第四章《灰色の雪が降る街 -Ruingard-》
「……ありがとな。……報酬だ」
フレアに手渡されたその報酬は、届けた物資よりも遙かに安い金額だった。
「ああ。確かに受け取った」
フレアはそれを肩から下げていた鞄に押し込む。
彼らに掛けるべき言葉が見つからなかった。
それがフレアの正直な感想だった。
常磐の街で受けた依頼内容はこの街、『廃街ルインガルド』への物資の配達だった。
物資は主に食料や衣服などの日用品。それと武器弾薬の類だった。
よくよく見れば割に合わない仕事だった。物資は自身で調達し、報酬金額はそれらを決して補い切れない額だ。
損しかしない。だから誰もこの依頼を受けなかった。そういうことなのだろう。
原因は依頼人が意地汚い人物だから、などでは勿論無い。純粋に物資を欲していて、それでいてその為の費用を払えなかったからだ。
つまりこの土地はそれほどまでに衰退していた。人も金も何もかもが不足していた。
街は滅びを迎えようとしていた。
だが、それでも住人はそこを離れようとはしなかった。
それは、そこに何らかの価値を見出しているからなのだろう。
金や財産ではなく、当人たちにしか分からない大切な何かを手放したくないからなのだろう。
もはや人の住める空間とは思えないような廃墟に、人々は縋りつくようにひっそりと暮らしていた。
――
フレアは煤けたソファに身を預けた。くたびれたソファはギギギ、と不快な音を立てる。
それから、おもむろに鞄を開け、中身を確認する。
――もうしばらくしか保たないかな。
二重の意味で、そう結論づける。
財布の中身もそうだが、この地域も逼迫している。
貧窮の極みとすら言えるかもしれない。
だが、それに対して何が出来よう。
全財産を彼らに渡すことは簡単だ。
その後、フレアとリースは貧困に喘ぐことになるが、そんなことは大したことだとは思わない。
どうにか出来ない訳ではない。
でも、それは何の解決にもならないのだ。
一時的に得た金銭で得られるものは一時的な時間稼ぎにしかならない。
すぐにまた底を付き、貧しい生活に戻される。
何も変わることはない。
勿論物資を届けたところで、やはり解決には至らない。
それが物である限り、消費され、なくなってしまうのだから。
だが、この街には物を作り出す力がない。
土地は痩せ、空はガスに汚染され、水は黒く濁っている。
何が原因でそうなったのかはフレアには分からないが、人の住める土地でないことは誰の目にも明白だった。
何故、移り住むことにしないのか。フレアが問うと、住民は決まってこう答えた。
『諦めたくないからだ』と。
黒く淀んだこの街に、果たして希望はあるのだろうか。
「お兄ちゃん。フレアお兄ちゃん」
ふと鞄から視線を上げると、そこには痩せ細った少女の顔があった。
「どうした、ニエット」
フレアはこの街で知り合った少女の名を呼ぶ。
油で硬くなったブロンドの髪と碧色の眼差しを宿した少女は花を咲かせたように笑い、
「おしごと終わったなら、あそぼっ」
と、目を輝かせた。
フレアの返事を待たずに裾を引っ張ってフレアを立ち上がらせると、ニエットはくるくると踊るように先を歩く。
フレアは困ったように笑いながらも、ニエットに足並みを揃えてやった。
ニエットには両親はいないそうだ。
この街では人の死が多い。
飢えや病気もその一因だが、それらは余波に過ぎない。
この街で最も死をまき散らしているのは、『ヴァルトニック』と呼ばれる組織だ。
黒服を纏った軍兵たちがこの街を蹂躙しているのだという。
目的は一切が不明。侵攻の始まりは6年前。きっかけは特になく、いきなりのことだった。
街が壊滅しても、侵攻は時折起こり、住人は建物の影に潜み、逃れていた。
『あいつら、街の住人なんてまるで見えていないんだ。通りがかった通行人を跳ね除けるように撃ち殺していくんだ。視界に入れば殺されちまう。近づかなけりゃ死なずに済む』
臆病そうな男がそう訴えていた。
ヴァルトニックの侵攻を食い止める。あるいは侵攻の目的がなくなれば、この街を救えるのではないか。フレアはそう考え始めていた。
「……ところでニエット。オレを何処へ連れていくんだ?」
少女は爛々と輝くような笑みを浮かべて、フレアを引っ張り続ける。
