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第三章《疾風と双刃 -RIETH-》

 《常磐》と呼ばれる街がある。

 その意味は、『永遠の緑』。発展を願う街にはあまり似つかわしくない名前だ。街の発展は森の伐採に繋がり、それは『永遠の緑』の否定に繋がるのだから。

 だがその名の由来には、とある逸話があった。

 《常磐の街》を越えてすぐに現れる深い森林地帯。そこは、一年を通して葉を落とすことのない深緑の山脈だ。

 広大な森は変わらずそこにあり続けた。

 多くの国が旗揚げと衰退を繰り返し、国境線が幾度塗り変えられようとも、森はただ、そこにあり続けた。

 飢饉に大勢が地に伏したときも、大嵐に家屋が軒並み吹き飛ばされたときも、戦火に呑まれ疫病が蔓延したときも、不景気な社会に子供の笑顔が奪われたときも、決して姿を変えることもなく。

 永遠の緑、そのものだった

 神の起こした奇跡なのだと、人はそう考えた。

 名もなき森は、やがて人々の支えとなった。

 現在の《常磐の街》の発展は、守り神と化した《常磐の森》の恩恵なのではないか。

 ――そんな話だ。


――


 《常磐》の街のメインストリートには、多くの商店が立ち並んでいる。

 人の往来はそこそこに多く、喧騒とは言わないまでもそれなりに賑やかな大通りだ。

 だが、誰もが気付くことのない闇が、確かにそこにはあった。

 『それ』は、意識しなければ気付かないような些細なものでしかない。

 日常で街を警戒して歩く人間はまずいない。

 だから『それ』に気付ける者はいなかった。

 路地に一歩入り込むと、物音は途端に減るものだ。

 大通りから数秒で辿り着ける空白地帯。

 そこは、余程派手に暴れない限り多少のことでは誰の目にも留まらない無法地帯でもある。

 そこに一人の少女がいた。

 軽装で、一見するとどこにでもいるような街娘といった感じだ。

 太腿に届くソックスとそこから僅かに素足を覗かせる短いスカート。それは快活で健康的な印象を与えるのだが、両腕に握られた二本のナイフだけが鋭く異質な輝きを放つ。

 少女の正面には黒服の男が立っていた。

 男の背後には更に複数の男たちが並び、少女を取り囲むようにして身構えている。

 男たちは一様に黒い服を纏い、手には短機関銃が握られている。

 先頭に立つ男が少女に声を掛ける。

「さぁ、観念してもらいましょうか」

 男は少女に手を差し出す。

 その手が望むものは、少女の持ち物かあるいは少女の身柄それ自体か。

 少女は沈黙でそれに答える。

「……致し方ありませんね」

 男は腕を振り上げる。すると一斉に銃口が少女に向く。

 張り詰めた空気があたりを包む。

 少女はそれでも言を返さない。それどころか、ナイフを握る腕に力を込めてさえいる。

 男が腕を振り下ろす。同時に周囲の男たちは引き金を弾く。

 が、銃弾はすべてコンクリートの壁に飲み込まれた。少女の姿はそこから消えていた。

 影が男たちの間を駆け抜けていた。その影を視認できる者は誰一人いなかった。影が走り抜ける度に男たちは次々と倒れていく。

 緋色に染まったナイフが、狭い路地を駆け巡っていた。

 始まったのは惨劇の多重奏だ。

 空を抜ける銃撃の小太鼓が、断末魔の合唱に彩りを与える。

 しかし演奏の序盤にもかかわらず、突如終止符が打たれるのだった。

 歌い手は人数分しかいないからだ。

 数十の音符で奏でられるのは、序奏が精々といったところか。

 少女はナイフを振り払い、刃に付いた液体を飛ばす。

 その仕草は、まるで指揮者の終礼を思わせるものだった。

 少女はつまらなそうに眉根を寄せる。

 物足りない。とでも言うように、肺の中の空気を外へ吐き出す。

 ほんの数秒の狂想曲。それは、歯車を誤った戯曲そのものだ。

 少女は屋根の上にそっと降り立つ。

 階下に広がる裏路地を一瞥し、興味を失ったのかすぐに視線を逸らす。

 少女が跳び去り、残されたのは変わり果てた姿の黒服たちと硝煙の匂いだけだった。


――


 情報収集の基本は酒場だ。

 と聞いていたので、フレアは迷うことなくそこへ足を運んだ。

 いや、本来なら迷ってしまう筈だった。

 迷わずにそこへ辿り着けたのは、あからさまなくらいに目立つ看板があったことと、街に入ってすぐの場所にその店があったからだ。

 エルフの里と違い、多くの建物が立ち並び、通りを人が埋め尽くしている。

 迷わない訳がなかった。

 里での経験も、旅立ち前に習った話でも、これには太刀打ちできる訳がない。

 全ての常識が違っていた。

 とはいえ、フレアはそれに悲観するような性格を持ち合わせてはいない。

 渡された冷水の入ったグラスを傾け、背もたれに身を預ける。

 耳に入るのは喧騒だ。通りもそうだが、店内でもさまざまな人間が世間話をしている。妖精の暮らすエルフの里とは住民の活気が違う。エルフの里では祭りがあってもここまで騒がしくはならない。

