優しい死神と不幸な少女
雪のちらつくある夜、少女はぼんやりと空を見上げていました。大通りから漏れる微かな光を受ける瞳には、周りの景色はおろか生気すら見当たりません。小さく、少女の鼓膜を震わす音が届きました。
「……それで、この――を使えばいいのか」
「はい。あ、そろそろ――魔法が使えそ――なります」
一人が少女に近づくと片手を少女の顔に当てます。
「――計画を遂行する」
少女は一瞬身体を強張らせたかと思うと、静かに目を閉じ力を抜きました。
・・・
「寒い」
木製のマグカップにホットミルクを入れた黒髪の少女は、駆け足で暖炉の前に向かいます。毛布を頭からかぶると炎の中でパチパチと弾ける薪を見ながら、数時間前にウサギでも獲ってくるかと出て行ったきり、中々帰ってこないおじいさんを心配しました。
「いつもならもう帰っているのに」
そろそろ本当に探しに行った方がいいのかと思い始めた頃、ドアがノックされました。帰ってきた、と駆け足でドアに向かいドアノブを回した少女は、時が止まったように固まりました。
そこに居たのは、帰りを待っていたおじいさん……ではなく黒いマントで全身を隠した上背のある人物でした。
「この度はお悔やみ――」
「そうですか。ありがとうございました」
その人物をここに引き取られる前に何度も見たことがある少女は、その人物――死神の言葉に被せるように言います。明日にでもお花を供えに行こうと考えていると、小さくくしゃみをする音が聞こえてきました。少女が渋々ホットミルクをごちそうすると、死神はしつこく話しかけてきます。
「黒髪ちゃん、他に家族は居るっすか?」
「居ません」
「じゃあまた他の所を回るんすか? ぼく引き取って上げるっすよ?」
「結構です」
「しっかりしてるっすね。やっぱり人が居なくなるとしっかりしてくるんすかね?」
「……」
死神は冗談を言っているのではなく、本心からそう思っているような声音で自問自答をしています。確かに少女は年齢の割に大人びています。死神の言ったように人が亡くなり死神に会うたびに、他の家に引き取られるたびに今のようになっていきました。
少女がこの失礼な人を追い出せないものかと考えている間も、死神は喋り続けます。死神は相当おしゃべりなようで、明らかに言ってはいけないような死神の世界の話などをしているようでした。
「なぜ今日はしつこく話しかけてくるのか分かりました。仕事でこちらの村に泊まり込む必要があるから、あわよくば泊めて貰おうということでしょう? 残念ながらこの家にはそのような場所はないのでお帰りください」
長文を喋った少女に驚いた様子を見せた死神ですが、困った顔をして言いました。
「そうじゃないんすけど……久しぶりに話せそうな人に会えたっすから……」
どうやら仕事仲間は誰一人として死神を相手にせず、かといって混乱している遺族と会話するわけにもいかないからと、おしゃべりな死神は顔見知りである少女と話をしたようです。
「そうですかそれなら良かったです。もう夜も遅いのでお帰りください。お勤め御苦労様ですお帰りください」
「え、もうちょっと話を――」
「か・え・れ」
「はい」
少女は食い下がる死神を睨みながら見送ります。死神はそんな少女に向かって手を振りながら言いました。
「またっす」
「もう来ないでください」
少女は言ってから気が付きました。もう死神が来ないように。これ以上大切な人を自分のせいで失わないように、そして大切な人を作らないようにしようと。悲しみに暮れるのはもう十分だと。
これが不幸の象徴である、黒髪に赤い瞳を持つ少女が一人で生きることを決意した瞬間でした。
その夜、まだ親に甘えたい年頃だった少女は一晩中泣き続けました。
・・・
翌朝から少女は一人暮らしを始めました。
はじめに花を供えようと、この地方特有の厳しい冬の中でも咲くという花を探しました。崖の中程に一輪だけあり命がけで取りに行きましたが、同じく探しているという少女よりも幼い子供に渡してしまいました。少女は仕方なくおじいさんが綺麗な緑だと言っていた常緑樹の枝を折って持って行きました。家から延びる獣道を何度も雪に足を取られながら、死神の言っていた場所に向かいます。そして雪をかき分けて穴を掘りました。冷たくなったおじいさんを埋めるときは、手が震えてなかなか土が穴の中に入っていきませんでした。
薪割りをしようにも斧が鉛のように重くて持てず、日々目減りしていくおじいさんが貯めていた薪を使います。
やがて食料も底をついてきました。おじいさんが簡単そうに仕留めていたウサギも、少女にはとてもすばしっこく見えました。
そうして少女は少しずつ弱っていったのです。
・・・
ある日の夜、ドアがノックされました。少女が出ると何時ぞやの死神が立っています。少女はとうとう死ぬのかと上手く回らない頭で考えていましたが、死神は旧友に接するかのごとく挨拶をすると家に上がりこみました。
死神は何も話さない少女から何かを悟ったのか、気にしない振りをして言います。
「そうそう、ちょっとご飯を作り過ぎたから食べてほしいっす」
「……」
少女はなぜそんなことをするのかと考えていましたが、数日何も食べておらず空腹だったからか死神と一緒に食事をとりました。
シチューを一口食べた少女は、静かに涙を流しながらぽつりと言いました。
「まずい……けど、おいしい」
そして二人は無言で食べました。
その日からちょくちょく死神が来るようになりました。