「こっちこっち! もうちょっとだから!」
ニエットは再び踊るような軽やかなステップを踏もうとしたが、足元にあった瓦礫に躓いてバランスを失してしまう。
「おっと」
二エットを支えたのは灰色のコートから伸びた腕だった。
一見、鋭い印象を受ける。
灰色の髪に灰色のコートを纏った男だった。
服のせいか、痩身長躯な体型を思わせるが、少女を支えた手は大きく、その鋭い眼つきは百戦錬磨の戦士を思わせる。
そんな無骨な男と少女の組み合わせは何処か異質な感覚を抱かせる。
「あんたは?」
フレアが問うと、男は一瞬眼を細めてすぐに無表情に戻り、
「お前が物資を届けてくれたのか?」
「……ああ」
コートの男は一方的に質問を返してきた。
慣れない対応に若干狼狽えながらフレアが答えると、男は眼を細めて頷く。
「……礼を言う」
無視されたかと思うと、今度は頭を下げる。そんな行動にフレアは困惑していた。
――読めないやつだな。
それが、この集落のリーダー、シーク=フォーレスの第一印象だった。
フレアたちがしばらく滞在したいと申し出ると、シークはそれを快諾してくれた。
貸し与えられたのは廃墟ビルの一室だ。窓も扉もある『普通の部屋』はこの街ではかなり希少だ。
それだけ感謝されているということなのだろう。
リースのことを思えば、男女別々の部屋を借りるべきなのだろうが、この街ではそれはわがままでしかないだろう。
何より、リースがそれを拒んだ。理由は判らない。
記憶喪失の身では心細いのだろうか。しかし、ニエットが一緒の部屋で寝ようと提案した時もフレアが行かないと聞くや、すぐに断ってしまった。なのでその日はニエット、リース、フレアは同じ部屋で眠ることになった。
何かが起きてもその場で自分の身を守ってくれる。そんな人物が、傍にいて欲しいということだろうか。
それほどまでにヴァルトニックの軍勢が来ることを恐れているというのか。
そんな彼女の逃亡生活を思うと、不憫でならない。
どうにかしてやりたい。フレアはそう思っていた。
だが同時に、この街の現状に関してもフレアは憂いていた。
リースに関してもそうだが、何も手を打たず放っておくなどしたくなかった。
見知ったからには何かしらのことはしてやらなきゃならない。そう感じていた。
「……どうすりゃ、いいんだろうな」
くすんだ街並みを窓から眺めながら独り呟いただけのつもりだったが、予想外のところから返事が返ってきた。
「フレア……、さんは誰にでも優しいんですね……」
窓ガラスに色素の薄い黒髪の少女が映る。
「だって、放っとけないだろ? それと、敬語はいらねぇって。なんていうか、距離を取られてるみたいで、好きじゃないんだ。まぁ距離を取りたいってんなら、止めないけどさ」
敬語は好きじゃない。それは、フレアの持論みたいなものだ。
敬語は距離を取るために使うものであって、仲良くなるうえでは必要ない。友好の妨げにだって成り得ると思っていた。
かと言って距離を置かないわけにもいかない。近づきすぎれば衝突する場合もあるからだ。
近すぎず遠すぎず。適度なバランスを保つことが対人関係において大事なことだ。
徹底的に距離を開けたがる妖精族の中では異端の考え方だが、フレアはこの考えが間違っていると思ったことは一度もない。
リースは落ち着かなそうにスカートの端をぎゅっと掴んで何か言おうとしていた。
「え……、と。その……、……ふ、……ふれあ」
なんだかたどたどしい言い方がおかしくて、フレアは噴き出してしまった。
しばらく笑っていると、リースは顔を赤く染めて抗議の視線を向けてくる。
「もうっ! そんなに笑うことないじゃないですか!」
また、敬語が出ていることを指摘すると、リースは湯気が出そうなくらいに赤面した。
あまりに空が暗くて、あまりに街は色味がなくて、だからなのかこんなくだらないことが妙に可笑しくて仕方がなかった。
あるいは、そうでもして笑いたかっただけなのかもしれない。
きっとこの街に必要なのは、こういう色だ。こういう空気だ。こういう、人間なのだ。
――
その日、住民の代表者が集って、話し合いが行われた。
もっとも、フレアたちが来る前までの話し合いは形だけの慰み合いでしかなかった。
お互いに不平不満を言い合い、結果どうしようもないという結論に至るだけだった。
