お米と紅茶と味の話
2012年10月31日(水曜日)午後4時50分 自宅の一室にて
今、私の目の前には「ご飯」がある。特筆すべき特徴もない、よく旅館で使われそうな白地に藍色の線が入った茶碗に盛られた真っ白な「ご飯」である。湯気はたっておらず、冷めていることは触れずとも理解できたが、その白さは思わず周囲の自然に目をそらしてしまうほどである。
窓の外は暗くなりつつあった。
何故こんな食事時にはまだ少しばかり早い時間に私が「ご飯」と相対しているのかというと、別にお腹が空いたからではない。朝も昼もきちんと時間通りに食べたし、ついでにいえば先程この「ご飯」を届けにきた友人と近所で有名なケーキ屋のシュークリームを味わったばかりである。個人的にあのお店はシュークリーム専門店にしてしまえば良いと思うのだが、それを店主に伝えることは一生ないと思われる。
そう、この「ご飯」はシュークリームと一緒に大学の友人から届けられたものだ。私も彼女も同じ芸術大学に所属しているはずなのだが、今年に入ってから彼女を見かけた場所は隣接する農業高校の所有する田んぼの中であった。その回数は、学内で出会った回数より多い。
事の発端は、約二時間前に遡る。
午後2時55分
本を読んでいたら玄関のチャイムが鳴ったため、ドアに向かい覗き穴から訪ね人を確認する。するとこちらにピースサインと満面の笑みを向けてくる友人が見えた。厄介事が舞い込んでくる予感を感じつつ扉を開けると、
「トリック・オア・トリート!…とか言ってみたり」
へへっ、と笑いながら彼女は片手に持っていた袋をひらひらさせる。いつもの事ながら突拍子のない彼女の行動に内心溜息をつく。
「突然なに?来るならメールくらいしなさいよ」
「え?メールなら送ったよ。駅に着いた時だから…うん、五分くらい前」
きょとんとした彼女をしり目に慌ててパーカーのポケットに入っていた携帯を確認すると、確かにメールが届いている。時間を見ると午後二時四十八分となっていた。
「ね、ちゃんと届いていたでしょ?」
にっこりと笑いながらそう言う彼女に今度は分かるように溜息をついた。
「はぁ…あのねぇ、駅に着いてから送るとか、私が家に居なかったらどうするつもりだったの?」
そう、水曜日は午前中で授業が終わるためそのまま友達と遊びに出掛けることも少なくないのだ。
「んー、そうしたら隣の部屋とか?確か、あきちゃんだよね。この辺、うちの大学に通っている人多いもんね。ま、日を改めても構わなかったし。シュークリームが独り占めできる分居ない方が良かったのかも?」
自分の発想に目に見えてがっかりする彼女が何となく憎らしく思えたので、さっさとシュークリームの入っていると思しき小さめの袋を取り上げた。
「あ、私のシュークリーム!」
彼女の手が追いかけてくるも、まだ靴を脱いでいなかったためそれ以上は伸びてこなかった。
「ほら、お茶淹れてあげるから早くあがりなよ。どうせ食べてくつもりだったんでしょ。あ、鍵締めといてね」
それだけ言うと私は居間へと引き上げた。
テーブルに袋を置くと、後ろにある戸棚から茶葉の入れてある缶を取りだす。中身を確認してから電気ケトルに水を入れてセットした。お湯が沸くのを待っている間にリビングの方を見れば彼女はちゃっかり私のお気に入りのクッションを抱えてカーペットの上に座っていた。
私は彼女からなるべく作業が見えないように背中で隠しながら準備を進める。瓶のふたを音をたてないように開けるのは、至難の業だとこの時私は学んだ。
それはさておき、そろそろ良い頃合いだろうと紅茶をポットからカップに注ぐ。完成したそれらを運んでようやく私も彼女の斜め前に座った。
「はい、どうぞ。淹れたてだからやけどに気をつけてね」
言いながら差し出すと、彼女は少し息を吹きかけてからカップを傾けた。その様子をそっと観察していると、突然、彼女の眼が大きく見開かれた。
「ちょっと、何?このお茶、甘いんだけど!」
驚いたのか声が少し大きい。まぁ本来は最初から中に入れる必要はなくて、側に添えて出すらしい代物なので仕方ないか。一定の反応があったため私は素直にネタばらしをする。
「ふふっ、さっきトリック・オア・トリートって言われたからね。生憎、今家にはお菓子の類がなくってさ。このシュークリームはあんたが持ってきたからノーカウントでしょ。だから甘い物、と思ってロシアンティーにしたの」
口に合わなかった?と首を傾げる。もちろんわざとだ。甘めに作られたシュークリームと一緒にロシアンティーは飲みたくないだろう。甘党の人なら平気かもしれないが、私の知る限り彼女はそこまで甘党ではなかったはずだ。
「飲めなくはない。けど、やっぱりストレートの紅茶が欲しいです」