 どちらかと言えばフレアの心根に近い気質なのだが、150年暮らした空間との違いはあまりに大きく、馴染むには少し時間が掛かりそうだった。

 周囲に目を配れば、恋人らしい男女がつつしまやかな会話を楽しみ、いかつい男たちが昼間から酒を煽り、冒険家のような出で立ちの若者が定食のスープをすすっている。

 カウンターでは店主だろうか、スーツの上にエプロンをした男がコップを磨いていた。

 その眼は店内を巡っている。客を見ているのか、店員たちの仕事に気を配っているのか、判別はつきそうにないが、何か鋭い印象を受ける。

「お待たせしました」

 女性店員がフレアの座るテーブルに皿を置いた。

 焼きたての魚がジュージューと音を奏でる。

 その隣でぎゅるぎゅると鳴ったのはフレアの腹だ。

 店員は上品に笑いながらそそくさと退散する。

 フレアはそれに頷く。

 ――そう、邪魔なんだ。この舞台には……、な。

 フレアは滴る涎をじゅるりと啜る。

 フレアは手を合わせる。周囲の喧騒は消えてなくなる。

 いや、聞こえなくなるのだ。

 もう、フレアの眼には焼き魚定食しか映っていない。

 邪魔するものなどいない……、筈だった。

 しかし、

 喧騒は沈黙していた。

 今度は、集中による気の所為などではなかった。

 店内の客は全員、ある一点に眼を奪われていた。

 そこにいたのは、齢15,6くらいの少女だった。

 やや色素が抜けているようだが、黒髪の少女だった。肌は白く、普通の街娘といった格好だった。短いスカートと太腿まで届く長いソックスが快活な印象を与える。

 少女は苦しそうに肩で息をしながら、ただ荒い呼吸をしていた。

 その様子は只事ではなく、皆一様に少女を見つめる。

 周囲の視線は催促をしているようでもあったが、少女は言葉を発せない。

 ただゼェゼェと肩を上下させている。

 直立もできないらしく、膝に手をついて俯いた状態だ。

 故に、表情は察せない。前髪が顔を隠していた。

 少女は何か喋ろうとしているようだったが、呼吸が苦しくてそれどころではなさそうだった。

 数秒そうしている間、周囲は見守ることしかできない。

 ようやく一息飲み込んで、少女は初めて顔を上げた。

「助けてくださいッ!」

 強い意志を感じさせる声だった。

 栗色の瞳にもその気迫が宿っていた。

 美しい娘だった。

 その凛とした姿にフレアはとある少女の面影を見た。

 顔が似ている訳ではないが、美しい外見から放たれる存在感が他を圧倒するような、そんな既視感を抱いた。

 場は硬直していた。

 少女の美貌に、というのもあるだろうが、それ以上に押されていた。

 少女の栗色の瞳が店内を駆け巡っていた。

