③
――お見合い当日、あちらの仕事の都合で、田上さんとは夕方から会うことになった。
5時に駅前の某一流ホテルのラウンジで待ち合わせ。
田上さんとは話をしたことはないけど、顔だけは知ってる。
聞くところによると、田上さんは今年30歳になる日焼けも爽やかな笑顔のスポーツマンで、遠山君ほど整った顔立ちじゃないけど、スタイルは抜群。
夏はサーフィン、冬はスノボーと趣味もお洒落でアクティブだ。
そんな引く手あまたな将来有望株のエリートにあたしなんて…、と気後れしそうだけど、こんなチャンスを逃す手はない。
遠山君の嫌がらせなんて、気にしてられないわ。
無事田上さんに気に入られて、薔薇色の未来をゲットするのよ、あたし!
あたしは派手になりすぎないように気を付けながら、お気に入りのカシュクールワンピースで精一杯のお洒落をして、自分を売り込むために気合いを入れて挑んだ。
約束の10分前、遅すぎず早すぎずラウンジに到着。
飲み物を頼もうかどうしようか迷う間もなく、田上さんが現れた。
「すいません、お待たせしましたか?」
「いいえ、あたしも今来たところです」
多少緊張しながら初めましての挨拶をするあたしに、田上さんは細川茂樹似の人好きのする笑顔で応じてくれた。
「写真で見るよりずっとお綺麗なんで、何だか緊張するなぁ」
「そんな、田上さんこそ…」
緊張なんて微塵も感じさせない落ち着いた物腰が、大人の余裕って感じで、遠山君なんかよりずっと素敵です〜。
…て、あたし、何でこんな時にまで遠山君のことなんて。
なぜか脳裏に浮かぶ柔らかな笑顔をヤダヤダと追い払って、目の前の彼に意識を集中しようとした。
ああでも、こういう時って、何を話せばいいのかしら。仕事関係のことなら、意識しなくてもスラスラ出てくるのに…。
こんなんじゃ、とても満足して商品をお買い上げいただけないわっ。
すると、
「喉、渇きませんか?ここのコーヒーは豆からこだわってるから、美味しいんですよ」
「あ、はい。いただきます」
緊張して言葉数が少なくなるあたしを和ませるように、田上さんは終始笑顔であたしが答えやすいような話題を提供してくれた。
好きな音楽は?とか、外食はよくする?とか…。
趣味の話になると、沖縄に別宅があって、サーフィンはもちろんクルーザー(これも自前)で沖へ出てホエールウォッチングも出来るなんてことを聞いて、あたしの目が思わず輝いた。
「クジラが見られるんですか?じゃあイルカも?」
「ああ、うん、見られるよ」
「ホントですかっ?」
以前、友達と初めて行った海外旅行でイルカを見て以来、あたしはいつかまた見に行きたいとずっと思っていた。
途端にノリが良くなったのがわかったのか、田上さんも気を良くして語りだし、彼の女性のツボを心得た話術も手伝って、あたしはどんどんその魅力に引き込まれていった。
「休みが取れるようなら、今度連れていってあげようか?あ、友達も連れてくるといいよ。部屋はたくさんあるから」
「うわ〜、いいんですか?嬉しい!」
『社交辞令』だとは思いもせず、誰に声掛けようとか、有給とれるかなぁとか、あたしはすっかり舞い上がって、子供のようにはしゃいでしまった。
田上さんがクスッと笑うのを耳にして、ハッと我に帰った。
「あっ、すいませんっ。何だかあたし一人ではしゃいじゃって…」
「いや、いいよ。女性の笑顔はこっちまで楽しくなるから」
「そ、そうですか?」
「うん。可愛いなぁ、と思って見惚れてた」
「えぇ?」
うっとりするような笑顔で見つめられて、あたしの頬が見る間に赤くなる。
か、可愛いなんて、そんな…。
あたしの容姿を例えると、いわゆる典型的な日本人顔だ。
少しキツイ印象を与えがちな、奥二重の切れ長の目と薄い唇。一歩間違えれば日本人形みたいなストレートヘア。
以前、欧米のお客様に『アジアンビューティー』と評されたことはあっても、可愛いなんて形容詞は、あたしのこれまでの人生に使われたことがなかった(遠山君の意地悪は除いて)。
言われ慣れない言葉に照れてしまって、あたしはまともに田上さんの顔が見れなくなった。
そんなあたしの様子を楽しむように、田上さんはしばらくニコニコ笑っていたけれど、おもむろに切り出した。
「この後、時間空いてる?上のレストランで食事でもどうかな?」
「あ、あの、えっと…。はい、喜んで」
遠山君の忠告が一瞬頭を過って言葉に詰まったけれど、まさか初対面でそんなことはないない、とはにかみながらも誘いを受けた。
…ていうか、遠山君の方がよっぽど手が早いからっ。