ホールドアップで降参の意志表示をする彼女。それでも食べ物を粗末にするような性格ではないので、もともと少なめにしておいたカップの中の紅茶はなくなっていた。
「はいはい。今新しいカップ持ってくるからちょっと待っててね」
私の分のシュークリームを食べないようにと釘をさしてから私は席を立った。予想通りカップの底に多少ジャムが残ってしまっているので一つ多く戸棚から出しておいたものを持って席へ戻る。
「それで、何の用?」
一息ついた所でそう尋ねる。先程から彼女はちらちらと自分が持ってきた大きな袋の方を気にしている。そのため、その中身に関する何かなのだろうと勝手に検討を付けながら返事を待っていると、彼女は大きな袋を膝の上に抱えた。
「うん、これなんだけどね」
言いながらぽんぽんと大きな袋を叩く。袋を開ける素振りを見せないことから、どうやらまだ中身を見せる気はないらしい。そんなことを考えている間にも彼女の話は進む。
2011年12月上旬 研究室にて
「だから、一体何が足りないんですか?」
「はぁ、何度も言うように、君の持ってくる物は味わいとか趣とかそういったものが足りないんだよ」
「そういう、ふわふわした物言いじゃなくて、もっとはっきり言ってください!」
「ふむ、では簡潔に言おう。まずい」
「っ、余計分からないです!失礼しました。また出直して来ます」
午後3時32分
「…で、とりあえず何か『味』のするものを根本的な所から作ってみようと思ったの」
「それでお米?」
というか、幾ら彼女の教授が気さくなことで有名な先生だと言っても、もう少し発言を控えるべきだと思う。お互いに…
「まぁ突拍子のない行動だってことは分かってたけど、よくよく考えたら作ったことなかったし。実は、従兄弟があそこの高校で先生をやってるから協力してもらったの。いやぁ、田植えとか稲刈りとか最近の機械化具合にも驚いたけど、昔の大変さも身に染みたよ」
しみじみという彼女のカップから紅茶がなくなったので軽くなったポットを持ちあげてジェスチャーでまだ飲むかと尋ねるとあっさり頷かれた。再び席を立ちお湯を沸かす。待っている間、一度席に戻っても良かったのだが、立ったり座ったりを繰り返すのは面倒になり振り返って話しかけることにする。
「…というか、ねぇ、機械使ってなかったよね?高校生は全部手作業で頑張ってたよね?」
なんて声をかけようかと思ったとき、先程の彼女の言葉に気になることがあったため聞いてみることにした。
「うん、そうだよ。機械は、指導してくれている外部の専業農家の人の所へお手伝いに行った時に見せてもらったんだ」
へぇ、と相槌をうちながら沸かし終えたお湯をポットに移して席に戻る。
「そうそう、最近はさ、鳥避け対策に田んぼ一面にネット張っちゃう所もあるんだよ」
「え、それ大変じゃない?そんなことして稲は大丈夫なの?」
彼女のカップに注ぎ終え、自分の所にも紅茶を淹れようとしていたのに思わず手を止めてしまった。
「もう上への成長はし終えているからね。鳥に食べられないようにするのに必死みたい」
どうやら真剣に学んでいたらしいことが判明し、内心学業と関係ないことをする彼女に対して飽きれていた自分を反省する。何か小さく呟いたようだがそれがきちんと耳に届くことはなく、多分とかなんとか聞こえた気がしなくもないが、なにはともあれ私はようやく自身のカップに紅茶を注ぐことが出来た。
「そういえば、私が作った案山子、可愛いって評判だったんだよ。ちゃんと鳥避けの御役目も果たしたみたいで近年まれにみる豊作だったらしいし」
「え、案山子ってあの通学路の田んぼの所に立ってたやつ?」
「可愛かったでしょ、あれ。さんざんお世話になったからあれくらいはしないとね」
にこにこと笑う彼女に私はただただ驚くばかりであった。それと同時に少し前のことを思い出していた。
2012年8月下旬
ある日、突然田んぼを守るように立てられた豪勢な案山子。通称『サンバかかし』は、しばらく大学の噂の的だった。八月も下旬になるとそれなりの人数が集う大学。幾つかある通学路の中でも一番通る人数の多いこの道では、あの案山子を見た人たちがちらちらと気にしながら何かを話している。かくいう私も、誰かが今隣にいたら話していることだろう。何しろ案山子の服は鳥よけのあのきらきらした赤と銀に輝くテープで作られていたのである。その姿は私たちに煌びやかな着物を着て踊る鬘を被った人々を思い出させた。そしてインパクトの強さはお昼の学内放送で久々に、数年前にベテラン俳優兼歌手が武士の格好で歌ったあのノリノリなサンバが流されたほどであった。
午後3時45分
「そう、あの案山子を…」