 探しているのは、屈強な戦士か、誠実な騎士か。

 その眼差しがフレアを射抜いた。

 少女が唇を開き、息を吸った刹那、

「よーしッ! このオレ様が力を貸してやろう!」

 熊のような大男が立ち上がり、力こぶをつくってみせる。

 それに連なるように、男たちが次々と立ち上がり、威勢良い掛け声を上げながら大男に続く。

「え……っ。あ、……あのっ!」

 少女は慌てて止めようとしたが、「心配召されるな」とでも言うようにニカッと歯を見せ、男たちは店の外へ出てゆく。

 溜め息を吐いたフレアだったが、突き刺さる少女の視線に思わずたじろいだ。

「……あの、」

 少女が何を言いたいのか。その答えは恐らく店の外にあるのだろう。

 だが、それよりも……。

 焼き魚定食は湯気を上げ、香ばしい磯の香りが鼻腔をくすぐる。

「……、迷うことはないんだけどな……、」


 大通りは騒然となっていた。

 普段は忙しそうに行き交うだけの町民たちも立ち止まり、有り様を見守っている。

 それも当然のことだ。

 広い通りも、数十人がひとつの店を取り囲むようにたむろしていては通行も容易ではない。

 まして、それが全身を黒服に包み、銃器で武装した男たちであれば尚更だ。

 店を出てきた大男たちも多勢に無勢を感じ取ったのか、打って変わって萎縮していた。

「な、なんで……」

「嘘……、だろ?」

 旅慣れていそうな男たちも、さすがにこんな風景には出くわしたことがないのか、思い思いに弱音を呟く。

 やがて口々に同じ言葉を吐いた。

「ヴァルトニック……ッ!」

「なんで、ヴァルト社が……ッ!?」

 縮み上がった男たちを満足気に見下しながら、黒服がひとり、前に出る。

 背は低く、小柄な姿をしていた。

「女の子をひとり、探してるんだ……」

 声はまだ声変わりを迎えていないような少年のものだった。

 しかし喋り方には落ち着きがあり、若い少年の声でありながら少年らしくない知性が感じられる。

「知ってるよねェ、みんなァ?」

 語調は落ち着いたままだが、口調には狂気を孕んだ感情が乗り始める。

 同時に黒服たち全員が殺気を放つ。いつ発砲するかも分からないくらいに。

 恐怖に駆られた町民たちは悲鳴を上げた。

 大通りは一瞬でパニック状態になる。

 人々は押し合い圧し合い、将棋倒しに倒れこんだ。これには、酒場から出てきた旅人たちも混乱の意を強める。

 そんな光景を少年は唇を吊り上げて見渡す。

 美しい少年の顔は醜く歪み上がった。

「うふ、あはははは! さァ、いるんだろう? サツキィイ! 出てこいよッ! ボクと遊ぼう! うふふふふ……。あはははははははは!」

 

