徘徊する。一周し、店内に他の客が存在しない事を確認してから、もう一度学参コーナーに戻ってきた。
「ここは監視カメラの死角だし、いけるな」
もう一度周囲を確認してから異能を行使する。すると、一冊の本が抜け落ちた。問題の多く載った二色刷りの数学の参考書だ。物理法則を無視して手の中に収まったそれを持って私はレジへと向かう。
レジに立っていたのは中年の女性。パーマのかかった髪に赤縁の眼鏡。近所のおばちゃんっといった出で立ちだ。
こういう人というのは得てして詮索が好きだからなぁ……
こんな形で学参なんか一人で買ったら怪しいし、話の種にされてしまうだろう。
「こんにちは!」
故に私はできるだけ子供らしく声をかける。
と、同時に異能を行使。店番を支配下に置いた。そうなればあとはただ命令するだけだ。
業務をこなせ、そして前後五分の記憶をなくせ、と。
そうやって問題なく会計を済ませた私は、紙袋に入った学参を胸に抱きながら自動ドアをくぐる。暖かかった室内から寒空の下に出た事で気温差に気管が刺激され、少し咳をした。
「こほっ、こほ、こほっ、こほ……!」
ヤバい……止まらない……私って喘息持ちだったのか……? 幼かった私は己の事に関しては無知蒙昧。アレルギーすら知らないといった有様だった。
それにしても咳が止まらない……これはちょっとまずいかもしれない。咳が咳を呼んでいる。このままではーー
「……大丈夫?」
本格的な発作になる前に背後から肩に手を置かれた。その衝撃にびくりと肩を震わせてしまう。
ゆっくりと首を回すと、ブレザーを着た高校生ーー少女の顔ではあるが、綺麗と形容するのがいいであろう女性が立っていた。
「……こほっ、ありがとう。おかげで収まった」
驚いたせいか咳は止まった。一応それについては感謝をしておいた。
もう用はないので踵を返し帰ろうとすると、手に込められる力が一層強くなり、離れる事が出来なかった。
「待って、酷い咳だったじゃない。お姉さん心配……ほら、そこの喫茶店で少し休んだほうがいいわ」
「誰が行くか……知らない人にはついて行くなって言われているんでな」
馬鹿かこいつは? 今時そんなのでホイホイついて行くヤツがいると思っているのか? 生憎私は馬鹿じゃない。そう不用意に見知らぬ人間にはついて行ったりしないんだ。
私には異能があるとはいえ、まだ小学生の身体だ。何かあった時に例え高校生、それも女子であったとしても抵抗できない。私は非力なんだ。危険は避けるに越した事はない。
「あはは、怪しい者じゃないんだけどなぁ……私、あの本屋の娘だから。そうだ、キミは何を買ったの?」
「…………」
む? 私の警戒をとこうと話題を変えてきたな。だが、どうやら娘というのは嘘ではなさそうだ。先程の女性と目元が似ている気がする。まあ、先入観による思い込みでしかないのかもしれないが……
しかしだ、仮に本屋の娘であっても私を引き止め続ける権利はない。だから、このまま帰っても問題はないとはいえ、後々面倒な事になる予感がする。ここは上手くはぐらかした方がいいだろう。
幸い、まだ陽もあるしここは人通りも多い。私は一介の高校生にそこまでの事はできないだろうと高を括り、角が立たない程度に答えることにした。
「絵本だよ、絵本。少し字は多めだがな」
「……へぇ、絵本。お姉さん、嘘はいけないと思うなぁ?」
「な、何を言ってるんだ? 私が買ったのは絵本でしかないぞ」
絵といっても、図形やグラフだがな。とは声に出さないでおく。
「嘘つき……買ったのは高校学参でしょ? ほら、ここに証拠があるわ」
そう言って彼女がぴらりと出したのは一枚のレシート。
先程受け取り忘れたのか? いや、でも確かに……
そこで私は迂闊にも財布を取り出し、中身を確認しようとしてしまった。一瞬のうちに私の手から消える財布。それは既に彼女の手の中にあった。
「ほら、やっぱり学参じゃない。それも高校の」
「くっ、カマをかけたのか……」
「ふふふ、やっぱりまだ子供ね……じゃあ、お話をしましょうか……拒否権は、ないわ」
目の色が変わった。先程までの温厚そうな一般人の目ではない。私を射殺すかのような鋭い視線だ。
……逃げれば確実に目をつけられ、後々面倒な事になるのは必至だな……
というか、逃げるのは無理だろう。すぐに捕まってしまう。なにせ小学生女児と女子高生、追いかけっこをすればどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
だから私はーー