第21話 孤独のコスト
夜の経済記録整理室は、音がない。
昼間は帳簿の擦れる音や、紙をめくる微かな気配がある。だが夜になると、それすら消える。残るのは、灯りと、文字と、自分の呼吸だけだ。
エリシアは机に向かい、資料を閉じた。
今日は、数字がよく動いた日だった。
他国取引の伸び。商会の自発的な制度適応。内部試算の修正。
すべて、順調だ。
(順調すぎる)
彼女は椅子にもたれ、天井を見上げた。成果が出ている時ほど、確認が必要になる。何かを見落としていないか。どこかで、誰かを切り捨てていないか。
――問題はない。
数字は、嘘をついていない。
だが、胸の奥に、別の重さが残っている。
誰もいない。
報告する相手も、祝う相手もいない。
かつては、ここではない場所に席があった。
意見を求められ、反論され、時に怒鳴られた。
今は、それがない。
(孤独だ)
その認識は、静かに、だが確実に浮かび上がった。
エリシアは、それを否定しなかった。
孤独は、想定内だ。
結婚を断った時点で、理解していた。
誰かの家に入らず、誰かの庇護を受けず、象徴になる道を選ばなかった。
その代償が、これだ。
机の端に置かれた、小さな紙束に目が留まる。
リーゼが置いていった、非公式の報告。
オスカーが「参考までに」と渡していった資料。
完全に一人、というわけではない。
だが、依存できるわけでもない。
(ちょうどいい距離)
そう思おうとしたが、胸の奥が少しだけ軋んだ。
誰かに頼る方が、楽だ。
結婚という制度は、そのためにある。
責任を分け、決断を分け、孤独を薄める。
それを、彼女は選ばなかった。
エリシアは、静かに独白する。
「……寂しさは、選択の副作用です」
声に出して言うと、不思議と形を持った。
副作用。
つまり、避けられないが、許容できるもの。
後悔はない。
誰かと人生を分け合わなかったことを、悔やんでもいない。
ただ――。
(この道は、静かだ)
祝福も、喝采もない。
間違えれば、誰も守ってくれない。
それでも、彼女は立ち上がった。
机の上に、次の資料を広げる。
過去の失敗事例と、最新の実測値。
点と線が、また一つ、繋がる。
孤独は、判断を鈍らせない。
むしろ、余計な雑音を消してくれる。
エリシアは、灯りを一つだけ残し、整理室を後にした。
廊下は長く、静かだ。
足音が、自分のものだけだと分かる。
それでも、歩みは止まらない。
孤独は、支払った。
その代わりに、彼女は自由を持っている。
誰の妻にもならず、
誰の象徴にもならず、
ただ、自分の設計で前に進む自由を。
それが、彼女の選んだ人生だ。
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