 哄笑は店内にいたフレアにも聞き取れた。

 妖精としての聴力は必要ない。それくらいにはっきりと、高らかに、少年は笑っていた。

 フレアは扉を見つめているその少女に視線を移す。フレアのいる位置からは、表情を窺えない。

「随分と、懐かれてるみたいだな?」

 問うと、サツキと呼ばれた少女は俯いたまま、答える。

「…………、違う」

「……何がだ?」

 皮肉のつもりではあったのだが、何か様子がおかしい。苛立ちではなく、戸惑いを感じさせる口調だった。

 フレアが再び問う前に、少女は振り向いて、言う。

「わたし、サツキじゃない……」

「どういう……、」

 フレアの言を遮り、轟いたのは銃声だった。

「やれやれ、落ち着いてメシも食えねェなァ」

 フレアは背中に伸びた柄を掴む。

 腕に重量が圧し掛かる。

 その重みはフレアにとって心地良いものだった。

 ずっしりと、確かに、はっきりと。

 身体を引き締めてくれている。精神を引き締めてくれている。

 心の淵に引っ掛かった暗い何かが、剥がれ落ちる。

 …………、ほんのわずかに。少しだけ。


 あの日。

 初めて人間と出会った。

 エイリッド=ハンターという男だった。

 おいしい手料理を食べさせてくれた。

 傷跡を隠すような笑顔で外のことを話してくれた。

 そして、光が弾けた。

 緋い光だ。

 光が、エイリッドを包み込んだ。

 そして……。

 そこからのフレアの記憶は曖昧だ。

 緋い光に身体を焼かれるような感覚。

 ――ああ、そうか。殺したんだ。

 フレアは妙に得心がいった。不気味なくらい冷静にその感触だけは思い出せる。

 ――おっさん……。

 エイリッドが生前、どんな悪行を犯したのかは知らない。

 知っていたであろう賞金稼ぎの男も、フレアが殺してしまった。

 もはや、知る術はない。

 調べるという選択肢もあるにはあるが、それを選ぶつもりはない。

 本人の口から聞くべきことだと思うからだ。

 たとえそれが叶うことのない願いだったとしても。

 だが、この考えは矛盾している。

 勝手に人を殺すことが悪だとするならば、フレアのしたことは何なのだろうか。

 悪以外の何だと言うのだろう。

 そう、殺したのだ。

 赦せない。それだけの理由で、人を殺したのだ。

 『それ』を果たしてしまったフレアに、賞金稼ぎの男がした行為を否定する権利などない。

 既に同類なのだから。

 正義とは何か。悪とは何か。

 フレアの中でふたつの言葉が揺れる。

 担ぐ剣が重みを増していく。

 フレアを大地に縛りつけてゆく。

 どうやら身体を拘束する鎖というものは、重力だけではないらしい。


 通りは喧騒に包まれていた。

 ――人の声がここまで煩いものだと思ったのは初めてだな。

 フレアは椅子から立ち上がり、歩みを進める。全員黒い服で身を包んでいるため、人ごみで見失う心配はなさそうだった。

 サツキと呼ばれた少女は不安げな、あるいは何か心配事がありそうな眼をフレアに向ける。

 後ろ手でそれに応えてやって、フレアは剣を引き抜く。

 ――剣がいつもより重い。そんな気がする。

 その重みの正体は、フレアにはまだよく分からなかった。


「人違いだそうだ。営業妨害だから家に帰んな、坊や」

 言うと、少年は殺気立って眼を剥く。

「なんだァ、お前。ボクに用事? 目障りだから消えてくんない? 邪魔! 超邪魔ッ! 超ッ絶ッ邪魔ッ!」

 酒場前では、冒険者たちが冷や汗を掻いている。フレアはその先頭に立つ。取り囲むように黒服の一団。中心には少年が、フレアに対峙するように立っている。

 フレアは剣を抜いていた。正眼に構え、眼光を鋭くする。

 対する少年は無手のまま。危機感を抱くような表情は出さない。ただし、フレアに向けた敵意だけははっきりとしていた。

 周囲の黒服は動かない。癇癪を持っていそうな少年に逆らえないからか、あるいは少年を信頼しているからか。

 フレアは攻めあぐねていた。

 無手でありながら、構えもせず、それでいて自信に満ちた態度の少年は、子供であるという要素以上に攻めにくい。

 先が読めない。故に手が出せない。

「来ないの? なっさけないなァー。じゃあ……」

 少年は重心を落とし、右手を振りかぶる。そして、

 消えた。

 戸惑う間もなく、

「くたばっちまいなッ!!」

 背後からの少年の声に、フレアは飛び退いて距離を取る。

 が、衝撃が身体を駆け抜ける。視界が揺らぐ。