「よかった。実はさっき、ここに来る前に予約を入れておいたんだ。今日は天気もいいから、きっと夜景が綺麗だよ」
「…素敵ですね」
さすが田上さん、用意周と…いやいや、やることがスマートだわ。
「じゃあ、行こうか」
「はい、そうですね」
若干出来すぎな感じが否めないながらも、あたしは素直に彼の後について行った。
「田上様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
「ああ、うん」
「一番眺めの良い席をご用意しております。こちらへどうぞ」
最上階のレストランに着くと、田上さんは上得意なのか、支配人らしき男性が何のためらいもなくあたし達を窓際の席へ案内してくれた。
ここでも田上さんは嫌味にならない程度の強引さで、あたしをリードしてくれた。
「メニューはおまかせでいいかな?あ、それとも何か食べたいものはある?」
「おまかせします」
「ワインは?カクテルとかの方がいい?」
「お酒はちょっと…」
アルコールにあまり強くないあたしが、初っぱなから失態をおかしてはならないと辞退すると、田上さんはほんの一瞬顔を曇らせた後、すぐに何もなかったように笑顔に戻った。
…あれ?あたしご機嫌を損ねたかしら。
「そう。…でもまあせっかくだから、乾杯くらいは付き合ってくれるよね?口当たりの軽いシャンパンあたりなら」
「あ、はい。もちろん」
あたしはそれくらいなら大丈夫だろうと、あわててうなずいた。
そうよね、せっかく誘っていただいたんだから、最初からお断りするのはちょっと失礼よね。
あたしは何となく心に引っ掛かりを覚えながらも、目の前にぶら下がった『玉の輿』という美味しいエサに釣られて、それを深く考えようとはしなかった。
シェフおすすめの美味しい料理と、パティシエが自ら目の前で仕上げてくれるデザート(クレープシュゼット)に舌鼓。
眼下に広がる百万ドルとは言わないけれど美しい夜景を楽しみながら、田上さんのセレブな会話に夢見心地でうなずいていると、あっという間に時間が過ぎていった。
「今日は楽しかったね。…また誘っても?」
「はい。ぜひ…」
ふわふわした気分で承諾した後、あたしはお手洗いに行こうと席を立った。すると、
「あっ…」
「ああ、危ないっ」
あたしは急に足元が覚束なくなって、フラッとテーブルにしがみついてしまった。
「大丈夫?気分悪いのかい?」
「…いえ、大丈夫です…」
あれ…?おかしいな。あたし酔ってる?
シャンパンなんて、グラス半分も飲んでないのに…。
くらくらする頭を手で押さえて、支えてくれようとする田上さんから退こうとしたあたしは、思いの外強い力で彼に抱き寄せられてしまった。
「顔色悪いよ。送っていくから、その前に少し休憩した方がいいな」
「え…?」
体に力の入らないあたしは、田上さんに引き寄せられるまま、レストランを退席することになった。
「…あの、田上さん…?ホントに大丈夫ですから」
「いやいや、そんな様子じゃ途中で倒れてしまうよ。休んでいった方がいい」
あたしを抱き抱えるようにして、有無を言わせぬ勢いで客室に繋がるエレベーターホールに連れて行こうとする田上さんに、あたしは違和感というより、嫌悪感を覚え始めた。
…ちょ、ちょっと待ってっ。いったいどこへ連れていくつもり!?
あたし酔っぱらってなんかないわ、こんなの変よ!
急激に言うことを聞かなくなる体に恐怖を感じながら、あたしは弱々しくても必死で抵抗を試みた。
「や、止めてくださいっ…。一人で帰れますからっ」
すると、頭上からチッと舌打ちが聞こえたかと思うと、
「…ここまで来といてそれはないだろう?大丈夫、俺は紳士だよ?」
とても紳士的とは思えない口調と態度で、田上さんは往生際の悪いあたしをエレベーターに押し込もうとした。
ほ、本性現しやがった〜っっ!!
遠山君が言ってた噂はウソじゃなかったんだっっ!
…や、ヤダヤダッ!!誰か、お願い、助けてっっ…!!
「やっ…〜〜〜っっ!!」
叫ぼうとした口を塞がれて、絶体絶命を覚悟したその時だった。
「女性を泣かす男は最低だって、教わらなかったか」
「な、何だお前っ…!?」
バキッ!…ドサッ。
と、何かを殴り倒すような音がしたかと思うと、あたしは押さえ付けられていた腕から解放され、ふらついたところを誰かに柔らかく抱き止められた。
「大丈夫ですか?沢口さん」
この声はっ…。
「…遠山君っ?」
見上げるとそこには、安堵の柔らかい笑みを浮かべる、遠山君の秀麗な顔があった。
.
そして真打ち登場!
ヒーローは強く正しく美しく(笑)!