むりょくなわたし
「咲良か?」
「え?」
後から声をかけられる。振り返ればそこには京の市で助けてくれた谷さんがいた。
「谷さん!」
「やっぱり咲良だったか。…ここで世話になってるんだな」
そう言って新撰組と書かれた札を見る。
「新撰組の奴らは御所か?」
「知ってるんですね」
結局谷さんがだれなのか土方さんは教えてくれなかった。けれど、腰に下げている刀を見て武士であることだけわかる。
「まぁな。咲良は…その様子を見たところ待機を命じられたってところか。」
「…そうです。自分の身すら守れない私は足手まといになりますから」
「悔しいのか?」
口籠った私を見て谷さんはそう訊ねる。
「……ほんとは、悔しいです。でも、正論だから」
自然と視線が足元に落ちる。私の生きてきた世界は平和で、戦いや人の死は身近にはなかった。
「咲良は、どうしたい」
「え?」
「おそらくだが、長州はこのままじゃ済まないだろう。京の町はいずれ戦場になる」
谷さんの口ぶりが変わる。それはまるで予言するかのようだった。
「新撰組の奴らは戦いのたびに駆り出される。あいつらは会津の体のいい捨て駒にすぎないからな」
谷さんの言葉に、彼らの後ろ姿が妙にちらつく。
私の知らないところで、土方さんが、近藤さんが、山南さんが、新撰組のみんなが死んでしまうのではないか。
たった1か月前に出会った人たちなのに、こんなに思い入れをしているなんて考えられなかった。
「咲良は、どうしたい?」
再度、谷さんはそう訊ねる。
「私は…傍にいたいです。剣術なんか出来ないし、手当ても出来ない。なんにもない私ですけど、傍にいたい。」
あの人たちが私の知らないところで亡くなってしまうのが怖い。
「あいつらの傍を離れる気はないのか?」
「はい」
離れる。いつか元の世界に帰らなきゃいけないけど、叶うならもう少しあの人たちの傍にいたい。
私が返事をすれば谷さんは呆れたように笑った。
「二条の外れに南雲という蘭方医がいる。そこで『高杉晋作に言われて来た』と言えばいい」
「高杉、晋作…」
どこかで聞いたような名前。でも、授業で聞いたのか、こっちに来てから聞いたのか思い出せない。
「南雲の爺さんは気難しいが腕は確かだ。そこで手当ての一つでも教えてもらえばいい。」
そう言って谷さんは笑った。
「なんでそこまで…?」
「さぁ、なんでだろうな。…きっと、お前のことを気に入ったんだ。それに…いや、なんでもない」
谷さんは少しばかり口籠るが、懐に手を伸ばし何かを取り出した。
「あと、これを」
懐から取り出されたのは一丁の拳銃だった。
それを手のひらに乗せられる。
冷たくて、黒光りする拳銃に背筋が強張る。
「こんなの、私、使えません!」
慌てて返そうとすれば、その手を押し留められる。
「弾は6発。れぼるばーを回して、引き金を引けば発砲する。」
真剣な声に息を飲む。
記憶と相違ない拳銃。昔遊んだゲームの拳銃と違いずっしりと重さが感じる。
「これは、護身用だ。使いたくなきゃ剣術を習うといい。ただ、どうしても、何をしてもダメな時だけそれを使え。いいな?」
谷さんの雰囲気に圧されるように頷く。
「いい子だ。この銃は俺の恩師の形見にとくれたものなんだ。だから、お前に預ける。いつか、この銃が必要なくなったら返しに来い。」
手の中の銃が重く感じる。谷さんと谷さんの先生の想いがその銃にあったから。
「谷さん…」
「そろそろ行かねぇとな。新撰組のやつらが帰ってきちまう」
そう言って私に背を向ける谷さん。その背中が何故か新撰組の人たちと被って見える。
「谷さん!必ず、必ずお返ししに行きますから!」
その背に向かって声をかける。
谷さんは手をひらひらと振って通りを歩いていった。
後に禁門の変と呼ばれるこの事件は、長州藩士と幕府の間に深い禍根を残す事件となるのだった。