 ただの打撃ではない。それは瞬時に判った。

 気功術を使えるフレアには大抵の攻撃は効かない。銃撃さえも効果は怪しい(弾けた経験はないが)。

 ならばこの衝撃は……。もはや問うまでもない。

 気功術だ。

 少年は気功術師なのだ。

「やるねェ! アンタも使えるんだ、気功術ッ! ……面白ェじゃん!」

 少年は宙を飛ぶようにしてフレアへ向かってくる。

 気を背へ放射して推進力を得ているようだ。

 身軽さを有効に利用した戦術だった。

 対するフレアは、剣を構えた。

 少年の高速移動を捕らえ、一撃で沈める他ない。少年が攻撃に転じる瞬間、そこを捻じ伏せるのだ。

 そして、少年の右腕に気が集約される。

 それは明らかにフレアを仕留めるための仕草。

 少年は速度を上げた。

 その速度はフレアの認識できる領域をわずかに越えていた。

 振り下ろされる少年の右腕。

 放たれた気はフレアの身体をまっすぐに貫く。

 ……かに見えた。

 しかし、フレアの一撃はそれよりも先に放たれていたのだ。

 龍騎道剣術、赤龍剣。"剛烈火"

 燃え上がる斬撃の炎は、少年の攻撃を吹き飛ばし、少年の身体をも食い尽くした。

「ぐァァアアア!」

 少年は吹き飛び、その体を黒服が受け止める。

 少年に外傷はなさそうだった。ついでに意識もないようだった。気で斬撃を相殺することで手一杯で、衝撃やフレアの気による攻撃への応対が出来なかったのだろう。

 気絶した少年に黒服たちが群がる。

 ――逃げるなら今のうちか。

 そそくさと人ごみに紛れようとしたフレアだったが、ふと気になったことがあり踵を返す。

 向かった先は当然酒場だ。食事は途中(というか手付かず)だし、何よりも大事なことがあった。

 フレアはその背を見つけ声を掛ける。

「で、結局アンタは何モンなんだ? サツキ(仮)さんよ」

 少女は背を向けたまま答える。

「それはこっちが訊きたいことよ」

 それは、投げやりな言い方だった。

「あと、アタシの名前はリースだから」

 リースと名乗った少女は冷たい声で答える。

 フレアは、その声に違和感を覚えつつも、そうかい、と返事をした。


 フレアとリースは街の広場に来ていた。

 広場からは街道が周囲に伸びていて、どうやらこの広場は街の中央に位置しているらしかった。

 広い街道に多くの住民がひしめいていて、そんな広場の真ん中には大きな噴水がある。

 フレアたちは、その噴水がよく見えるベンチに腰掛けていた。

 水しぶきは陽光を反射して宝石のように輝き、街の喧騒も水音も程良く打ち消し合い、そこはまさしく憩いの場になっていた。

 黒髪の少女、リースはやや色素の薄いその髪を撫でながら、噴水を眩しそうに眺めていた。

「わたし、記憶喪失なんです」

 寂しそうな口調だった。

「気づいたらわたしには記憶がなくて、目覚めたのは診療所のベッドの上でした。訊くところによると海岸で倒れていたそうです。診療所では多くの方が親切にしてくれました。そこでわたしはリース=ハーベストという名をもらいました。でも、」

 リースは視線を落とした。

「あの人達が現れたんです」

 黒服の男達。

 彼らは一体何者なのだろうか。

 こんな少女を連れ去って何がしたいのか。

 考えても分かりそうになかった。

「フレア……さんはとても強い方ですし、こんなに親身になってくれてます。そんな方にこれ以上甘えるのもどうかと思いますが、それでも……わたし」

 いたいけな少女を放っておくことも出来ない。そして何より、

「分かった。……オレで良ければ、アンタを守るよ」

 何より、冒険者たちが言ったヴァルトニックという言葉にフレアは引っかかっていた。

「ありがとうございます。……嬉しいです」

 少女ははにかんだように笑い、目元を拭った。

 ヴァルトニック……。エイリッドが最期に言い掛けていた言葉と同じだった。


 問題は山積みだった。

 独り身の旅なら多少の無茶はどうにでもなったが、少女を守りながらでは出来ないことも多くある。

 野宿はある程度仕方ないとして、旅支度もふたり分。食料も衣服も要ることを考えると、エルフの里を出るときにもらった路銀はあっという間に底をつく。当たり前だがひとり分しか想定されていないのだ。また、気功術を扱えるものならばその応用で、消費する体力を抑えることも出来る。それを見越した量になっているので、旅慣れていない少女と旅をするには圧倒的に足りないのだ。