来る頻度は上がり二日に一回、毎晩、そして食事のたびに来るようになり、ついには一緒に住むようになりました。
やがて少女は気力を取り戻し、毒づきながらもその暮らしを楽しいと感じ始めていました。
「このくらいの事も出来ないっすか?」
どこか馬鹿にしたように死神は割った薪を見せびらかしていました。
少女は苛ついて、薪割りを頑張りました。
「この料理まずいっすね!」
「死神の作った方がまずいから!」
少女はそう言いながらも、何度も料理の練習をしました。何度も失敗し、そしてそのことを死神に馬鹿にされる度に頑張りました。
そうして、いつしか少女は一人で何でもできるようになりました。
ある日、少女は死神に聞きました。
「仕事しないの?」
「してるっすよ」
そして少女が頭の上に?マークを浮かべていると、死神はぽつりと言いました。
「……実は、ぼくはある人を尊敬しているんす。その人は死神失格だとみんな言うんすが、ぼくはただ凄いって、こんな人みたいになりたいって思ったんす」
大人しい死神に違和感を感じながらも、少女は静かに零す言葉を聞き逃すまいと目を閉じ耳に神経を集中させました。
「死神っていうのは人の死を見届け、魂を案内するのが役割なんす。でもそのひとは、自殺をしようとした人や死にそうだった人を助けたんすよ。勿論それは良くないことなんす。それでも、助けられた人は皆晴れやかな顔をして残りの人生を過ごしたらしいんす」
少女が不意に止まった言葉に目を開けると、優しく微笑む死神が言いました。
「それで、ぼくもそんな風に出来たらなって思ったっす」
「そう……」
少女は気軽に頑張ってとは言えませんでした。その道が茨の道になることが分かっていたからです。
それから二人は眠りに就きました。
次の日少女がウサギを探しに行くと、雪の塊が落ちて来る所に出ました。ちょうどそこには人が居り、雪の塊がその人に当たりそうになりました。声を上げようとした少女は、目の前の光景に固まりました。なんと死神が当たる前に助けていたのです。そして、死神は呆然とする村人を置いてどこかへ行ってしまいました。村人が去ってから、自分が気付かずに踏み込まないよう、立て看板をしました。
そんなことが何回か続きました。
・・・
ある日、村人が頻繁に夜盗や熊などの被害に遭ったという知らせを耳にしました。
なかには命を落とした者も少なくは無いようです。
とうとう、死神が狩りに行っている間に村人たちが少女の家に押しかけてきました。
「お前がここにいるからこんなことが起こるんだ、この不幸の申し子め!」
「死神を呼んだのもお前なんだろ!?」
そして、村人は口をそろえて「出て行け」と言いました。
けれど、ある一人が言います。
「そうだ、これ以上不幸なことが起こらないように殺してしまおう。こいつは魔女だ、魔女なんだ」
しん、と静まり返りますが一人が賛同すると、他の人も賛成しだしました。
そして、少女は簡単に拘束され、村はずれの空き地に連れて行かれました。
十字に組まれた木に括りつけられ、多くの村人が遠目に見る中一人が少女の足元の藁に火を付けようとしました。
けれど、それは死神の登場によりできませんでした。
死神は素早く少女を開放すると村人たちに向かって言いました。
「確かに、この少女は不幸だ。けれど、不幸なことがあれば幸せなこともある。この少女に助けられた者もいるはずだ」
いつになく低い声に少女は驚きます。
「しに……がみ?」
「大丈夫っす。黒髪ちゃんに助けられた人は多いっすから」
死神がそういつものように笑うと、おずおずと花をあげた幼い子供が言いました。
「おねえちゃんが、お花をくれたお陰で……お母さんの病気がよくなったんだ。……ありがとう」
たどたどしく言う子供を見て、他の人も賛成しだしました。すると、不幸な事故で家族を失った人たちの怒りの矛先は死神に向かいました。
「だ……だいたい、死神なんかが来なければ死ななかったんだ!」
「そうだそうだ」と一人の言葉に他の人も続きます。今度は少女が叫びました。
「この死神は人を助けようとしている心優しい死神なんです! 死神に助けられた人だっているはずですよ!」
その言葉に、死神を罵っていた人達も言葉を詰まらせます。
一人が苦虫を噛み潰したような顔をしていると少女は茂みの方を見て言いました。
「この心優しい人は死神ではなく天使の方がいいのではないですか?」
村人たちや死神が呆けている中、少女は茂みの方を睨み続けます。
すると次々と村人たちが倒れ、死神と少女の前に白い羽をもった二人の男女が現れました。
「貴女は眠らないのですね」
女の人が苦苦しく話すと少女は困った顔をして言いました。
「昔から魔法が効きにくかったので……あ、この死神を天使と死神どちらが合っているのか見極める計画なら全て知っていますよ」
すると男の人が「魔法をかける前に聞かれたか」と呟き未だに呆けている死神の前に行きました。
そして手を出し言います。
「貴様は天使になる資格がある。天使になりたければこの手を取れ」
我に返った死神は天使の顔を見て言いました。
「ぼくは死神でやりたいことがある。だから天使にはならない」
「……昔、貴様と同じような顔で同じようなことを言った奴が居たな」
天使はフンと笑うと「精々頑張ることだな」と言い残し、女の天使と一緒に空を飛んで行きました。
辺りには白い雪に混じって純白の羽が舞っています。
そして二人は別々の道を歩きました。
・・・
それからその村では、心優しい死神と不幸な少女のお話が語り継がれているようです。
お粗末さまでした