シークが仕切るようになり、少しは変わったが、やはり結論は変わらない。
どうしようもなかった。
だが、フレアが加わり、戦力は増した。今まで諦めていた計画も動かすことが出来る。
「掃討作戦だ」
シークは言葉少なに説明した。
「奴らの動向は既にある程度探ってある。そろそろ動きがあるはずだ。そこに横槍を入れて誘い出す」
住人たちの視線はシークに注がれる。シークはそれに頷いて返す。
「斥候の向こう側であぐらを掻いている、奴らの頭を誘き出して、潰す」
シークの瞳に殺意の焔が灯る。
ニエットと対する時とは別人の眼だ。
彼の姿に似つかわしい眼とも言える。
シークは悠然と言ってのけたが、住人たちは素直には従えない。
「ヴァルトニックに逆らうってのか……!」
「勝てる訳ない……。殺されるに決まってる!」
「お、オレは行かないぞ! あ、足手まといになるだけだ!」
一部の住人たちが騒ぎ出した。
「だが、戦わなければ蹂躙されるだけだ。それはお前らが一番よく分かってる筈だ」
シークは依然落ち着いた様子で語り掛ける。
狼狽えるように住人の一人が訴える。
「も、もっと戦力が整ってからのほうが……。フレアくん一人加わってくれたってあまりに……」
しかしその発言は途中で打ち切られる。
「私も戦います!」
挙手をして立ち上がったのはリースだった。
「もう守られるだけなのはイヤ。私にだって出来ることがあると思うから」
そこには、初めてフレアと会った時と同じ、強い意志を感じさせる顔があった。
周囲はリースに圧されていた。年端もいかぬ少女が戦うと言ったのだ。
保身だけの発言など出来よう筈もなかった。
「やろうぜ。今出来る事を、精一杯さ」
フレアが諭すように言う。
次第に反発の声は減っていった。
それを見届けると、シークは良く通る声で語る。
「これだけの好機はもう二度とない。チャンスはこれきりだ。決行は次に奴らが来た時。街に侵入してきたところを追い返す」
「良かったのか?」
話し合いは終わり、住人たちがいなくなった後、シークは口を開いた。
どちらかというと、フレアに対して訊いているようだった。
しかし、リースはそれに気付かなかったのか、即答する。
「大丈夫です。私だって、戦えます!」
シークはリースを一瞥し、すぐにまたフレアを見た。
それでいいのか、と問いかけているようだった。
正直、フレアとしても不安がないわけではなかった。
だが、『戦いたい』という意志は否定すべきものではない。そう思っていた。
『戦いたい』という意志は尊重されるべきものだ。
でなければ、どうだ。
フレアにとって、戦う意味とは生きる意味に等しいものだ。剣に懸けてきた想いは百五十年分にもなる。
フレアはその年月を否定出来ないし、否定をしたくない。
自らの人生を否定するような発言はフレアには出来ない。
だから、こう言うしかなかった。
「じゃあ一緒に戦おう。オレがお前を絶対に死なせない」
それが、フレアに出来る精一杯の返事だった。
同じ『戦う』ならせめてリスクを減らそう。
そして、勇気づけるようにリースの手を強く握ってやった。
「だからせめてオレの傍にいてくれないか」
以前のように離れ離れで何かが起きれば、今度は守り切れるという保証はない。
だが近くに居れば対処はしやすい。守れる確率は相当に上がる筈だった。
「えっ……! いきなりそんな……。なんか恥ずかしいな……」
見ればリースは何故か顔を赤らめてそっぽを向いていた。
何に照れているのか分からず、シークに訊こうとするが、
「やれやれ。薮蛇だったかな。あとはゆっくりどうぞ、おふたりさん」
シークは後ろ手に手を振って部屋を出ていってしまった。
「え、と……。あ、ありがとう。その、フレアの気持ちは、ちゃんと分かったから。すす、すごく嬉しいよ。ま、前向きに、えと、け、検討するねっ」
リースはバタバタと走り出し、部屋を去ってしまう。
部屋にはフレアだけが残された。
「……アレ? オレなんか変なコト言ったかな……?」
いくら考えても、フレアには分からなかった。
――
そして、その日がやってきた。
銃声が反響し、積もった灰が風に舞う。
シークが先頭を走り、黒服の兵を剣で薙ぎ倒してゆく。フレアとリースはそれに続く形で前進する。