 つまり単純にお金が必要になった。そういうことだった。

 そうして辿り着いたのは、冒険者ギルドと呼ばれる建物だ。

 周囲の建物と同じ木造建築で、正面に大きくギルドと書かれている。

 広い街に慣れないフレアはとことん街を彷徨い、頼りのリースも方向音痴という隠れた才能を遺憾なく発揮し、辿り着く頃にはもう日が暮れてしまっていた。

 中に入ってギルドの組員に話を聞き、冒険者ギルドの仕組みをおおよそ理解できた。

 武器の発達したこの世界では、町と町を繋ぐものは冒険者なのだ。

 物品の輸送にも旅の護衛にも武芸に秀でた冒険者は必要不可欠で、そういった役割をこなす冒険者は街の機能を維持する大事な歯車のひとつとなっている。

 街の住人はギルドに依頼を出し、冒険者はそれを受け、契約は成立。

 あとは依頼を果たせば、報酬を手に入れられるという寸法だ。

 依頼には、お使いのようなものから、護衛、輸送などが見受けられる。

 中には、賞金首リストなどもあった。

 顔写真と名前、犯した罪などが細かく明記されている。

 『エイリッド=ハンター』。

 そんな文字が見えたような気がして、フレアは思わず目を背ける。

 それを見ていた組員の一人がぼやく。

「そういや、あいつ結局帰って来なかったなぁ。『黒銃のガロット』。やっぱり殺されちまったのかねぇ。あのエイ☓☓☓に…」

 聞こえない。何を言っているのかフレアには聞き取れなかった。聞き返す気も起こらなかった。

 適当な依頼書を引き抜き、フレアはギルドを出た。リースが慌てた様子でそれを追い掛ける。

 いつものフレアなら彼女を待ってから扉を出るようにするのだが、今回はそうしなかった。

『そんなことはないよ。君に比べれば、ね』

 そう言って、エイリッドは笑っていた。

『ああ、済まない。変に勘繰らないで欲しい。確かに私は『人間』だが、私は『妖精』の敵ではない』

 優しい目をしていた。初めて会った『人間』は善い人だった。

『業、なのだよ。これは』

 諦観めいた顔にどんな想いが込められていたのか。もう知る術は無い。

『気をつけろ。ヴァルトニッ、ク……』

 『ヴァルトニック』。それは何を指す言葉なのだろうか。あるいはリースなら知っているのだろうか。

 そう思って振り返り、

「なぁリース。ヴァルトニックって何なのか知って……」

 そこでようやく気づいた。

 リースがいない。

 見失っただけかと思い、辺りを見渡すが、やはりいない。

 気づけば、ギルドを出てから随分と歩いてしまっていたようだ。

「まずいな……」

 フレアは冷や汗をかく。

「……オレ、迷子だ」

 夜間の少女の一人歩きが如何に危険かを、この時のフレアはまだ知らないのだった。


――


 月明かり照らす路地裏の影。

 リースを取り囲むガラの悪い男達。

 リースは壁に追い詰められていた。

「ヨォ、嬢ちゃん。かわいいネェ。ちょっとサァ、お兄さん達とイイコトしようゼェ……」

 男の一人が癇に障る猫撫声で近づいてくる。

 嫌悪感に苛まれながら、リースは腰元の護身用ナイフに手を伸ばす。

 このナイフはリースにとって特別なものだった。

 手に入れた経緯は定かではない。

 ただ、診療所で目を覚ましたリースが身につけていたというだけのものだ。

 そこには『大切なものだ』という記憶があるだけだ。それ以外は思い出せない。

 それでも譲れない想いだった。

 診療所での生活の中で、過去を思い出せないという苛立ちや不安を慰めてくれたのはこのナイフだった。

 見つめているだけで心が研ぎ澄まされていくような、あるべき姿を思い出させてくれるような、そんな感覚が胸をよぎる。

 ――このナイフを握れば、『わたし』は強い『わたし』になれる。

 そしてリースはナイフの柄を掴み、

「行けねぇナァ。そんな物騒なモン抜いちゃあ……」

 横から別の男がリースの右腕を掴んだ。鞘から抜きかけていたナイフがカランと地面に落ちる。

