第6話 点が線になる
監査局の照会が入ってから、臨時監査補助課の空気は一変した。
ざわめきは抑えられている。声は潜められ、視線は逸らされ、書類の受け渡しは必要最低限になった。誰もが余計なことを言わず、余計なことを見ないようにしている。
それはつまり――恐れているということだ。
エリシアは、その変化を席から眺めていた。感情的な満足はない。ただ、確認が一つ取れただけだ。
(やはり、個人の問題ではない)
午後、彼女の机に新しい帳簿が置かれた。今度は三冊。いずれも別の地方、別の年度、別の担当名義。だが、まとめて回ってきたという事実そのものが不自然だった。
(急ぎすぎ)
隠すなら、分散させる。まとめて渡すのは、「早く確認させて、早く終わらせたい」時の動きだ。
エリシアは三冊を並べ、まずは形式だけを見比べた。
罫線の幅。見出しの言い回し。数値の丸め方。免除理由の書き方。
(……同じ)
完全に一致しているわけではない。だが「癖」が同じだ。数字を扱う人間には分かる。無意識に出る処理の仕方は、そう簡単には変わらない。
一冊目で見た歪み。二冊目で確信に変わり、三冊目で疑いは消えた。
(線になった)
これらは、同一の意思によって処理されている。
だが重要なのは「誰が」ではない。
(なぜ、可能なのか)
担当者が違っても、年度が違っても、同じ処理が通る。それは、個人が優秀だからではない。仕組みが、許している。
エリシアは、帳簿を閉じた。
視線を上げると、課の責任者の席が目に入った。男は朝から席を外したままだ。逃げたのか、呼び出されたのかは分からない。
どちらでも構わない。
彼女は、自分のノートを開いた。そこにはこれまで見つけた不整合が、簡潔に書き出されている。金額、年度、地区、形式。点だったものが、少しずつ繋がっていく。
(共通点は、税免除と補填金)
そしてもう一つ。
(必ず、王都の商会を経由している)
地方の事情ではない。中央の問題だ。
そこまで考えたところで、背後から足音が近づいた。
「……君」
振り返ると、オスカー・ラインハルトが立っていた。監査局の若き官僚。顔色は良くない。
「少し、話がしたい」
「ここで?」
「できれば、場所を変えたい」
それだけで十分だった。彼が持ってきた話は、軽いものではない。
財務部の建物を出て、人気の少ない回廊に移る。石壁が声を吸い、外の音を遮る。
「監査局が、動きました」
オスカーは低い声で言った。
「あなたが提出した帳簿……表向きは“形式確認”です。だが内部では、かなり深刻に受け取られている」
「そうですか」
エリシアは驚かなかった。
「問題は、規模です」
オスカーは言葉を選びながら続ける。
「一地区、二地区の話ではない。同様の処理が、少なくとも七つの地方で確認された」
七つ。
数字として聞くと、途端に重みが変わる。
「……誰が?」
「まだ特定できていない。正確には、特定できない」
オスカーは歯噛みした。
「帳簿上の責任者は分散している。だが、処理の流れは同じ。誰かが“上から”仕組みを作っている」
エリシアは、静かに頷いた。
「王国の財政構造そのものですね」
オスカーの目が、僅かに見開かれる。
「……そこまで見ていたか」
「見えてしまいました」
見たくて見たわけではない。数字が、勝手に繋がっただけだ。
「あなたに忠告があります」
オスカーは一歩、距離を詰めた。
「これ以上踏み込めば、敵が増える。しかも相手は、あなたが思っているより上だ」
「承知しています」
「なぜ、そこまで」
彼の問いには、個人的な色が混じっていた。
エリシアは少しだけ考え、答えた。
「結婚を断ったからです」
「……それが、理由に?」
「ええ」
彼女は、淡々と続ける。
「私はもう、守られる立場ではありません。誰かの家に入って、庇護の中で生きる選択を捨てました。ならば、自分で自分の居場所を作るしかない」
それは、覚悟の話ではない。単なる帰結だ。
「居場所を作る方法として、これは合理的です」
オスカーは苦笑した。
「……本当に、合理的だな」
「感情で動くと、長くは持ちません」
その言葉に、彼は何も返さなかった。
しばらく沈黙が続いた後、オスカーは言った。
「監査局として、あなたに正式な協力要請が出る可能性があります」
「左遷ではなく?」
「……昇格に近い」
それは、朗報であると同時に、最悪の知らせでもあった。
表に出る。名前が出る。矢面に立つ。
「断ることは?」
「できます。ですが……」
「ですが?」
「断れば、この件は“適切に処理された”ことになります」
つまり、なかったことになる。
エリシアは即答しなかった。
回廊の窓から差し込む光が、床に長い影を作っている。王国は今日も平然と回っている。歪みを抱えたまま。
だが、歪みを見てしまった以上、戻ることはできない。
「……検討します」
それだけを答えた。
席に戻ると、机の上に一枚の紙が置かれていた。見覚えのない書式。だが、王城の封印がある。
開かずとも分かる。
(次の段階だ)
結婚を断ったことで始まった話は、もう個人の問題ではない。王国の帳簿が、彼女を離さない。
エリシアは紙に手を伸ばし、深く息を吸った。
点は、完全に線になった。
あとは、この線がどこまで続いているかを確かめるだけだ。
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