シークが振るっているのは、独特な形状の剣だった。
刀身は俗にブレイドと呼ばれる類の幅広の剣で、主に斬撃を主とするタイプのものだった。それ自体に特筆すべき点はない。
異常なのは柄だ。グリップに相当する部分。そこには銃が備え付けられていた。
まるで銃の砲身から剣が生えているような、そんな形状をしている。
今の扱いを見る限りでは、普通の剣と変わらないように見える。
弾鉄に指をあてがう仕草すら見せない。
銃としても扱うことが出来るということか。フレアは想像でそう結論づける。
シークは強く、この部隊を鎮圧するだけなら彼一人で十分なのではないかとフレアは感じていた。
事実、フレアもリースもついて行くだけで戦闘は終結していた。
ヴァルトニックの一派が占拠していた廃墟の屋上に登り、フレアは周囲を警戒していた。
遅れて、階段を登ってきたリースが、肩で息をしながらフレアに歩み寄る。
「……ハァ、……ハァ」
リースは随分と苦しそうだった。一般人にはただついて行くだけでも相当に重労働なのだろう。
それどころか、よくよく考えてみればついて来れているということ自体が既に普通ではないような気もする。
それほどにシークの侵攻は速かった。
「よくついて来れたな。結構な速度で走ってたろ?」
言うと、リースは目を細めて顔を上げた。
「……それが、……傍に居ろとか、……言った人の……、台詞……?」
リースは息を詰まらせながら、不満げな表情を見せる。
それを聞いてフレアはようやく思い出した。
「……ゴメン。なんつーか、ホラ。あるだろ? 集中すると周りが見えなくなるっつーかなんつーかさ……。えーと、悪かったよ。……怒ってる?」
「ハァ……。そりゃ怒ってますよ。……けど、もういい。期待するだけ無駄みたいだし。わたしの勘違いみたいだし」
リースは不貞腐れたようにそっぽを向いてしまう。
「勘違いって、……いや、否定はできねーか」
守ると言っておきながら、置いてきぼりにするかのように、突っ走っていたのでは、何を言っても説得力はないだろう。
「ゴメン。約束するよ。今度は絶対にお前のことをずっと見てるから。だから安心してくれ」
リースの肩を掴んで、栗色の大きな瞳を見つめる。
その瞳が揺らいだように見えた。が、リースはフレアから視線を外してしまう。
「どうかしたのか?」
リースは少し頬を赤色に染めて、灰色の空を見ていた。
「ううん。な、なんでもない」
リースは何かに動揺しているようだった。
「空に何かいるのか?」
フレアが空を見上げると同時に後ろから声が聞こえた。
「やれやれ。出歯亀だったかな。一応謝っておくが、所構わずちちくりあうのもどうかと思うぞ」
そこにいたのはシークだった。廃墟内の残党がいないかを見回ってくれていたのだった。
「よし。あとは向こうが動き出すのを待つだけだな」
「それが最大の問題でもある」
シークは表情を曇らせた。
日は沈み、3人は廃墟の一階に集まっていた。
煤けた暖炉に火を灯し、フレアは燃え広がる炎に目を落としていた。
リースは肌寒いのか、手を暖炉にかざしていた。
シークはガラスのない窓から夜の空を見上げていた。
やがてシークは向き直り、口を開く。
「お前ら、奴らをどこまで知っている?」
奴ら、とは勿論ヴァルトニックのことだろう。
「黒服を着たよく分からん軍隊で、街を荒らしたりしてる嫌な奴、かな」
リースはそれに頷くだけだった。
「お前はどんな田舎で育ったんだ」
シークは溜め息混じりに呟く。
お前は? とでも訊くようにリースの方を向いたが、リースが記憶喪失である旨を伝えるとシークは呆れたように頭を振る。
「分かった。そこから説明しよう」
ヴァルトニックとは、武器・兵器の発達したこの世界で、最も力を持っている企業の名だ。
起業後数年で業界トップに躍り出て、今や世界の金の3分の1はヴァルトニックが持っているとまで言われるほどの巨大な武器兵器生産輸出会社となった。
その力はすでに国家レベルを越えていて、『法律よりもヴァルトニックの顔色を気にしろ』と親は子供に摺り込むという。
会社がそこまで異常発達した理由は実はあまり良く分かっておらず、密輸や裏の組織の繋がりを指摘する声もある。
会社が力を持つだけなら、まだそれほど大きな問題とは言えない。