「そんなに怖がる事ぁねぇよ。優しくするからサァ……」

 男は醜い顔を近づけた。舐め回すような視線があまりに不快で、リースは顔を背ける。もしここで諦めたらどんな目に遭うのかを考えると、血の気が引いてゆく。

 ――怖いよ。誰か助けて……

 そう思っても、誰も来ない。フレアは何処に行ったのだろうか。見失ってからあまりに時間が経ちすぎている。きっともう遠くに行ってしまっているのだろう。

 甘えすぎていたのかもしれない。診療所の人たちにも。フレアにも。

 自分は何も与えていないのに、彼らは多くのものをリースにくれた。名前を。安心を。笑顔を。居場所を。

 だから、これは自分でどうにかしなければいけないのだろう。

 自分を助けてくれる誰かを助けられるように。与えられるばかりではなく自分からも返せるように。

 リースは左腕でもう片方のナイフを一気に抜いた。

 そして一閃。

 汚らしい手が飛んだ。弧を描き、男達の中心に落ちる。

 竦み上がる男達。一人はまるで夢でも見ているような顔で、一人は馬鹿げた現象を煙で巻くような顔で、一人は呆気に取られた顔で地に落ちた腕を凝視していた。

 月は雲に隠れ、街の景観は一層暗みを増す。

 影を背負い、少女は頬を緩ませた。

「……アタシは退屈が嫌いなの。ネェ、……アンタは、楽しませてくれる……?」

 凄絶な笑みを浮かべ、少女は宵闇に舞った。


――


 ――どこにいる……ッ!

 フレアは街を疾走していた。昼間とは打って変わり、街には人気がなかった。

 同じ街とは思えないほどに静かだった。フレアの足音だけが不快に響いていた。

 妖精の聴力を活かせば、本来ならすぐに見つかる筈だった。

 それが出来なかったのはそれだけの距離を開けてしまったからだ。

 ――クソッ! 俺、完全に迷子になっちまったッ!!

 心配する要素がおかしいとは思わなかった。

 夜とはいえ、人の住む街が物騒などとは、平和なエルフの里で育ったフレアには想像すら出来ないことだった。

 やがて妖精の聴力が音を拾った。それは街に相応しくない剣戟の音だった。

 そこでフレアはようやく、心配すべきが自身の迷子ではなく、リースの安全だと悟った。

 石畳の通りを駆け抜け、目前に脇道が見える。音は既に止んでいたが、間違いなくそこで争いが起きていた。

 フレアは剣の柄に手を掛け、角から躍り出た。

 光景が眼に入るよりも先に、背後から気配がした。

 フレアが振り返るよりも早く、

「フレア!!」

 視線を後ろへ向けると、背後にはリースが立っていた。

 肩で息をしながら、上気した顔でフレアを見ていた。

「……良かった」

 途端に崩れ落ちるリース。フレアはそれを慌てて受け止める。

 見たところ外傷はないようだった。衣服にも乱れは見えない。何かに巻き込まれたという訳ではなさそうだった。

 上手く逃げ切れたのだろう。そう結論づけてリースを背負い、路地裏に目を向ける。

 路地裏は暗く、路は入り組んでいて、立ち入ろうとする意志を挫こうとしている。

「……血の匂い、か」

 やはりここで何か起きたらしい。

 だが、女の子を背負った状態で調べる気にはなれず、その場を後にした。

 余談になるが、その後もフレアは散々迷い、リースを連れて宿に辿り着く頃にはもう陽が登り始めていた。

◆リースちゃん登場

正直な話、勢いだけで書いちゃってます。

もう少しきちんと描写してあげてキャラの輪郭をくっきりさせたほうが良かったような。今更ですが。


◆常磐

もうちょっと土地にまつわるエピソードを入れたかったんですが、当時色々考えた結果削りました。

今思えばこの2倍くらいの分量割いてしっかり書くべきだったかなぁとも思います。

この土地の設定は完全に死んでしまっているので。


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