高校生も面白いことするなー、と皆で話したりもしていたのにまさか大学生が作っていたなんて。しかも知り合いが。私はこの事を今すぐツイッタ―で呟くべきか悩み、携帯を手にした所で止めることにした。芸大生としてのプライドみたいなものが崩れてしまう気がしたのだ。
「ん、メールでも届いたの?」
携帯を手に固まった私に彼女がそう問いかけてくる。
「いや、気のせいだったみたい」
そう言ってそっと携帯をパーカーに戻した。
「でね、この間収穫祭があって、私も参加させてもらったんだけど、なんとびっくり!お釜でご飯炊いたんだよ!」
彼女はここからが本題と言わんばかりの身の乗り出し具合で語り出す。
「はっ?」
今どきお釜って…
「炊きあがったご飯が凄くつやつやでさー。本当に美味しかったんだよ。いやぁ、ご飯担当の子達は疲れてたけどね」
「ご飯担当って他にも何かやってたの?」
「うん、一緒にもち米も育ててたから、私はお餅担当だったの。とは言っても機械見てるだけだったから体は楽だったよ。精神的に疲れたけど」
苦笑いする彼女に首を傾げる。餅つきでそんなに気を張るような事があっただろうか。しかも機械でなんて…
「あれさ、機械でぐるぐる回すんだけど、遠心力でお餅がだんだん外に出ようとするのですよ。そんなに手出ししなくても平気らしいんだけど、落ちちゃうんじゃないかと思うともう気が気じゃなくて」
「あー、あれね。確かに」
私も以前祖父の家で似たような経験をしたことがあるため、うんうんと頷く。あれは確かお盆の頃、台所で麦茶を飲んでいた時のことだ。隣の土間でお餅を機械にかけている間に、祖母が他の作業をしにどこかへ行ってしまったのだった。一人残された私は機械からお餅がはみ出そうになる度にかなり焦った記憶がある。
「そうだ、お餅といえばさ…」
いつの間にか綺麗に話題が逸れ、ひとしきり雑談などをしていたら時間はあっという間に過ぎていった。
午後4時30分
「あ、もうこんな時間なんだ」
ふ、と腕時計を見た彼女が呟く。そろそろ帰ろうかな、と口が動いたように見えた。
「それで、用事はもう全部済んだ感じ?」
結局袋の中身が分からないまま流れに任せて雑談をしてしまった。本当の用事はまだ済んでいないのだろうと思いそう言った。
「…これ」
ずいっと大きな袋を押しつけられる。
「これをどうしろと?」
とりあえず、受け取ってその形から何となく中身を察する。
「私が帰ってから開けて。それで、感想とか言ってくれるとありがたいです」
お願い、と手を合わせる彼女。
「まぁ、いいけど。どんな反応しても怒らないでよ」
そもそも彼女と私は感性が異なるのだ。もちろん、そういった第三者の視点が大切なのは分かるがそこまで当てになるとも思えない。
「いつもずばずば言うくせに良く言うよ。とにかく、よろしくね。そしたらそろそろお暇するわ。紅茶、美味しかったよ。ロシアンティーはしばらくごめんだけど」
そういうと彼女はさっと立ちあがって玄関へと向かったので、後を追って見送る。
「それじゃ、お邪魔しました」
「気をつけてね。それから、今度から来る時は自分が動く前にこっちに連絡すること」
「はーい」
聞いているのかいないのか、なんとも気の抜けた返事とともにひらりと手を振って彼女は帰っていった。
午後5時
後片付けをしたあと、私は残された大きな袋を持って作業場としている小さな部屋に入った。その中で先程の話を思い出しつつ「ご飯」を味わおうと頑張ってみたのである。それが十分ほど前からの事であり、個人的には十二分に考え、向き合ったつもりである。私は少し悩んだ末に彼女の持ってきたキャンバスから手を放すと、携帯を手に取り彼女にメールを送るためにこう打った。
《とりあえず、湯気は描いた方が良いと思うよ。》
「送信っと」
ボタンを押して無事に送信されたのを確認する。それから大切な作品を汚さないよう元通り袋に戻し、自身の作品と同じように専用の場所に収納した。そのうち取りにくることを見込んで一番手前である。
11月16日午前11時 学内発表会にて
あの後、無事に返却し、手が加えられたはずの「ご飯」がどうなったのかと見に来てみると、きちんと湯気が表現されており、その絵には「味」があった。まだ、苗を植えたばかりの瑞々しい緑から成長して青々とした稲はやがて黄金色となり、その穂を垂らす。そんな田園風景とそれを支える水や周囲の自然を背景に真っ白に輝く湯気をたてた白米。彼女が米作りを通して感じた「ご飯」の「味」がそこには表現されていた。
お読みいただきありがとうございました。
「味」がテーマのちょっとした賞に出した作品です。あえなく落選しましたが…
タイトルは変えましたが中身はそのままなはずです。
感想などありましたら気軽に言っていただければと思います。