問題なのは、それだけの力を持った会社がその力を濫用しているということだ。
ある街では住民たちは死ぬまで働くことを強要され、ある町では演習と称して残虐な破壊活動が行われているという。
しかし、国家規模でも逆らうことが困難な存在であるため、全ては黙認されている状態なのだ。
「つまり胸糞悪い奴らの横行は、今日日珍しくもなんともないってことだ。街でも聞いたろ。『ヴァルトニックに逆らうなんて』ってよ。つまりはそういうことさ」
シークはそこまで語ると、口を閉ざした。
フレアには政治的な話などは分からない。ただそれでも、ヴァルトニックを放ってはおけない。目的が何であれ、こんなくたびれた街を量産するような存在をフレアは許せなかった。
――まずはこの街を救おう。そしてそれ以外にもヴァルトニックに蹂躙されている地区があるならそこへ向かおう。なんとかしなくちゃな。
そのためにも、今後の動きを話し合う必要があるだろう。
そう思ってフレアが顔を上げると、シークもリースも同時に顔を上げていて、ふいに視線が交錯する。
目が合うだけで三人は気持ちを共有しているという確信があった。
シークが口を開く。
「さて、それじゃあ詳しい話をしようか」
フレアとリースはそれに頷く。
――
「第2観測所が墜ちました」
「分かった。下がれ」
部下らしき黒服の男は頭を垂れたまま、後退し、そのまま部屋を後にする。
部屋には一人の男のみが残されていた。
その男も黒い服を纏っていたが、その装丁は部下らしき男のそれと違って、随分と豪奢な趣向だった。
その違いが二人の違いを決定的に示しているようでもある。
だが、男はその服を着崩していた。
凝った服をだらしなく着ている様は壮絶な違和感を孕む。
また、男の仕草は妙にわざとらしく演技がかっていた。
大げさな形で額に手を当てると、男は自嘲したように笑う。
「さて、仮に報告が真実だとするならば、面白いことになるな」
クツクツと男は含み笑いをし、カーテンのない窓を見やる。
「一人でヴァルトニック兵を薙ぎ倒した銃剣-ベイオネット-使い……。灰色の髪に灰色のコート、ねぇ」
空は暗く、天候は読み取れない。新月の夜だった。
「こんな所で何をしているんだ? シーク=フォーレス」
――
「向こうが動き出さない可能性があるのか?」
フレアは信じられずに訊き返した。
シークはそれに頷く。
「まぁ、指揮官次第だがな。オレたちの動きを見て警戒するのなら、動かずに様子をみる可能性もある。だが、挑発に乗るような単純な奴なら間違いなくやってくる筈だ」
そう言われ、フレアは懸念事項を口にせざるを得なかった。
「動かなかった場合は、どうするんだ」
「捕らえた生き残りに吐かせる……、って選択肢はありえないな」
「一人残らず逃げて行ったからな」
フレアが溜め息を吐くと、シークは冷笑的に言う。
「馬鹿言うな。あいつらはな、何も吐かねぇんだよ。オレらにとっちゃ雑魚でも、向こうはプロなんだ。捕虜になるくらいなら落とし前は自分で付ける。そういう組織なんだよ」
それは、フレアを苛立たせるのに充分な言葉だった。
「ふざけんなよ。命を何だと思ってるんだッ……!」
「ま、それが普通の反応だろうな」
窓を覗いていたリースが声を上げた。
「ねぇ、あれ見て!!」
黒い空に煙が上がっていた。赤い光りに照らされて、煙は空へ昇ってゆく。
「あの方角って、まさかッ……!」
シークは歯を剥いて立ち上がる。
「……そういう、ことか……」
フレアが訊き返す間もなく、シークは廃墟を飛び出していく。
フレアとリースは慌ててそれに続いた。
燃えていた。緋々と燃えていた。
雲を染め、空を染め、地を染め、焔は緋色に燃えていた。
猛烈な異臭がした。まるでつんざくような異臭だ。
今まで嗅いだことのないような臭いだった。
嘘のような光景が広がっていた。
信じたくない、とフレアは思った。
だが、緋い光が。鋭い異臭が。照り返す熱が。
残酷なほどに、それを真実だと告げていた。
燃えていたのは街だ。廃都ルインガルド。
廃墟の街は、ただの瓦礫の塊となった。
激しい焔と、無数の住民の亡骸を残して。
「うそ……ッ!」
「…………」
リースは顔を覆い、泣き崩れ、シークは一言も発さずに焔を見つめていた。
「なんでだよッ!! どうしてだッ!!!」
