第18話 数字は生きている
紙は、死んでいない。
それが、エリシアの結論だった。
経済記録整理室の棚に並ぶ帳簿は、ただ過去を保存しているわけではない。使われ方を変えれば、現在を縛る力になる。
エリシアは「制度運用上の問題事例集」と書かれた箱を開き、新しい資料を差し込んだ。地方補助金の遅延事例。交易補填の循環構造。免除基準の恣意的運用。
すべて、実例だ。誰かの推測ではない。
「……増えましたね」
リーゼが、低い声で言う。
「増えました」
エリシアは頷いた。
「しかも、同じ構造です」
制度が悪用される時、人は同じ失敗を繰り返す。なぜなら、その制度が“成功体験”を与えてしまったからだ。
「公表しないのに、意味があるのでしょうか」
リーゼの問いは、率直だった。
「あります」
エリシアは即答した。
「公表は、反発を生みます。記録は、参照され続けます」
必要な時に、必要な人が辿り着く。
「それに」
エリシアは続けた。
「制度改正の理由は、いつも“前例”です」
リーゼは、はっとした。
「……前例を、こちらが握る」
「はい」
前例がなければ改革はできない。ならば作る。
それは、破壊ではない。準備だ。
午後、見慣れない封書が届いた。王城外の商会からだ。正式な取引文書ではない。だが封は正しい。
エリシアは、静かに開いた。
「……他国?」
リーゼが覗き込む。
「はい」
内容は、簡潔だった。
――貴国の補助金制度について、非公式に意見交換を希望する。
署名は、他国の経済顧問、セドリック・ヴァン・ロウ。
「……動きが早いですね」
「外からは、よく見えます」
内部是正は、外部からは“異変”に見える。
オスカーも、夕方に顔を出した。
「その名前、聞いたことがある」
「有能ですか」
「厄介だ」
即答だった。
「数字に忠実で、政治に迎合しない」
「同類ですね」
エリシアは、淡く笑った。
「だから、接触してきたのでしょう」
会うかどうか、迷う理由はなかった。
「応じます」
「王の許可は?」
「正式な交渉ではありません」
オスカーは、ため息をついた。
「君は、本当に境界線を渡るのが上手い」
「線を消しているだけです」
線を引いたのは、人だ。
数日後、王城外の小さな応接室で、エリシアはセドリック・ヴァン・ロウと対面した。
背の高い男だった。派手さはないが、目がよく動く。
「初めまして、クラウゼ伯爵令嬢」
「エリシアです。肩書きは不要です」
セドリックは、微かに口角を上げた。
「では、私もそう呼ばせていただこう」
挨拶はそれだけで十分だった。
「あなたの国は、面白い」
彼は、開口一番に言った。
「帳簿が、嘘をついている」
「それは、誉め言葉ではありません」
「ええ。ですが、修正され始めている」
エリシアは、黙って続きを促した。
「結婚外交ではなく、制度で結びたい」
セドリックは、はっきりと言った。
「人を差し出さず、数字で繋がる関係を」
エリシアの目が、僅かに細くなる。
「時間がかかります」
「承知しています」
「派手な成果は出ません」
「望んでいません」
二人の間に、短い沈黙が流れた。
恋ではない。駆け引きでもない。
ただ、利害と合理が一致している。
「案があります」
エリシアは、紙を一枚取り出した。
「制度比較表です」
自国と他国の補助金制度、交易規定、監査基準。その差異。
「これを土台に、協定を組みましょう」
セドリックは目を落とし、数秒で理解した。
「……なるほど」
彼は、感心したように息を吐く。
「あなたは、本当に数字を生かす」
「数字は、最初から生きています」
使うかどうか、選ぶだけだ。
その夜、エリシアは整理室に戻り、新しいラベルを貼った。
――他国制度比較資料。
数字は、動き始めている。
静かに、しかし確実に。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