フレアは地面を殴りつけた。
どうしてこんな簡単に人が殺されなければならない。
彼らが何をした。
ただ懸命に今を生き抜こうとしていただけだ。
彼らは正しい人間だった筈だ。
ならば救われなければならない筈だ。
なのに奪われた。
理不尽に奪われた。
この街は廃墟の街だ。そもそも燃えるようなものはロクに残っていない。
燃やそうとしなければ、ここまで大規模な火災にはならない。
天災ではない。人災なのだ。
ならばそれは誰がやったのか。
もはや問うまでもない。『ヴァルトニック』がやったのだ。
観測所をひとつ潰した。その報復に街一つを焼き払ったのだ。
それは明確な意思表示だ。
『ヴァルトニック』に逆らうことは赦されない。
それをフレアたちに伝える為に、それだけの為に街が一つ滅んだ。
もう生き残りはいないのだろう。『事』はもう終わってしまっているのだろう。
ニエットも、あのいたいけな少女もこの焔に呑まれてしまったことだろう。
彼女も成長すれば、美しい女性へと育ったことだろう。
天真爛漫なあの笑顔で多くの人間を魅了したことだろう。
多くの人を救ったことだろう。
勿論ニエットだけの話ではない。多くの人に多くの未来があった。多くの可能性が残されていた。
この街が再復興し、明るい街に変わっていた可能性だってある。
しかしそれらはもう叶わない。
叶う筈のない夢になった。
またもフレアは救えなかった。
エイリッドの時も、目の前で、突然のことだった。
今回は、剣の届かない場所で起こった。
一体、何の為の剣術なのだろう。
目の前の人間も救えず、手の届かないところでは何も出来ない。
「なんでオレは、……こんなに無力なんだろう」
シークが振り返り、フレアに向き合う。
「そうだな、無力だ。だが、それがどうした。そんなものは戦わない理由にはならねェよ」
戦わない理由。なんとなくその言葉がフレアの胸に響いた。
「どんな時でも敵を見定めろ。標的を見失うな。そして、絶対に立ち止まるな」
それは戦術の基礎のようだった。だが、今のフレアにはそれが染み入るように感じられた。
そして、思い出した言葉があった。
迷いの淵で、いつも自分を諌めてくれるあの言葉。
「戦うと決めたら剣を振るう。斬ると決めたら叩っ斬る。勝つと決めたら、絶対に倒す」
気づくと口に出ていたその言葉に、フレアは不思議と活力が湧いた気がした。
「……そういうことだな」
シークは口の端を吊り上げる。
「……、リース?」
見ればリースは頭を押さえて苦しんでいるようだった。
「素人がこんな光景に立ち会えば、そうなるだろ」
シークが肩を竦めながら言うのだった。
「そういうもんか……」
意識があるのかないのか。それすら判然としないくらい、彼女は疲弊しているようだった。
座り込み、荒い呼吸をしていた。
「取り敢えず、一旦落ち着ける場所に……」
言った瞬間だった。
クヒヒヒ、と笑い声が響いた。
フレアとシークはそれぞれ得物を構え、その声と向き合う。
「会いたかったゼェ、シーク=フォーレス」
そこにいたのは黒服の男だった。
他の黒服の男とは違い、装飾の多い黒服だった。
そして男の放つ威圧感もまた格が違う。
フレアは背中に嫌な汗を感じながら、シークに問う。
「あいつは?」
「通称『リボルバー・マーカス』。回転式拳銃を2丁同時に扱う異常者だ。ヴァルトニック社の4人の幹部の一人で、昔馴染みの腐れ縁だ」
フレアには『かいてんしきけんじゅう』とやらが何なのか良く分からなかったが、ヴァルトニックの幹部というだけで充分に分かった。
敵だ。
フレアは剣を抜きかけたが、
「オイオイオイオイ、腐れ縁って。もっと言い方があるだろう? 例えば……」
しかしその言は途中で遮られてしまう。
新たに闖入者が現れたからだ。
フレアはその男に見覚えがあった。
小汚い格好に痩せ細った身体。名前は知らないがこの街の住人だ。いや、元住人か。
小汚い男は黒服の男、マーカスに縋みついた。
「オレは言われた通りにしたぞ! 街のやつらに気付かれないようにガソリンを撒いて火を点けた! 例のガキだって渡した! みんなみんな死んだ! ヒャッハ、死んだんだ! オレだけ生き残った! オレはお前ら馬鹿とは違うぞッ! ヒャハッ!」
シークは鷹のように鋭い目で男を睨んだ
「お前、この街を売ったのか!!」
シークは銃剣を持つ腕に力を込めた。
「ヒャハッ! 当たり前だろ! ヴァルトニックには逆らっちゃいけねェ。こんなんガキだって知ってらァ! オレが、オレだけが生き残れりゃいいんだよ! さぁ、早く金をくれ! 約束だろ!!」
「最悪だ……」
シークは視線を落とした。小汚い男はシークには目もくれず、マーカスに擦り寄る。
マーカスは男の手を払うと、汚いものを見るような冷たい眼で男を見やる。
「ああ、そうだな。報酬を渡す約束だったな。いいだろう。くれてやる、鉛玉で良ければな」
マーカスは拳銃を構えると銃口を男の口の中に突っ込んだ。
「美味しい美味しい鉛玉だ。しっかり味わえよ。この果報者」
藻掻く男は塞がらない口で何かを訴えようとしていた。
しかし、マーカスは止まる素振りを見せず……
銃声が、響いた。
止める間もなく、口を挟む隙もなく、男は絶命した。
「ああ、忘れるところだった。シーク。お前にプレゼントがあるんだ。受け取ってくれるか?」
マーカスは男のことなど始めから何もなかったかのように話し始めた。
「プレゼント? 気持ちが悪い。お前が消えていなくなることがオレにとって最高のプレゼントだよ」
「オイオイオイオイ、言ってくれるじゃねェか。……まぁいい。見てくれれば、きっと気も変わることだろう」
シークが頭に疑問符を浮かべていると、マーカスの足元、瓦礫の影から見知った顔が姿を現した。
「ニエット……」
そこには憔悴したニエットの姿があった。
眼の焦点は合わず、虚ろに前を見据えていた。
「ニエット!!」
フレアはフラフラと歩き出した少女を支えようと、ニエットの元へ駆け出そうとしたが、
「よせ!!」
シークはそんなフレアを静止しようとする。
フレアには意味が分からない。
シークを半ば無視して、フレアはニエットに駆け寄る。
ニエットは虚ろな目で、確かにフレアを見ている。
「おにぃ……ちゃ……」
シークは声を張り、フレアを止めようとする。
だが、フレアはその意味が理解できず、それを眺めるマーカスは実に愉しそうに破顔し、ニエットは徐々に意識を取り戻したかのように顔に表情を浮かべ。
フレアがニエットの元へ駆け寄る、そんな一瞬が妙に長く感じる。
『チッ』
何かの音がした、気がした。
衣擦れか、とも思ったが、もっと機械的な音だった。
そしてそれをきっかけにして、フレアの意識は途絶えた。
――
『死の抱擁-セルフタイマー-』。そう呼ばれる兵器がある。
その兵器を目にした敵兵は確実にその攻撃範囲に自ら近づいてしまう。あとは、接触した瞬間を見計らって指先ひとつで確実に仕留められる。
その兵器は実にシンプルだ。なので姿は思いのままにできる。
例えば。
美しい女性でもいい。傷ついた兵士でもいい。無垢な子供の姿でも構わない。
その身体に、リモコン式の爆弾を仕込み、敵兵の近づく範囲に設置すれば、後は向こうからカウントダウンを始めてくれる。
死への抱擁。その罠へ自ら飛び込んでしまうことから、いつしかそれはセルフタイマーと呼ばれるようになった。
見るからに『それ』は罠だった。シークには経験上、それが分かった。
だが、普通はそうは思わない。
だから、フレアは近づいた。近づいてしまった。
そして。
見たくもない光景だった。
フレアは衝撃で吹き飛び、意識を失っていた。
リースもいつの間にか、昏倒しているようだった。
マーカスは狂ったように嗤い声を響かせていた。
ニエットは……、言うまでもないだろう。
シークはただ、一人頭を抱えていたのだった。
ひとしきり嗤って落ち着いたのか、マーカスはシークへ視線を移す。
「クヒ、やっぱりそういう眼をする訳だ。いいゼェ。そうでなきゃ困る。あの時の指令はまだ解かれちゃいねェんだ! 『アンタを殺せ』ってなァ!!」
マーカスは腰元のホルスターから二丁の拳銃を引き抜いた。
対するシークも銃剣を構え、顔を上げた。
裂帛の気合を宿した、戦士の瞳がそこにはあった。
「そんなに愉しいのか? 『ヴァルトニックのおつかい』が」
血管を浮き上がらせて、マーカスは憤る。
「テンメェエ!!」
シークはそれをじっと見据えていた。
様々な想いが、シークの中にはあった。
街を大切に想う気持ち。住人を想う気持ち。未来に馳せた想い。貧しさに身を寄せ合った過去。共に過ごした思い出。
それらを噛み締めて、シークは剣を握った。
それらを剣に乗せて、マーカスにぶつけた。
銃剣特有の衝撃と銃声。重い圧力に身体を預け、シークは戦うことに没頭した。斬ることに集中した。
『なんだアンタは?』
『胡散臭い奴だな。傭兵か?』
何故か脳内で再生されるイメージ。
『依頼……そうか。こいつで頼めばきっと誰かが助けてくれる……!』
『けど現実ってヤツは、そんなに優しくないんだな。……って今更言ってもなぁ! アハハハ』
辛いだけではなかった。貧しいだけではなかった。
『あの子が依頼を受けてくれた、フレアくんだよ』
『フレアお兄ちゃんっていうんだって! ニエットとあそんでくれたの!』
確かにそこには人の営みがあって。
『もう守られるだけなのはイヤ。私にだって出来ることがあると思うから』
『やろうぜ。今出来る事を、精一杯さ』
『希望』は急に終わりを告げた。
――オレには誰かを救うことは出来ない。
それは連綿たる事実だった。
――それでも……、
救うことは出来なくとも。
――敵を殺すことなら出来るから。
だから、戦う。敵を殺す。
その結果が誰かの救いになると、シークは信じていた。
――
気づけば、夜が明けていた。
雲ひとつない白い空。耳が痛くなるような静寂。
身体には気だるさが残り、起き上がろうとする意思を阻む。
何故ここで目を覚ましたのか、考えるまでもなく答えは浮かんだ。
周囲を漂う異臭が、嫌でも思い出させる。
「……なんで守れないんだろうな」
フレアにとって、それは自身への問いかけだった。
「端から人はそんなに強くはない。きっと誰もがそうなんだ」
その独白はシークのものだった。
重たい身体を持ち上げ、フレアは声のほうを向く。
「オレにも出来る事がある筈だった。奴等の横行をどうにか出来ると、そう思っていた。だが、結果はこれだ。オレ一人の力を過信したつもりはないが、オレは奴等の本質を見誤っていたらしい。ちょっとやそっとの攻撃じゃあ何の意味も為さない。逆らうなら徹底的に、だ」
シークはひとつ息を吐き、やがて何か決意したかのように呟く。
「……ヴァルトニックを、殺す」
「ヴァルトニックって社長の名前だっけか?」
「ああ。ヴァルトニックにくみする奴等全てを殺す。情けなど掛けるべきではなかったんだ。逃げる奴も戦意を失くした奴も皆全部、殺す」
シークは冷たく、悲しく、痛々しく呟いた。
フレアは、それに頷いてやることしか出来なかった。
ふと視線を移すと、リースは上の空で遠くを見ているようだった。
「……リース?」
リースはそれに呼ばれたことに気付かないのか。在らぬ方向を見続けていた。
そして、何事かを口走っているようだった。
「違う……わたしは……、……知らない」
「リース? どうかしたのか?」
「ひあっ!!」
肩を叩くと、リースは小動物のように飛び上がり、おまけに奇声まで上げた。
「う、ううん。なんでもない」
愛想笑いを浮かべ、ごまかされてしまう。
――ヴァルトニックにしろ、リースの記憶にしろ、オレたちだけじゃどうしようもないのかもしれないな。
そう結論付け、シークの提案で一行は交易都市サニーガーデンへ向かうことになった。
◆シーク登場
導入が唐突かも。漫画とかアニメとかならこれくらいぶっ飛ばしても行けそうだけど、小説だとちょっと無理があるような。
◆町の人々
もう少し描写が多ければ、感情移入とか狙ったり伏線とか張れたかなぁ。
当時はニエットにのみ焦点を絞ってました。
◆結末
酷すぎる結末かと思われます。
ですが、こういう話を書いておかないと、ヴァルトの悪っぷりが表現できないんですよね。悪いことしてるらしい、とか書くだけだと敵愾心とか生まれないし。
そのためにニエットを出して目の前で死なせた訳です(しかもかなり凄惨な形で)。そして街を売ったのも住人の一人であった、だとか。
ぶっちゃけた話、書いてるときはノリノリでした。
酷い奴らは書いてて楽です。
◆マーカス
ここでのバトルは心理描写くらいですぐに引きます。
フレア視点だとあんまり触れにくかったので。
◆これから
この事件から、打倒ヴァルトニック、という方針が立ちます。
そしてリースがどんどん目立たなく……